B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
旧世界におけるアラン・スミスの最後の光景を見て、エディ・べスターは痛ましい表情を浮かべた。自分の方は冷静だった――どちらかと言えば、臥して見上げるよりも今の方が楽に状況を見れる、くらいの感覚だった。
というのも、自分はこの先の顛末も知っている所が大きいだろう。現在の右京も同じ心持ちなのかは分からないが――未だに高次元存在に手を伸ばそうとしているのなら、多少の紆余曲折や変化はあれど、根本的な部分はこの時と変わっていないと推察できる。
ともかく、這いつくばっているアラン・スミスは、残った右腕で身体を支え、なんとか上を見上げ――寒さからなのか身を震わせている少年を見つめていた。
「……いつから裏切ることを考えていたんだ?」
「そのいつから、というのが何を指すのか次第にはなるけれど……誰かにクラークを倒してもらおうと思ったのは、アナタが改造出術を受けたのと同じくらいのタイミングだ。
その具体的な手段として、第五世代型アンドロイドの警護を掻い潜り、あらゆる困難なミッションを達成するアナタを見つけだし、近づいた……そして絶対のカリスマのいなくなった組織をこれから乗っ取り、クラークのやろうとしていた高次元存在の降臨を自分の目的のために行おうとしている。事の顛末としてはこういうことさ。
裏切り、という点で言えば……難しいな。僕は僕なりに自分の目的を達成するためにいつも動いてきたわけだから。ただ、クラークと結んだように見せかけたのは、ジム・リー暗殺時と同じくらいの時期だよ。彼がアナタをここに運んでくるようにと依頼してきたから、これが僕の目的を達するチャンスになると踏んだわけさ」
「つまり、DAPAのデータベースにアクセスして、追跡されているから保護してくれというは嘘だったのか?」
「いいや、本当だよ。DAPAのサイバーセキュリティに目をつけられていたのは事実さ。ただ、その気になれば足跡を残さないことだって出来た……僕はモノリスとその解析結果を、すでに三年前には誰にも気付かれずに入手していたんだから」
「敢えて二課に入る口実を作ったんだな。しかし、どうして、そんなことを……お前の、目的は何なんだ……?」
アラン・スミスの核心に迫る質問に対し、右京はため息交じりに首を振った。
「ベラベラと自分語りをするのもナンセンスだと思うけれど……でも良いか、こんな最低なことを引き起こした理由が分からなければ、先輩も気持ちが悪いだろうしね。
僕の目的は……この世界から完全に消滅することだ。その手段として、高次元存在を滅ぼす。そうすれば魂はこの世界から消滅し、永遠の苦しみから解放されるんだ」
真意が分からなかったのだろう――今の自分ですら、未だに彼の心の底は分かりかねるのだから過去の自分が困惑するのも無理もない――虎は押し黙ったまま少年を見つめ続けた。その視線に居心地の悪さを感じたのか、少年はまた首を振り、臥す虎から視線を外して口を開いた。
「分かっているよ、死にたいなら勝手に野垂れ死ねばいいって思うだろうし、そんなことに周りを巻き込むんじゃないと、そう言いたいんだろう? 僕だってそれは重々承知さ……でもね、星右京という男の器が滅びるだけじゃ、魂の苦しみは終わらないのさ。
器が死を迎えると、知的生命体に宿っていた魂は原初へと還り、再び肉の器に生を受けて生まれ変わる……高次元存在が存在する限りね」
本来なら、そんなものは迷信だと言ってやりたいところだが――今、自分とべスターが置かれている状況こそが、皮肉にも少年の言葉が真実であることを裏付けている。自分たちは輪廻に取り込まれずに残ってこそいるものの、器が死ねば魂は高次元存在に引き寄せられ、このような人知の及ばぬ空間へと辿り着くのだから。
「以前にも同じようなことを話したけれど……僕は幼いころから漠然とした希死念慮に苛まれていた。楽しいことや嬉しいことが全くない訳じゃないけど、それ以上に苦しみの多い世の中。戦争による政府の失墜と、DAPAによる経済と情報の寡占から世間にも停滞感に溢れて、明日に生きる希望を見いだせない時代……世間には絶望が溢れている。
