B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
南大陸への船旅は、なんと一か月ほどのモノになるらしい。暗黒大陸とレムリア大陸間の船旅は一週間ほどだったが、あの二大陸は本来は地続きで、そこまで距離が離れていないからの期間であり――南大陸はそれだけ距離も離れているということなのだろう。
とにもかくにも、少女たちに気晴らしの道具をもらえたのは幸いだったとも、ある種不幸だったとも言える。幸運な面はこの長い航海の間にノンビリと気晴らしが出来るという点。不幸なのは、行けども行けども景色が海ばかりということか。
最初のうちは海や空、雲を描いているのも楽しかったが、次第に飽きてきてしまったのは正味な話。もちろん、帆船の様子を描いたりなど気晴らしはしていたが、それもあらかた描き終えて、少々手持無沙汰になってしまっていた所だ。
そして、今日は何を描こうかとデッキの上をフラフラしているところに、偶然だが丁度いい題材を見つけた。これから描く題材の近くに置いてあった樽の上に飛び乗り、画材鞄を広げて鉛筆を取り出した。
「……アラン、そこで何をやっているの?」
「何をって、描く気だが?」
「まさか、アナタ……」
「ちょい待ち、そこを動くな!」
自分が何をしようとしたのか察したのだろう、エルがこちらに移動してこようとしてくるのを鉛筆の先端で制止した。こちらの大きな声に驚いたのか、エルはビックリして立ち止まってくれる。
「……いや、さっきの物憂げに海を眺めている表情が良かった。ちょっともっかい辛気臭い顔をしてくれないか?」
「あ、あのねぇ……そう言われて、簡単に表情を作れるわけがないでしょう?」
「まぁ、それは確かに……でも、海と太陽ばっかり描いているのも飽きてきてたんだ。それで、ちょっとモデルになって欲しくてね」
「イヤよ、動けないのもイヤだし、描かれるのも恥ずかしいし……」
「そこをなんとか! 頼むよエル様!!」
首を下げながら頭の上でポン、と手を叩くと、予想通りに大きなため息が返ってくる。
「はぁ……まぁ、その調子の良さが戻ってきたのに免じて、少しだけよ?」
「あぁ、トイレに行きたくなったら言ってくれ」
「ホント、デリカシーが無いわね……」
そう言いながら、エルは再び海の方を見つめ出した――とはいえ、模写されているという緊張のせいか、表情が少しぎこちない。声でもかけて緊張をほぐしてやるか、そう思っているうちにエルの方が小さく口を開いてくれた。
「……喋っても問題ないかしら?」
「あぁ、大丈夫だ」
「アナタは人物も描けるの? いつも風景ばかり描いていたと思うけれど……」
「それは描いてみないと分からんな……だけど、多分そんなに積極的には描いていなかったと思う」
「そうなの? とか聞いても、どうせ分からないわよね」
「別に記憶が戻ったわけでもないからな。まぁ、悪いが実験台になってくれ」
「どうしてそう、言い回しが適当なのよ……」
「エル相手だからな」
「……そう」
何を言っても許してくれるだろうという抜群の信頼感があるのだから、つい適当にしゃべってしまう。とはいえ、こちらは無礼を働いているというのに、エルの表情は幾分か柔らかくなった。
「お、その表情も綺麗で良いな。そのまま顔面固定してくれ」
「き……!?」
こちらが言ったことが適当過ぎたのか、エルは顔を逸らしてこちらに背を向けてしまう。
「……やっぱり人を描くのは難しいな、動くから」
「あ、あのね……それならモデルになるの止めるわよ?」
「ちょいちょい待ち待ち……適当なことを言うのは止めるし、多少動いてくれてもいいからさ」
「ふぅ……仕方ないわね」
エルがため息交じりに再び海の方を向いてくれたのを皮切りに、自分は再び筆を進め始めた。先ほどの会話が良かったのか、緊張はほぐれてきたように見えるが――段々と、最初にここで彼女を見つけた時の物憂げな表情に戻ってきてしまっている。
「エル、大丈夫か?」
「それは、T3の件、でいいのかしら?」
「あぁ」
「……大丈夫ではないわ。千載一遇のチャンスを逃した挙句に、被害は広がり、宝剣まで破壊されてしまったのだから」
「そうだな……」
別に、自分としてはエルがやらかしたとは思っていない。むしろ正直に言えば、あの一件以来、エルにT3を仕留めることは出来ないとも思うようになったほどだ。彼女の戦士としての技量が低いというわけではなく――。
(……エルには人は殺せない。優しすぎるからな)
それが自分の率直な感想だ。もちろん、自分が事前に色々と話していたせいでエルはすぐにトドメを刺さなかったのだから、そういう意味では彼女の仇討のチャンスを奪ったのは自分とも言える。
しかし、それが無かったとしても、エルはT3に刃を突きつけた時に躊躇があったようにも思う――よくよく自分も彼女に短剣を突きつけられているし、野盗相手にも問題なく攻撃自体は出来るが、彼女は人に刃を向けるときには追っ払ったり威嚇するに留めているのだ。
