B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
気が付けば、何やらほの暗い場所にいた。辺りをボンヤリと見回すと、キラキラと輝く星のようなものが見える。
なぜ、こんな場所に自分はいるのだろうか。先ほどまで何か夢のようなものを見ていたような気もするが――まとまらない意識の中で、ここに至る経緯を思い出そうとする。
ふと、自分の吐く息が泡を作っているのが見えた。急にハッとし、慌てて息を止める。ここは水中のようだった。
改めて、周囲をきょろきょろと見直してみる。水中というには、奇妙な浮遊感のようなものを感じる。上もなければ底もない、右も左もわからない。いや、息が苦しくなってきたのだが――。
「ぷっ……くくく、いや、そんな必死に息を止めなくても大丈夫ですよ」
声のした方向に身をよじってみる。足元がおぼつかないので、振り向けないのだ――と、口元を抑えて楽しそうにしている黒い長い髪の女がいた。
「まぁ正確には、アナタは今、精神世界的なところにいるので、息を吸わなくても問題ないっていうのが正しいですかね? アナタが息を出来ないと勘違いしているから、苦しい感じがしていると思うのですが……くくく、しかしすごい形相……!」
なるほど精神世界的な所、意味は分からないが夢のようなものか。
「いや、夢じゃないですよ」
思考を盗聴された。
「女神ですから」
目の前の女はエッヘンと控えめな胸を突き出した。彼女の纏う衣装は白い清廉な布とでもいうべきか、ともかく彼女の纏うどことなく神聖な雰囲気を見るに、なるほど確かに外見は女神らしい。
「話そうと思えばアナタも話せますよ。呼吸をしないから違和感あるかもしれないけれど」
そうは言われても、人間なかなか染み付いた本能は覆しがたいもので、水中と思うと口を動かすのは憚られる。確かにここは精神世界的なところらしいし、別に話さなくても思考してくれれば通じるとのことだったが、やはり思考が一方的に読まれて話が進むのも違和感がある。なんとか意を決し、口を開いてみることにする。
「……あ、あー、本日は晴天なり」
「おー、良く発声できました」
ぱちぱち、と女神は手をたたく。声を出すだけで褒められた。割と優しい女神なのかもしれない――いや、前言撤回だ、アレは下に見ているものをおちょくっているヤツがする目だ。
仕切り直しのつもりなのか、女神はごほん、とわざとらしげに咳ばらいをし、キリッとした顔になった。しかし、あまり真剣な表情似合ってない。
「アナタの思考は筒抜けなのはお忘れなく。では改めまして、死後の世界へようこそ」
「あ、やっぱりアレですか、そういう感じですか」
やはり、ここは死後の世界というものらしい。しかしそうか、自分は死んだのか。ふと、碌な人生でもなかっただとか、生前のことを思い出そうとするのだが――。
「……思い出せない」
自分の頭を右手の人差し指でトントン叩いてみる。しかし、ここが特殊な場所なせいか音は返ってこない。音ですら返ってこないのだから、記憶が戻ってくるわけもなかった。
「五人に一人くらい、死んだ時のショックで記憶が飛ぶ人もいるんですよー」
そのせいじゃないですかねー、と自称女神はへらへら笑っていた。
「いや、女神様の力でなんとかなりません? 記憶がないのはなんというか、違和感あると言いますか」
「失われた魂は戻せても、失われた記憶までは戻せないんですよ」
「いや、そんな遠い目で言われても。なんなら失われた魂を戻せるほうが凄そうなんだが?」
「より凄いことはできる。それが女神クオリティ」
「はぁ……アンタじゃ記憶は戻せないということはわかったよ」
「物分かりが良くて助かります。しかし、会話を初めて数秒で様付からアンタ呼びに格落ちされるのはあまり納得いきませんが」
「というか、失われた魂を戻す……ってことはアレかな、死んで召されるとかではなく、噂の転生的なやつか?」