そう、僕だけじゃなく、誰もがこの苦しみから脱却を求めているんだ」
「……お前から見た世界はそう見えるかもしれないが……全部ってわけじゃないだろう」
「本当にそうかな? 先輩だって、つい先日死にたがっていたじゃないか」
「お前が道を示してくれたんだ」
「違うよ。クラークとの決戦を前に、精神的動揺があると困るから、心にもないアドバイスをしたに過ぎない……仮にアレが僕の心からの激励だったとしてもだ。きっと先輩はこの先何度も傷つき、何度も世界に絶望することになる……言っただろう、ポジティブな感情なんて一時のものだと」
「俺は……」
「絶望したことがないとは言わせないよ。もちろん、アナタは立派だ……急に両親を失って、妹の医療費のために夢を諦め、見知らぬ誰かを助けたと思ったら暗殺者なんかやらされて、その傍らで誰かを救っていたんだから。
そう言う意味じゃ、アナタは何度絶望しても立ち上がるだけの強さがある。それは認めるよ。でも、皆が皆、アナタみたいに強い訳じゃない……誰もが不屈のヒーローになれるわけじゃない。
それに、換言すれば……何度も絶望の淵から立ち上がったってことは、それだけアナタが傷ついたことには変わりないじゃないか」
少年の畳みかけるような言葉に対し、過去の自分は視線を落として押し黙ってしまった。クラークのように攻撃的な相手なら――自分を知らない相手になら、いくらでも言い返すことはできる。人の意見など相対的なものであり、反対の立場からなら無限に言い様など出てくるからだ。
対して少年は、こちらのことを知りすぎている。冷静な傍観者たる今の自分からしてみれば、今はお前の目的の話をしているのであり、論点をすり替えるんじゃないの一言で済むのだが、如何せん信用していた仲間に裏切られたショックで頭が回らなくなっており、過去の自分は反論する余地を失ってしまったのだ。
そんなアラン・スミスを見かねてか、少年はまたため息を一つ、「僕の目的の話だったね」と前置きを置き、暗い海を見ながら話しを続ける。
「以前言ったように、独学でハッキングを学んだ僕は、丁度アナタと同じように……自分が望まぬ方向性で意外な才能を発揮した。
それで、DAPAのデータベースへのアクセスにチャレンジしてみたのさ。結果として、その時には痕跡を残すこともなかったし……モノリスの解析結果を見たのは偶然だった。
だけど、そこで見た事実に、僕は衝撃を受けたんだ。高次元存在という人の尺度で表せない存在は確かに居て、世界に意味を見いだせだなんてふざけた命令の元、僕らの魂は永久の輪廻を繰り返し、何度も何度も肉の器に封ぜられる……つまり、死は一時に休息にしかならず、生の苦しみは無限に続くことを意味するんだ。
そう言う意味では、古から続く伝承は、人の本質を的確に表現していたと言っても良いだろう。ある宗教によれば、その目的は輪廻から脱することだという……無限に繰り返す生という苦しみから脱するには、輪廻の輪から抜け出すしかないと。
しかし実際には、悟りを開いたところで輪廻から逃れることはできない。そもそも、人が真の意味で悟りを開くのが不可能なのかもしれないけれど、そういう言葉遊びの範疇ではなく、実際問題として魂の管理者たる上位存在がいる限り、僕らは何度でも生まれ変わってしまうんだ」
少年は言葉を切り、演説を続ける自らを呆然と見つめる虎を高い位置から見下ろした。
「つまり、この生の苦しみから脱するには、上位存在を滅ぼすしかないんだよ。上位存在は僕らの魂を管理するのと同時に、全ての魂が還る場所でもある……つまり、上位存在を消し去ることに成功すれば、僕らは永久の輪廻から……生の苦しみから解放されるんだ」
「ちょっと待て……高次元存在とやらを消し去ったら、お前どころか……」
「あぁ、全ての生きとし生ける者がその魂を消失させるはずさ。実際に見た訳じゃないから、絶対とは言えないけれどね。
恐らく、高次元存在が消滅しても、この宇宙に生物は残り続けると思う。ただ、それは肉の器というシステムが、遺伝子に刻まれた機械的な情報のままに繁殖し続けるというだけで……知的生命体と呼ばれた生物たちは自我を崩壊させ、言葉は意味を消失し、本能のままに生きるようになる……そこに巡り続ける魂は介在しなくなる。
