B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~   作:五島七夫

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The Blooming and the Tiger

 その気になればこちらの頭など簡単に握りつぶせるのだろうが、趣味の悪いルーナのことだ、少しいたぶってやろうとか思っているに違いない。だが、動けるうちは抗える――前も見えないまま相手の巨大な図体に向かって蹴りを放つ。

 

 しかし、その抵抗も無駄に終わった。足は何も蹴り抜くことも無く、強い力に握られ、そのまま痛烈な痛みが走り、足に全く力が入らなくなってしまった。強靭な握力に右足が握られ、骨が砕けてしまったのだろう。

 

「ティア!? 貴様、ティアを離しなさい!」

「くくく……無駄よ無駄無駄。たかだか第六世代型の筋力を補助魔法で強化した程度の威力では、この身体を傷一つつけられんわ!」

 

 恐らく、アガタがルーナに対して抵抗してくれているのだろうが、全く届いていないようである――友の悲痛な叫びに対し、ルーナは余裕綽々という調子で声を上げてくる。

 

「さて、クラウディア・アリギエーリ……さんざ妾に向けて倒してやるとか、仇だとかのたまっていたな? どうじゃ、こうやって掌の上で踊らされる気分は」

 

 ルーナは気色の悪い声をあげているが、足の痛みで頭がいっぱいになり、ほとんど聞き取ることは出来ない。それどころか頭部を握る力も徐々に強まり、それに合わせて今度は左腕が強い力で握られ、右足と同じ末路を辿った。

 

「うぁぁぁ……!」

「はは! いい叫び声じゃ! もっともっと悲痛の叫びを聞かせてくれ!」

 

 あまりのダメージのせいか自分の呻き声もどこか遠く感じられ始めた時、今度は腹部に重い物が走った。すぐに内から何かがせり上がり、行き場のなくなった何かが口や鼻からあふれ出て――もはや痛みすらも感じなくなってきた。

 

 微かにルーナの笑い声だけが聞こえてくる――それに対する怒りは確かにある。だが、身体に蓄積されたダメージのせいで、その怒りすらも段々と薄まってきてしまった。悲しい訳でもない、諦めたい訳でもない――だが、肉の器が終わりへと近づき、全ての感情が消失しようとしている。強力な引力が働いて器から魂が剥がされ、あるべき所へと近づいているのだ。

 

(クラウ……ごめんよ……)

 

 君が帰るべき場所を自分は守れなかった。仲間たちと再会を果たし、もう少しでアランを取り戻すことだってできたかもしれないのに。クラウディア・アリギエーリという器は限界を迎え、半人前で繋ぎとめていた魂すら原初へ戻ろうとしている――。 

 

「なんじゃ、もう叫べんか? それなら、次は……ぬぅ!? イスラー……」

 

 身体の拘束が解かれ、自分の体が地面へと投げ出された。同時に、アガタの声が近くから聞こえ、身体が楽になる感じはあるのだが――既に処置は遅かったのかもしれない、視界は依然真っ暗で、身体の感覚はほどんどなく、ただ意識が底へ底へと沈んでいく。

 

 そして落ちる所まで落ちた時、先ほどまで鳴り響いた全ての音が消えた。同時に浮遊感、水面に浮きながら川へと流されるような感覚で、魂が引力に任されるがままどこかへと引きずり込まれ――。

 

「……ティア」

 

 遠い日に大切な半身が名づけてくれたその名を呼ぶ声がした。

 

 ◆

 

 この場所を彷徨い始めてからどれくらいの時間が経っただろうか? 一年か、五年か、百年か、はたまたつい先ほどの出来事だったのかもしれない。ともかく既に時間の感覚などなく、ただひたすらに暗闇の中を歩き続けていた。

 

 本当は歩く必要などないのかもしれない。この暗闇を抜けるための努力などしなくても良いのかもしれない。きっとその場に留まっていれば迎えが来て、然るべき処置が行われる。それは恐ろしいことではなく、きっと当たり前のことでもある。

 

 それでも自分がこの暗闇の中を歩き続けていたのは、このまま終わってしまってはならないという不思議な使命感からだった。ずっと誰かが自分のことを呼んでいる気がして――ここに来るのにやるべきことはやったという確信もあるのだが、それは消極的な解決方法であり、自分が真に望んだ結末でもなかったように思う。ともかくここから抜け出して、自分を呼ぶ声に応えたいと思い、なんとか出口を探しているのが現状だった。

