「……これは」
レーベの言葉と共に辺り一面を覆い尽くした緑。
それにほんの僅かに気を取られたゼーリエは、それに反応するのが遅れた。
一瞬で全方位を強固な結界に囲まれ、顔をしかめた。
これほど強固な結界は珍しい……そして、人類のどの魔法形態にもない……となれば、これは魔族によるものだ。
昨今の魔族にこのような結界を張れるものがいるとは記憶にないが……以前には
そのゼーリエの考えを裏付けるように地面から生えるように現れたのは、全身を鎧で固めた魔族だった。
「やはりお前か。七崩賢、『不死なるベーゼ』……フリーレン達勇者一行が倒したと聞いていたが……」
「…………」
ベーゼは言葉を返す事なく、その場でただ佇んでいる。
その態度が面白くなく、ゼーリエは舌打ちを一つ鳴らした。
「ちっ。百年前のフリーレン達に負けたような魔族ごときが、私を押さえ込めると思っているのか? 不愉快甚だしい! 今すぐ消し飛ばして――」
「違うよ」
不意に聞こえた声に、ゼーリエは言葉を止め、そちらに振り向いた。
そして、そこに立っていた存在に、成程、と小さく呟いた。
褐色の肌のレーベによく似た女魔族……。
「レーベ……いや、トート。貴様が私の相手という事か」
「そうだね」
気付けば先程までいたベーゼの姿はなく、ドレス姿のトートとゼーリエだけが結界内に残されていた。
対峙する二人は対照的な表情で視線を交わした。
ゼーリエは歪んだ表情で睨み付け、トートは微笑みを浮かべて目を細めて。
「……意外だな。もう貴様が出てくるとは……レーベが危機的な状況にでもならんと出てこないと思っていたぞ」
「あってるよ。元々そうするつもりだったし……けど、ちょっと考えを改める事があってね。レーベちゃんから離れて動く事にしたんだ」
「フン……まぁ良い。貴様達の事情なんぞ知ったことではない。どちらにせよ貴様もレーベも滅ぼす事にかわりない。順序が変わるだけの話だ」
「ふふ……自信満々だね。だからこそ今……貴女と相対出来て良かった」
その瞬間、突然トートの頬が裂けたかのように不気味につりあがった。
「貴女の自信が、希望が、全てへし折られて絶望した時……一体どんな顔をするのかしら……? 今から楽しみね」
結界の中を魔力が満たしていく。
トートの放つ、体に纏わりつくような、まるでねばついているかのような気持ちの悪い魔力。
ゼーリエが思わず身構えて顔を歪めてしまう程に、その魔力は異質だった。
「どうしたら貴女は絶望するのかしら? 外にいる貴女の弟子達が全滅でもすれば、諦めて膝を折ってくれるのかしら?」
「フン……そう容易く敗れる程柔な鍛え方はしていない。負けるのは貴様達のほうだ」
そう強がるも、ゼーリエはなんとなく感じていた。
既に、外では人類にとって致命傷となりえる事が起きていると。
外の様子など欠片もわからないものの、そう感じ取れていた。
だからこそ、手早く自分が全てを終わらせなければいけない……そんな焦燥感に苛まれていた。
それを知ってか知らずか、トートは言葉を続ける。
笑みを深めて、へらりと笑って。
「ふふふ……出来るといいね……あは……♡ ここは誰にも邪魔されない、私と貴女だけの空間……♡ ああ、ああ……早く味わいたい……貴女の、熟成された……」
紅潮した頬に手を当て、視線だけはゼーリエから一瞬たりとも離さず……トートは体をくねらせた。
瞬間毎に高まっていく魔力に、流石のゼーリエの額に冷や汗が浮かぶ。
表情こそ変わらないものの、僅かに体が震えていた。
それは、昂り……武者震いか、あるいは……。
「絶望の、味……♡」
恐怖か。
「ッ…………!!!」
ゴオッ!
挨拶がわりに放たれた無数の魔法。
しゃく
それがトートの眼前で掻き消えた瞬間に、ゼーリエは地を蹴っていた。
外と完全に断絶された空間で、人外同士の戦いが、始まった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ザンッ……!
バキンッ
パキャンッ
攻撃が避けられないと、どうしようもないと判断したシュタルクが、二人に覆い被さり庇った次の瞬間だった。
突如として無数の剣が宙に現れ……その全てを防いでいた。
刀身は折れ、砕け、粉々になりながらも、切り捨て、刃で受け止めて防ぎ……フェルン達に到達した攻撃は何一つなかった。
「なっ……」
無意識に溢れた言葉は誰の言葉だったか。
それを認識するより前に、フェルン達を囲う魔族達の一角が、文字通り吹き飛んだ。
ドォンッ!