人の苦しみの源泉は、結局のところ肉の器に魂が宿ることにある。ただ生きているだけなら、本能のままに肉を食らい、来るべき時に死ぬだけだ。仮に魂だけならば……彼我の差に苦しむことも、本能と理性との葛藤に悩むこともない。
ただ、これら二つが融合することにより、魂は苦しみ、絶望するようになる。高次元存在は僕らを観察するため、人に永劫の苦しみという枷を授けている。僕は、その不毛なループを終わらせようと思ってるんだ」
実際の所――自分も何度か考えたことがあるが――高次元存在も大概だとは思う。人の所業に換言するのならば、箱庭に動物を押し込め、それらを観察して何かを見出そうとしているのと同義だろう。
そこに関する善悪や意義は置いておくとしても、お高くまとまっており、箱庭の中にいる者たちの気持なんか無視しているという点では、ひとまず良い趣味とは言い難いのは間違いない。
とはいっても、右京のやり方は余りに過激だ。自分が世界から消えたいが余りに、全ての命を巻き込む様なやり方が許されるわけでもない。高次元存在など悪趣味な観測者であるだけであり、自分たちが生きている分には無害なのだから。
そして、自分の知る星右京という存在は、デイビット・クラークほど超然とした人物ではない。冷静沈着で思慮深く、それはある意味では冷たい人柄ととらえられなくもないが――人としての善性が全くない訳でもないはずなのだ。その彼が全ての人の魂を巻き込むなどと過激なことを思いついたとして、実行できるものなのだろうか。
「……もちろん、何度か悩んだよ。ただ一人の我儘で、全人類の未来を決めてしまって良いのかと。それでも、やはり最後にはいつも同じ答えにたどり着くんだ。良き人も悪き人も、いつも何かと戦って疲弊している。
それは目に見える暴力かもしれないし、餓えや寒さなどの物理的な苦しみかもしれない。もしくは、それは目に見えない何かかもしれない……承認欲求や彼我との差異からくる劣等感、他人からの不理解とか、そういった類のね。
どうあっても、誰も彼もが自分の不幸を自覚しているのに、肉の器の持つ生存本能に惑わされて、何となく日々を過ごしているだけ。自分はもちろん、僕から見たら幸せな人なんて一人もいなかった。
道行くときにすれ違う若者たちが笑っているのも、幼い子を連れて夫婦が幸せそうに歩いているのも、そんなものは一時の感情に過ぎない。人生の多くは苦しみとの戦いであり、刹那の慰めで気を紛らわしながらも老いていき、最後には消失への恐怖に怯えることになる……そんな人の生というものが、僕にはどうしても素晴らしい物には思えなかった」
右京は虚ろな目で漆黒の海を眺めており――対する過去の自分は段々と薄れゆく意識の中で、今日はイヤに饒舌だななどと思っていたはずだ。普段は自分をなるべく出さないようにしている右京がここまでベラベラとしゃべるのは、ある種の自己弁護なのだろうと推察される。
起爆スイッチを持つその手が震えていたのは寒さからではない。自分が初めてローレンスを暗殺した時と同じように、コイツは自分の勝手で誰かの人の命を奪うことに恐怖を覚えていたのだ。自分が右京が起爆スイッチを押すことを予測できなかったのは、その行動に最後まで迷いがあり、明確な殺意が読み取れなかったからに他ならない。
ある人から見れば、それは浅はかと映るかもしれない。後悔するくらいならやらなければ良いだけ――だが、星右京はそんなことは分かっていて、今回の暴挙に出た。もっと言えば、他人から非難されることを恐れる少年が、それすらも呑み込んで虎を殺したのだ。
ともかく、言い訳はここまでと決めたのか、少年の虚ろだった瞳に宿り――大きく息を吸い、臥す虎を見下ろした。
「だから、次元の超越者に教えてやるんだ。お前が見出そうとした意味なんてものは、結局は存在しなかったんだと……奴らに滅びという終末をもたらして、宇宙に永久の沈黙を下ろし、自身も永遠に消滅する……これが僕の目的だ」
右京の目的は、確かに高次元存在に対する最大限の反抗と言えるかもしれない。それは、ある意味ではクラーク以上の暴挙とも取れる――老人が目指したのは進化の到達点であり、そこに彼自身は何か意味を見出していたに違いない。そういう意味ではクラークの行動は高次元存在の意図から大きく逸脱した存在では無いとも取れる。