 

 こんな抽象的な考えしか出てこない理由は明確で、自分が誰で、何故ここに居るのかもわからないせいだ。自分が漠然と抱いている使命感も焦燥感も、記憶がない故にその原因を断定することは出来ない――強いて分かることを一つだけ挙げるとするのなら、延々と同じような所を繰り返し巡っている自分は方向音痴と言うことくらいだった。

 

 空腹にならないのは不幸中の幸いだし、同時に足も疲れることは知らない。しかし洞窟の中のような暗闇のせいで昼なのか夜なのかかもわからないし、暑さも寒さもないので、時間的な感覚はまったくない。そうなると今が何時なのかも分からないし、どれだけ自分がここを彷徨っているのかも不明だ。

 

 もしここに来る前の記憶があったとするのなら、もう少し幸福だっただろうか? 原因の分からない焦燥感にだけ駆られ、ただ歩き続けているということは、あまり良い状態とは思えない。いや、逆に記憶があったとしたら、この場にいる原因が浮き彫りになり――それはあまり良い理由ではないはずだ――余計に心を砕くだけの結果を招いていたかもしれない。

 

 何度も何度も諦めようと思った。この場は行き場のない袋小路なのであり――同じところを周ってしまっているのかもしれないが――どれだけ歩いても徒労にしかならない、そんな風に思ったこともある。もしかすると自分ではどうする事もできない大きな奔流があって、抗うことなど無駄なのかもしれない。

 

 それでも自分が歩みを止めなかったのは、やはり自分を呼び続ける微かな絆を感じ続けていたから。暗闇の向こうから聞こえてくるその声はあまりにも小さく、その言葉を聞き取ることは出来ない。それでも懸命に、諦めることなく、自分を探し続けてくれている誰かがいる気がする――その人に報いたくて、その小さな希望を頼りに、折れそうになる心を何度も奮い立たせて歩き続けた。

 

 だが、それももう限界に来ていた。身体に疲労は無くても、心には蓄積する。長い孤独が心を蝕み、明けない暗闇が魂に闇を落とす――もう限界だった。この不思議な世界には自分以外も存在する気配は確かに無数にあるのだが、同時に誰とも話すこともできないし、見ることもできない。

 

 もしかしたら本当は暗いのではなく自分が盲目となっており、本当は無音なのではなく自分が聾者となっているのかもしれない。ただ、そんなこともどうでもいい――自分は無の中でただ孤独であり、求めてくれている声に応える事もできないのだから。

 

 その場にへたり込んで膝を抱き、瞼を閉じて深い影の中に沈殿していく――そうしていると不思議なほどに心は穏やかになってきて、今まで歩き回っていたのが馬鹿らしくなってくる。そうだ、別にあるべき場所へ還るだけ。別に恐ろしいことは何もないのだ。

 

『……ウ……ごめ………』

 

 ふと、自分を呼び続けていた微かな声が聞こえてきた。とはいえ、結局何を言っているのか聞き取ることは出来ない。いつもと違って、その声には力が無い。声の主は疲弊しているようであり、出来ればその側へと寄って励ましてあげるべきなのだとも思うのだが――。

 

(……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……もう、疲れてしまったんです……)

 

 アナタが呼ぶから抗ってきたけれど、もう足を動かすことはできない。私のような人を求めてくれるから戦ってきたけれど、もう心を奮い立たせることは出来ないから。アナタも随分と疲れ果ててしまっている――それなら、お互いに全てを終わらせてしまうのが良いのではないか。

 

 そんな風に全てを諦め、抗うことを止めようとしたまさにその時のことだった。

 

「……こんなところに居たんだな。随分と探したぞ、クラウディア」

 

 突然何者かに肩を掴まれ、驚きのあまりに顔を上げる。視界はまだ暗くはあるのだが、声はしっかりと聞こえた。それはなんだか聞き馴染みのある男性の声だった。それに――。

 

「クラウ……ディア」

 

 彼の口から紡がれたその音に奇妙な懐かしさを覚えて、思わずそのままおうむ返しをする。正面にいるはずの彼は、恐らく頷き――彼の背後に急に縦一閃の亀裂が現れ、そこから徐々に光が漏れだしてくる。

