B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
扉の位置で動けなくなっていた視線の主は、しばらくして意を決したのか、ベッドの方へと歩き出した。
「……伊藤晴子さんですね?」
ベッドのすぐ隣で声を掛けて、晴子はやっと人が居ることに気づいたのか、生気のない眼を男の方へと向けた。
「はい……アナタは?」
「私は、アナタの相続した遺産を管理している司法書士事務所の者です」
べスターは事前に用意していた名刺を取り出し、晴子の方へと差し出して見せた。晴子の後見人をしていた本物の事務所の名刺だ。実際に何度か事務所の人間が晴子の元に来ていたらしいので、怪しまれないように本物と同じものを準備したとのことらしい。
晴子はしばらく名刺を虚ろな目で見つめ、しかし何か吉報と思ったのか、ようやっと瞳を輝かせて微笑を浮かべた。
「もしかしたら、やっと父の遺産がそこをつきそうだ、という連絡のために来られたのですか?」
晴子の言葉に対し、べスターが返答できなかったのも仕方がないことだろう。本来なら遺産が尽きそうというのなら、不安な表情を浮かべるはずだ――その上で彼女が喜んだ理由は、恐らく一つしかない。
病床の少女は、これ以上の延命を望んでいなかったのだ。事故の手術自体は成功しており、足が無いこと以外は問題なかったはずであるが――といっても、歩けなければ体力も落ちるが――生きる希望を失っている少女は、飲まず食わずという生への抵抗によって死を望んでいたのだ。
そんな自分の推測を裏付けるよう、先ほどまでのボンヤリした様子が嘘のように、晴子は饒舌に話し出した。
「少々おかしいな、とは思っていたのです。二年もの入院費用を賄えるほどの金額があったとは思えませんから。でも、病院にご迷惑をおかけしないため、せめて葬儀費用だけでも残っているとありがたいのですが……」
「い、いえ。まだしばらく入院されていても問題ないほどの遺産はありますよ」
男の返答に対し、晴子は表情は曇り――「そうですか」と短く返した後、また視線を落としてボンヤリとし始めてしまった。
その様子に、べスターは途方に暮れてしまったのだろう、困ったように辺りを見回すと、説得すると息まいていたグロリアも唖然として寝台の少女を見つめている。
しかしただ一人、この沈黙を打ち破るために動き出した者が居る。静寂の支配する病室に足音が響くと、べスターの横に右京が並んだ。
「私たちは、アナタに手術を受けて欲しくて来たのですよ」
そう言いながら、右京は近くにあった丸椅子を引いて、晴子と視線の高さが合うようにそこに腰かけた。
「アナタは……?」
「僕は彼の後輩で、星右京と言います」
「……手術を受けるつもりはありません」
「もし、術後や退院後のことを心配されているのであれば、その点は問題ありません。アナタはまだ未成年ですので、国からの保証は受けられますし……」
「いいえ、違うんです……そういうことじゃないんです」
右京の説明を遮って、晴子は長い髪を揺らしながら首を横に振った。
「仮に足を再生させたとて、こんな絶望だらけの世の中の、一体どこを歩けば良いというのでしょう?
