ガールズ&パンツァー〜大洗女子学園のデストロイヤー〜 作:ReA-che 名義
平成初期の東北は宮城県角田市に降臨・爆誕した後の最強撃破王杉野直緒、広大な山々に囲まれた東北の一角と言う小さく狭い閉塞的なコミュニティで育った彼女は何を感じ
何を思いながら戦車道の世界へ足を踏み入れる事となったのか、この物語は過去の時系列から彼女の幼少期を読み解く短編である
※この物語は通常の話と異なり本編終了後の遠い未来から改めて主人公杉野直緒の幼少期を振り返るお話となっております
その都合上、本編のネタバレに近い描写
キャラ同士が人と話していたり話によっては渦中である杉野自身もあまり出てこない時があります
人によっては退屈に感じる話かも知れませんので興味がある方のみの閲覧で大丈夫です
フィクションも交えてますがほぼ史実どおりにしてあります
参考作品
最後の撃墜王~紫電改戦闘機隊長菅野直の生涯~(著 碇義朗様)
零戦撃墜王~空戦八年の回顧~(著 岩本徹三様)
紫電改343 (著 須本壮一様)
参考情報提供者
紫電改展示館(愛南町)案内人様
第一夜 空の向こうに恋い焦がれて
宮城県角田市枝野の地は近くを一級河川である阿武隈川と南から伸びた阿武隈山脈の切れ目辺りに位置する農村地帯である
199☓年10月13日、後の破壊神杉野直緒はこの地にて生まれた
父浪治は警察署長(のち体調不良により退職、現サラリーマン)、母すみえは角田市の隣町の丸森にて繭を取り仕切る老舗問屋の娘
その二人の間に生まれた次女という有り体な言葉で表すのならば「良いところのお嬢様」であった
優しく穏やかな8つ上の姉カヲルと4つ上の兄
さぞかしお淑やかで頭の良い娘になるに違いないと誰もが思っていた
「ッだぁ!?コノヤロウッ!バカヤロウッ!!」
───杉野直緒(当時5歳)───
結果は何故かこうなった
なまじ頭が回る分、悪知恵も働き
しかも自分の好きなことには努力を惜しまない為に付随して知力も高く周りは何も言えないと言うおまけ付きだった
彼女は自己を確立して以降、年齢やら性別等を問わず気に入らない者には徹底して反抗し
今日のような町内で他所の家庭の子たちと遊ぶような日でも何か気に触る事があれば瞬間湯沸かし器のように激昂する爆薬のような少女であった
「な、ナオちゃん!やめ
「
肩を掴み止める同年の同性の友達の声すら跳ね除けて、現在進行系で胸ぐらを掴み上げている一つ年上の男子へと鋭い視線を向ければ「ヒッ」と小さな悲鳴が上がる
この頃の直緒は背丈こそ同年代、または年下の中でも小柄な方ではあったが別段飛び抜けて背の低いわけでもなく
また幼少期で年齢が均衡しているともなれば単純な腕力の差も無いために一番直緒の歯止めが聞かなかった頃とも言えよう
そしてこの頃から後に多くの人々を震え上がらせる眼光は健在である
「
「ギャンッ!?」
言ってみろと言いつつ相手が口を開いた瞬間にその横っ面を容赦なく直緒は殴り飛ばす、ちなみに直緒のブチギレた原因は止めてる側の少女が現在進行系で直緒に詰め寄られてる男子にからかわれたことに起因する
少女の家は有り体で言ってしまえば貧困の家庭であり、一般的な家と比べ少しばかり身なりがみすぼらしかった
そのため人と違うことをからかっても良いと善悪の区別がつかない周囲の子供たちに揶揄されることもしばしばあったのだ
しかしそんな彼女を誰よりも普通の友達として接していたのは町内では一番裕福な家庭であった直緒で、その少女だけではなく理不尽にからかいやいじめを受けている者が入ればその間に堂々と割って入っていった
幼少と言うこともあり直緒の暴力性はストッパーが無い分留まるところを知らなかったが、その対象となるのは力の無いものをいびるいじめっ子等が対象で直緒自身がいじめられっ子達に手を上げることは一度たりとて無かった
「言えっつってんべがッ!
「
渾身の右ストレートを受けて倒れ込んだ男子に馬乗りになりながらボカスカと追加でグーをお見舞いし、声を張り上げて怒鳴れば思わず止めに入っていた少女がツッコミを入れる
結局直緒の拳は当該男子が泣きながら謝るまで止むことは無かった
「直緒、あなたまた悪さしてきたんですって?」
「…さぁ?知らねぇ
夜、自宅に帰れば即座に母のすみえから詰め寄られる直緒は脳裏に日中の事が過ぎりはしたものの悪びれる様子もなくしれっとしていた
以前よりすみえと直緒は母と娘でありながらも折り合いが悪かった、というのも
浪治は謹厳ですみえは気性の激しいところがあり、杉野家のしつけは子供にとってはかなりきついものがあったようで
特に両親も若く子供も少なかった長女のカヲルの時代は飛び抜けて厳しいものだったという
父は口数が少ないのであまり言ってきませんでしたが、母には箸の上げ下ろしから日常の立ち振舞に至るまで喧しく躾けられました
自分では当たり前の事をやっていたつもりなのにそれが気に入られず激しく折檻された事も沢山あります
「わかりました、ごめんなさい」と言っても許してもらえずにそんな事が続き、親には絶対服従で口答えなどはもってのほか
私は次第に無口になり、親の顔色を伺うような子になりました】
──これは当時を振り返った長女の杉野カヲル(現姓八巻)が後年にインタビューで語った一幕である
そんな厳しい母と気に入らないものには反発しなければ気がすまない次女の直緒の馬が合うはずも無く、直緒が外で問題を起こすたびに母から強烈な折檻が下り
すみえから怒られながらも直緒が反発し続けるというのは日常茶飯事であった
「あん
「馬鹿言うなよ、俺を誰の娘だと思ってんだ?
