B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
音速を壁を突破するのに生じる轟音と共にアラン・スミスが去ると、一時の静寂(しじま)が辺りを包み込み――前髪の隙間からこちらを覗く青い瞳は、憎悪と怒りに染まっている様に見える。
『……アガタ』
静寂の間を縫うように、我が主たる女神レムの声が脳内に響きだした。
『恐らくこれが最後の通信になります。先ほど申し上げたように、ルーナが海と月の塔からの通信を妨害し始めました……私も自衛に専念しなければなりません。
そして、繰り返しになりますが……クラウディア・アリギエーリに課せられた意識の改竄は、イスラーフィールが代行したモノですから不完全ではありますが、権限はルーナによるもの……通信妨害を受けている今、私の方で上書きは出来ません』
最初は事務的な口調だったが、レムの声色は段々と小さくなってくる――レムの見立てでは、クラウの記憶は現在はほとんどそのままだ。むしろ、彼女の疑念が増大し、それを疑いの無いような事実として思いこまされているということらしい。
なまじっか記憶が残ってしまっているせいで、彼女の精神状態はすでに危険な状態にある――とくに、アラン・スミスに対する感情とルーナによる強制力との葛藤で、人格が崩壊しかけているのだ。
アランのように優しさから説得をしようとすると、クラウをより苦しめることになる。消極的な時間稼ぎにはなるが、かえって彼女の疑念がその通りであったとする方が、彼女が矛盾に苛まれずに済む――そうなれば、自分が彼女に対して出来ることは――。
『ごめんなさい、アナタにはいつも、つらい決断をさせてしまって……』
『いいえ、謝らないでください、レム様……先ほどアナタに告げられた策が上手くいく可能性を、私は信じていますから』
『……苦労をかけます。アナタに祝福と加護を……私のような出来損ないの女神のモノでよろしければ、ですけれど。それでは、武運を……』
レムの声が切れたのと同時に、クラウがトンファーを構えてこちらを睨みつけてくる。
「アガタさん……いいえ、アガタ・ペトラルカ。偽装しようたって無駄ですよ……そのサークレットに効果が無いことは分かっています。女神ルーナの名において、裏切りの神の信徒であるアナタを討ちます」
こちらの感情を読まれないようにするため、一度俯いて鉄棒の柄を強く握りしめる。
(この世界の歪みに、アナタを巻き込みたくなかった……なんて言うのは、私の傲慢なのでしょうか?)
呼吸を整え、覚悟を決めて顔を上げる――今の自分はクラウディア・アリギエーリが憎むべき相手、裏切りの女神レムの使徒、彼女を弾劾し、異端の疑惑をかけた張本人――邪神ティグリスの復活を目論むゲンブ一派に加担した忌むべき存在。今の自分は彼女にとってはそういう存在であり、それを意識して相手と対峙せねばならない。
「やってみなさいな、クラウディア・アリギエーリ。もちろん、アナタのように盲目的な愚か者に負ける私ではありませんが」
「……調子に乗って!!」
自分の挑発で火蓋が切って落とされ、クラウが足元の結界を蹴ってこちらに跳躍してきた。
(安易な跳躍……!)
そう思い、落ちてきたところを迎撃できるようにメイスを構える。レム神のアーカイブを利用できない分で全力とはいかないが、むしろそれ故に自分とクラウの実力自体はほとんど拮抗しているはず――共に枢機卿レベルの神聖魔法を操り、共に学んできた仲でもあるから、この予測はそうズレてはいないはずだ。
もしティアが自分と敵対してしまえば勝ち目はないだろう。彼女は魔将軍二体を同時に相手して圧倒できるだけの実力者であり、ゲンブ一派にはやや劣るものの、その実力はレムリアの民としては文字通りに一、二位を争うレベルだ。
しかし、恐らくティアと自分は協力関係に持っていけるはずだ。自分の狙いはそれであり――クラウの人格が崩壊してしまう前に彼女を気絶させ、ティアの人格を引き出す。その後はティアにクラウの人格を眠らせてもらい、ルーナを倒してからレムの権限で意識の改竄を除去すれば、彼女も元に戻る、そういう算段だ。
(ですから……痛いのは我慢してくださいよ、クラウ!)