 

「あぁ、それが君の名前。クラウディア・アリギエーリ……俺の大切な仲間の名前だ」

 

 彼がそう言った直後、暗闇の亀裂が一気に広がり、世界に色が戻ってきた。夜の闇が振り払われ、暁に染まる空と、その光を受けて光る黄金色の海に――そして正面でこちらに向けて微笑む男の子の顔が一気に視界に入ってきた。

 

 自分は彼を知っている。私にとって凄く大切な人で――その顔を見た瞬間、先ほどまで鉛の様に重かった心が羽のように軽くなった。

 

「……アラン君?」

 

 思い浮かべた名前に対し、彼は満足そうに頷いた。自分の名前と彼の名前が明確になり、ぼんやりとだが彼とのことが思い出される。出会った当初は変な奴と思っていたこと、意外と頼りになる所が見えてきて、色々と一緒に馬鹿なことを話せて、趣味も合いそうで、それで、気が付けば――。

 

 そこまで思い出した瞬間、一気に記憶が鮮明になった。頭に稲妻が走るかのように記憶が流れ込んで来たせいでビックリしてしまい、思わずその場で立ち上がった。

 

 改めて見れば、ここは彼との思い出の場所だった。海都の高台にある公園――彼が迷子になった自分を見つけてくれた場所。そして一緒に立ち上がったアランの方を改めて見ると、その出で立ちは以前と変わってしまっている――左手と右足は何やら機械になっており、顔も所々剝げ落ちてしまった皮膚の下には金属的な質感の何かが見える。

 

「わ、私……アラン君、どうしてこんなところに!? それに、その身体は……!?」

「話すといろいろあるんだが……一言で言えば、俺も高次元存在に取り込まれたんだ」

「そんな……私、皆を護れなかったんでしょうか……」

 

 自分の持つ最期の記憶は、モノリスに呼ばれて魂を捧げ、ピークォド号に結界を張ったというものだ。恐らくアルジャーノンの魔術は防ぎ切れたとは思うのだが、如何せん結果まで見届けられたわけではない。そうなると、もしや自分の力が足りずに皆やられてしまったのかも――そう思って不安になっていると、アランがまた微笑みながら首を横に振った。

 

「いいや、あの時は君のおかげで助かったんだ。その後にな、ちょっと高次元存在に蹴りをかまして……」

「はぁ!? 主神になんてことしてるんです!? 馬鹿なんですか!? アラン君なんですか!?」

「いや、やんごとなき事情があって……いやいや、だから人のコードネームをさらっと暴言にするのは止めてくれないか? 気に入ってるんだからさ」

「ごめんなさい、私も混乱していて……」

 

 気持ちを落ち着けようと呼吸を整え――別段酸素が必要という訳でもないのだが、動作は心と連動しているから、多少は落ち着いた気にはなる――改めて顔を上げると、アランは辺りの景色を見ながら申し訳なさそうに後頭部をかいていた。

 

「ともかく、ここには君も居るって確信もあってな。ただ、ずっと暗がりの中で、しかもここには魂が無数に存在しているからな……すぐに見つけられなかったんだ」

 

 ここには魂が無数に存在している。それはどういうことなのか。いや、自分は高次元存在に魂を捧げたのだから、ここは死後の世界のようなものか。公園の端まで移動して坂の下を覗き見ると、確かに自分たち以外にも多くの魂がここには存在しているようである。自分たちと違うのは、彼らは夢遊病者のように虚ろな状態で徘徊しているという点だ。

 

 それを目視してから状況を一気に把握できた。正確には、自分が体験していない、本来なら存在しないはずの記憶が脳裏に浮かんできたのだ。

 

 この場は魂が還る場所ではあるが、多くの魂が星右京によって囚われていること。自分は星右京によって拘束されていた訳ではないので輪廻の話に取り込まれるはずだったのが、自分がそれを拒否していたこと。それに、彼が一年もの間自分を探してくれていたことなど――この場の状況は理解することができた。

 

 そのほとんどが抽象的なイメージから浮かび上がったものだが、中には言語化されており――たとえば星右京という名詞や一年間という具体的な期間など――恐らくこれらの記憶は、半分は高次元存在が自分に対してイメージを送ってくれており、残り半分はきっと――。

 