──無理に決まってんべが」
実のところわんぱくな直緒とすみえでは同じく気性が激しいと言う面では性格はよく似ていたようで、それは下の妹たちにも通じるものがあったが
おそらくはやんちゃで問題児な直緒の中に自分を見ているようですみえの気に触るのだろう
「生意気言ってんでねぇッ!」
「痛ッ殴ることねがんべがこのクソババア!」
「誰がババアかこのクソガキッ!!」
減らず口の直緒にすみえは1発2発とゲンコツを落とす、まさにこの母あってこの娘である
天邪鬼な気があった直緒は決して親からの愛を拒んでいたわけではなく、むしろ家族愛に飢えていたと言える
しかし自身の気質が素直に親に甘えると言う事を許さず、また性分のせいか幼い頃はよく母と衝突していたという
とは言え前述の通り家族は愛していた為にもっぱら直緒の甘える相手は…
「…兄さん、今日そっちの部屋行って良い?」
「またかい?直緒は甘えん坊だね」
「姉さんも、今日一緒にお風呂入ろ?」
「あらあら、しょうがないわね…」
自然とその矛先は歳の離れた姉と兄へと向いていった
ほぼ毎日のように姉とはお風呂に入ったし、姉か兄のどちらかと一緒でないと寝付けないと言う甘えぶりであった
これは姉の場合は後年に愛知へ嫁ぐまで、兄との場合は直緒自身が忙しくなる剣部隊所属になる辺りまで続く
親には素直になれない分、姉と兄へ甘えた直緒は二人に対しては非常に従順で尊敬しており逆らったことは無く喧嘩など一度もしたことがないという
その下の直緒さんはとにかくやんちゃなお転婆娘で対象的な性格
5人姉弟の中では年齢も近い事もあって特に比べられた二人でしたが、本当に仲が良く喧嘩をしている所など見たこともありません】
───これは従姉 門馬さつよの証言である
しかしその一方で二人の妹であった直緒は彼女なりに少しばかり屈折した心理も持っていたようである
というのも二人揃って品行方正、学業優秀で外からの評判は良かった事
兄の巌は長男と言うこともあり父母からも可愛がられていた為に周囲の関心は二人、特に巌の方に集まったからだ
よくあることですが、問題になるような事を引き起こして親の関心をひくという面が直緒姉さまには強かったように思います】
──当時を振り返った三女、志げ子の証言
姉や兄に対しては驚くほど従順だった一方で、直緒は一歩外へ出ればそのやんちゃぶりを遺憾なく発揮した
同年代と比べて当時は驚くほどと言うわけでは無かったが、それでも身体は小さくパッと見は華奢で色白であったものの
俊敏でとにかく喧嘩が強く、また明るく面倒見の良い性格だった事から男女問わず特に下級生達からの人気が絶大でガキ大将としていつも一帯の子ども達の遊びの中心にいた
行けば必ず誰かしらいる事から小学校の校庭は格好の遊び場で毎日薄暗くなるまで家に帰らず、また学校行事において体育や運動会などで行われる紅白騎馬戦がこの頃の杉野直緒という少女にスポットライトの当たる一番の場所であった
とにかくすばしっこいので戦うと誰も敵わなかった】
──従姉の娘で同小学校、同級生である杉野
敵の騎馬から奪い取った鉢巻を掲げ得意げに引き上げるその様は後の最強撃破王に通じる物があったのかもしれない、そして勿論その活発さは前述の通りそのままどこでも出力されていく事となる
少し話は変わるが、当時の直緒はその明朗快活な性質も相まって普段から声が大きく
同年代の中でも声変わり前の子供にしては低音でよく通る声をしていたのだが、その餌食となるのはもっぱら直緒の2歳下で家が大きな田んぼを挟んで杉野家の真向かいにあった宍戸
二人は家が目の前と言うこともあり幼い頃から見知った仲で良く一緒に遊ぶ程関係も良好であったが、子供と言うこともあって時に仲違いすることもしばしばあった
するとどうなるかと言えば…
「やーいやーいッ!甲子だんぼ屁ェひった!!」
それはそれはよく通る声で直緒は家の中から大声で怒鳴り、向かいの甲子を煽り散らかすのだった
向かいと言えば聞こえは良いものの、実際には間を挟む田んぼの敷地が広大なために距離自体は割とあるのだが甲子曰く一語一句しっかり聞き取れたと言う
この直緒のやり口は後に6つ下の志げ子が直緒について回るようになっても止まることは無く、何なら幼い志げ子にさえ「お前も言ってやれ」とそそのかす悪ガキぶりであった
当然これが厳格なすみえが気に入るわけがなく───
「──少しはそこで反省してろこの馬鹿者ッ」
「嫌ァアアア!これ
杉野家においてビンタやゲンコツより重い刑罰である庭先の柿の木に直緒は縄で縛り付けられたのである、ちなみに共犯者の志げ子は主犯に唆されただけなので軽い説教で済んだ
「…母さん、止めなかった俺も悪かったから勘弁してあげてよ」
「ダメ、あの娘は甘やかせば甘やかすほどつけあがるんだよ」
一部始終を目撃していた兄の巌が流石に居た堪れないと代わりに母へと謝るがそれで気が済むわけもなく、結局は夕飯時まで直緒は身じろぎ一つ出来ないように縛られたままだったという
とにかくよく遊び、悪戯も数知れない直緒であったが
その攻撃性を自己の欲望から誰かにぶつけると言うような事はせず、そこが返って多くの人から好かれる由縁でもあった
地元で知らない者がいない程の悪ガキだった一方で、その直緒から目をつけられるような人間性に難のある者以外からは概ね好意的に捉えられていたというのは間違いないだろう
ではその直緒に目をつけられるような人は一体どんなものかというと、例えばこんなエピソードもある
「ただいま…」
「おかえり、兄さ、ん…」
ある日の事、学校から帰ってきた兄を見て直緒は固まった
顔に無数の痣と傷を付けて帰ってきたからだった
そして時に取っ組み合いの喧嘩が日常茶飯事な直緒はその傷は人為的につけられた物だとすぐに勘づいた
「…誰にやられたの?」
「い、いや…転んだんだよ」
ゆっくりと兄の巌を見つめていた直緒の瞳がスゥーッと鋭いものとなり底冷えするような声色に様変わりする
色白な直緒は怒ると額に青々とした血管がくっきりと浮き出るため一目でブチギレているのが一目瞭然だったという
「な、なんでもない…なんでもないんだよ」
「ふ〜ん…そっか」
自身を気遣って怒ってくれているのはわかっていたものの、明らかに普段との様子が違う直緒に言いしれぬ不安を感じた巌は自身のされた事等を口にすることは無かった
それに直緒も深くは聞いてこなかった為にこの一件はそれで終了だとそう思っていた
「巌〜、ボクシングやろうぜ?