つまり、彼女は人の命を奪ったことはない――もちろん、魔族も亜人という観点から言えばその限りではないのだが、人やに人に友好な種族の命を奪うには、彼女は少々優しすぎるのだろう。
そういう意味では、彼女がT3を殺さなくて良かったとも思う。どちらかと言えば、自分がシンイチを守り切れなかったのが悪いのだ――。
「……ふぅ、アナタも大概に辛気臭い顔をしているわよ?」
「おっと……」
「どうせ、俺がもっとしっかりしてれば、とか思ってるんでしょうけど……でもそうね。そういう意味では、あの場にいた全員がそうなのかも……私は自分の甘さを後悔はしているけれど、それは私だけじゃない……か」
エルは独白するように続けるが、先ほどと比べると少々表情も落ち着いたようだ。根本的な解決をした訳でもないが、話したことで少し落ち着いたのかもしれない。
そしてしばらく沈黙が続き――波の音と鳥の声だけが聞こえ――エルは海を眺め、ふとした瞬間に口を開いた。
「ねぇ、アラン。T3の目的は何なのかしら?」
「それは……な……」
七柱に対する復讐だろう――ぼぅっとしていてそう言いかけた瞬間に、口が勝手に止まった。そう言えば以前、レムは自分の口を防げると言っていた――つまり、これは言うなということか。
「……アラン?」
「……なんだろうな、と言いかけて噛んだだけだ」
「そんな感じではなかったけれど……」
確かに多少無理のある言い訳ではあったが、言えないものは仕方がない。レムの真意は分からないが、確かに七柱に対する復讐とか言い始めれば、この世界の虚構をエルに明かさざるを得なくなる――そうなれば、ジャンヌの様に記憶を改竄せざるを得なくなる、そう言ったところだろう。
ともかく実際の所、T3の復讐に関しては自分の中で概ねの筋道は立っている。恐らく先代勇者、夢野七瀬を慕っていたアルフレッド・セオメイルことT3は、元の世界に戻る勇者を最後まで見届けるために海と月の塔に付き添った。そこで、七柱の真実を知ると同時に、先代勇者は殺害され、アルフレッドは瀕死の重体の所をゲンブに拾われた。そして、ゲンブと共に七柱に復讐することを誓ったと――こんなところだろう。
同時に、エルの養父であるテオドール・フォン・ハインラインをT3が殺害したのも七柱絡みだろう。ハインラインが七柱の一柱であるのならば、その血族とはなんらかの繋がりがあると推察される――以前に本当はエルはテオドールの娘なのではと考えたが、そう考えればエルを狙っている理由も頷ける。
事情は色々と複雑だが、明確なことは一つだ。T3はエルの養父とシンイチを殺した。そうなれば――。
「何にしても……アイツの罪は償わせなきゃならない。それだけは確かだ」
「アラン……アナタ……」
エルは戸惑ったような顔でこちらを見つめている――気が付くと、体に力が入っていた。おそらく、また自分は辛気臭い顔でもしてしまっていたに違いない。
「……悪い、この話は止めようか」
「……そうね。ところで、絵の方はまだかしら?」
少し考え事に没頭していたせいだろう、いつの間にか筆が止まっていた。とはいえ、こんな気持ちのまま色を載せなくてよかっただろうと思った。
改めて自分が描いたモノを注視すると、下書きの段階ではエルらしさというか、そういうものが全然引き出せていない気がする――やはり人物は苦手なのか、それとも色でも塗ればもう少し自分も満足いく出来になるのか、ともかく折角なら実物を見ながら色も塗りたい。
「下書きは済んだから、もう動いてくれても構わないんだが……出来れば実物を見ながらの方が色彩も見れるからな。できればもう少しモデルになってくれてると助かる」
「……えぇ、いいわ。今のアナタ、ちょっと放っておけないしね」
「うん? どういうことだ?」
「いいから……ちょっと絵に集中しなさい。折角モデルになったんだもの、ちゃんと仕上げてもらわないと困るわ」
確かに、ずっと同じポーズで居てくれるのも大変だろうし、折角なら綺麗に仕上げてほしいという気持ちも分かる。言い出しっぺは自分、少しこちらも口を止めて集中して色塗りをすることにする。
自分の背後から射す太陽の光が、水面と彼女の横顔を照らしている。その輝きを、なんとか表現したいと思いながら四苦八苦している傍で、エルが再び小さく口を開く。
「……この話、止めようっていった直後に蒸し返すのもなんだけれど……T3のことは置いておいても、今のアナタは十人目の勇者。私はその従者……」
そして少しだけ首を動かし、エルは微笑みを浮かべながらこちらを見た。
「アナタにも色々あるんでしょうけれど、それを変に聞く気はないわ。ただ、アナタには仲間はいるんだから……頼れる時には頼りなさい」
「エルが一切の皮肉なしに俺に対して優しい……こいつは大しけが来るか?」
「残念ながら、見ての通りの晴天よ。さ、手を動かしなさいな、アラン・スミス」
「アイサー」