宙を舞う魔族達はそのまま受け身も取れずに地に落ちていく。
他の魔族の上に落ち、時に損傷が激しくそのまま塵に還る。
そして、リュグナー達に向けて落ちてきた魔族はリーニエとドラートが切り捨て、撃ち落としていた。
「……何者だ」
リュグナーの鋭い視線が、魔族が吹き飛んだ場所に向けられる。
「……魔族……?」
フェルンが思わず呟く。
その言葉通り、目の前に現れたのは傍目には年若い女性に見えるものの、その額には魔族の証である小さな角が生えていた。
魔族はフェルンと視線があうと、その瞳を穏やかに細めた。
「初めまして、私はソリテール。私の師匠、『腐敗の賢老クヴァール』の指示により、貴女達に手を貸しにきたわ。安心して頂戴」
ソリテールはそう告げ……ニコリと穏やかに微笑んだ。
その言葉の意味を、フェルン達もリュグナー達も、すぐには理解出来なかった。
ただ半ば呆然に、ニコニコと笑う魔族を見つめるだけ。
そんな最中最初に正気に戻ったシュタルクの口から、思わずと言った様子で言葉が溢れた。
「安心、出来ねぇって……」
それが、魔族に庇われてしまった人間達の率直な思いだった。
「……フェルン」
「……はい」
そしてもう一つ、目の前の魔族から何かを感じ取ったユーベルは、フェルンを名を呼びながら目配せをした。
わかってる、と言わんばかりに頷いたフェルンは、手を貸しにきた、などと意味のわからない言葉を告げて来た魔族へと、警戒心を強めた。
ユーベルなどは愛用の槍を即座に振るえるように構える始末だ。
そんな反応を見ても、ソリテールの笑みは変わらない。
朗らかな笑みで、フェルン達を面白そうに見つめていた。
「ふふ……まだまだ若いのに優秀な子達ね。是非ともお話したいわ。今は時間がないから無理だけど……ああ、でも師匠は怒るかしら。じゃあやめておいたほうが賢明かしら――」
「貴様……魔族であるにも拘わらず、何故我々に刃向かう?」
リュグナーの鋭い視線が、ソリテールをいぬく。
その迫力は、直接受けてもいないフェルン達が思わず身を竦める程だった。
「――色々心配になるのはわかるわ。でも大丈夫。貴女達人間がある程度足掻いて目眩ましになったおかげで……色々と上手くいきそうよ。後は私達に任せて頂戴?」
そんなリュグナーをまったく意に介す事なく、視線すら向ける事なく、ソリテールは穏やかな雰囲気のまま、フェルン達にだけ視線を向けて、言葉を紡ぐ。
無視をされた形になったリュグナーの目元が、ピクリと震えた。
「私……達?」
警戒心を露にしたままのフェルンの口から、思わず言葉が溢れた。
「えぇ――」
ドガシャァアアアアアンッ!!!
瞬間、轟音。
見れば先程まであった、巨大な天秤、それが突如としてひしゃげ、砕けていた。
片側の皿から無数の灯火が宙を舞い、もう片方の皿から人影が落ちていく。
その丁度真ん中で、ギラリと光る何かを持った何者かが、余裕をもった様子で自由落下していくのが見えた。
「なっ……アウラ様っ……!」
「あれ、は……!」
リュグナーとシュタルクの二人が、目を見開いた。
片や自分が従う者を身を案じ、片や信じられないものを見たと驚き……それぞれ理由は違えど、驚愕の感情を隠せなかった。
「これでこれ以上は、アウラの犠牲者は増えない筈……それでも負傷者は多いだろうし、まともに動ける者は少ないでしょうね。だから貴女達も避難の手伝いに行ってあげて? 重ねて言うわ、後は私達に任せて」
ニコニコと、変わらぬ態度と雰囲気で告げてくるソリテールに、フェルンはユーベルと視線を交わした。
ソリテールの言葉を信じるのであれば、あの天秤を破壊したのは仲間、此方の援軍という事になる。
だが、あれほどの破壊を成せる存在も、目の前の魔族もそう容易く信じれる筈もない。
とはいえ、フェルン達に選択肢はなかった。
どういう意図があろうと、ソリテールがいなければフェルン達は無事では済まなかったのだから。
魔族の言葉通りに動くのは不安ではあるものの、そうせざるを得ないのが、現実であった。
「……わかりました」
「一応お礼だけは言ってあげる。ありがとねー」
「ふふ……どう致しまして。物分かりの良い子は好きよ。お話も捗るからね」
未だに天秤の残骸を見つめて固まっていたシュタルクを引っ張り、フェルン達はソリテールが通った空間、魔族が吹き飛び不自然にがらんと空いた空間へと足早に向かっていく。
納得しきれた様子はないものの、三人はそのまま逃走をはかる。
それを見送り、ひらひらと手を振るソリテールは、ずっと穏やかな笑みを浮かべていた。
誤字報告ありがとうございます。
修正しました。