お前サンドバッグな??」
「おい次から金も持ってこいっつっただろ、ナメてんの?」
「ご、ごめん」
その次の日、休み時間に学校の体育館裏に呼び出された巌は複数人のいじめっ子に取り囲まれていた
生まれてこの方問題等起こした事のない巌は荒事はいつまで経っても慣れることは無く、緊張で身体が硬直して逃げることすらままならない
またいつものように殴られ蹴られるのか、そう思って目を閉じた時
聞き慣れた、それでいて初めて聞くような低く冷たい声が辺りに響いた
「──みつけた」
目を開けた巌の視界に飛び込んできたのは憤怒に表情を歪めた直緒の姿、いつも巌の前でなら滅多に見せることのないその表情は
一瞬でこの後どうなるかと脳裏へ過ぎらせるには充分であった
「な、直緒…」
「なんだコイツ?巌の妹か?」
「何にせよこんなとこ見られたら無事に帰せねぇだろ」
「やっちゃう?ねぇやっちゃう??」
思わず固まった巌に対していじめっ子達が下卑た笑みを浮かべながら直緒を囲む、そうして先頭の男が直緒へ掴みかかろうとした瞬間
何故かその男は宙を舞って数m程吹き飛ぶ
「──は?えっ?」
残ったのは右の拳を振り抜いたままの様子の直緒と何故仲間が吹き飛んで行ったかと理解の追いつかない残りのいじめっ子達がピタリと硬直してしまう
ろくに受け身も取れず地に倒れ込んだ状態で声も出せず蹲りながらピクピクと震えているだけの男の様子を見て、ようやく直緒が殴ってそうなったと気づく
「お、おい…この辺で喧嘩が強い年下って───」
「あぁ…しかもそいつの名字は確か───」
残るいじめっ子達は恐怖に震えるのを必死に抑えながら、互いに顔を見合わせ
ついでに巌の方を見つめ、その目を逸らされたこと
また話題の人物と巌の名字がそう言えば一緒だと言うことに気づいて全身の毛穴という毛穴から夥しい汗が流れていくのを感じた
「──先に言っといてやる」
直緒から発せられた底冷えするような声色に次第にいじめっ子達の足元は震えて覚束なくなっていく
「殺しちまったらごめん
「コイツ杉野直緒じゃねェエエかァアアアッ!!」
ついに耐えきれなくなって悲鳴に似た声色で蜘蛛の巣を散らすように逃げていくが遅れて追いかける直緒は一瞬でその背に追いつくと一人また一人と着実に沈めていく、当時直緒はその俊敏さから自己申告で「100m3秒で走れる」と嘯いていたが
確かに100m3秒はホラでも強靭な脚力と軽い身体の直緒からは逃げおおせるのは困難でさあった
「ゆ、許してくれッ知らなかったんだよ!巌があの杉野直緒の兄貴だったなんて!!」
「そっかそっか…で?能書きはそれだけか?」
倒れ伏して苦悶の表情を浮かべ、うめき声のようなものを発するいじめっ子達の中からリーダー格と思われる人物の胸ぐらを掴み上げて
その細い腕の何処にそんな力があるのか無理やり立たせて視線を合わせる、先日の巌以上に顔中痣と擦り傷まみれの表情を歪めて泣きそうな顔で懇願をする男にそれはそれはいい笑顔で言い放ち
追い打ちとばかりに直緒はその横っ面をこれでもかと殴りつけた
一度身内や友達等には優しい一方でその本質は極めて暴力性が高く、また普段ならば滅多なことでは怒らないが自身の大切に思っている相手を傷つけられると割と沸点は低かった
「──さて、どうする兄さん?