「まぁ、概ねそうです。少し、順番を追って話しましょうか。まず、アナタは亡くなりました。死因は……」
そこで女神は一度言葉を切り、俺の目をじっと見据えてきた。本当に記憶がないのか、試そうとしているのかもしれない。いや、死んだ時のことなど思い出すべきでもないのかもしれないが――凄惨な死に方だったらイヤだし。
少し思い出そうとしてみるが、結局は自分の脳裏に降ってくる記憶は何一つなかった。
「やっぱり思い出せないな。死因、聞いておくべきか?」
「知りたいなら」
「一応、教えてくれ」
俺の質問に、女神は目を閉じ、彼女自身の口元に人差し指をあてるしぐさをした。言うべきか、考えているのかもしれない――そして、女神は息をゆっくり吸い――この空間には酸素などないので、そのように見えるだけだが――目を開いた。
「トラックに轢かれそうな見ず知らずの女の子を助けて、身代わりになりました」
死因を聞けば、なんとなく生前のことについてピンと来るものもあるのではないかと思ったが、残念ながらカスりもしなかった。言われてみれば、そんなことをしたような気がしないでもないのだが――やはり符合する記憶はない。そのせいか、まるで他人の話を聞かされているようだった。
「言うまでにずいぶん間があったな、嘘なんじゃないか?」
「いえいえ、本当ですよ。アナタはトラックに轢かれています。それとも何ですか、バナナの皮で滑って頭を強く打って死んだとか、そういう方がお好みで?」
「いや、間抜けな死に方じゃないほうが助かるかな……主に自身の名誉のために……それで、その女の子は無事だったのか?」
「えぇ、無事でしたよ」
「そうか……まぁ、それなら良かった」
「ふふ、そういうところです」
口元を抑えて小さく笑う女神は、話をしている中で一番あどけなく見えた。最初に見た時、目鼻立ちは確かに整っているというものの、女神というほど――現実離れしていると言うほどではない印象だった。どちらかと言えば、普通に街中で見かけるレベルの可愛い子というか、そういうレベルの美貌。
とはいえ、悠久の時を生きているのか、どことなく計り知れない雰囲気があるのは間違いなかったが、今の笑みは年相応というか、十代らしい外見に最も合っているように感じられた。
「おやおや、女神口説いてます? まぁ、単純に褒めているって訳でもないですけど」
こちらの思考が読まれ、女神はからかいモードに移行してしまった。こうなっては話が進まないので、話題を軌道を修正することにした。
「えーと、つまり、俺の生前の善行が評価されて、もう一度チャンスがもらえる、とか?」
「半分正解、半分不正解です。まず、女神も暇じゃありません。アナタの行いは褒められることかもしれませんが、それだけでわざわざ手間をかけて転生させたりしません。つまり、アナタを転生させるからには、一つ仕事をお任せしたいのです」
「なるほど、魔王を倒せとか、そんなのか?」
「いえ、そんなことは依頼しません」
男の子として生まれたからには――いや、死んだらしいが――魔王の一つや二つ倒してみたい。しかしそんな男のロマンは、そんなことという言葉の暴力で一蹴されてしまった。
「なんだ、魔王とかいないのか?」
「魔王はいます」
「いるのに!?」
「冷静に考えてみてください。人間を異世界転生なり召喚して、魔王を倒せるくらいの力を授けるなら、それはもう女神の力が魔王を上回っている証拠。それで魔王が邪魔なら、自分で倒しに行きますって話ですよ」
「いや、それはこう、女神は魔王に捕らえられていてとか、力を封印されていて、助けてくれる勇者を召喚するとか、そういうんじゃないかな、その、設定的に」
「設定とかいう恥ずかしい表現出すのやめてもらっていいです?」
「あ、はい、すいません」
なぜだろう、記憶がないはずなのに心がチクっとした。もしかしたら生前に、こんな感じのことを話して恥ずかしい思いをしたことを、脳ではなく魂が覚えているのかもしれない。
