B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「少し落ち着いたかい?」
体に関する考察で気落ちしていた自分を安心させるためだろう、モデルの少女が微笑みを浮かべながらこちらを覗き見ているのに対し、自分は小さく頷き返した。同時に、彼女の今の柔らかさを色に載せたいと思い、筆を走らせ続ける。
部屋の照明の灯りが青白いせいで、彼女の持つ独特な雰囲気を損なっているような気がする。だが、ふと色彩をもう少し柔らかくすればいいことに気づいた。別に絵は目に映る姿をそのまま正確に写す必要はなく、好きな色合いで世界を映し出したっていいはずだ――絵描きにとっては当たり前のことなのかもしれないが、今までの自分は正確に視界を映し出すことこそが絵の巧みさと思い込んでいたので、そんな当然を失念していたのかもしれない。
世界をありのまま描くのではなく、世界の色を自分で決めて、自分だけの絵を描く――それでよかったのだ。
そうなれば、もう少し趣向を凝らしたい部分はある。下書きではティアの憂い顔を描きとったのだが、出来れば今の微笑みで仕上げていきたい。そう思いながら表情や、彼女を照らす灯りの色を工夫しながら筆を進め続ける。
途中で軌道を修正したせいで、彼女にはいましばらくじっとしていてもらうことにはなってしまったのだが。ティアに謝ると「いいよ、むしろゆっくり描いてほしい」と言いながら笑ってくれた。
その優しい表情こそ、自分が描きたかったものかもしれない。ティアが元々持っていたミステリアスな仮面の向こう側にあったもの。年相応の女の子らしさ、それを逃さないように筆を進めていき――。
「……出来たぞ」
そう言って描き上げた絵を自分でじっと見つめると、その出来に関しては満足半分、不安半分といった感情が沸き起こってくる。途中で路線を変更したせいで絵全体のバランスは少々悪くなってしまった様にも思うが――しかし、その工夫が自分らしさでもあるような気がして、これこそ自分から見たティアであるという確信もあった。
どの道、今更もう一枚描かせてくれというのもモデルの負担になるだろう。そう自分に言い聞かせて完成した絵をティアの方へと差し出してみる。ティアは紙を受け取って、しばらく無言でじっとその絵を見つめ――そして絵と同じような微笑みを浮かべたままこちらを見つめてきた。
「うん、ありがとうアラン君。ちなみに、皆のアラン君の絵の評価、こっそり伝えるとだね……風景は抜群に美味いけど、人物画はイマイチだって言ってたよ」
「ぬぐっ……まぁ、自覚はあったよ」
「まぁまぁ、そうショックな顔をしないで……ちゃんと続きがあるんだから。あくまでも風景と比較すればってだけで、人物画だって十分に上手だし、みんな満足してたのは間違いないんだ。まぁ、ソフィアちゃんは幼く見えるのが少々ショックだったみたいだけどね。
クラウなんか、アラン君が見てないところでちょこちょこと絵を見てにやけてたし、エルさんは受け取らなかったのを後悔していたんだよ」
「はぁ……イマイチなのに満足してたのか?」
「うん。思うに、大切なのは絵の巧みさじゃなかったのさ。アラン君が自分を見て、真剣に描いてくれたから……みんな、それが嬉しかったんだと思うよ」
そこで一度言葉を切って、ティアは気まずそうに笑った。
「あはは、ボクだけを見てって言った自分が、皆の話をしちゃってるね。でも、ボクは皆が羨ましかったのさ。皆はアラン君に自分を描いてもらって、ボクだけ描いてもらっていない……。
描いてもらったのならどんな気持ちになるのかなって。そして、アラン君から見たボクは、どんなふうに映っているのかなって……それがずっと気になっていた」
「感想、聞かせてもらっても良いか?」
「うん、そうだね……やっぱり、風景画と比べたらイマイチかな? それになんだか少し幼く見える。そう言う意味じゃ、ちょっとショックかも。でも……」
ティアは完成した絵を顔のそばに近づけてはにかみ――少しして紙を膝の上に置いてこちらを見つめた。
「なんだか、自分に意味が出来た気がするよ。クラウが居なければ存在できなかったはずの自分は、確かに……ここに存在しているんだって、この絵がそう言ってくれている気がする。だからアラン君、ありがとう」
そう言いながらも、ティアは何度か自分と完成した絵の間で視線を行ったり来たりさせた。そしてひとしきり満足したのか、今度は申し訳なさそうに口元を掻きだした。
「本当は、気晴らしに……アラン君の気分転換になればと思ってお願いしたのに、なんだかボクばかりもらってしまったね」