一応兄さんの殴る場所残しといたけど」
「いや、ここで殴ったら俺とんだ鬼畜になっちゃうよ」
事が済んで痛みからぐったりとしている男の首根っこを掴んで巌へと向けるがその様子に巌は思わず苦笑いを浮かべた、確かに直緒の言う通り一箇所
左頬のみ無傷できれいな場所が残されていた、おそらくはここを殴れと言っているのだろうが
それ以外の場所は軒並み直緒が殴った為青痣だらけ、ついでに切れた箇所の血が顔中に付着し真っ赤になっていたからだった
「──兄さんがそう言うなら、一先ずこれくらいで勘弁してやるよ」
流石に疲れたとばかりに小さく息を吐きながら胸ぐらを掴み上げていた手を解くと声にならない声を上げて蹲る男を改めて覗き込むようにして、直緒は口火を切る
「けどまた
どこまでも追いかけて必ず後悔させてやる、そう凄んでから手を離し
いつものように人懐っこい笑みを携えて直緒は巌へと振り返る
「戻ろうぜ?兄さん」
「あぁ、そうだね」
まるで何事もなかったかのようにそう言い放ち、次いで母さんには内緒にしといてと少しだけバツの悪そうな顔で言う直緒に巌は思わず吹き出してしまった
「言わないし言えないよ、…助けてくれてありがとうね」
「気にしないでよ
大方頭の良い兄さんを僻んでるだけだと思うけど、揉め事は俺の分野だからさ」
それぞれの教室に戻る道すがら、他愛もない会話混じりに戻っていく
当時としては5人も子供のいる家族としては生活に多少の余裕もあり努力家の父と頭の良い母の影響か杉野家の子供は皆成績が良かったが、特に巌は勉強が出来るだけでなく大人しくて素行が良かったから評判も抜群で周囲からも一目置かれる存在
直緒とはまた違った意味で目立つ人でもあった
しかし大人しいだけに比例していじめられる事もあった、そんな時は4個下で女の子の筈の直緒がそのいじめっ子達に飛び掛かっていき巌を守ったという
暴力性は高いがそれを振るう場面はわきまえている、実に直緒らしいエピソードでもある
さて、いかに直緒が強いと言えまだ幼い子供
しかも女子ともなれば負けることは無くても無事では済まなくなる事態がその後度々訪れる
ほとぼりが冷めるごとに巌にちょっかいを出すものが後を絶たず、翌年には成長期の最中であった巌と同年の男子生徒には単純な力では負けてしまうからであった
「…直緒」
「あ、兄さん」
巌をいじめていたいじめっ子達を撃退した日から暫く経ち、昼休みに校内の通路で直緒とすれ違った巌は驚愕した
朝まで何もなかった筈の直緒が顔中青痣だらけ、しかも唇も切ったのか口の端からは血が滲んでいる
丁度この頃、事情を知らない者からの妬みを買ってまたもいじめの標的となりかけていた巌は自身が妹の怪我の原因である事に勘づいた
「──その傷」
「へーきへーき、兄さんは気にしないでよ」
申し訳無さそうに目を伏せながら問いかけようとした巌の言葉を被せるように直緒は笑みを向ける、女の子が顔に傷を作ったのにそれでも本当に何でもないのだと言うようにけろりとした態度だった
「ごめん、ごめんよ──俺が」
「気にしないでってば、それにあいつ等口先だけで全然大したこと無かったしさ」
そう言ってニッといつものように微笑む直緒に思わず巌は口を噤んで何も言えなくなってしまう、この日を境に巌へ対する同級生からのいじめはパタリと止んだ
翌年度、最高学年だった巌が卒業した事で校内ではついに直緒の天下となる
よく遊び、よく悪戯をした直緒であったがクラスでいつもトップを争う程成績は優秀だった
そのため学校以外では日暮れまで友人達と遊び歩いてる直緒がいったいいつ勉強をする時間があるのかと不思議がられた
私を含めた同級生もみんなつられて一緒に遊ぶわけですが、そうすると疲れて夜ロクに勉強しないで寝てしまうので試験の方はどうも上手くいかない
ところが杉野はいつも非常に良い成績なのでいつ勉強するのか知らないがやっぱり頭が良いんだと、良く同級生の間で言っていたものです
…後で志げ子さんや和子さんに教えてもらいましたが、帰ってから夜中の2時〜3時まで勉強していたと
それを知らないものだから、勉強もしないのに良い成績を取ってる奴と言うような感じを当時は持っていたんです】
──当時の友人だった伊藤敏子はこう語る
つまり普通なら昼間の遊び疲れで寝てしまうところを起きて勉強していたのだが、この並外れた体力もまた杉野直緒を彼女たらしめるものと言えよう
暴れる日が無ければ鼻血を吹き出すぐらい旺盛な体力の持ち主だったから後の激戦に幼いながら耐えれたのも頷ける
やんちゃだが勉強もできる直緒は素行の方も優等生だった巌の威光も勿論あったが、その兄があまりにも品行方正な模範児だった事から常に周りから「その次に生まれた妹はなぜこうなったのか?」という目で常に見られ
そのため直緒にとって兄の巌は偉大かつ自身の誇りであると同時に些か煙たい存在でもあったのだ
そのせいかは定かでは無いものの、巌が卒業し直緒自身も進級を果たすとそのやんちゃぶりが更に過剰になっていく、と同時に下級生達の面倒をよく見るようになる
田舎の子供たちは連帯感が強く、また当時は色々と緩かった事もあり子供たちだけによる様々な年間行事を通して集団のルールを学び
自治の幼い者や弱い者への接し方を知っていく