震える魂をなんとか抑え、いつの間にか足元に落ちていた視線を女神に戻した。
「それじゃあ、俺にしてほしい仕事ってなんだ?」
「はい、行脚してほしいなと」
「あんぎゃー?」
「生まれたての赤ちゃんみたいな声を出さないでください。つまり、アナタに私が……私たちが創造した世界を見て歩いてほしいのです」
「えーと……」
まったく相手の真意が読めず、こちらも言葉に詰まってしまう。わざわざ復活させる手間をかけたという割には、頼むこともあまりに些末なのではないか。
「いいえ、これは私にとっては重要なことなのです。もう少し正確に言うと、アナタにはこの世界を見て回ってもらって……この世界が、この世界に生きる人たちが、アナタにとってどのようなものであるか、それを感じてきてほしいのです」
女神はそこでいったん息を入れ――正確には吸うものもないので、少し間をおいて――続ける。
「先ほどのアナタの質問に対して半分正解、と言ったのはここからです。もう一度チャンス、という質問はアナタの見当違いですが、生前の善行について、見るべきところがあると思ったんですよ。アナタには、弱い者のために身を投げ出せるだけの倫理観がある」
「それって、俺だけが特別なのか? そうとも思わないが」
「えぇ、そうですね。もちろん、子供が路面で轢かれそうになっている時、アナタのように体が動く人は多くはない。しかし一方で、万に一人の逸材というわけでもありませんね。でも、今回はそこもポイントなのですよ」
結局、何が言いたいのか良く分からない、そう思っていると、女神は人差し指をぴん、と立てた。ここがまとめポイント、ということなのだろう。
「つまり、一般的以上の倫理観を持った、それでいてとびっきりに特別な訳でない人に、私の統べる世界を見てほしいのです。
いわゆる、戦争のない、衣食住や社会保障の整っている平和な地域と時代に生まれた人の一般的な倫理観から見た時、この世界がどう映るのか……私はそれを知りたい」
「つまり、俺みたいな人であれば良くて、俺である必要はないってことか?」
「そこに関しては、ご想像にお任せしますよ」
「はぁ……まぁ、俺がここにいる理由は分かった。だが、それだと記憶喪失はかえって厄介なんじゃないか?」
実際、記憶があるほうが、何かを見て思考する、ということはしやすいだろう。しかし、俺の疑問に女神は笑うだけだった。
「いいえ、アナタは、自分が何者であったかというフィルターに惑わされずに、この世界を見ることができる。それに、自分のこと以外は、記録としてあるんじゃないですか? アナタはアナタの時代の倫理観と価値観を持ちながら、個人の状況に惑わされない。だから、ちょうどいいんです」
確かに、こうやって会話が出来ているのだから社会常識とかいうものももちろん、空は青いとか、基礎教養的なものはきちんと脳に残っているようだった。
「ともかく、記憶がないと言っても、アナタという人間の本質は変わりませんし、記憶自体は私にとっては些末な問題です……もちろん、アナタにとってはそうではないでしょうけど」
そこまで言って、女神は目を伏せて静かになった。もしかすると、俺の記憶が消し飛んでいることに、多少は罪悪感というか、きちんと蘇生できず申し訳なく思っているのかもしれない。
「いや、こうやってチャンスをもらえたんだ、単純に死ぬよりは恵まれてると思うし、そう落ち込まずにな? それにアレだ、お約束的に言うなら、きっとすごい能力的なもの、あったりするんだろう?」
若干自分の口がネチャつくのを感じる。チートとかあるのもズルいかもしれないが、いやこれは女神直々の依頼なのだし、依頼を達成するために最低限の路銀というか、特権的なものは必要だろう――そう思っていると、女神の顔がパッと明るくなった。
「そこはお任せください! だいぶ奮発しましたよ!!」
