B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
魔術神アルジャーノンは海と月の塔の最下層に籠り、ひたすらに作業を続けていた。魔術にしか興味のない人だと思っていたが、こと今やっている作業に関しては魔術と同等かそれ以上に深い関心を見せているようで、元々自分のモノだった身体を日夜酷使し、ほとんど睡眠も取らないでひたすらに没頭しているようだった。
この身をアルジャーノンに支配されてからも意識は覚醒しており、また彼は自分に度々声を掛けてきた。彼の思考領域こそ共有されないモノの、分析結果に関する意見は欲しい様であり、知識に関してはある程度の学習させてもらっていた。自分も旧世界の技術や文字については理解できるようになってきている。
それ故に、アルジャーノンは現在この旧世界の技術の粋を集めた巨大な制御装置の中で、海に封じ込められた第六世代達の魂の解析を続けていることも理解しているし――同時にディスプレイに高速で流れる旧世界の文字群に関しても自分は理解できるようになってきており、それに関する相談役を務めている形だ。
とはいっても、彼の思考速度とその精度は自分の倍所の騒ぎではなく、何十倍、下手すれば何百倍だ。そうなれば、自分は討論の有益な相手ではなく、壁打ち相手に過ぎないのだが――議論をできる相手を欲するならば、彼がソフィア・オーウェルを求めたのも納得できるというものである。
ただ、別にアルジャーノンは自分に対する不満も特にないようだ。彼の仮説や思考の反対意見、ないし別角度からの意見を欲する。的外れでも構わないと――つまり彼が欲しているのは「思考の袋小路にいる状況の打破」であり、その正確性を問題視しているわけではない。他者の意見を聞きさえすれば、一歩引いた目線を得ることができる。彼にとってはそれで十分なのだ。
そういう相手であるので、自分は魔術神アルジャーノンには不思議な魅力を感じ始めていた。恐らく、歴代学長達も同じように呑まれていったのだろう――自分の体を支配されているというのに、徐々にその不快感は鳴りを潜め、むしろ学者としての最前線をひた走る彼の手腕を最も近い所で見れるのだから。
目的のために手段を選ばない点など――ソフィアを追い詰めた彼の所業を認めることはできない――あるものの、近頃はすでに彼との共存についてそこまで違和感が無くなってきているのも確かだった。
ともかく、黄金色の海に関する解析についての進捗は、そこまで芳しいものではなかった。海はプログラミング言語の様に可視化できるわけでもないし、自ら自然言語で語り掛けてくれるわけでもない。
元々旧世界においてはアルジャーノンはモノリスの解析を担当していたらしいが、モノリスは「解析されるべきもの」として超高度に暗号化されて送られてきた高次元存在からのメッセージであったのに対し、黄金色の海は発生した事象だ。それも、多次元宇宙のうねりにあるのだから、三次元空間における自然科学的なアプローチでも――端的に言えば実験であり、それをすることでしか理解が進まないのだが――なかなか解析が進んでいないというのが現状だった。
ひとまず簡単な調査結果として分かったことは、黄金色の海は自然環境として見れば、依然として機能している。海洋生物は変異せずに存続しており、重力による潮や海流は変わらず発生しているのだ。温度の特別な上昇や下落もなく規定の範囲内に収まっているし、日の光を受けて蒸発し雲を発生させている――つまり、この惑星において知的生命体の七割が生命活動を停止させたという事実を除けば、星は変わらず動作しているということになる。
もちろん、海に魂が封じ込められてまだひと月にも満たないのであり、これから影響が出てくることも想定されるが――ただちに惑星レムがその機能を停止させることも無さそうであった。
そんな調子でモノリスからもたらされる数値や衛星からの映像や水質、その他サンプルを基に解析を進めていると、ふと背後からシンイチに瓜二つの少年が背後から声をかけてけてきた。
「どうだい、調子は」
「個人的な知的好奇心を満たすには悪くないけれど、君の求めている答えに関してはノーって所さ」
「つまり、現状では高次元存在を降ろすことは難しそうってことだね」
「あぁ、やはり残っている第六世代たちの魂も海にとらえる必要があるだろうね……そっちの首尾は?」
「ローザが頑張ってくれているよ」
「頑張っているんじゃなくて、彼女は自らのサディスティックな願望を満たしたいだけだろうに……リーズは働いてないのかい?」
「あぁ、協力はするとは言っているけれど、細かいことは好きじゃないってさ。弱い者いじめをするにも、ある意味で才能は必要ってことだね。
