B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「ねぇ、どうしてこの場所に来ようと思ったの?」
自分に対してそう声を掛けてきたのはエルだった。確かに、彼女としては気になるだろう――自分が行きたいと提案した場所は、ハインライン辺境伯領の一角、かつて老シルバーバーグが管理しているテオドール・ハインラインの別荘だったのだから。
「一週間くらいあれば、簡単なやつなら一枚描けるかと思ってね」
さわやかな秋風の抜ける高原で、自分はキャンバスの準備をしながら問いかける彼女に対してそう答えた。この場所は、自分にとって特別な場所――絵を描くことを思い出した場所であるとともに、この世界で初めて絵を描いた場所でもある。旅の中で描きたいと思う景色はたくさんあったが、どこか一つだけ選ぶとなれば、やはり想い出のこの場所こそが相応しいと思ったのだ。
以前この景色を描いた時には水彩だったが、今回は油絵にしようと思っている。一週間で仕上げるのは難しいかもしれないが、時間をかけてじっくりと取り組むなら油絵の方が向いているから。
時刻としては正午過ぎ、秋も深まっているがまだ日も高く、絵を描くには絶好の日和と言える。レムから休暇を取るよう進言された後、そのまますぐに高速艇で――ノーチラスにあったものは破壊されてしまったので、海と月の塔の地下に隠されていたもの――移動を開始し、約二時間ほどでここまで辿り着いたのだった。
さて、ここに来るまでの状況と、到着してからの状況は次のようになる。まずはハインライン辺境伯領に来ると手を挙げたのは、主に戦闘メンバーのうちでブラッドベリを除く六名、自分を含めて七人だった。
ブラッドベリに関しては、以下の二点から同行を拒否された。第一に人里に魔王が行くのはいかがなものかという点――彼から提案が出たので、まったく謙虚で笑いそうになってしまったのだが――と、第二にノーチラスの整備に回りたいという彼立っての願いがあった。ノーチラスの整備には他の魔族たちも当たっている他、彼自身も機械いじりに興味を持っているらしく、それはそれで休養になるということでブラッドベリはノーチラスの整備に周った。
また、途中でクラウディアを孤児院の付近で降ろし、明日チェンが彼女を高速艇で迎えに向かってくれる予定になっている。辺境伯領と聖レオーネ修道院は徒歩では十日の距離だったが、高速艇を使えば往復二時間ほどで迎えに行けるということで、クラウディアは今日は一日孤児院でゆっくりしてくる予定だ。
そのほか、この世界に帰る場所があるとすればソフィアだが、彼女は母と通信で連絡を取れれば十分だということで、先ほど高速艇の中の通信機でレヴァルにいるマリオン・オーウェルと連絡を取っていたようだ。二人の仲が少し進展したようで良かったと思いつつ、なんやかんやで自分の知らない所で物事というものは解決されて行くものだと――もちろん、あの二人の溝を埋めるだけの重大な何かがあったのだろうが――改めて思わされた。
ナナコ、T3、チェンに関しては、特別に帰る場所がある訳ではない。正確にはT3は世界樹という故郷がある訳だが、如何せん南大陸は少々距離もあるし、奴曰く帰る場所などないと無駄に格好つけていたのはここに追記しておく。ナナコとチェンに関しては、皆が行くならとなし崩し的に参加を表明した形だ。
最後にエルに関して。ここは彼女の故郷でこそあるものの、街へと降りることはソフィアとチェンによって反対された。その理由として、この一年の間はボーゲンホルンの当主が街を護ってくれていたので、今出て行ってもその労に泥を塗る可能性があると。確かに、一番重要な時に居なかった割に、今顔を出すのは都合が良いと思われても仕方がないかもしれない。
懸念点は他にもある。彼女は肩書的にはレムリアの民を絶望に落としたハインラインの血を引いている――もちろん、シルバーバーグなどは彼女の帰還をいたく喜んでくれたし、辺境伯領の臣民の多くは七柱としてではなく、この地を守ってくれていた今のハインラインに対する恩義を感じてくれている。とはいえ、領民の全員が納得しているわけでもない。それ故、然るべき手順を踏んでから、街には顔を出すのが良いということになったのだ。