対して少年の目的は、宇宙に意味を見出そうとした高次元存在の思惑を根幹から否定してするものだ。老人の望む進化と少年の望む消滅――二人の運命の抵抗者が取った手段は、高次元存在を降ろすという点では共通しているものの、目指す点は全く異なる。世界に意味を見出そうとして人を成したのに、人に無意味を返されるというのは――人を創造した神に対する最大限の侮辱であり、最高の抵抗と言えるだろう。
しかし、少年は本当に生の全てを無意味と思っているのか? 自分からはそうは見えなかったし、そうであって欲しくないことがこの時の自分には一点だけあった。それは――。
「晴子のことも……無意味だったと言うのか?」
息も絶え絶えの虎の質問に対し、少年は動揺して肩を揺らしたようだ。しかし、またすぐに落ち着きを取り戻し、いつもの落ち着いた調子で話し始める。
「晴子のことを大切に思っているのは嘘じゃない……それだけじゃない。二課で過ごした日々だって、充実したものだったって言うのは本当なんだ」
「それじゃあ、どうして……」
「……僕の意思が変わらなかったのはね、先輩が原因だよ」
「おれ、が……?」
虎の質問に対し、少年はゆっくりと、深く頷き返した。
「確かにアナタを見て、僕は何度かこんなバカなことは止めようと思い直した。世界には悪い人だけじゃない、こんなにも素晴らしい人がいるんだと……それが僕の希望であり、同時に絶望だった。
アナタを見ていると、僕はどうしようもない劣等感にさいなまれるんだ。どんな絶望からも立ち上がる不屈のヒーロー。いつかの日に憧れた、物語の中の登場人物が飛び出してきたかのような存在……そして、決して手の届かない存在。
べスターさんもグロリアも、クラークも……そして晴子も。いつもアナタばかりを見ている。彼らの人生に、多大な影響を与えている……僕なんか比べ物にならないほどにね。それがどれだけ羨ましかったことか。どれだけ悔しかったことか。
一方的な当てつけだってことは重々承知だよ。でもね、アナタの強さを目の当たりにするたびに、僕はこんな強くて優しい人にはなれないと思い知らされるんだ。絶対に追いつけない背中を見るたびに、自分という存在がやはり矮小で、卑屈で、それに嫉妬している自分がどれだけ卑しい存在かを思い知らされる。
同時に、こんな自分なんか、やはり世界に存在していてはいけないんだって……アナタを見ていると、消え去りたい心地がどうしても拭えなくなるんだ」
右京の声は、低く無感情なものだった。激昂しそうになるのを理性で抑えているのか――というよりは、泣きそうになるのを何とか抑えている、という方が正確かもしれない。
やはり、自分の考えは正解だったと言える。右京は世界に真の意味で世界に絶望しているわけではないのだ。アラン・スミスが誰かに影響を与えているのを羨むというのは、少年自身が他者との繋がりを希求していることに他ならないからだ。
他者から隠れるように生きていて、同時に誰かに認めて欲しいなどと言うのはまったく我儘だとも思うが――ともかく、抱えていたコンプレックスを吐き出して少しすっきりしたのか、右京はいつもの落ち着きを取り戻したようだ。
「最後に、これだけは言わせてくれ。僕がアナタを尊敬している気持ちも本物なんだ。同時に、アナタにはたくさん、自分でも見えていなかった部分を引き出された……話していて、アナタほど心地よい人も居なかった。
だからこそ……もうアナタに休んで欲しいと思ったのも確かなんだ。クラークが倒れても、DAPAが解体されても、国際機関の闘争が落ち着いても……その後は? モノリスの力で進化した人々は、今度は宇宙でも戦争が繰り広げられるだろう。
そうなった時、きっとアナタは、見知らぬ誰かを一人でも救うために戦い続ける……救われる側だって禄でもない矮小な人間で、誰かを平然と傷つけられるのに関わらず、アナタは誰かのために傷つき続けるんだ。
そんな理不尽の輪からアナタを救い出すには……アナタのような良き人の魂が、弱者によって利用されないようにするには、この世界を無に帰すしかない。もはや、こんなことを言っても、ただの自己満足にしかならないけれどね……」