しかしどうやら、アシモフが動き出して人心が乱れない様に第六世代たちを纏め上げ始めたみたいだ。こうなったら、残っている第六世代たちの魂を海に返すのも難航するかもしれない」
少年が空中で指を動かすと、アルジャーノンの前のディスプレイに今しがた話していた事の詳細が資料として映し出された。魔術神はそれらにサッと目を通した後――かなりの文量があったはずだが、彼なら内容は十全に理解したはずだ――口を開いた。
「残っている第六世代達の生体チップに働きかけて脳内物質をコントロールし、絶望に落とすことはできないのかい?」
「結論から言えば難しいね。単純にまだ億単位残っている全アンドロイドたちに対して一斉に指示を出すにはスーパーコンピューターであるレムの演算能力が欲しい所って前提はあるんだけれど……」
「君の方で擬似的に同レベルのオペレーティングシステムとプログラムを構築しているんだろう?」
「あぁ、塔とモノリスの管理に関してはね……でも晴子の置き土産でさ、各生体チップに働きかけるのに個別に暗号化されたプロテクトが掛かっているんだ。解析して一個一個外すことも不可能って訳じゃないが……」
「それなら物理的に第六世代たちに圧力を掛けたほうが早い、か。彼女はこうなること可能性も予測していたってことかな?」
「まさかアラン・スミスが高次元存在の顕在を止めることまでは予測していなかったと思うけれど……僕にコントロールを奪われることくらいは予想していたんだろうね」
なお、アルジャーノンから事前に共有を受けていた内容としては、そもそも第六世代型の思考や記憶をコントロールできる彼らがプログラムでなくわざわざ第五世代型の襲撃やヘイムダルの演説により人々を絶望に落としたのは、五億程度の生体チップに一斉に働きかけるのが難しいのはもちろん、第六世代型の「生の絶望」が必要という仮説があってのことらしい。
そもそも旧世界では全人類に生体チップが埋め込まれていた訳ではないし、そこと条件を合わせなければ高次元存在の降臨が無いかもしれないというのも勿論だが――次元の超越者が旧世界の人々が創り上げた人工物を独立した知的生命体と判定するためには、人工的に作り上げられた感情では効果が無いのではないかという仮説を基にした行動であったらしい。
実際の所は解脱症に罹患した者から黄金症に段階的に発展していたことから、この仮説が正しかったかどうかはもはや分からないということだが――ともかく、女神レムがプロテクトを掛けたこととレア神によって、ひとまず人心は護られているということなのだろう。
「……晴子には申し訳ないことをしたな」
アルジャーノンが再び作業に戻ろうとしたタイミングで、星右京は独白のように呟いた。魔術神はやおら少年の方へと振り返ると、ぶっきらぼうな調子で――ややイラついていると言ってもいい――「それは」と切り出した。
「君の目的が直ちに達成されなかったが故の感傷かい?」
「まぁ、そんなところだけれど……」
「あのさ、そんな風に後悔するくらいなら、君は最初からこんなことをやらなきゃよかったんだ。君の能力は高く買っているが、そういう感傷的な部分に関しては、ハッキリ言って好ましくないと思っているよ。
僕から言わせてもらえば、その感傷って奴が持つ者の贅沢なのさ……何故かって顔をしているね? それはね、成程、君が生来から持つ頭脳をもってすれば、自らの行いが他者にどのように評価されるか直ちに思いついて、それ故に見下げられたくないだとか、悪いことをしただとかいうセンチメンタルな感情を引き起こすことだろう。
逆説的に言えば、他者の思考や感情を推し量れるだけの思考力すらない者は、他者評価を推測することも出来ない……端的に換言すれば、馬鹿にされていることにすら気付けないんだから。全く羨ましい限りだよ」
魔術神はそこで一度言葉を切って仰々しく首を横に振り、再び口を開いた。
「だがね、君が勝手に考えている他者の思考とやらは、結局は自らの取った経験から来る反応を体系化した類推にしか過ぎない。そういう意味じゃ、君は本当は分かりもしない他者の思考とやらに苦しめられて、勝手に心を痛めている。そんなのは全くナンセンスだ。
況《いわん》や、君の推測が他者の思考を言い当てていたとしてだ。だからって何になるんだ? 感情を類推できるからと言って、他者の感情を……用意周到に行動し、言葉を選べば多少はできるだろうが……完全にコントロールすることは出来ないんだ。
それこそ、アンドロイド相手なら可能かもしれないが……」
「いいや、作用には必ず揺らぎがある。言葉の定義が人によって違う以上、自然言語処理においては百パーセント望んだ答えが返ってくるわけじゃない。どれだけ機械学習をして予測の精度を上げたとしても、特定状況下における変数によって思わぬ答えが返ってくることはままある。
そういう意味じゃ、より機械的な第五世代はもちろん、ヒトゲノムを持って感情を持つ第六世代の感情を完全にコントロールすることも不可能だ」