「お、おぉ!! た、例えばどんな能力だ? 最強の剣士になるとか、魔法使いになるとか、そんな感じか!?」
「そんなことよりもっとすごいです……期待してください」
最強の剣士も魔法使いも超えるのか、それは異世界の美少女達にもててしまうかもしれない――俺はワクワクしながら、自らのチート能力の開示を待った。
「まず、現地の言葉が分かります」
「……は?」
いや、現地の言葉が分かるって、そんなの当たり前では? 思わず脳内で返答してしまった。
「いえいえ、当たり前ではありません。アナタがこれから行く世界は、アナタの価値観でいうところの中世風の世界観……といえども、農耕が始まり文明を得て三千年、アナタの世界と全く違う言語が発達しています。三千年の歳月を積み重ねて出来た言語を一足飛びで体得できる、これは剣の達人がその生涯をかなーり長く見て百年として、その三十倍の価値があると思いませんか?」
「う、うーむ……?」
「それと同様に……なんと、読み書きが出来ます。この世界の識字率は八割を超えますが、それはお触れを理解するのに必要な簡単な表語文字の読み書きのみで、専門性の高い言葉、貴族や聖職者の使う表音文字となると、その識字率はなんと数パーセントにまで低下します。これが読めるのも凄いことですよね!?」
「お、おぅ……?」
ここまでも割と気さくな女神だったが、与えた能力についての件になるとやたらと早口になった。
「あと、免疫です! アナタの体はそれはもう、良い感じにぐっちゃぐちゃだったので再構築しているのですが、この世界に合った遺伝子情報を持っていません。そのため、主要な疫病に対する免疫を持たせました!」
「良い感じにぐっちゃぐちゃのくだりも気にはなるが、ひとまず免疫がなかったらどうなる?」
「何に罹るかにもよりますが、端的に言えば三日は生きられない確率が九割九分九厘です。しかも苦しんで死にます」
「そ、それは必要だな……」
女神のもう一回死ねるドン、みたいなポージングに、こちらとしては頷くしかなかった。残念ならが0.1%の欲しい糸を恒久的にひき続けられるほど運には自信はない。そもそも、もし運が良ければ、俺はこの場にいないだろう。
「あと、再構築の件ですね。こちらは特別なことはしていません。この世界は、アナタのいた世界の1Gと、誤差0.00001%の重力で成り立っています。下手に筋力とかいじると動きにくいと思いますので、どうせそのまま動けるならと、生前の肉体に近くしています。顔も……生前の、トラックに轢かれる前の、そのままです」
女神は目を細め、じっ、とこちらを見つめている。生前の顔そのままをじろじろ見られるということは、割と容姿端麗だったのかもしれない。
「いいえ、普通ですよ。標準的です。あまりに普通だからなんというかこう、逆に珍しい的な?」
「あ、さいですか……」
この女神、上げて落とすのが上手い。しかし、言葉が分かる、文字が読める、標準的な免疫がある、身体能力普通となると――。
「……ご不満で?」
「いや、いろいろと能力付与を頑張ってくれたのは重々承知として申し訳ないんだが、生きる上で最低限の能力を付与されているだけのように思えてな……?」
「普通に生きられる、それは実は贅沢なこと、いわばチートなのかもしれませんよ?」
なんだか唐突に深い感じのことを言い始めた――いや、アレはごまかそうとしている雰囲気だ。その証拠に、女神のくせに目が泳いでいる。
「いえ、その、もちろんですね? 先ほど言ったこと以外の能力も付与してあげたかったのは山々なのですが……生きるのに必要最低限の能力を詰め込んだら、容量がいっぱいになってしまったといいますか?」
「え、何、俺はスペックの低いPCみたいな存在なの?」
「いえいえ、普通です」
「それならまだ、いっそ低いとかのほうがなんか覚醒しそうで良かったまであるぞ!?」
「ワガママですねー……あ、そうだ、一個、副作用的に常人とかけ離れてるところありますよ?」