とはいえ、クラウの意識が崩壊してしまえば――もし解脱症に罹ってしまえば、どのような悪影響が出るか推測もできない。解脱症はレムですら治療が不可能なのだから、如何にルーナを倒した後でも取り返しがつかないかもしれない。そうなれば、これ以上彼女の精神に負担をかけてはならない。
今の自分にできることは、自分は彼女が洗脳されているように、世界を敵に回した裏切り者として対峙して彼女を戦闘不能に持っていくだけ――そう思ってメイスを振りかぶり始めた瞬間、クラウが目の前から消えた。いや、落下し始める前にトンファーから結界の陣が出ていたのまでは視認できていた。要するに――。
「……もらいました!!」
「がはっ……!?」
こちらは腕を上へと振りかぶっていたため、成されるがまま――下から抉りこむように突き出された拳をよけきることもできずに、自分の腹部に突き刺さる。クラウは空中で結界を出し、軌道を変えていたのだ。ギリギリで下から来るのに反応していたため、なんとか鳩尾に刺さるのだけは避けたが、それでも内臓に強烈なダメージを受けたことには変わりない。
離脱するのに重いものを持っていられない――手からメイスを離しつつ、なんとか気合を入れて大地を踏みしめ、こちらも結界を出して後ろへ跳躍する。回復魔法をかけるにしても、まずは距離を取って立て直さなければ――そしてもちろん、こちらが後ろへ跳ぶのも読んでいたのだろう、クラウもすぐに再び陣を炸裂させて突進してくる。
「……あぁあああああ!!」
「はぁあああああああ!!」
向こうから突き出される右の拳に、こちらも右の拳を合わせて返す――拳がぶつかり合う前に互いに六枚、計十二枚の結界が展開され、同質の斥力がぶつかりあって対消滅を起こす。その反動のおかげでクラウも下がらざるを得なくなり、こちらも腹部に左手を当てて回復魔法をかけて内臓の修復に努めることにした。
「どうしたんですか? 私には負けないんじゃなかったんですか? まさか、油断したとか言い訳しませんよね?」
着地したクラウは、ステップを踏みながらこちらを見下ろしている――先ほどこちらが挑発した事に対する意趣返しと言ったところか。内臓の修復は済んだものの、自分にはアラン・スミスのような再生能力は無いので、まだ痛みは残っているが――口から噴き出してしまっていた血を手の甲で拭いながら立ち上がり、後ろ髪をかき上げながら姿勢を戻す。
「えぇ……言い訳はしません。そして同時に、前言の撤回もしませんよ……勝つのは私なのだから」
「その減らず口、きけなくさせてあげます!!」
そして再びクラウが突進してきて戦いが再開される。こちらはメイスを落としてしまっているので、互いに徒手空拳での戦闘になる。やはり目算通り、自分とクラウの戦闘力自体は五分の五分、互いに一進一退の攻防が繰り広げられるが――。
(……先ほどのような油断はしない!)
そう、自分は忘れていたのだ。クラウディア・アリギエーリの爆発力を。彼女は素晴らしい素質を持っている。天才、という言葉こそ似つかわしく無いモノの、確かな努力による基盤と、時おり見せる一瞬の閃き、それは自分には無い才覚だ。
以前、レムが言っていた――ティアという魂が持つ力は、本来はクラウが持っているものだと。クラウが迷いなく力を発揮した場合は、ティアと同じだけの力を有すると――要するに、一歩引いた眼で見ればクラウもティアも変わらない、クラウディア・アリギエーリという一人の人間がいるだけなのだと。
そう考えれば、今の状況は芳しくないかもしれない。同じ技量、同じ魔法、そうなれば最後に差を分けるのは、それ以外の部分――つまり、彼女の持つような閃きや爆発力になるかもしれないのだ。
「鈍いです!」
「くっ……!?」
ふと、予想以上に鋭い突きが繰り出される。なんとか右腕を使っていなしたものの、そのまま結界を仕込んだ蹴りがクラウから繰り出される。すぐに左手でこちらも陣を出し、再び斥力により互いの身体が吹き飛ばされて仕切り直しの形になった。
「考え事をしているなんて余裕ですね……それとも、私なんかに本気を出すまでもないということですか?」
「いいえ、本気ですわ……このアガタ・ペトラルカと主席の座を争った相手を、甘く見たりするものですか」
こちらの言葉に、クラウは「ぬぐっ」と小さく呻き声をあげた。恐らく、憎まれ口の一つでも叩かれると予測していたせいで気が抜けてしまったのかもしれない――いけない、彼女の予測通りにイヤな奴を演じなければ。
「なんで私を異端にかけたんですか!?」
クラウはそう叫びながらこちらへ突き進んできた。
「答える必要はありませんわ!」
「最初から、裏切るつもりでいたんですか!?」
拳に言葉を乗せながら、クラウはこちらに食って掛かってくる。こちらもお返しに、相手の攻撃をいなしながら言葉を返すことにする。
「そう思っていただいて構いません!」
「……それならなんで、修道院のこと、助けてくれたんですか!?」
「それは……!」
アナタが困っているのを見過ごせなかったから――異端にかけてしまったことの、少しでも罪滅ぼしになればいいと思ったから。しかし、そんなことは言えない。彼女を動揺させかねない――どう答えればいいだろうか、タダの気まぐれだとか返せばいいだろうか?
