文字通り空を飛び、高速でゼーリエ達は魔族の間を駆け抜けていった。
フリーレンが真っ直ぐ吹き飛ばした事もあるし、フェルンを始めとした援護があった事もあり、あっという間に群れの奥にまで辿り着くことが出来ていた。
呆気なく、容易く入り込めた事に多少の困惑を覚えながらも、ゼーリエ達は目の前を見据えた。
ザクッ
「よいしょ」
そこには大地に鍬を振り下ろす麦わら帽子を被った魔族の女がいた。
此方に気付いた様子もなく、一歩一歩下がりながらざくざくと地面を耕していく姿は、ただの農家にしか見えなかった。
けれどその頭に生えた角と、その身から溢れ出ているあまりにも大きすぎる気配が、それを否定していた。
レーベが醸し出す気配は、一度気付いてしまえば無視する事は出来ない。
なんだこれは、が二人の率直な反応だろう。
これが、一個の生命としてそこにある事が、二人には信じられなかった。
まるで雄大な大自然を目の前にしているような雰囲気を醸し出すたった一人の魔族に、二人は息を飲み、目を見開いた。
「…………おい、レーベ。貴様何をしている」
このままでは呑まれる……そう感じたゼーリエは一歩前に出ながら魔力を滾らせた。
ゼーリエの、馴染みのある魔力に包まれ、二人は知らず知らずに止めてしまっていた息を吐き出した。
「ぷはっ……!」
「はっ……はっ……」
冷や汗を流し息を乱す二人を庇うように、ゼーリエは魔族へと向かい合った。
声をかけられた事で此方に気付いたのか、鍬を振り下ろす手を止め、首にかけたタオルで額を拭いながら、その魔族は……『豊穣のレーベ』は、ゆるりとゼーリエのほうを振り向いた。
「おや、ゼーちゃん、おはようございます」
レーベは、ニコニコと人好きのする笑みを浮かべていた。
その笑顔と感じる魔力の圧の剥離が、あまりにも気味が悪かった。
「ここも良い土地ですね! 皆が街を飲み込むまで暇だったので、このへんを耕していたんですよ! いやあ、この世界の土地はどこも素晴らしいですねぇ」
麦わら帽子のつばを押さえながら、レーベは辺りを見回した。
不毛、という訳ではない土地だが、豊かという訳でもない土地を嬉しそうに耕す女の姿は、異様であった。
「えーっと、それでゼーちゃんは……あっ! うしろにいるのは、フリーレンって子でしたよね! あっ、もしかして気が変わったんですか? 私に差し出してくれると――」
「違う」
「そうですか……ん?」
レーベは、残念そうに肩を落とした。
そして、コテンと首を傾げゼーリエへと問い返した。
「では、どうしたんですか?」
「どうしただと? 寝惚けた事を言う。貴様を滅ぼしに来たに決まっているだろう」
瞬間、ゼーリエの膨大な魔力が渦巻いた。
先程までレーベの異様な存在感で満たされていたこの場を、ゼーリエの魔力が押し返していく。
不適な笑みと共にゼーリエの迫力は増していき、その手をレーベへと向けた。
「……いずれこうなるとは思っていた。今こそ私の役目を果たそう」
「ひぇー! ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 私なんてそこらの魔族にも負けるくらい弱っちいんですよ!? ゼーちゃんになんて勝てっこないですよぉ!」
途端にレーベは慌てだす。
手足をバタつかせ、鍬を放り投げて、涙すら流しながら、全身でやめて欲しい、という思いを表している。
その仕草はあまりにも真に迫っていて、魔族だという事を忘れてしまいそうになる程だった。
だからこそ、ゼーリエは改めて目の前の脅威を討つという思いを強めた。
渦巻く魔力が、よりその勢いを増していく。
より強く、より鋭く、より素早く……。
せめて、苦しませないように。
「……死ね、レー――」
グイッ
魔法を放とうとしたその瞬間だった。
ゼーリエは何かに引っ張られ、体を反らしてしまった。
一歩、体勢を崩しながら、下がってしまった。
ヒュンッ
そして次の瞬間には、その目の前を銀色の閃きが通過していった。
「なっ……」
目を見開くゼーリエの目前には、先程まで影も形もなかった青年が、剣を振り切った姿勢で立っていた。
切られた前髪が何本か、宙を舞った。
「ゼーリエ様っ!」
青年へと、硬質化したゼンゼの無数の髪が殺到する。
ゼーリエの背後には、ゼーリエを手を掴み引っ張ったであろう、ファルシュが顔色を青くして見返していた。
ガキンッ!
キンッ、ガキィイインッ!