自己弁護はそこで終わり、血に臥した虎は呆然とした様子で少年を見つめていた。過去の自分は今ほど冷静でなく、ただ――自らの死が近づいていることだけは分かっており、泣きそうな少年を救う力が既に自分に無いことだけは自覚していた。
「なぁ、右京……」
「どんな罵詈雑言でも受け止めるよ」
「晴子のことは、どうするつもりなんだ……?」」
「どうもこうもしない……もう彼女に合わせる顔もないからね。もう二度と会わない、それだけさ」
「……俺のことで、気に病んでるなら……気にすることは無い……もし、思い直す気があるのなら……晴子と、一緒に……」
「……なんだって?」
アラン・スミスの言葉に、右京は訝しむ様な表情を浮かべる。結果から見れば、自分が言ったことは大失敗だった訳だが――何も全く考えなしに言ったわけではない。
「お前の悩みは、お前にしか分からないだろう……それを、分かるなんて言わないさ。しかし……お前の言っていることが、全部が本心とも、思えないんだ。
きっと、誰かといれば……気の持ちようも、変わることもあると思う。もしかしたら、幸せも、見えるかもしれない……だから……晴子を大切に思ってるのが、嘘じゃないなら……俺の妹を、頼む……」
「アナタっていう人は……! 大切な兄を殺した僕が、彼女と一緒に居られるとでも!? アナタは、自分がグロリアにしたことを、僕にもやらせようっていうのか!?」
「……言わなけりゃ、バレはしないさ。俺は、元から死んでたんだからな……」
「そんな、できるわけがない……僕のような悪人が、誰かと一緒になって、幸せを見つけるなんて……」
虎の言葉に対して、右京はあからさまに狼狽しているようだった。ここまで取り乱しているのは見たことが無いと言えるほど――少年としても、まさか自分が手をかけた相手に、こんなことを言われるとは思いもしなかったのだろう。
自分の考えとしてはこうだった。少年の心を救えるのは、ただ孤独にならないというということ以外にあり得ないと――結局彼の自己肯定感の低さを癒すには、彼を肯定する誰かが必要なのだと。
もちろん、この後の星右京の行動を鑑みれば、自分の提案は失敗だったと言える。右京は思い直すどころか晴子を巻き込んで旧世界を滅ぼし、あまつさえ女神レムを消し去ってしまったのだから。
しかし、この時の自分には――正確には今でさえ――星右京という少年の心には常に迷いがあり、どうしようもない葛藤の中で苦しんでいるのだという考えがあった。
その証拠として、恐らく右京は、この後にも何度も思い直そうとしたに違いない。たとえば、第九代勇者として世界を救おうとしたのは――それが彼のマッチポンプであっても――自身が勇者として務まるのか試したのではないかと思う。
結果としては、それは失敗に終わった。結局右京はソフィアの期待に耐えられず、彼女の記憶を改竄する道に逃げたのだから。何より――右京が非情なコンプレックスを抱える原初の虎の出現が、自らが勇者にふさわしくなかったという事実を突きつけてしまったのかもしれない。
他にも、晴子を迎えに行った時や、子を成したとき時など――コイツなりに世界に希望を見出そうと試行錯誤したことは何度かあったのだろう。それでも、たとえば――シンイチという器が他の七柱にバレなかったのは、晴子の事故後の身体では産めなかった、などの理由があったのかもしれない。
希望を見出そうとする度に、右京はそれを上回る絶望に見舞われ続けたのではないか。それが彼の希望を何度も裏切り、同時に少年の言うところの「幸せなど刹那の幻」を何度も肯定し続けてきたのではないか。
彼が犯した罪の重さを考えれば、救われるべきというラインはとうに超えてしまっているのも間違いない。そもそも、世界を巻き込んで自殺をしようだなんて考えるのは碌な奴じゃない、の一言で済む話だ。
しかし、それでも――。
「……右京、お前は……本当に…………」
「馬鹿なやつだよ……」
力尽きた過去の自分の代わりに、今の自分が言葉を続けた。消えゆく意識に合わせ、屋上の情景が徐々に消え去っていき――最後に聞こえたのは、うろたえる様に「先輩」と呼ぶ右京の声と、いつの間にか屋上へ到着したらしい、何かと喚くリーゼロッテの叫び声だった。