「……アラン君が悪い訳じゃありません。でも、どうして一年もの間、私を探してくれていたんです?」

「うん? 一年経っていたのか。いや、君はどうしてそんなことを……」

「主神の声が聞こえたり、その他いろいろあるんですが……それで、教えてくれませんか?」

「……ここで約束しただろう? 君が迷子になったら、何度でも探してやるってさ」

 

 アラン・スミスは自分が予想した通りの笑顔を浮かべて、自分が期待した通りの言葉を口にした。それが凄く嬉しくて――彼の顔をもう一度見れただけでも、輪廻の輪に還らずに抗い続けていた甲斐があったようにすら感じられてくる。

 

 自分が嬉しかったのは、彼が約束を覚えてくれていたこと以上に、私がここにいると確信して、諦めずに探し続けてくれたことだ。きっと彼のことだから、他意はないのだろうが――それでもきっと、私のことを大切と思ってくれているから探してくれていたのだろう。

 

「あ、あの、その……ありがとうございます」

「はは、気にすんなって……それで、主神の声が聞こえるっていうのは?」

「モノリスに呼ばれた時もそうだったんですが、頭にイメージが浮かんでくるというか……アラン君にはそういうのは無いんですか?」

「滅茶苦茶におぼろげながらに何となくこうなんじゃないか、くらいまでしか分からないな……それで、外の世界はどうなっているか分かるか?」

 

 アランに対して頷き返し、自分が把握している範囲で端的に外の状況をまとめ伝えた。話しているうちに、今自分が彼に話している記録には、やはり高次元存在からのメッセージ以外に誰かの記憶が混じっているという確信を得てきた。

 

 そしてそれが誰のものだかも推測はできているのだが――現世の状況が芳しくないという状況を聞くにつれて、アランは辛そうに眉をひそめていた。自分は彼と世界の最果てで再び出会えて嬉しいのに――自分と彼との温度差に、温かくなっていた心が冷めきってしまう心地になる。

 

「……どうして、そんな顔をしてるんですか?」

「元はと言えば、この世界に厄介ごとを持ち込んだのは、ある意味では俺の責任でもある」

 

 そんなことを言うのは止めて欲しい。私の悪い癖が出ているのも分かっているが、同時に彼の悪い癖も出てきている。別に彼が悪い訳じゃないのに、そうやって一人で全部しょい込んだ気になって――彼はいつも私のことを蚊帳の外に置く。

 

 もちろん、一度はルーナに心を砕かれるのと同時に彼の真実を知り、一度は彼に向かって拳を振るったことだってある。それに、彼が自分の信仰の対象になってくれれば良かったと考えたことだってある――彼は間違いなく格としては創造神達と並ぶ一柱なのであり、彼が自分の新しい祈りの先になってくれないかと――だがやはり、それはあまりしっくりこない。

 

 その原因は、自分は彼のことを神と見ることがどうしても出来ないからなのだろう。アラン・スミスは凄まじい技と過去とを持っているが、精神的には一人の男の子だ――くだらないことを言って笑い、カッコいい機械を見て興奮して、しかも年相応にスケベでもある。

 

 もちろん、年相応以上にくたびれてしまっている部分もある。ただ、それはきっと旧世界での戦いの中で精神的に疲弊していっただけで、望んで今のようになっているわけではないのだ。それなのに――。

 

「一年前も、一万年前も、右京を止められなかったのは俺だ。だから……」

「……いい加減にしてください!」

 

 気が付けば、彼の頬に自らの平手が飛んでいた。ここは三次元空間とは異なる理の基に存在するため、音も出なければ感覚もない。それ故に叩いた感触も無かったのだが、気持ち的には思わず身体が動いていたのだし、同時に彼の方もある種のダメージを負ったようで、叩かれた左の頬を抑えている。

 

「自分だけが悪いみたいに言わないでください! 自分がどうにかすれば世界が変わるなんて、酷い傲慢です! 原初の虎だとか邪神ティグリスだとか言われて、調子に乗っちゃってるんじゃないですか!?