「ほほぅ、詳しく」
もしかすると、数多の美少女にモテなくとも、数人くらいの美少女にならモテる程度の何かはあるのかもしれない。沈んだ自身の心が、ちょっとだけ蘇るのを感じた。
「アナタは最初に異世界転生と言いましたが、まぁ概念的には間違っていませんので否定しませんでした。ただ、厳密にいえば、アナタの遺伝子情報を持つ肉の塊に、アナタの魂を無理やり定着させている、というのが正しいです。つまり、転生ではなく、歩く死体というほうがしっくりきますね」
「え、俺アンデッドなの?」
モテるどころかえんがちょな存在なのかと思い、この短期間で自身の心がもう一度折れかける音が聞こえた。
「まぁ、神聖な力に弱いとかそういうのはないです。あと、腐ったりもしないのでえんがちょってほどでもないですね。ただ、副作用はここから……普通は肉体が一定以上損壊すれば、生命活動は停止します。しかし、アナタの場合、如何に肉体が損壊しても魂残るようになっています」
「……つまり?」
「めちゃくちゃしぶといです。普通なら絶命するようなケガをしても、回復魔法で肉体の損壊を修復すれば、復帰可能です……別に、アナタには戦ってほしいわけではないのですよ。
だから、言語系統や免疫など、そちらを優先しました。ですから、肉体が損壊するような危険を冒す前提で蘇らせた訳ではありません。頑丈なのは、あくまでもこの世界にアナタを定着させるための副作用な訳です」
「あー……」
「……嫌になりました?」
気が付けば、自分の視線が足元――水中みたいなところなので、目が足のほうに向いてただけ、が正しいか――に落ちていたらしい、見上げたら今度は女神がうつむいており、前髪でその表情は見えなくなっていた。ただ、声の調子から、あまり元気そうにも見えない。
もちろん、こっちもこっちで色々と複雑だ。気が付けば記憶喪失、一度死んで、蘇らせられて、しかも歩く死体認定。知らない場所に放り込まれるというのに、読み書き会話が出来て変な病気にかからない、日常で困らない程度のスキルしかないわけだ。魔王がいるということは治安も良くない、モンスターとかもいるような世界だろうし、多少頑丈といえども、襲撃されたりしたらひとたまりもないだろう。
というか、ここまでなんとなしに厳かな雰囲気に飲まれていたが、そもそもこれは夢なのではないか? 考えてみたら、あまりに突飛な状況、これを自分にとっての現実と考えるのも無理がある気がしてきた。
「……もちろん、ここは精神世界であり、夢みたいなものですが……話したことは、本当です。しかしこれが現実、と言っても、それを立証する手立ては私にはありません」
そう言うと、女神は毅然とした顔でこちらを見つめてきた。
「アナタには、選択権があります。今、私が話した状況で、私の依頼を受けるか、断るか。脅しのようになって申し訳ありませんが、断った場合、ここで静かに再び潰《つい》えることになります。もちろんその場合、痛みや苦しみは与えません」
これがもし夢だとするなら、この問い自体がナンセンスだ。この問答に意味などなく、起きたら記憶も普通に戻っていて、何気ない日常に戻るだけ。ただちょっと不思議な夢を見た、というのが、知り合いとの間の話の種になる程度のこと。
ただ――。
「……断って得があるとも思えないが、受けて何か得はあるのか?」
なんとなく、この状況が異常であっても、この状況が自分にとっての全てな気がした。もちろん、記憶がないせいで、正常な判断が出来ていないだけかもしれない。夢の中だからボンヤリしているだけかもしれない。
それでも、これが今の自分にとっての現実。それは、直感的に正しい気がしたのだ。
「……アナタ、やはりお人よしですね。蘇った先で、誰かに騙されないか心配です」
「うるせー、意外としっかりしてるよ、多分」
「それで、私から呼び出しておいて、依頼をこなして特別なにを与えられる訳でもありません……でも、アナタ自身が生前に追い求めていた夢……もしかしたらそれが、この世界で叶えることができるかもしれません」