なんやかんやで、エルには結構気を使わせてしまっているな――そして、彼女の自然な優しさに、自分も結構甘えていることに気づく。気分も少し楽になり、そのおかげかなんだか筆も乗ってきた。そのままの勢いで筆を一気に進めて、ひとまずの形は完成した。
「……出来た?」
「あぁ、そうだな……」
こちらが筆を置いたのに反応したのだろう、エルがポーズを解いた。改めて、完成した絵をまずは自分で観察してみると――なんだかあまり上手くないような気がしてくる。
いや、正確に言えば、自分としては結構満足いく出来にはなっているのだ。しかし、人を描きなれていないせいか、あまり技巧とか経験とか、そういう技術的な面が足りていない様に思われるのだ。
「ちょっと気恥ずかしいけれど……見ても構わないかしら?」
「えぇっと、そうだな……いや、ちょっと待ってくれ」
これを見せたら、エルはショックを受けるかもしれないな――そう思って、一旦近づいてこようとする彼女を手で制止した。しかし、モデルになった以上は見る権利はあるだろうし、やっぱり修正させてくれと言うのも酷だろう。そう思って悩んでいる内に、横から何者かが近づいてくる気配を察知した。それも二人分だ。
「……アランさん! また絵を描いてたの?」
「どれどれ……ほほう、エルさんを描いてたんですか?」
「ちょっ……」
近づいてきたソフィアとクラウが、こちらの制止を振り切って絵を覗いてしまった。いつもなら「上手い!」みたいな感じですぐ声が上がるのだが、今回はそれがない。ということはやはり、あまり綺麗には描けなかったということかもしれない。
ソフィアとクラウは絵と実物を交互に見比べている。対して、エルは少女たちから感想が上がらないせいか、少し心配そうにこちらへ近づいてくる。
「え、ちょっと……どうしたのよ?」
「うーん、実物と比べて見てるんだけど……」
「なんだか不思議な感じがすると言いますか……全然下手とか、変とかって意味じゃないんですよ? でも、上手と言うより……」
「うん……なんだか上手く言えないけれど、絵の方がなんだかキラキラして見えるかな?」
「そうですね! 実物のエルさんはクールで美しいんですけど、絵の方はなんだか暖かい感じがします!」
「うん、アランさんが普段描く風景は綺麗で上手だけど……私はこのエルさんの絵、好きだなぁ」
「そうですねぇ、私もそう思います」
絵から受ける印象を言語化でき始めたおかげか、ソフィアとクラウの表情が段々明るくなってくる。それどころか、普段の絵よりも気に入ってくれたようだ。
「ちょっと、そんな風に言われたら、余計に気になるじゃないのよ……」
エルは自分の前に立ち、二人の少女の後ろから覗き込むように自分の描いた絵を見つめだした。しばらくじっと見つめた後、急に振り向くと、エルは自分たちの方から数歩離れていった。
「あぁ、えっと……すまん、やっぱり見せられるようなもんじゃなかったか?」
「いいえ、そんなことはないわ。ただ、気恥ずかしくて……アナタからしたら、私ってそんな風に見えているのかって……」
確かに、言われてみればそういうことなのかもしれない。この世界に存在しているものは、本来は等しくそこにあるだけのはず。しかし、自分はこの世界に来てから長いことエルと一緒に居るし、そういう意味でそこにある以上の情報が絵に入り込んでしまった可能性がある。
見たままを正確に写し取るという意味では、コレは失敗作なのかもしれない。しかし、描き上げた時にも満足感はあったし、ソフィアとクラウは好きだと言ってくれたし、エルも怒っている風ではないから、これはこれで一つの正解なのかもしれない――改めて自分が描き上げた、物憂げに、しかし光を集めて輝く彼女の肖像を見ながらそう思った。
「はは、そうだな……きっとこれが、俺から見たエルなんだ」
「あ、あのね……あまり恥ずかしいことを言わないで頂戴」
「いや、エルが自分で言ったんだろうが……それで、これはどうする?」
「そうね……アナタは持っておいて」
「いいのか?」
「確かに、自分で持っておけばもう誰にも見られないという点では安心だけれど……見返すたびに恥ずかしくなりそうだもの」
そう言ってエルはフラフラと移動をし始め、客船の扉の方へと移動した。
「……少し喉が渇いたから、私は船内に戻ることにするわ」
「あぁ、モデルになってくれてありがとうな、エル」
「いいえ、私も良い気晴らしになったから……それじゃ」
エルはこちらを見ず、手だけ挙げてまたフラフラと船内に戻って行った。その背中にこちらも手を挙げ返し、完成した絵を再び見ようと視線を降ろすと――それより先に、キラキラした眼をしながら一人の少女が自分を見つめているのが眼に入った。
「アランさん! 私も描いてほしいな!」
「え、えぇ……?」
別に描くこと自体はやぶさかでもないし、なんなら少し人物画を練習したいまであるから、ソフィアの提案自体は嬉しいことこの上ないのだが――あまりの熱量に、ついつい若干引き気味の返事を返してしまった。