当のエル自身はそれで納得もしていたし、今は仲間たちとの時間を大切にしたいということで、結局は真っすぐにこの別荘地に足を運び、先ほど父の墓前へと向かって行き、そして戻ってきたタイミングで声を掛けられたのだった。
「……父の墓前に行く前に、T3に声をかけられたわ」
自分が風光明媚な景色をどうキャンバスに落としていくか辺りを観察している横で、エルは腰を降ろしてこちらに声を掛けてきた。
「へぇ……何て声をかけられたんだ?」
「エリザベート・フォン・ハインラインって、いつものように名前を呼ばれただけで、押し黙っていて……ただ、彼が何を思って声を掛けてきたのかは分かっていた」
「それで、どうしたんだ?」
「一発、頬に平手をくれてやった」
今の言葉だけ聞くと随分と物騒だが、要するにT3は彼女の父を手にかけたことと向き合い、同時にエルはそれに対する報復をしたということなのだろう。そこに関しては両者の問題であり――テオドールの影響力を考えればこの二者だけで済む話でもないはずだが、ひとまずこの両者の間では解決したのだ――自分がとやかく口を挟むことではないだろう。
「別に、それであの男を許したわけじゃないけれど……全てを知った今としては、あの男の気持ちも分からないでもないから。
それで……逆の立場だったら私も同じことをしていたかもしれないと言ったの。そうしたら、それは無かっただろうと言われた。お前は甘いから、人を殺すことなどできないだろうと……同時に、そのように侮ったことを謝罪をされたの」
「なるほど……」
生返事になってしまったのは、決して絵を描く準備を進めているせいではない。何となく、T3の気持ちが分かるような、分からないような――そんな不思議な感覚に合ったからだ。
そんな折、脳裏に『それはですね……』とレムの声が響き始める。彼女はT3がファラ・アシモフにトドメを刺したこと――それも止むにやまれぬ状況において――また彼がそのことに関して深く悩んでいたことが共有された。そして疑問も氷解した。アイツは仇を前にして悩まないと豪語したのに、実際には迷いを覚えたため、エルに対して謝罪したのだろう。
そう思えば、T3という男は中々不器用で律儀な男だ。言わなければバレはしないのに、わざわざ素直に謝りに来たのだから。同時に、幾分か幸せだろうとも思った――T3はターゲットにした者の縁者である、エルやグロリアに向き合うことができたのだから。
自分にも幾許かのチャンスはあった。シモンやグロリアとは向き合うチャンスはあると言えるものの、その他の殺めた者の縁者全てに向き合う時間があった訳ではない。それに、T3と比較して、自分が殺めてきた者の数は圧倒的に多い――数で測るべきことでもないのだろうが。
ともかく、出会った当初は復讐に燃え、必ず仇を討つと言っていたエルが平手打ちで終わらせてくれたことは良かったとも思っている。それはどちらかと言えば、彼女に自分の意志で人を殺めるという業を背負って欲しくなかったという自分の我儘からだ。
大局的に見れば戦争によって魔族の命を奪っていた訳だし、一歩引いてみれば第六世代型同士での殺し合いではあったものの、それに関しては以前べスターが自分に対して言ってくれたように「戦争において人を殺すのは偉い者の意志」というのが当てはまらなくもない。対して、復讐という名の私刑は、自らの意志による殺人だ。何かを奪われた怒りを否定はできないし、また部外者がそれを止める権利などないとも思っているが、自らの意志で人を殺せば相応の業を背負うことにはなる。
そしてそれは、ある意味では自分だからこそ言える部分でもあるとは思う。アラン・スミスは自らの意志で人を殺していた。もちろん、彼女は身内を殺された仇をとろうとしていたのに対し、自分は見ず知らずの者を手にかけていたのだから、より性質が悪い――。
「……また難しいことを考えているわね。顔に出ているわよ? 普段は馬鹿みたいに短絡的な癖に、妙にナイーブな所があるんだから」
