B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「アナタ、大丈夫?」
「……これが大丈夫に見えるか?」
「いいえ。もう十全の力で戦える力は残っていないでしょうね。折角、もう一度巡り合えたというのに……皮肉ね。やっと決着をつけられると思ったのに、水を差されて……」
顔を上げて顔を覗き込むと、女は切なそうに遠くの空を見つめていた。
「……もう、何もかもがどうでも良い。この先、どうなるかなんて、私には関係ない……」
そこまで言って、女の体は突然バランスを失って倒れ込みそうになる。何とか残っている左腕でその身体を抱きとめると、どうやら意識を失ってしまっているようだった。要するに、彼女の目的は本当に自分と決着をつけることだけで、それ以外のことには興味が無く――その目的を失った今、もはや現世に未練もない、ということなのだろう。
もしリーゼロッテがこの体を放棄したというのなら、エルは無事かもしれない。頬を叩いて反応を見ようとするが、如何せん左腕は塞がっており、右腕が無い状態だ。それならば、声を掛けるしかないか――そう思って彼女の名を呼ぼうと思った瞬間、どこからともなく鐘楼の音が辺りに鳴り響きだした。
その音は、どこから来ているのだろうか。ヘイムダルの尖塔につけられている鐘達からだろうか? それだけでは、これだけの大きな音にはならないように思う――まるで、世界中の教会の鐘の音が一斉に鳴り響いているんじゃないかと錯覚するほどだった。
そして鐘の音が終わると同時に、「惑星レムに生きる全ての生きとし生ける者よ」という声が聞こえ始めたのだった。
「聞こえているだろうか? 私はアルファルド……君たちが七柱の創造神として崇め奉る者の一柱だ」
聞こえる声は少年の物でなく、機械音声であり、無機質で感情の抑揚もないものであった。人ならざる者の声で、人々の不安を駆り立てようとしているのか、それとも自分の声を人々に聞かせるのを好まないのか――恐らくどちらも正解であるが、アイツの性格的にはむしろ後者が正解のように思われる。
演説が一度切れるのと同時に、空中にドローンのような機械が突如として現れ――空間転移でこちらへ飛ばして来たのだろう、付属のカメラでこちらを映し出してしているようだった。
それらをナイフで落とす余力もなく――為されるがままにされていると、空中にスクリーンが現れる。
そこには、腕に女性を抱え、膝をつきながら上を見上げる一人の男の姿があった。衣服は所々破れで、右腕はなく、顔の皮膚に亀裂まで走っている――もしアレが他人であったら、映し出された男を満身創痍と評しただろう。
「見えているだろうか……今にも朽ちてしまいそうな彼の姿が。彼は、第十代勇者アラン・スミス……その正体こそ、裏切りの女神レムが我々に向けて差し向けた邪神ティグリスである。
すでに邪神は戦う力を残していない。魔族諸君……君たちの希望は、今こうやって潰えたのだ。しかし邪神の敗北は、レムリアの民の勝利を意味しない。私はレムリアの民を滅ぼすため、敵対者たるティグリス神を倒したのだから」
世界中に響き渡る言葉の真意を、最初は理解できなかった。邪神ティグリスが敗れたことになれば、レムリアの民は希望を取り戻すのではないか――しかし、続く言葉で右京の真意が分かってきた。恐らく、アイツは――。
「私は三千年間、君たちを見守り続けてきた。そして、絶望したのだ……世界の危機に対し、何も為さない者たち。余りに弱く、自らの力で何かを切り開くこともしない。ただ力のある者に頼り、責任を負わず、誰かが世界が良くなることを祈っているだけの無価値な存在……あまつさえ、奪い、罵り、傷つけあう。そんな君たちには、存在価値など無いと悟ったのだ。
それ故に、私たちは君たちを滅ぼすと決めた。君たちを粛清するため、世界各地に目に見えない怪物……天使を放ったのは私だ。先の大災害を引き起こしたのはアルジャーノンの怒りだ。月の守護者であるルーナに既に慈悲はなく、ドワーフとエルフの長は絶望から統治を放棄した。
そして……君たちに同情的だった海の女神レムは、先ほどこの手で粛清した。
そもそも、諸君らに勇者が敗れたという詔を授けたのは、裏切りの女神レムをあぶり出すための偽装だ。彼女は古の神々と結託し、失敗作である君たちを護ろうと、我々に対して謀反を企てていたんだ。
また、彼女は邪神ティグリスを秘密裏にこの惑星に招き入れており……私がアラン・スミスを十代勇者として任命したのは、敢えてその正体を知らないふりをして、彼を援助しようとする女神レムの行動を制限するためだったのだ。
レムが亡き今、君たちに味方をする神は一柱として存在しない……どれ程祈っても無駄だ。既に我々は君たちに情けなど駆けようとは思っていないのだから」