 もちろん、アラン君が誰よりも一生懸命に戦ってくれてたのも知っています。でも、それで誰よりも傷ついて、誰かの悪意を自分のせいにしているなんて……凄く理不尽じゃないですか……」

 

 感情がぐちゃぐちゃになって、叫んだりわめいたりした挙句、最終的には泣きたい気持ちになってしまった。ただ、今のはずっとアラン・スミスに対して抱いていた自分の思いであったのは確かである。

 

 そもそも、彼が悪いことなんて一つもない。悪いのは、悪意をもって他人を踏みにじった者であり――時にそれは悪意などですらなく、私自身がそうであるのと同じように、世界において耐えきれない苦痛に対してヒステリーを起こしているだけなのかしれないが――何にしても、ただ一人の男の子が、宇宙に蔓延る悪意を一身に背負って戦い続けるだなんてあまりにも悲し過ぎる。

 

 なのに彼は不満など一つも言わないし、そうであるのが当然のように振舞う。それは、彼が優しいのもあるのだが、同時に彼は誰にも期待していない事の証拠であるようにも思う。自分はこんなにも大切に思っているのに、それが釣り合っていないことが滅茶苦茶に悔しくて――。

 

「……分かってる、分かってるんです。私が至らないから、アナタは私を頼ってくれないんだって」

「クラウ……」

「突然叩いてごめんなさい……でも、悔しかったんですよ。本当はアナタの隣に立って、一緒に戦いたいのに、アナタは私のことを見向きもしてくれないんですから」

 

 きっと顔を上げれば、彼は困ったような顔をして「そんなことはない」とでも言うだろう。実際、全く頼りにしていない訳ではないはずだし、部分的には自分が彼の側に居たことの価値だってあったはずではある。

 

 ただ、鈍い彼は気付いていないのだ。自分が重要視しているのはそういった物理的な話ではなく、もっと精神的なものであるということを。彼が一人で全てを背負わなくても良いように、辛い時には一緒に泣いて、楽しい時には一緒に笑いたい――そういったもっと根源的な部分で対等に居たいだけなのに、彼はそれが自身に許された権利でなく、何かの贖罪と言わんばかりに誰かのために戦い続けようとする。

 

 そんな彼に対してどうすれば良いのか分からず、ただ子供のように喚き散らしていただけなのもまた自分だ。俯瞰してみれば自分たちは結局、互いに自分の感情や願望を押し付け合っていただけなのかもしれない。もっと言えば、アラン・スミスは経験則的に、人と言うのは所詮そういうものであり――根源的に分かり合えないという達観をしてしまっているのかもしれない。

 

 ならばこそ、変わらなければならないのは自分だ。他人というのはそこまで頼りにならないという訳ではなく、一緒に歩いていけるだけの強さがあるんだと、この鈍い男の子に分からせなければ。

 

 決意を胸に振り返り、強烈な朝日に背を向ける。公園の先に見える下りの坂道は、以前に彼と一緒に下っていった記憶があるのだが、それは視覚的にそう見えるだけだろう。自分にも認識できるようにそれらしい形を取っているだけで、あの先を下っていっても海都に出るわけではないはずだ。

 

 その先には、きっと過酷が待っている。下手をすれば、この一年の苦しみすらも生ぬるいと言えるほどの辛い現実が押し寄せてくるだろう。それでも――いや、だからこそ行かなければならない。

 

「……だから、分からせてやるんです。証明して見せるんです……私に、私達に、アナタを支えるだけの力があるんだってことを。

 もちろん、今だってアナタに探してもらわなければ、私はずっと迷子のままでした。こんな私が何をしようと言ったって、説得力なんかないかもしれませんが……うぅん、それでも良いんです。これから挽回していくんですから!」

 

 そう啖呵を切って一度だけ振り返ると、アラン・スミスは日の光を背後にしながらビックリしたような表情を浮かべ――だがすぐに嬉しそうに微笑み、強く大きく頷いた。

 

「……それじゃあ頼りにさせてもらうぜ。俺は右京の奴をぶっ飛ばしてやらなきゃ気が済まないんだ。それができるように、協力して欲しい」

「はい、任されました! 必ずアナタを現世へと誘い、一緒に……そう、一緒に! 私はアナタの隣に立って、一緒に悪い奴らをぶっ飛ばしてやるんです!」

 

 こちらも強く頷き返すのに合わせ、彼は何かを思い出したかのように右の手で左の掌に落とした。

 

「そうだ、もう一つ約束してたよな。記憶を取り戻したら、本当の名前を伝えるって。俺の名前は……」

 