「いいや、俺からもありがとう。実際、いい気分転換になったよ」
「ふふ、そうかい? それなら良いんだけど」
ティアは椅子の後ろにある机の上に絵をゆっくりと置いて立ち上がり、おもむろにこちらへ歩いてきて自分の隣へと腰かけた。
「アラン君、ボクはね。クラウが言っていた言葉の意味を、ずっと考えていたんだ……アガタとアラン君を支えてあげて欲しいって。
それがクラウの願いなら、ボクはその想いに準じようと思った。でも、今はそれだけじゃないんだ。ボク自身が、君の支えになりたいと……アラン君がボクを見てくれて、少し欲が出てきたのかもしれないね?」
気が付くと、自分の腕は彼女の細い腕に絡めとられ――そのまま、ティアはこちらに体重を預けてきた。
「もう一つ、ボクの我儘を聞いてほしい。アラン君、君は自分のことを大切にして欲しいんだ。アラン君まで居なくなったら、ボクは本当にどうすればいいのか……何をすればいいのか、困ってしまうからさ」
ティアは小さく、すがるような声でそう言って、こちらの腕を力強く抱きしめてきた。以前にもこんなことがあった。アレは孤児院を目指している時の野営中のことであったか。月明かりの下でティアが隣に座って、こんな風にくっつかれた記憶があるが――今はあの時よりも距離が近い、というかもはやゼロ距離だ。
とはいえ、あの時よりは自分自身は緊張していなかった。以前のティアはこちらをからかうような調子もあって、かえって圧倒されていた部分はあったのだが――今の彼女は不安に揺れる子供のようであり、腕を貸すことでその不安が紛れるのなら、それでいいと思えるおかげかもしれない。
「自分を大切に、ね……努力はするよ。だけど、確約は出来ないな。命を掛けて戦って、勝てるかどうかの相手だ。でも、きっと君を一人にしないよう、最後まで抗って見せるさ」
「複雑だね。その言葉は嬉しいけれど……でも、きっとアラン君は無茶をするからさ。安心はできないな」
そこで一度言葉を切ると、ティアは一層強くこちらの腕を抱きしめてくる。
「……皆の気持ち、今ならわかるよ。アラン君はこうやって繋ぎとめておかないと、どこか遠くへ行ってしまいそうだって……」
段々と声が近づいてくる――最後など、耳元に彼女の吐息があたるほどだった。前言撤回、さすがにこの事態に段々と緊張が湧き出てきてしまう。首を僅かに回して隣を見ると、すぐそこに潤んだティアの瞳があった。
「今は、こんな風にうわついた気持じゃダメだって言うのも分かっているつもりだけど……
もう一度言うよ……今は、ボクだけを見て……」
少女は段々と瞼を降ろし、唇をこちらへ近づけてくる。こうなっては覚悟を決めるべきか。ティアのことも他の子同様、妹のように思っているのは事実だが、それよりも今の雰囲気と、彼女の女性的な魅力を前にすれば、もはや流れに呑まれてしまいそうだ。
とはいえ、きちんと心に決めた相手とした上ででないと不誠実でないのか――脳裏にそんな考えが思い浮かんだのとタイミングを同じくして、何者かによって部屋の扉があけ放たれた。
「ティア、アランさん、戻ってきているんですわよね!? チェンが呼んでい……ますわよ?」
普段ならもう少し早く気配を察知できると思うのだが、今回は色々と混乱していたせいで遅れたのかもしれない。ともかく、アガタは部屋に一歩足を踏み入れたタイミングで固まってしまった。自分がアガタの立場だったら、こんな密着している二人を見れば、今の彼女と同じようにフリーズするだろう。
超至近距離にいたティアはため息を吐き、自分から離れて皮肉気に笑いながら扉の方を見つめた。
「アガタ。なかなか凄いタイミングで割り込んできてくれたね」
「……えぇっと、その……ごめんなさい……?」
「まぁ、いいさ……アラン君も助かったって顔しているしね」
その言葉にぎくりとし――あぁいったことはきちんとした手順を踏むべきだと思うので助かったと思ったのは事実だが――ティアの方を見ると、彼女は真剣な面持ちでこちらをじっと見つめていた。
「でも、さっき言ったことは覚えておいて欲しい。自分のことは大切にして欲しいという約束は、しっかり守ってくれないと困るな」
「あぁ、肝に銘じておくよ」
「うん……それで、落ち着いたら、さっきの続きをしよう」
ティアは意地の悪い笑みを浮かべて立ち上がった。先ほどは幼さを感じたように思うが、やはりティアはティアだ――その魔性、恐るべし。
そう思いながら彼女の所作を見ていると、ティアは絵具の乾いた絵を大切そうに抱きしめて、またはにかむように笑っていたのだった。