右京の狙いはこれだったのだ。狙いは二つ――ひとつは邪神が敗れたという喧伝をして一瞬の希望を持たせること。そしてその希望を、神々の怒りという素早く筋書で折りにかかったのだ。
信心深いレムリアの民にとって、神々に見放されるということが――しかもそれが、魔王征伐後で社会が疲弊しているこのタイミングでは――どれ程の失望感にさいなまれるかは自分には想像できない。
そして神々の怒りという筋書きは、すでにアルジャーノンの第八階層魔術によって引き起こされた災害と、各地に放たれた第五世代型アンドロイド達によって実演済み。何より、創造神に自身が無価値と言い放たれることは――自らの親に存在価値を否定されることは、被造物である第六世代型アンドロイド達にとって耐えがたい絶望に感じられるのではないか。
旧世界の宗教では、神々の怒りで世界が滅ぶというのはよくある筋書きだった。そうすることで宗教者は自分たちの権威を高め、為政者は人々の行動を律しようとしたのだろうが――この世界の聖典には、神々の勝利という記述しかなかったはずだ。そうなれば、神々が自分たちに失望していると告げられるなど、レムリアの民たちは露にも思っていなかったはずであり、唐突な創造主の裏切りは、世情と併せて彼らの心に深い絶望を落とすに違いない。
この筋書きは、アシモフから共有はされていなかった。彼女が隠していた訳ではなく、恐らくこの構想は右京の中だけにあったのだろう。本来なら三千年かかる人々の精神的な停滞感を、彼は神々の失望という演説の中で演出してみせたのだ。
しかし、嘘ばかりの右京の演説の中には、幾分か真実も含まれているように思える。力ある者に頼り、何も成さない人々に対する絶望というくだりには、彼の本心のように思うのだ。その証拠に――。
「君たちが真に祈るべきは、我々でなく彼のような英雄にだったんだろう。君たちがどんなに弱くとも、どんなに憐れでも、どんなに愚かでも……彼は決して君たちを見放さなかった。そして、仲間たちを失ってなお、たった一人で戦い続けた……そんな彼の末路がこれだ。
あまりに悲しいだろう? 世界でたった一人、彼だけが全ての命の重責を背負って、戦い続けていたなんて。君たちはそんな事実も知らないで、ただのうのうと生き、誰かが世界を勝手によくしてくれるのを期待していただけ……そんな愚かさこそ、救い難い罪だと思うね」
言葉の中に現れる彼というのは、自分のことを――アラン・スミスを指しているのだろう。聞こえてくる音声は無機質なままだが、何となくだが感情が籠っているような感じがした。
『……勝手に憐れんでるんじゃねぇぞ、右京』
自分は別に、世界に対する責任を負おうなどと自惚れているつもりはない。ただ、手の届く範囲で――自分が駆けつけられる範囲で、やれることをしてきただけだ。それを、アイツは勝手に拡大解釈している、それが気に食わなかった。
同時に、やはり彼の本心を知りたいとも思った。彼の行動や言葉にはあまりに嘘が多すぎて、その心を見通すことが全くできない――しかし、もし彼が真に独善的で傲慢な人間であるのなら、きっと自分の行為を憐れむ様なことをせず、無意味と一笑に付したと思う。
恐らく、右京の失望は本物なのだ。日の当たらない場所で、誰かのために戦い続ける者が居る――人々はそれを知らずに生き続けている。みずから世界を良くしようとするわけでもなく、誰かの血によって築き上げられた平和にただ乗りする人々に対する失望がある、そんな風に思う。
もしかすると、右京は期待をしていたのかもしれない。こんな管理社会を創り出した張本人がそんなことを考えるなどと矛盾している気もするし、同時に無茶な期待をするんじゃないと言いたいところだが――むしろこんな世界だからこそ、肉の器にある人という存在が強い心を持ち、自らの足で立ち上がることを右京は期待していた、何故だかそんな風にすら思える。
しかし、すべてが遅かったのだろう。再び鐘の音が聞こえ始めると同時に、突如として天から雲海へと金色の光が降り注いできた。その光は雲を割り、下界の様子が一気に顕わになる――降り注いだ煌めきは海面へと広がったかと思うと、そこに集まるように金色の粒子が集まってきていた。
そして、自分を映し出していたスクリーンが切り替わり、世界各地の様子が点々と映し出される。王都で、海都で、自分が旅をしてきた街や村で、人々の体が金色の羽毛へと呑み込まれ、そしてそこからあふれ出る粒子が、海中に射す光の柱へ向けて飛ばされてきているのだ。
「さぁ……失敗作諸君。君たちの魂を主神へ……あるべき場所へと還すがいい」
その言葉と共にスクリーンが光の柱付近の映像に切り替わり、世界中から集まった光が柱を中心に形をとり、それは次第に四肢と頭を持つ、巨人のような姿へと変わっていった。恐らく、これは宇宙が体験する二度目の落日だ――旧世界を終わらせた光の巨人が、レムの海に降り立ったのだから。