この頃の直緒最大の活躍場は夏休み中であった
朝早くに起きて近所の神社の境内で子供たちが行う勉強会があったが、頭の良かった直緒はいつも先生役でセミの大合唱の中眠い目を擦り集まってきた下級生たちに教鞭を振るう
後年の長きに渡り続くリーダーシップはこの頃から健在だった
その点で言えば性格のよく似た母のすみえは社交が下手であったようで、近所の人たちには近寄りがたい存在に映ったようだ
頭が切れる上に気位が高く、決まりや物の道理を何よりも重んじていた
実際には困っている人がいればそれとなく助け舟を出す一面もあったのだが、打ち解けて気軽に話せる雰囲気ではなく
自分から誰かに近づくこともなかった
反対に母の性格を最も受け継いだ直緒と下の妹達は母とは全く反対な行動を取る
友達の家でご飯を食べたり泊まったり、逆に友達と家で遊んだり泊めたり
母さまはそれを「気ままだ」と怒りましたが、親のような窮屈な生き方は真似したくないと思って無視しました】
──後年のインタビューにて三女志げ子と四女和子で一致した証言である
そんな二人を直緒はことのほか可愛がった、和子に関して言えば物心つく頃にはすでに直緒は家にいなかった為
時折帰ってきた際の数え切れる程度の交流しか無いものの、母に背いてよく家に友達を連れて来る志げ子に6つも歳の違う直緒が一緒に混ざって遊んだようだ
雨が降って外に出られないような日も家中の戸を開け放って鬼ごっこやかくれんぼ等に時を忘れるほど勤しんだ
それが後に剣部隊へ入って遠く離れた松山の地へ行くこととなる小学六年の暮れまで続き、志げ子によれば「直緒姉さまはそういうところは幼かった」との事
しかし直緒自身は小学2年生の暮れに戦車道を初め、その後文学にも興味関心を示し
戦車道の傍らで文学にのめり込む事でかなり大人びた思索の世界を歩く事となるのだから、こうしたギャップがいかにも杉野直緒
進級して学年が一つ上がり、小学生2年生となった直緒はこの頃に戦車道に出会う事になるが
そのきっかけは近くの自衛隊船岡駐屯地で行われた陸上自衛隊と航空自衛隊の混合祭典を目にした事でパイロットを志した事に起因する
「ブルーハッパラパー?なんかそりゃ」
「違う違う、ブルーインパルス」
ある日の事、やけにクラスの子供たちがソワソワと落ち着かない様子だった為に訪ねてみれば何やら枝野から15km程離れた隣町の柴田にて自衛隊主催の祭典があるとのこと
しかも当時は航空自衛隊、陸上自衛隊で幕僚長を兼任していた源田と言うお偉いさんが来賓で呼ばれており航空自衛隊からは曲芸飛行隊ブルーインパルスが
陸上自衛隊からは同じく曲芸飛行走行を売りにしていた戦車道派生の源田サーカスを引き連れて来るとのことで
それぞれ男子生徒がブルーインパルス、女子生徒は源田サーカスを主な話題として盛り上がっていたのだ
「え?直緒ちゃん知らねぇの?」
「知らん、でも俺はどっちかって言うならそのブルーインパルスのが見たいかな」
「直緒の裏切り者ッ」
直緒がこの時に興味を示したのは後に自身が長く関わる事となる戦車ではなく航空機の方である、その為「直緒はこちら側な筈」と期待していたクラスの女子は口々に裏切り者と言い
何故自分がそんな扱いをされなければならないのかと当の直緒は苦笑いを浮かべる
このブルーインパルスと源田サーカスはどちらも当日来賓で来るお偉いさんの源田──後に剣部隊の司令を務める
源田は日本帝国陸軍の生き残りで従軍していた際から戦車と飛行機を担当、特に飛行機はまだ航空隊の黎明期から携わっており
戦後に東京オリンピックが開催された際に来日観光客と日本の戦後復興の支援名目で陸と空2つの曲芸集団を作り上げた00年代初頭のこの当時で既に齢90を超えるファンキーな婆さんであり現代戦車道の生みの親と目される人物なのであった
「でもせっかくの祭典ならそれ以外にもあんのか?」
「午後から有志で集まったWW2エアレースってのがあるみたいよ?」
しかし船岡での祭典であるのにその2つだけとは些か寂しいと口外に付け足した直緒に詳細を知っているらしいクラスメイトがそう返した、このWW2エアレースとは有志で第二次世界中の各国の主力戦闘機を集めたエアレースの事である
「何にせよ柴田までは少し遠いけど皆電車?バス?」
「今のところは自転車」
どうやら直緒も行くと言うことで話は決まり、次は各々の会場の足をどうするかと言う話になった所で皆の視線は一斉に直緒の方へ向く
というのもこの時直緒は自転車を持っておらず、家から数km離れた学校へも当時は徒歩で通っていた
親に自転車を買い与えられたのはこの数年後の上級生になった頃の話である
つまりどうせならみんな一緒に行きたい、そこは当日見に行く予定のクラスメイト達の意見は一致しているが直緒のみ自転車を持っていなかったのだ
「…おいおい、歩けって言うんじゃねぇべな?」
流石に体力自慢の直緒と言えどこの時ばかりは引き攣った表情をしていたという、なにせ片道15kmなら往復で30km
これだけでもまだ低学年の小学生にはかなりキツイが、会場で色々と見て回るなら自転車で走る速度に徒歩でついていかなければならないからだ
「──うん、まぁ直緒なら行けるんじゃないか?」
「バカでねぇべが!?