 彼に向かって一歩進んで、その口に自分の人差し指を押し付けて遮ることにする。

 

「約束を覚えてくれてたのは嬉しいんですけど……それは、後のお楽しみに取っておきましょう。私だけが聞いちゃうのは、エルさんやソフィアちゃんに対して不公平ですから」

 

 本当の名前を教えてもらうのは自分と彼だけの約束なのだから、この場で聞いてしまっても良かったのだが――やはりそれははばかられた。世界が大変な状況なのにこんなことにこだわるなんて悠長でもあるのだが、この辺りは自分のモチベーションに関わる重大な部分でもある。

 

 大切な仲間だからこそ公平でいたい。もちろん手加減なんてする気はないが、先手を打ってズルをすることなく、この件に関しては平等の条件で勝負をしたい――しかし、極地基地で散ったはずのソフィアと言う名が自然と出たのは、誰かの記憶が自分の中にもあるから――やはりそういうことなのだろう。

 

 唇のぬくもりを指先で覚え、それを彼との絆とし、再び一歩離れて振り向く。彼がどうすれば現世に戻れるのか、そしてこの先に待ち受けていることも、全て分かっている。それは、高次元存在から教えられたという訳ではなく、魂の同居人が記憶していており――自分にも自然と共有されているのだ。

 

「それじゃあ、私は一足先に戻ります。絶対に私が、アナタが現世に戻れるように道を切り開いてみせますから」

「頼むと言っておいてなんだが、大丈夫か? 君は、その……」

「方向音痴だって言いたいんでしょう? 大丈夫ですよ……私をずっと待ってくれていた光がある。アレを目指していけば、迷うことなんてありませんから」

 

 そう言いながら、道の先に見える僅かな光を指さした。ずっと、自分たちは繋がっていたのだし、ずっと彼女は自分に対して呼びかけ続けてくれていたのだ。自分を繋ぎとめていたのは、あの光から聞こえる声であり――しかし、今はそれが弱くなってしまっている。急いで向かったほうが良いだろう。

 

「……次に会ったときは少し私の雰囲気が変わっているかもしれません。でも、ちゃんと気付いてくださいね?」

 

 そう言いながらもう一度だけ振り返ってアランに向かって手を振り、自分は一目散に微かな光に向かって力強く走り出した。海都の白煉瓦の建物群を抜けると、次第に辺りの気配がぼやけてきて、気が付けば複雑な色彩の光の渦へと周囲の景色が切り替わった。

 

 自分を待ってくれていたはずの光は、徐々に弱くなっていき――それが消えるまでに何とか間に合おうと足を進めるのだが、最終的に灯りは見えなくなってしまった。しかし、それでも迷うことは無い。何故なら――。

 

『クラウ、聞こえているのでしょう!?』

 

 そう、自分を呼ぶ声がする。アランが声を掛けてくれる前に微かに聞こえた声は、魂の同居人の物だけではなかったのだ。その悲痛な叫びに早く応えなければ――親友の声に誘われて走り続けると、見失いかけていた僅かな光へと徐々に近づいてきた。

 

 衰弱する灯りへと辿り着くと、そこにはボロボロになった自分自身が横たわっていた。恐らく、現世での自分の身は、まさしくいまこのようになっているということなのだろうが――その身の元に跪いて瞳を覗くと、そこには本来自分が被るべきだった過酷を一身に受けて衰弱した赤い瞳がこちらを見つめている。

 

「ティア……」

「……クラウ?」

「ごめんなさい。結局アナタに辛いことを押し付ける形になってしまって……」

「……良いんだ。ボクの願いは君の願い、ボクの存在意義は君があってこそ……だから、どんなことでも、耐えられる……そう、思ってたんだけれど……」

「そんな風に言わないで……辛かったよね、苦しかったよね……たくさん悔しい思いもしてきたよね。

 これからは、きちんと一緒に背負っていくから……今の私じゃ頼りないかもしれないけれど、アナタの祈りが私の祈りになるように。ティアと一緒なら、きっと乗り越えられるから」

「……そうか、それは素敵だね」

 

 横たわる彼女の上半身を起こし、そっと自らの方へと引き寄せて抱きしめる。ティアは身体を動かすことが出来ず、ただ為されるがままになっている。だが、声は穏かであり――どうやら自分の提案を快く受け入れてくれているようだった。