いいえ、分かっているんです。勝手に絶望しているのは私だということは……何者でもない小娘が、勝手に世界の真理を分かった気になって死にたがっているということは、私自身が痛感しています。それでも……家族も、足も、時間も失って……」
そこで晴子は言葉を切り、首を回して外の曇天へと視線を向けた。
「何よりも自分の夢を諦めて、私のために尽くしてくれた兄さんに対し、私一人だけ生きているのが申し訳なくて。一生懸命勉強をして未来に情熱を向けていたというのに、私が事故に遭ってしまったことで夢を捨てて……最後には見知らぬ女の子を守って死んでしまうなんて。
兄さんらしい最後でもありますが……誰かのために自分を犠牲にし続けた兄さんのことを思うと、今更私だけ元気になって、外の世界を歩きたいなどと、どうしても思えないのです」
「そんなの駄目よ! だって、アナタのお兄さんが……!」
グロリアにその先を言わせてはマズいと即座に反応したのだろう、右京が振り返って自身の口元に人差し指を立てた。グロリアも勢いで口を滑らせてしまったと気付いたのか、自らの口に手を当てて俯いてしまった。
一方で晴子は、グロリアの口ぶりに違和感を覚えたのだろう。訝しむ様な表情を浮かべながら首を傾げている。
「アナタ達は兄のことを知っているのですか? 兄の交友関係の中に、アナタ達のような方は居なかったと記憶していますが」
「いいえ、直接会ったことはありません。しかし、今更ではあるのですが……アナタのお兄さんの遺品の中から、自分の身に何かあった時のためのメモが見つかったのです。お兄さんはアンドロイドの導入できない小さな建設会社の危険な現場仕事についていましたから、万が一のことを想定してアナタにメッセージを残していたようなんです」
「本当ですか?」
「えぇ、少々お待ちを……」
右京は鞄からノートパソコンを取り出して、起動ボタンを押してからキーボードを数度叩いた。べスターの視点から見ると、それは何かのプログラムだったらしい――どうやらAIにアラン・スミスの行動パターンを解析させており、簡単な指示でそれらしいメッセージを即席で生成しているようだった。ものの数秒でそれなりの分量の遺言が生成されたため、まさかこの場で捏造されたものだと気付ける人間はそこまで多くはないはずだ。
「こちらです」
「……万が一俺の身に何かあった時のために、このメッセージを遺す。晴子へ……」
右京が差し出したモニターに浮かぶ文字を、晴子が小さな声で読み上げていく。主には自分が亡くなったことを気に病んでいるだろうが、手術を受けて元気になって欲しいというような無難な内容であったのだが――即席の遺言を読み終わった晴子は、眉をひそめながら首を傾げた。
「なんだか不思議な感じがします。確かに兄さんらしい文でもあるような、同時に兄さんの物ではないような……」
行動パターンを解析しても、百パーセントのトレースは難しい。それに、二年の暗殺者としての生活で、恐らくオリジナルの言動や思考パターンは晴子の知るそれと変化しているはずだ。
ただ、より強力な違和感の正体は、恐らく具体的な話があまり入っていなかったせいだろう。右京は二課に所属しているオリジナルのことしか知らないので、本来ならこういった手紙にあるであろう思い出話などが一切なかったのだ。シンプルな手紙であるのなら、それでも良かったのだろうが――先ほど即席で作ったものとバレないために、下手に冗長にしてしまったのが裏目に出た形だ。
そういう意味では晴子の勘は全く正しい。恐らく、家族として過ごした時間の長さから違和感を覚えたのだろうが――とはいえ、何かの詐欺を働くなら「手術を受けて欲しい」などとは言わないはずだ。晴子もそう思ったのか、「時間が経って、私の記憶が曖昧になっているのかもしれませんね」と自責の念を口にして俯いてしまった。
人の遺言を勝手に捏造した右京の方は、神妙な表情を浮かべながらパソコンを自分の手元に戻し、「ともかく」と切り出す。
「これを発見した我々は、アナタにまずはお兄さんの遺言を伝え……そしてここにあるように、アナタに手術を受けて欲しくてですね……」
「……帰ってください」
右京の言葉を遮って、晴子は再び首を横に振った。
「そのメッセージのことを疑うわけではありませんが、私の考えが変わるわけではありません。もう話すこともありませんから、お引き取りを……」