相手の言い分に気を取られてしまったせいで回避行動が遅れ、振り下ろされたクラウの踵をよけきることが出来ず――しかし、ちょうど偽装のためにつけていたサークレットに当たってくれ、それが割れている間に距離を取り直す。
一方のクラウはと言うと、重い一撃を当ててしまったことに自分で驚いたのか、攻撃を当てた瞬間に目を見開き――クラウも一度背後に跳んだ。
「最初から裏切るつもりだったっていうの、嘘ですよね……それなら、魔王と戦っている時に、アラン君をサポートしたりしなかったはずです……そう、いつもそうやって、肝心なことを話してくれない……アガタさんも、アラン君も……うぅ……!!」
「クラウ!?」
クラウは頭を抱えて首を振り始める。いけない、このままではアランと戦っていた時の二の舞だ。考える隙を与えてはいけない。そして、同時に今なら彼女の意識を落とす隙がある。それならばと今度はこちらから前進して当て身を狙うが、こちらが接近してきたのに彼女の防衛本能が働いたのか、突き出した拳は彼女の腕でいなされてしまう。
狙いは半分失敗したが、半分は成功だ。一番避けなければならないのは、彼女に考える隙を与えないこと――それなら、今度はコチラから積極的に打ちに出て、隙あらば彼女の意識を落とさなければならない。
「同じ言葉をそっくり返しますわ、クラウディア。私を相手に考えごとをしている余裕なんかありまして?」
「あぁぁああああああ!!」
こちらの挑発に乗ってきてくれたおかげで、再び打ち合いが始まるが、同時にひとまず彼女が混乱するのを防ぐことには出来た。
そして、恐らくこのまま思考をさせなければ、必ずチャンスが巡ってくる。彼女はすでにアラン・スミスとの戦いで消耗している。対して自分は、ここに来るまでに一度第六天結界を張っただけ――拮抗した実力であるが故、同じ回数の魔法が使えるのなら、先に精神力が切れるのは彼女の方が先になるはずだからだ。
しかし、何故この子がこれほどまでに苦しまなければならないのか。苦しい生い立ちの中で信仰を強要され、解離性人格障害を起こすほどに追い詰められ、それでもめげずに女神を信じ続け――それに対する仕打ちがこれか。
いっそ、私の事など本気で恨んでくれればいい。それで貴女の気が晴れるのなら、どれだけ簡単なことでしょう。貴女は優しいから、邪悪な女神に意識を苛まれてなお、私や彼のことを疑いきることが出来ていない――それは、なんて哀しいことなのかしら。
アナタには、世界を恨む権利がある。ジャンヌ・アウィケンナ・ネストリウス同様に、大いに歪んでしまえばいいのに。それでも優しいアナタは、いつだって自分のためでなく、誰かのために頑張っている――修道院のために戦いに身を投じ、彼のためにこんな世界の果てまで着いてきて――。
(……でも、私はそんな優しいアナタが……アナタのことを……!)