 

「不思議な感覚だ、ボクにははずの無い記憶がなだれ込んでくるような……」

 

 どうやら、ティアの方にも自分と同じことが起こっているらしい。この一年間、互いにやり取りが出来なかった期間の記憶が――こちらから提示できるのはほとんど真っ暗闇を彷徨っているということだけなのだが――共有されているのだ。

 

 記憶の共有が済んだと同時に、ティアは身体から光を発し始めた。ティアから見れば、自分も同じように輝いて見えているのだろうが――ともかく、これから起こるであろうことを自分の方は予見していた。

 

 今までの自分はティアに様々な望みを託して生きてきた。自分の中にいるのに、明確に区別された超人として――自分の願いを叶えるための手段として利用していたのだ。だが、彼女だって一つの人格であり、本来は彼女だって迷える魂の一つであり――それなのに、彼女にはクラウの望みをかなえるという重責を一方的に課されていた訳だ。

 

 望むことと叶えることは本来両輪であり、どちらか片方しか存在しないということはあり得ない。自分たちは二つの人格でそれを成してきたのだが、一歩引いた眼で見れば一つの器で実現していただけであり――要するに精神的な役割分担をしていただけで、積み上げてきたものはクラウディア・アリギエーリという一つに帰結する。

 

 そしてその役割分担が無くなるのであれば――クラウの望みをティアが叶えると同時に、ティアの望みをクラウが叶えというのであるならば、それは明確に惹かれていた魂の境界線が破壊されるということに他ならない。

 

「これは……そうか、そういうことだったのか」

「……大丈夫? 怖くない?」

「怖いことなんかあるものか……君と一緒なんだからね」

「うん。アナタの気持ちも、私の気持ちも……両方とも本物で、無かったことになんかならないから……」

 

 すでに彼我の差が曖昧になりつつある中で、互いが分かたれていたことを証明する最後のやり取りを終え――強烈な閃光が走った後は、自分の腕から魂の同居人は消え去っていた。

 

 だが、何も悲観することなどない。ただ単に、あるべき姿に戻っただけなのだから。信じる神に裏切られたことも、ホークウィンドの教えも、共に大切な友だちを持っていることも――同じ人を愛しているということも。全部全部、クラウディア・アリギエーリを構成する大切な要素であり、互いに目指していた先は一緒なのだから。

 

「さぁ、行きましょう……私を呼ぶ声に応えて……大切なものを全て取り戻すために!」

 

 ◆

 

 掴まれたティアを解放するためにルーナにひたすら攻撃をくわえるが、巨大化した肉体には全く届かなかった。拳には結界を乗せているというのにだ――レム曰く、今のルーナは肉体の強靭さに上乗せし、常時高次の結界を身にまとっているような状況のようだ。

 

 だが、そんなことは些末な問題だ。ティアが捕まって苦しんでいる、自分が救い出さねば。手足が砕かれ、内臓を破裂させ、口から大量の血を吐き――これ以上やられては枢機卿クラスの回復魔法でも癒せないかもしれない。そんな焦りが拳に乗り、何度何度も全力で相手を叩くのだが――。

 

『アガタ、手から血が……』

『止めないでください! ティアを……クラウディアを助けなければ!』

 

 手の痛みなど気にならないし、拳が砕けたなら今度は足で、足すら砕けたのなら頭でも何でも抵抗し続けてやる――そんな自分の覚悟をあざ笑うかのようにルーナはただ捕まえたティアを楽しそうに見つめ、下卑た笑みを浮かべている。

 

 だが、そんな顔が一瞬にして怒りに変わった。鋭く風を斬る音と主に、ルーナの太い右腕に深々と円月輪が突き刺さる――そのおかげでやっとティアが解放され、ルーナは攻撃してきた相手の方へと向き直った。

 

「イスラーフィール、貴様!」

 

 ルーナは感情のままにイスラーフィールの方へと疾駆していった。彼女には対消滅バリアがあるので――以前のものよりも規格は劣るようだが――簡単には打ち破られはしないだろう。しかし、やはり、基本的な戦闘力はルーナの方が上のようだ。ビームチャクラムで抉られた腕は煙を上げて急速に回復し、イスラーフィールは乱雑なルーナの攻撃に防戦一方のようだった。

 