「……あの!」
今度は晴子の言葉をグロリアが遮った。予想外の方向から大きな声が聞こえたせいか、晴子もキョトンとして少女の方を見つめ――グロリアの方も、きっと何を言うべきかまとまらないまま声をあげたのだろう、彼女自身も困惑した調子で話し出す。
「その、さっきのお兄さんのメッセージでは、キチンと本心を伝えきれてないと思うんです。きっとお兄さんは、無理して手術を受けてくれなんて言えないけど、俺は晴子に元気になって欲しいって……そんな風に思ってるんじゃないかなって」
「……そうですね。兄さんはそういう人でした。あの人はズルい人なので、最後は情に訴えかけてくるんですよ。お前のためだではなくて、俺はこうして欲しいってお願いしてくるんです……だから、兄が存命しているうちは手術も受けようと思ってたんです」
本物と接点のあるグロリアの言葉の方が、偽りの遺言よりも心に届いたのだろう、晴子はようやっと少し穏かな表情を浮かべた。同時に、オリジナルらしい言葉を出した少女のことが気にかかったのか、今度は観察するような視線をグロリアの方へと向けていた。
「先ほどから不思議に思ってたんですが、アナタは……さすがに、事務所の人って訳じゃないですよね?」
「えぇ、いえ、はい……その……」
晴子の質問に対し、グロリアは困ったようにべスターの方へと視線を向けた。先ほど右京が作った設定に合わせて話すつもりなのか。しかしもう少し良い言い分を思いついたに違いない、グロリアは口元を引き結び、べスターの方を指さしながら晴子の方へと向き直った。
「私はこの人の親戚で、今は理由があってお世話になってるんです。それで、今日は無理を言って着いてきました。私も、その……家族と一緒に暮らすことが出来なくって……アナタのことを、他人事と思えなくって……」
嘘の中に真実を混ぜれば説得力も増すものだ。親戚ということ以外は嘘は一つもないし、家族と暮らせないという点も――グロリアの場合は母は存命という点は違いはあるが――晴子と共通しているのも間違いないことである。
何より勝手に深読みしてくれたのだろう、晴子は少女を悼むように視線を落とした。
「……ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって」
「いいえ、良いんです! 確かに辛いこともありましたが、今は充実して生活してますので!
ただ、それはきっとアナタも同じで……今がどんなにつらくても、生きていれば、不思議な出会いがあるかもしれない。それがきっかけで、何かが変わるかもしれない……それを伝えたくって……」
自分としては、グロリアの言葉を肯定したい気持ちはある。彼女の言うことも一つの真理であり、明日には明日の風が吹くのも間違いないことなのだから。
しかし、今の晴子にそれを言うのは酷かもしれない。グロリアの言うことに一理あるということは晴子自身も分かっていても、その上で彼女は生きることより消えることを望んでいるのだから。
恐らく晴子が厄介に思っていることは、自身より年下の女の子に、それも自身と近い境遇の娘にそれを言われてしまったことだろう。頭ごなしにグロリアの言葉を否定も出来ないし、肯定したくない気持ちもある――そんな複雑な心境が、晴子のひそまった眉から読み取れた。
そんな中、室内に涼し気な笑い声が小さく聞こえる――べスターが視線を移すと、右京が珍しく表情を険しくしてグロリアを見つめていた。
「お兄さんと一緒で情に訴えかけるつもりかな? 君みたいに小さい子にそんな風に言われたら、晴子さんだってイヤだ、とは言いにくいじゃないか」
嗜《たしな》めるように穏かにそう言って後、右京は再び晴子の方へと振り向いた。
「大切なのはアナタの意志ですし、我々も無理に再生手術を受けてくれ、とは言えません。つい先ほどまで、アナタは手術を受けるつもりも無かったわけですし、唐突に切り替えるのも難しいでしょう。
逆に、今日結論を出すほど急がなくても良いんじゃないですかね。まだしばらく、入院の費用を払いながらでも、手術を受けられる資金は残っていますから」
「それは、そうかもしれませんが……」
「アナタの気持ちも分かります、なんて言うのも失礼かもしれませんが、幾分かは理解しているつもりです。僕もどうしようもなく、未来への不安に押しつぶされそうになることがありますから」