その後細かい部分でどんなやり取りがあったかは定かでは無いものの、当時一緒にこの祭典を見に行った者が後年にインタビューで語った事によればブツブツと嫌味は吐かれたが何だかんだ走ってついてきたと言う
普段の豪快さは鳴りを潜め、零戦の前で立ち尽くす直緒ちゃんが「これで枝野の空を飛んでみたいな…」と静かな口調で語った事を昨日のように思い出せます】
そしてこの日、杉野直緒と言う一人の少女の運命を変えたのは戦車道派生の源田サーカスでも航空自衛隊のブルーインパルスでも無くWW2エアレースの方で
特に飛行終了後の各国の主力機が自由に見学できる時間には展示終了時刻まで零戦の前から動かなかったと言われており
当時のクラスメイトはこう語る
またこの日直接的な絡みは何一つ無かったとは言え、後に戦車道で最強撃破王と呼ばれるようになった杉野直緒とその立役者となる剣部隊創設者の源田実の縁が繋がった日でもあった
船岡駐屯地での祭典に参加した直緒はその翌日以降、まるで魅せられたように旧式戦闘機の世界にのめり込んでいったと言う
特に日本軍戦闘機に対しての熱の入れようは半端では無く、小学生低学年であるにも関わらず校内にレストア済み戦闘機のカタログを持ち込んで深々とため息を吐く日々を送っていた
当時は今みたいにレストア機の多い時代ではなく極一部の趣味の世界だった為にそもそもの分母が少なく、加えてこの何年かあとには現代技術で1から起こしたレプリカ機が出てきた事でレシプロ戦闘機にも日の目が浴びるようになる
それと同時に戦場帰りの本物の
当時作られた物に限りがある以上は当然戦場で失われた物を含め新しい世代が増える事に使える機体や戦車に限りが出てきます
だからこそレプリカは需要はあったのですが、中には性能のバラつきがあるのを覚悟でサバイバーを好んで使う人もいました】
当時そう言ったレシプロの旧式戦闘機や旧式戦車に携わった者はみな口を揃えてこう言った、ちなみに世の中に出回っている物は厳密にはレプリカと言うのが大半の中で直緒は後者だったようで
後に手に入れる事になる自身の翼も戦車もどちらも戦場帰りの
さてこの頃いくらレシプロの戦闘機が人気のないジャンルだとは言え、学園艦では上空警備隊
または一部有志が趣味で集めてイベントで披露するなどカルト的な人気は当時から存在した
そのため今よりも安価と言えどどれも人気のない戦闘機に付加価値を付けようととにかく手を抜かないレストアが施され一般の家庭ではちょっと手の出ない価格で取引がされていた
現在はレプリカ機が台頭した為にハードルは下がったとは言え、当時は今でこそ子供の練習機に最適と言われた赤とんぼや白菊さえ田舎の農村地帯で多少裕福であった杉野家で買えるような物ではなかった
「…俺、飛行機乗りになりたい」
しかしだからと言って一度憧れてしまった物を簡単に諦められる直緒でも無かった
そのため例え両親に反対されようが頑として譲る気は無かったのだが以外なことに二人の反応は上々で直緒は思わず肩透かしを食らったような気分だったようだ
想像の域を超えるものではないが、何だかんだ娘の初めてのわがままを聞いてあげたい親心だったのかも知れない
航空の道は戦車道と違い、慣れたら一人で全ての事をコックピットと言う閉鎖的な空間で行わなければならず
言い換えればほんの些細な油断で簡単に命を落とす危険な道でもある
そのため戦車道の中でも一部の特殊な科目を除いた物とは違い年齢制限が設けられており、原則的にはある程度物心つく8歳以上から航空スクールの入校が許されていた
両親からの許可を得た直緒はこの日以降、絶対に落ちるわけにはいかないと一層勉学と体力づくりに励む事となった
より一層勉学等に励んだ一方で、年齢制限を突破できないことにはどれだけ足掻いても入校出来るはずもなく
それ以外のもので特に変わった事はこれと言って無かった
毎日の数kmの道のりを歩いての登校は自転車を買ってもらうまで続くがそれまでは長い道中を友達と一緒のことが多く、その間に自ずと友情も深みを帯びてくる
直緒はこの数年後、小学生4年の1月1日から剣部隊所属と中学受験の決まる小学6年の11月9日までを書き綴った日記を残しているが
その日記にはしばしばその事が記されていた
喧嘩をすれば絶対に負けなかったし、修身や操行の点はあまり良くなかったかも知れないが人気は絶大だった】
対立することもあったがその上で2個下の宍戸甲子は当時の事をこう語る、今でも学校仲間の間で語り草になっているエピソードも少なくない
体制に順応する事を好まなかった直緒はそれなりに奇行も多かったようで、この年の運動会ではサボっていたところを学年主任でもあった体育の先生に見つかり逃げ出した
「待て、杉野ッ!」
そう言って先生は彼女を捕まえようとしたがそう安々と捕まるような直緒ではない、そのままグラウンドへ飛び出すと追いかけてくる先生を尻目に猛然と走り出した
こうなっては先生もやめるにやめられず全校生徒や参観に来た大勢の人々の前で突如追いかけっ子が展開され、もう良いかと直緒がペースを落とすまでの3周半あまり繰り広げられた
当然直緒は帰ってから母のすみえにゲンコツを落とされる事となった
またそのすぐ後の夏のある日、地区の子供たちでのオリエンテーションに参加した直緒だったがその中の一つに試胆会──所謂肝試しがあった
これは月のない夜を選んで行われるもので、地元の寂れたお寺や神社が格好の舞台である
元より田畑と山・川に囲まれた田舎である為に道中は真っ暗、おまけに途中で上級生が色々と怖がらせる細工をしてあるために下級生の大半はビビってしまうような場面でも直緒は平然としていた