声に現実に引き戻されると、エルは呆れたような表情でこちらを見つめていた。
「あぁ、すまないな……でも、俺としては君がした決断は良かったと思っているよ」
こちらの言葉に対して笑って立ち上がり、スカートについた埃を払いながら――珍しくロングスカートだが、彼女が元来持つ上品さには似合っている――小屋の方へと振り返った。
「少し、シルバーバーグと話をしてくるわ……良かったら後で絵も教えて頂戴ね」
「あぁ……約束だもんな、任せてくれ」
エルは一度振り向き、また大人びた笑顔をこちらへ向けて小屋へと戻っていった。
さて、ともかく絵をやらねば。残されている時間は多くはない。別段焦っているわけではないものの、もしかしたらこれが自分にとって最後のチャンスになるかもしれないから――後悔の無いようにやれることはやっておきたい。
ひとまず、構図は以前水彩で描いた時と同じにすると決めた。景色をしっかりと観察し、木炭で下書きを進める。光の加減や風の音色、聞こえてくる喉かな鳥の声までキャンバスに封じ込められるように――それこそ自分が絵を選んだ理由であるし、筆を取ろうと思ったきっかけでもある。
『相変わらず上手ですけれど、もう少しオリジナリティを出したほうが良いんじゃないですか?』
下書きが終わったタイミングで、脳内にそんな声が響き渡る。彼女こそ自分の絵の第一のフォロワーでもあり、同時に痛烈な批判の第一人者でもある。彼女の意見も参考にするべきなのだろうが、自分としては既に方針は決めてあった。
「言わんとすることは分かるんだがな……ひとまず今までの集大成として、思うがままに描いてみたいんだよ」
『まぁ、そのお気持ちは分からなくもないですが……少し悩んでたんじゃないですか』
彼女の言う通り、いざ色を塗り始めようと思った時に筆が止まってしまっていたのは確かだ。人々曰く、自分の絵は上手くはあるが、それだけ――そこに何かが籠っていないという意見は度々聞いていたし、実際それが脳裏にあって、このままでいいのかという不安に繋がったことはいなめない。
ただ、自分がここに来て筆を取りたかったのは、全てを思い出した今でこそ、この星の景色を思うがままに描きたかったからだ。べスターと共に見た過去の残滓――サイボーグの体を言い訳にして逃げ続けた自己表現を、今でこそ一つ形にしてみたい。
それに、これが最後のチャンスになるかもしれない。わざわざ死にに行くつもりがある訳でもないが、それでもこの先に過酷な戦いが待ち受けていることには変わりない。だから、自分の全てとして、一つ作品を残しておきたい。そんな我儘があってここに来たのだ。そうなれば後悔の無いように、自分のもてる技術の粋として、一つの作品を描き上げたいという気持ちがある。
とはいえ、少々肩に力が入っているせいか、なかなかどう塗っていくかが決まらず悩んでいるのが現状だった。
「……集中できるようになるまで、ちょっとなんか喋っててくれないか?」
『私の声を作業BGM代わりにしようってことですか? それなら、集中力を高める音楽を流すこともできますが』
「それも悪くなさそうだが……そうだな、色々と聞きたかったことがあるんだ」
そこまで言うと、レムは少しだけ間を開けてから『分かりました』と返事をした。彼女はこちらの思考が読めるので、自分が何を知りたいのかは筒抜けな訳なのだが――少し間があったのは、自分が聞こうと思ったことに戸惑いを覚えたからだろう。
とはいえ、彼女しか知りえないことがある。それは、何故七柱の創造神たちは高次元存在に手を伸ばしたのか――ハインラインやキーツは接点があるから人となりは分かっており、ある程度の推測もできるが、自分としてはローザ・オールディスやダニエル・ゴードンについてはその仔細を知らない。
わざわざ暗殺のターゲットのことを聞こうというのも酔狂なのだろうが――それでも、彼らの一万年の物語については知っておくべきであると、なんとなくだがそう思ったのだ。何より、自分やべスターも知りえなかったアイツのことについても聞いておきたい――そんなこちらの気持ちまで察してか、レムはつらつらと物語を話し始めたのだった。