「……そうなのですか? アナタみたいに若くてして事務所に所属している人なら、将来有望だと思うのですが……」
「それは、周りから見たらそうでしょう。しかし、言ってみれば当たり前かもしれませんが……本人にしか分からない不安というものもあるものですよ。
もちろん、僕の悩みなんかは、アナタの壮絶な経験から比べたら大したことはありません。ただ、悩みや不安というものは、単純に質や量で比べられるものでもありませんから……逆を言えば、不安の無い人はいないと思います。
もし手術を受けて歩けるようになったとしても、晴子さんのこの先の人生も不安と悩みの連続でしょう。やはりあの時に死んでおけばよかったと、何度も後悔することになることもあるかもしれません」
「あの……アナタは手術を受けて欲しくて来たんですよね?」
矢継ぎ早に語る右京に対して、晴子はまた呆然とした様子で口を挟んだ。右京も自分自身に対して驚いているようだ。確かに、いつも余裕綽綽《よゆうしゃくしゃく》で底の知れない感じなのに、先ほどは思いついたまま言葉を吐露していたように見えた。
「すいません、僕も意見がまとまってなくて。こんな風に言われて、手術を受けようだなんて思わないですよね」
「そうですね……ただ、それらしい綺麗ごとを並べられるよりは良いです」
むしろ、少年のまとまっていない言葉こそが響いたのかもしれない、晴子は穏やかな視線を右京の方へと向けていた。しかし、すぐに表情を歪ませ息苦しそうにし始めてしまった。
「ふぅ……すいません、息切れしてしまって。ただ、こんなに長く人と話すのも久々で」
「いいえ、こちらこそ長々と居座ってしまって……そろそろお暇しましょうか?」
「あ、いえ、その……最初に素気無い態度を取っていてこんなことを言うのも恐縮なのですが、もう少しお話したいです。なんというか、不思議な感じがするというか……アナタ達からは、懐かしい感じがするので」
どうやら、晴子は本当に厄介払いをしたかったわけではないらしい。それどころか、晴子は二課のメンバーに興味を持ってくれたようだった。恐らく、グロリアだけでも右京だけでも成功しなかったに違いない――二人がそれぞれ違ったアプローチをしてくれたことで、晴子の閉ざされた心の扉が少しばかり開いたということなのだろう。
ようやっと受け入れられたのが嬉しかったのか、グロリアも椅子を運んできて右京の隣に座り、少々食い気味に身を乗り出している。
「あの、それならお兄さんの話を聞かせてくれませんか!?」
「構いませんけれど……兄のことが気になりますか?」
「その、今回はお兄さんのメッセージを伝えに来たっていうきっかけもありますし……アナタがお兄さんのことを大切に思っていたのも伝わってきましたから。どんな人だったのかなぁと気になりまして」
「そうですね……えぇ、きっとアナタ達が運んできた懐かしさは、私が兄に感じていたものなような気がしますから……」
晴子はグロリアに対してそう微笑みかけると、今度は小さく咳き込んでしまう。
「すいません、喉が乾いてしまったようで……」
「……オレは飲み物でも買ってこよう。みんな、何が良い?」
ここまで成り行きを傍観していたべスターがそう言うと、座っていた右京とグロリアが振り返った。
「僕は甘い炭酸を頼むよ」
「私はコーヒーで!」
「あぁ、砂糖がうんと入っているやつを買ってくるぞ。晴子さんは……ミネラルウォーターで良いかな?」
「すいません、本来ならもてなす立場なのに……お願いします」
むっとした表情のグロリアを尻目に、視線の主は病室を後にしたのだった。
◆
「この時のオレは、自分の情けなさに辟易していたんだ」
病院内の廊下を歩いている映像がブラウン管に流れる傍らで、画面外のべスターがそう呟いた。
「オレはいつでも見ているだけで、若い者達に頼りっきりだなと……それが情けなくて、逃げるように病室を後にしたのを覚えている」
「そんなに気にすることも無いんじゃないか? 若い者同士の方が話が合う場面だってあるだろうし、お前みたいにくたびれた奴が居たからそもそも司法書士って設定も通せたわけだしな」
「くたびれたは余計だぞ……と、確かこの時に……」
べスターが煙を吸い込みながらブラウン管に視線を戻すと、ちょうど売店で買い物を終えたタイミングであり――廊下に出た瞬間、小さなコール音がスピーカーから聞こえ始めたのだった。