目的のお寺は薄暗い提灯が一個下げてあるだけの見るからに薄気味悪いところでそこに硯と筆が置いてあって自分の名前を書く、字が震えることなくしっかり書かれていれば合格と言う条件が提示され、実際に参加した直緒が近寄ってみれば硯はあったが墨は空で
おまけに周囲に水も見当たらなかった
そこで直緒は持参していた水筒の中身を口に含むと硯の中に吐き出して墨を擦って名前を書いた、墨痕鮮やかなしっかりした字であったと言う
この年の10月13日、晴れて8歳となり航空スクールの条件を満たした直緒であったがその結果は不合格に終わる
学力、体力共に優秀な直緒ではあったのだが、この時で既に同年代と比べて背丈が著しく差がで始めていた頃であり
身長制限を突破することが出来なかった
当時直緒は身長115cm程度であり、航空スクールの最低限の基準としては『身長130cm以上、肺活量三千立法センチ、視力片目0.8以上、両目1.0』の為
身長さえクリア出来ていれば勉強のできる直緒はまず落ちなかったと考えて良かった、全てが万全の状態で自分の身長と言うどうしょうもない所で躓いた直緒は余程悔しかったのかそれで周囲に当たり散らすような真似こそみっともないからとしなかったもののかなり荒れていたようで毎日大量の牛乳を接種するようになったのもこの日を境にである
余談だがスクールに拘らず免許を取るだけであればある程度の年齢であれば限定解除なりして取得することが出来るのだが、この時の直緒は本気でレシプロ機によるエアレーサーを目指していたので免許だけ後々取れても意味がなかったのだ
「あ〜…信じらんねぇ、マジどうすっか」
一番のネックであった両親からも承諾を得て、なまじ頭も良く他に不安要素が無かった事もあって周りに「飛行機乗りになる」と自慢して回ったが結果は不合格
変えようのない結果に直緒は頭を抱えて葛藤していた
「…直緒戦車道はやらないの?」
「戦車…?戦車なぁ───」
そんな直緒にクラスメイトからの素朴な疑問が投げられる、戦車道は古くから乙女の嗜みとして存在する為
ミリタリーな分野で女子が手を出すものといえば本来戦車道であり、軍艦や直緒のように戦闘機に興味を持つのは大抵が男子の方であり場違いと言えば場違いである
「戦車じゃ空は飛べねがんべ?」
「それはそうだけど───」
「足も航空機に比べれば遅いしな」
「そこは比べるものじゃ無いと思う」
戦車の無骨な見た目は好き嫌いが分かれるだろうが、戦闘機の場合は空を飛べるし速力も速いと子供にもわかりやすく格好の良いところがある
格好つけたがりな面のある直緒には時にそれは何よりも大事なことだったりするのだが、しかし航空スクールに入れなかっとのであれば手持ち無沙汰であることも否めなかった
「航空スクールへ行けるくらい
「…普通逆なんだけどな」
まだ数ヶ月とは言え、普段の勉強に追加して航空機の操縦マニュアルを暗記できるほど叩き込み
加えて強烈な横Gへ耐えられるように身体を鍛えたが、何もしないままならせっかく覚えたことや鍛えたもの全てが無駄になってしまう
そこで条件が満たせるまで落ちた苛立ちをぶつける先の確保と肉体を衰えさせないように一時戦車道に身を置くことを考えた
これが後々航空機よりも身近になる戦車道への入口であるのだが、この時の直緒にはまだ仮の居場所といった具合だった
直緒が航空スクールに落ちた次の月、県内にあった全国規模の大きな戦車スクールの分校が来季募集を始めるという話を聞きつけた直緒はその募集に応募した
ただの戦車スクールならば募集と言う形ではなく習い事の一環のように入りたいのなら1月程前から相談をすれば良いのだが、直緒が選んだのはスクール科目の中で一番過酷な士官候補生コースと呼ばれるものだった
これは本来社会に出てからも戦車道で食っていくつもりの人間が選ぶコースであり、特に厳しかったが直緒は身体を鈍らせない為にと深く考えずに応募したのである
士官候補生は半年に1期訓練科目の学年が上がり、4期──つまり2年間きっちり戦車についてを頭に叩き込んでから実戦デビューを果たすというもので
通常の年齢や学年を関係なしに混在させた本来の戦車スクールのやり方とは全く異なるもの、その下の
更にその下が本来のスクールのように口頭説明のみですぐに実戦で現場叩き上げで技量を覚えていくものとなる
3つのコースの違いは士官候補と予科練の出は学生の場合当時まだ戦車道チームのあった日帝学園へ推薦入学が出来、本人の希望で上士官コース下士官コースが選べるというメリットがあった
この当時既に日帝学園戦車道チームは戦績こそ大会で振るっていなかったが日本で最初に戦車道を取り入れた学園だけあり戦車道界隈における発言力は絶大なもので、上士官コース下士官コースを選んだ人間は高等部卒業後そのまま自衛隊で三等陸尉になれるエリートコースだった事もあり
士官候補生及び予科練はそのための地盤という意味合いが強かった
それを知らなかった直緒は当初2年の内に背が基準に達すれば航空スクールへ行くつもりで江田島戦車スクール70期士官候補生として入門することとなった
戦車スクールへ入門するにあたっての身体への最低基準は航空スクールとは比べ物にならないほど緩い、というのも戦車道は乙女の嗜みであり
家庭によっては物心がつく頃には戦車スクールへ通わせる親もまた多く、そのため3つのコースの内士官候補生が6歳以上
予科練が7歳以上の年齢制限がかけられていたが身長の制限も無く