髪とぶっかったとは思えない音を響かせながら、ゼンゼの髪を切り払い、受け流し、避けきった青年は、一歩二歩といっそ大袈裟に感じる程に大きく距離を取り、ゼーリエ達とレーベ、その間に陣取りその刃を構えた。
青髪にマント、端正な顔立ちに泣きぼくろ……。
かつての、魔族との戦いにおける、かつての英雄。
「ッ……! レーベ貴様ッ……!」
それを認識したゼーリエの表情が歪む。
なんて事をしたのだと、内心で吐き捨てた。
そして、それを認識したフリーレンは、気付けば口を開いていた。
「勇者……ヒンメル……」
その言葉は、自分では認識出来なかったが……体に響く音は、何故か体に良く馴染んだ。
心は、記憶はそれを知らないと言うけれど、何故か胸が痛んだ。
目の前の青年は……ヒンメルは、微笑みを浮かべたまま、一行の前に、レーベを守るように立ちはだかった。
レーベはそれに心底安心したような様子を見せていた。
一方で剣を構え、此方を見据えるヒンメルの瞳には、情というものを感じる事は出来なかった。
「ゼーリエ様! 申し訳ありません! 私とした事が……!」
「……いや、良い」
ゼーリエは内心でファルシュに礼を言いつつも、目の前のかつての勇者から目を反らせなかった。
ゼーリエ自身は、ヒンメルと面識はない。
だが、容姿は伝わっていた……その姿はまさに勇者の若かりし頃、全盛期の姿であると容易く想像がついた。
その情報の出所も、察しはつく。
背後に意識を向ければ、フリーレン目の前の存在の事がわからない様子で……それでも何かを感じているようだった。
そんな状況で戦わせる訳にはいかない、幸いゼンゼとファルシュの二人ならば、対応出来ない程でもない……ならば、と口を開く。
「……ファルシュ、ゼンゼ、勇者の対応は任せる。その間に私が――」
そう指示を出そうとした瞬間だった。
「それは困るな」
「ッ!」
突然、ファルシュの背後に気配が現れ、その背中に触れていた。
先程のヒンメルとは違う、明らかに一瞬前まで何処にも存在していなかった。
ゾワリとした悪寒とともにファルシュは振り返りながら魔力を滾らせるが、既に遅かった。
「なっ――」
シュンッ
その片角の魔族が触れていたファルシュは、その次の瞬間には姿を消してしまったのだった。
「ファルシュ!」
ゼンゼが後れ馳せながら反射的に無数の髪を殺到させ、その魔族を攻撃したが……それは悪手だった。
「これはっ……! 待てゼンゼ!」
ドシュゥッ!
「これでっ――」
シュンッ
硬質化したそれは見事にその魔族を貫いたものの、その手が触れた瞬間ゼンゼの姿も消えてしまったのだから。
しかし、その魔族も無傷ではなく、むしろ血を吐いて膝をつき、既に死に体となっていた。
「ごぽっ……いってぇな……あの一瞬で致命傷とは、現代の魔法使いは強いな……だが、俺の役目は、果たしたぞ……」
「ああっ! ツァルくん!」
ぼろり
魔族はそのまま塵と化したものの、既に人員を半分にされてしまった。
戦力の分断が目的であるなら、その言葉通り役目は果たしたと言えるだろう。
「転移魔法……クソ、使える者がいたのか……!」
まんまと近衛を失ってしまったが、ここで立ち止まってはいられない。
ゼンゼとファルシュは無事か……そう思考しそうになる頭を振り、ゼーリエは目の前の脅威に向き直る。
今は無事と信じて、戦うしかない。
立ちはだかるは、かつての人類の英雄……フリーレンにとってあまりにも酷な相手……。
ゼーリエが僅かに逡巡した時、視界の端を白が通りすぎた。
フリーレンが一歩前に踏み出していたのだ。
「フリーレン……」
「ゼーリエ……勇者は、私が」
短くそう告げたフリーレンは、多くを語る事なく杖を構えた。
魔力を滾らせ、真っ直ぐ前を見据える姿に……けれど僅かに震えるその体に、ゼーリエは言及する事はなかった。
ただほんの少しだけ、その表情を歪めた。
酷、そうわかっていても……ゼーリエは、今は、そうせざるを得なかった。
今ここで奴を討たなければいけない。
その思いだけが、ゼーリエを動かしていた。
「……わかった、任せるぞ、フリーレン」
ギロリ、そう音が出そうな程に鋭く、この期に及んでわざとらしくあわあわと体を揺らすレーベを睨み付けた。
この、最悪な茶番劇を終わらせる為に……ゼーリエはよりその身の魔力を強く滾らせ、レーベへとその足を向ける。
「終わらせるぞレーベ。貴様はやはり生かしてはおけん! ここで引導を渡してやる!」
ゼーリエは本気の殺意を込めて、その言葉を発した。
それを合図にか、フリーレンは光線を放つ。
ヒンメルは容易く身を翻し、フリーレンへと駆け出した。
ガキィイインッ!
刃とフリーレンの防護魔法が衝突し、凄まじい音が鳴り響いた。
その時一瞬、レーベとゼーリエの視線が交わった。
魔族らしい、光のない瞳。
それが、ぐにゃりと歪んだ。
「『
誤字報告ありがとうございます。
修正しました。