「俺の夢?」
記憶がないのだから、自分の夢が何であったのかも分からないの。なので、出来ればそれも教えてもらいたいのだが。
「大丈夫です、きっと自然と……失ってしまった夢を追い求めますよ。脳が覚えていなくても、きっと魂が覚えていますから」
「はは、それこそ、なんか都合よく俺を騙そうとしているんじゃないか?」
精神世界にもかかわらず、首を鳴らすような動きをし――ちょっと気障かもしれないので、照れ隠しに体を動かしたかった――改めて、女神の黒く、しかしどこか希望に溢れる瞳に応える。
「……せっかく拾った命だ。もう一度、生きてみるよ」
「えぇ、ありがとうございます。きっと、そう言ってくれると思っていました」
優しく微笑むと、女神はそっと体をよじって横になった。彼女が後方に手をかかげると、その手の先、自分の前に光の扉のようなものが現れた。
「あの光を通っていけば、アナタの体は現世へと蘇ります。もう一度、生きてみてください。そして、世界を見て回ってください」
「了解……そうだ、いつまで見て回るとか、何か報告するとかあるか?」
「いえ、それは大丈夫です。私はアナタをいつでも見守っていますし……アナタの思うように生きてほしいのです」
「分かった」
頷き返すと、俺は光に向かって歩き始めた。彼女の横を過ぎ、光に入る前に、ふと肝心なことを忘れていることに気づいた。
「もう一個、女神様。アンタの名前、聞いてなかったな。その前に自分の名前を……俺は……その、なんて名乗ればいいんだ? 生前の名前くらい教えてくれよ」
振り向かないまま、俺は足を止めて彼女の返答を待つ。きっと、俺の頭の悪い質問に、彼女は笑っていることだろう。
「アナタの本当の名前……私は知っていますが、あえて教えません。西洋風の異世界ですし、いっそ西洋風の名前の方が、通りが良いと思いますよ」
「とはいっても、俺がジョンとかいうのも変じゃないか?」
「いえいえ、この世界なら別におかしいことじゃありません……そうですね、アラン・スミスと名乗るのはいかがですか?」
アラン・スミス――西洋風の名前を名乗るには抵抗があるが、まぁ郷に入りてはなんとやらともいうし――何より、なんとなくしっくりくる。記憶もないんだ、いっそ名前すら一新して、心機一転でいくのも良いかもしれない。どうせそのうち慣れるだろう。
「それじゃあ今日から俺はアラン……アラン・スミスだ。それで、アンタは?」
「はい、私はレム。この星の原初の一にして、海を司る女神です」
「そうか、レム。もう一度チャンスをくれてありがとう……それじゃ、好きに生きてくるよ」
「はい、アナタの行く道に、どうか幸多からんことを」
その言葉を背に、光の門をくぐる。それと同時に、急激な落下感が体にかかり――いや、浮遊感か――高揚感なのか、体が浮くような感じが来たと思えば、急な眩暈――脳をハンマーでたたかれたような、鈍い頭痛が走る。
そんな状況もお構いなしに、体は、魂は、勝手に前に進んでいく。まっさらな光を超えて、だんだんと暗がりへ、そしてまた浮遊感、段々と体が、上にいざなわれているのを感じる。黒から光を感じる青へ、そして段々とオレンジ色に包まれていき――。
目が覚める。視界よりも早く、耳に潮騒の音が入ってくる。手を地面につけ――砂浜だ――上半身を起こす。どうやら波打ち際で目覚めたらしい、立ち上がり、靴を濡らす波から離れて辺りを見回すと、海の向こう側には水平線に沈むであろう西日が、空を薄紅色に照らしている。一方で、薄暗くなりはじめた東側の――多分、公転だとか自転とかは前世と変わらないのだろうから、という判断だが――空に、青白く輝く月が見えた。
「……ちょっと格好つけて来たのはいいものの、これ、どうりゃいいんだ?」
この空と辺りの雄大な景色よろしくに、文字通り途方に暮れることとなった。