「だろう? そんなものに心を痛めているのがナンセンスだって言いたいんだよ、僕ぁさ。結局相手を完全に満足させることだってできないし、君自身だって完全に満足することは永久にないんだから。
結局さ、億万の言葉を持ってすら、人って奴は完全に分かり合えることは無いんだ……生まれてから死ぬまで、結局僕らは独りなんだよ」
「……そうだね」
「何より、僕の言葉で感傷的になっている今の君は、まったくの贅沢者だ。自らの感情を言語化して感傷に浸るだけの知能があるんだからさ。
足りてない者は、自分が孤独だということにすら気付けないんだ……餓えれば食欲を満たし、眠くなれば眠り、魅力的な相手を見れば性欲を爆発させて欲情することしかできない。本能かそれに近い部分しか認識することはできないし、またそれに準ずる行動しかできないんだ」
「……今日は妙に突っかかってくるじゃないか。嫌なことでもあったのかい?」
右京の言うように、アルジャーノンは右京の何かが引っかかったように見える。彼の口調がくどいこと自体はいつものことだが――これは学長ウイルドに宿っていた時から変わらない――どことなく神経質な物言いから察するに、彼は右京に対して確かな苛立ちを覚えているようだった。
基本的に、アルジャーノンは他人に対して興味がない。それ故に議論に発展して相手の言い分を否定することはあっても、人格的な部分にとやかく言うことは珍しい。もちろん、大前提として「後悔するくらいならこんなことをしなければ良かった」という彼の忠言自体は正論そのものなのだが――何やら過剰に反応している理由は気に掛かる。
直感で言えばコンプレックスが原因のように思われるが――アルジャーノンは星右京と比べても遜色ない、むしろ知能指数そのものにおいては智謀の神アルファルドすら上回るはずだ。それなのにどこにコンプレックスを覚える理由があるのだろうか。
当然ながら、その真相は自分には不明だ。自分に共有されているのは今の事象と過去の知識のみで、アルジャーノンの感情や生い立ちに関してはうかがい知ることも出来ないのだから。我が身体の主は再び大きくため息を吐き、これ以上話すのは無駄だと言わんばかりに椅子を回してディスプレイへと向き合った。
「解析を他人に任せて、勝手に沈んでいる君を見てればこうもなる……文句を言われたくないなら、さっさと自分の仕事に戻ったらどうだい?」
「さぼっているつもりな訳じゃないんだけれどね。これ以上君を怒らせたいわけじゃないし、言われた通りに仕事に戻るよ」
「あぁ……いや、一個だけ伝え忘れていたことがある」
アルジャーノンが一つのレポートを開くと、右京が身を乗り出して画面を注視し始める。そこには、衛星からの写真が一枚、深海で百メートル四方程度の漆黒の渦が発生している場面が映し出されていた。
「これは……?」
「どうやら海底のモノリスで特殊な力場が発生しているようなんだ。君の方でモノリスのコントロールはしているはずだが、気付いていなかったかい?」
「あぁ、制御で手いっぱいで、こんな現象が起こっているのは認識していなかった……解析は?」
「言っただろう、特殊な力場だって……出来ないから伝えてるんだ。モノリスを活用して海に魂を封じ込めてるんだ、その中心はこの宇宙で最も多次元宇宙に近い。何が起こってもおかしくはないんだが、時空間が捻じれているが故にこの中で何が起こっているかを覗き見ることは出来ないね」
「成程……分かる範囲で良いんだが、それは僕らにとって不利益になりそうかい?」
「そんなもん分からんさ。解析できないものはプラスにもマイナスにもなりうる、まさしく量子力学で言うところのアンノウンボックスみたいなもんなんだからさ……強いてを言えば不確定因子で予測不能な分、差し引きマイナスって所か」
「まぁ、そうだよね……ありがとう、ゴードン」
そういう右京の顔には、少しばかり不安の様相が伺える。元々自分はシンイチに宿っている時の彼と行動を共にしていた時間はあるのだが、あまりこういった表情を見ることは無かった。思い返せば魔王軍との戦いなど彼にとっては百手先まで決まっているボードゲームのようなものであり、不確定要素など無かったが故かもしれないが。
強いて言えば、ゲンブという人形を見た時に、このような険しい表情を浮かべたか――対する魔術神は右京の不安な表情に少し胸がすいたのか、口角を吊り上げて作業へと戻った。
「はは、ありがとうっていう顔じゃないね。心配性な君のことだ。こういうのは嫌なんだろうが。まぁ、引き続きコイツの分析は一応続けるよ」
「あぁ、頼んだよ」
少年は浮かない顔のまま背後の席へと戻り、自らの作業を再開したようだった。魔術神の方も包装紙を一つ手に取り、中の飴玉を口に放り投げ、鼻歌交じりに解析作業に戻るのだった。