 ともかく、早くティアを治療しなければ。横たわる痛々しい身体に向かって回復魔法を唱える。

 

「ティア、しっかりして!」

 

 彼女の体を緑色の光が包み込み――骨を砕かれた手足が身体から分離していなかったのは不幸中の幸いである。身体の節々から噴出していた血は流れるのを止め、内臓も元に戻ったはずだ。

 

 自分にできることはした。あとは、彼女が戻ってくることを祈ることしか出来ないのだが――そんな時、ふっと視界が明るくなった。黄金色の剣線が雲を割るとともに、灰色に染まっていた世界に一筋の光が差し込んできたのだ。

 

『アレは……ナナコがあの剣で、月からの気象コントロールを打ち破ったというの?』

 

 脳内でレムが何かを呟いているが、ティアの容態が心配で、ほとんど耳に入らなかった。ただ、明るくなった視界が、より友の顔をより鮮明に映し出し――皮膚は土気色になっており、血色は良くない。乱暴に頭部を握られていたせいか、結晶化した部分を隠すために巻かれていた包帯はほどけかけており――呼吸は浅く、目は閉ざされたままだ。

 

『アガタ……私達が編み出した第七階層レベルの回復魔術では、失われた魂を取り戻すことはできない……もう、この子は……』

「そんなことありません! この子は必ず帰ってきます!」

 

 頭に響くレムの言葉に対して首を振り、眼を閉じる少女の方へと向き直る。

 

「クラウ、聞こえているのでしょう!? いい加減にしなさい! ティアに全てを押し付けて、いつまで寝ているつもりなのですか!?」

 

 思わず口走っていたのは、彼女の奥底に眠っているであろうもう一つの人格の名前だった。しかも、あろうことかクラウのことを罵ってしまっていた。

 

 もちろん、彼女が極地において魂を掛けてアルジャーノンの一撃を防いでくれたことは重々承知だし、彼女だって出て来られるものなら出てきたいだろうが――それでもティアがずっと呼びかけ続けているのに戻ってこないクラウに対し、むかっ腹が立ってきたのも事実である。

 

「私も、ティアも……ずっと貴女に帰って来てほしかったのですよ? 貴女には凄い力があるはずでしょう……このアガタ・ペトラルカが認めるほどの凄い力が……お願い、眼を開けて……クラウディアぁ!」

 

 怒りは次第に悲しみに、そして懇願へと変わっていく。自分は結局、彼女を傷つけ、あまつさえ救われることしか出来なかった――そんな無力感が全身を覆い、心に絶望が降りてくる。

 

「……泣かないで、アガタさん」

「……えっ?」

 

 下から聞こえた声に、いつの間にか瞑ってしまっていた瞼を開き――頬を伝っていた涙は、伸ばされた温かい指に拭われていた。

 

「アナタがずっと呼んでくれていたから、私は迷わず戻ってくることが出来ました……だから、ありがとう」

「……クラウ? ティア?」

 

 視界が霞んで、果たして今自分の涙を拭ってくれたのがどちらなのか分からなかった。言葉遣いはクラウのようでもあるが、何となくティアのような雰囲気もあり、同時にそのどちらでもないようにも感じられる――ひとまず先ほどまで死の淵にいたはずの少女は力一杯に立ち上がり、血で汚れた顔を手の甲で拭って不敵に笑った。

 

「そうですねぇ、強いてを言えば……遅れてきたヒーローって所です!」

 

 長い緑の髪を風にはためかせ、少女は偽りの女神の方へと向き直った。そして、力強く大地を蹴って走り去り――そう、彼女の動きがあまりにも早すぎて自分の目で追うことは出来なかった。次に姿を表したときには、追い詰められていたイスラーフィールの目の前で、ルーナの攻撃を受け止めていた。

 

「なっ……!?」

 

 自分が思わず声を発したのは、先ほどまで全く歯が立たなかったはずのルーナの力を、あの子は右手でやすやすと止めていることに驚きを隠せなかったからだ。

 

「もう……私の目の前で悲劇は起こさせません!」

 

 ルーナの力が強いことを証明するように、その衝撃だけで少女の前髪が大きく揺れ、ほころびていた包帯がほどけ去る。そこには黄金症に罹っていた形跡が跡形もなく消え去っており――血色の良くなった顔には、力強い光の宿る紫の双眸が輝いていたのだった。

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