「なんで……なんで泣いてるんですか?」
自らが突き出した拳は空を切り、思いのほかクラウの声が遠くから聞こえた。いつの間にか、視線が下がっていたらしい、改めて声のしたほうへと顔を上げると、言われたように視界がにじんでいることに今更ながらに気付き――クラウも肩で息を切りながら俯いているようだった。
「……アナタが、あまりにも憐れだから……ですよ」
「……まないでよ」
「えっ?」
「私を憐れまないでよ!!」
叫びながら突貫してきた少女の頬に、月明かりにきらめく水滴が走る。憐れまれたことに対する怒りなのか――その割に、動きは鈍くなってきている。彼女の中に迷いがあるのか、それとも精神力が切れてきているのか――恐らくはその両方だ。
「私は! 私はやっとアナタと同じ所までたどり着いたんです!! 自分の信じる神の声が聞こえて……魔法だって取り戻して! やっとアナタと肩を並べられたんです! 」
その言葉にハッとする。自分は、クラウを守らないといけないと思っていた――この世界の歪みを知っており、女神ルーナの正体を知っている自分が、優しいこの子を守らなければならないと思っていたのだ。
しかし、やはりそれは自分の傲慢だったのだろう。クラウは分からないなりに自分の道を探して、自分の横に並ぼうとしてくれていたのだ。
「友だちだと思ってた……うぅん、今だってそう思いたいです。口を開けば憎まれ口ばっかりでしたけど……いつだって……そう、いつだってアナタは、私のために何かをしてくれる人でした!
海と月の塔で右も左も分からない私に声をかけてくれて……田舎者って笑われる私のために怒ってくれて! アナタは、私にとって、一番の友達でした!」
(あぁ、本当に、アナタという子は……)
こんな自分をそんな風に思ってくれていたなんて――異端にかけた私のことを、心の奥底では大切に思ってくれていたなんて。
ならばこそ、やはりこの子を救い出さなければ――いいや、なんとか救い出したい。クラウの攻撃に切れが無くなってきている。それを彼女も自覚しているのか、クラウがこちらの結界に合わせて斥力を発生させて後ろへと退いたため、再び離れることになる。
(なんだかんだ、限界が近いのはこちらも同じ。だけど……)
クラウは既に満身創痍という感じで、呼吸も荒く今にも倒れそうだ――今なら目的を達することが出来るだろう。
「ティア、聞こえていまして? 私が今から、クラウを抑えます……その隙に、アナタが身体の主導権を握ってください」
「……アガタさん?」
「クラウ……いいえ、クラウディア。私はもう自分の心を偽りません……海と月の塔で孤立していた私と一緒にいてくれたアナタは……私の大切な友だちです」
友に対して暴力を振るうのが正解かどうか分からないけれど――今アナタの心を守るには、果断な決断をしなければならないから。最後の力をふり絞って地面を蹴って前に出る――クラウも呼吸を整えて迎撃の姿勢を取っている。
(……認めるわ、クラウディア。アナタの方が爆発力は上……でも……!)
「粘り強さでは私が上よ!」
自分を奮い立たせるために大きく声を上げ、少女が拳を突き出す直前に踏み込んだ足元で陣を発動し、中空へと跳ぶ――クラウも予想できていなかったのだろう、眼下で拳を空ぶって姿勢を崩している――そのまま相手の背後へと着地し、背後から首の付け根に手刀を降ろす。
クラウは小さく呻き声をあげると、そのまま膝から崩れ落ちて倒れた。回復魔法をかけたほうが良いか、しかしも精神力を絞り切ったので、簡単な魔法しかかけられないが――手をかざして魔法をかけようとする前に、クラウは上半身を起こして首根っこをさすり始めた。
「……やれやれ、乱暴な起こし方だ」
少女の右手から淡い光が発され――どうやら、自分で回復魔法をかけたらしい。そしてそのまま緑の髪を振りながらこちらへ向き直ると、そこには強く輝く紅い瞳があった。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい、これしか思い浮かばなくて……」
「いや、良いんだ……見てたところ、君もクラウを守るために頑張ってくれていたみたいだ。ともかく、君の言う通り、クラウにはしばらく眠ってもらうことにするよ……事情は完全には把握できてないが、とりあえずルーナ神は碌な神じゃないってことは間違いない……でいいのかな?」
「えぇ……そういうことですわ……ふぅ……」
精神力を使い果たし、気が抜けて思わずその場にへたり込んでしまう。そして、今しがた起きてしまったことが自分の中で反芻され――再び視界が涙でにじんでしまう。
「……アガタ?」
「ごめんなさい、クラウ……!!」
貴女に、苦しい思いをさせて。でも、必ず貴女を深い闇の底から救い出して見せるから――そしてきっと同じ覚悟を決めてくれたのだろう、真紅の瞳の彼女は、自分の頬を伝う涙をそっとすくいあげてくれたのだった。