入門の際の試験と他は『裸眼又は眼鏡等で片目0.8両目1.0以上の視力、その他頭部及び顔面頸部畸形又は著しき醜形、頭蓋骨骨折又は陥凹、頸線肥大は不可』とされている
ちなみに視力以降の話については要はスクールの花形である士官候補・予科練なのだから極端にブサイクであればそのコースは選べないというものだ、今の御時世なら炎上必至である
話を戻し大人になってから戦車スクールの門戸を叩くのは通常コースを選ぶ人間な為、年齢に多少のバラつきがあるとは言え士官候補生も予科練もほぼ同年代の子供達だけでその中に精々あっても4〜5程度の年齢差がある程度だった
杉野は8歳で入門しているが士官候補生や予科練を選ぶ子は総じて先の人生を戦車乗りとして生きていくつもりの意識高い系が殆どで70期は1個下の7歳の子たちが一番多く、次いで2個下の6歳が多かった
その点で言えば8歳の直緒やその上の9歳の生徒も70期にいないわけでは無かったが人数が少なく直緒のように物心ついて数年経ってから士官候補生として入門する子供はどちらかと言えば遅咲きデビューと言わざるを得なかった
身体検査を無事にパスした直緒もそこで気が休められる訳では無い、これが通常のコースでの入門であればそのまま無事に入門であるが士官候補生は技量だけでなく頭脳も求められた
何故なら士官候補生は2年みっちり戦車道の基礎を最初に叩き込むため一度本拠地の広島県江田島にある江田島戦車スクールの宿舎に2年間泊まり込みで訓練をする、そしてそれにプラスして本来であればその間に抜けてしまう年齢別の学業も疎かに出来ないためにそっちの勉強もしなくてはならない
要は毎日通常の学校と同じく授業を受け、そこで一緒に戦車についても学ぶ2年間なのだ
身体検査と試験については江田島戦車スクールの分所でも受けれたので上は北海道の旭川から下は九州の鹿児島に至るまで、全分所四十八ヶ所で一斉に行われ
直緒と同じく宮城分所仙台支部で受けたものはこの年は約200名いたが身体検査でその半数は落とされ、身体検査が終わった翌日以降1日一科目として数学、英語、物理・化学、国語、日本歴史・作文、口頭試験と7日間に渡って用意された試験により更にその数を減らし最終日には宮城で士官候補を受けた者は直緒を含めて30人に満たない程度
例を上げればこの年の4月に入門をした江田島の戦車練習生で69期士官候補生の合格率は僅かに29%、実に3.5人に1人しか合格できない狭き門であった
晴れて入門試験に合格をした直緒はその後慌ただしい日々を送った、というのも例年入門試験を合格したら年度の変わる翌年の4/1から晴れて士官候補生となるのだが
直緒の受けた70期からは世界リーグ発足までに選手候補を少しでも早く育てようと前倒しでの入門となり厳冬期の12月1日に繰り上げられ
例年であれば受験と合格発表はそれほど間が開かないまでも入門は年度が変わってからが常であり、現に69期まではそうだったわけだが直緒の受けた70期から合格通知に「十一月二十五日午前九時までに着校せよ」と書かれていた
その為試験も合格発表も入門の為の移動も11月中という超ハードスケジュールである
直緒は地元宮城県角田市枝野から広島県江田島までの移動は同枝野小学校から入門した小島
──当時を振り返った小島光の証言
おそらく直緒も似たような状況だったと思われ角田駅前で合流した二人は急行が止まる白石駅までバスで移動、東京駅までは小島の父が同行したがそこで別れ
東京では半日程度時間待ちをして夜行へ乗り込んだ
再度乗り換えとなる神戸についたのは翌朝であったのだが、江田島に朝着くように時間を調整しようとするとまたも神戸で半日程度時間を潰さなくてはならなかった
東北の田舎から出てきた少女二人組にはどこに行く宛もある筈がなく、楠木正成を祀った湊川神社にお参りしたまでは良かったが途中道を間違えて近くの色街に迷い込んでしまった
──これも当時を振り返った小島光の証言である
夕方再び夜行に乗った二人は更に翌朝になって無事に広島へ到着、そこから呉線へ乗り
呉から対岸への江田島までは小型ボートに乗って指定された宿舎へ、ここで70期14分隊の直緒と35分隊の小島は分かれわかれとなり
それぞれの道を歩む事となる
──同期の70期4分隊 武田光子による証言
この日は彼女たち70期の多難な前途を思わせるような雲模様の怪しい日だったと言われており、全国から試験を突破した総数454名の70期士官候補生達は分散した宿舎の倶楽部から分隊事にまとまって入門式へと向かう
途中の両側は名物の桜並木で例年のような4月に入門式であれば満開の桜が出迎えていた頃であるが12月初頭では蕾はおろかすっかり葉の落ちた木々の寒々と続く殺伐とした風景でしかなかった
70期の士官候補生達は校門で予科練の教員から分隊名簿と照合を受けたのち大講堂前に案内されるが、その大講堂が洒落た造りであったので全員で記念撮影をした
6歳から門戸の開かれる士官候補生はみんな故郷から出てきたと言えど小学生以上の年齢は1人もいない年幾ばくもない少女たちであるが
この内の約62%に相当する282名がこの後に様々な理由でこの世を去っている為、本当の意味での子供の頃に映った70期全員の最後の姿となった
全4話を想定してましたが先月ケータイの機種変してから私のタイピング速度にスマホの性能が追い付かず、誤字脱字のオンパレードとなりいつもより3倍くらい時間がかかり間に合わなくなりました
4話目は書き終わり次第投稿します
もう既に直さなければ矛盾してる内容とか出てそうですが気付き次第直すので見なかったことにしてください