B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
まずはローザ・オールディスの略歴と人となりについて。ローザは大学で社会心理学を専攻し、優秀な成績で博士号まで取得した。その後は大学に残ることはせず、彼女はDAPAが一角、通信会社の最奥手であるアルファ社の研究室に所属した。
アルファ社の詳細について質問したところ――もちろん社名は知っているし何をしている会社だったかも認識しているが、自分が知りたいのはその裏側だ――レムはこちらが筆を走らせるのに合わせて話を続ける。
まず基本情報としては以下になる。そもそもアルファ社こそ、かのデイビット・クラークが一番最初にその勢力下においたDAPA内の最大勢力。その業務は多岐にわたり、大本は検索エンジンやクラウドサービスを提供する企業として発展していき、その過程でSNSや動画サイトを多く買収していった。
テレビ関係や新聞社などのオールドメディアの併合には消極的で――これらは政府の失墜に併せてほとんどその役目を終えた――あった一方で、万人が利用しうるインターネット社会において影響力のあるメディアの大半はアルファ社の影響下にあった。
大戦後はダイナミクス・モーターズ技術部門で連携し、新規の通信衛星の打ち上げと管理、またマルチファンクション端末の開発と販売も行っていた。要するに、世界規模で通信インフラと情報はアルファ社に牛耳られていたと言っていい。後続の通信会社などはダンピングや買収で徹底的につぶすことができる。政府が失墜して後は独占禁止などに関する法律も機能しにくくなっており、もはやアルファ社の寡占状態を止められるものは誰もいなかったのだ。
インターネットとMF端末を牛耳っているとなれば、アルファ社の元にありとあらゆる情報が一元管理されるようになる。MFウォッチでGPS情報に脈拍、それに個人のクレジット履歴に関する情報、果ては検索履歴やウェブの閲覧履歴から個人の趣味や性向に関する情報まで集約される――そういった意味で、旧世界の管理社会を作り上げていたのはアルファ社であったのだ。もちろんその情報が膨大過ぎる故に管理も難しく、ACOは一部その隙を突いて活動をしていた部分もあるらしい。
さて、DAPAにおけるアルファ社の役割は、端的に言えば人心のコントロールにある。人々の停滞感を増長させ、進化の袋小路に叩き込む。ジム・リーを筆頭としたインフルエンサーのスポンサーもアルファ社であり、晴子自身も右京の勧めで入社したのがアルファ社であったようだ。
「へぇ……ちなみに晴子はアルファ社で何をやってたんだ?」
『……良いじゃないですか、そんなことは今更じゃありません?』
「まぁ、確かに褒められたことをしてた訳じゃないんだろうが……そんなこと言ったらお互い様だろう?」
むしろ、直接的にその手を血に染めていた自分と比べれば、何をしていたとしても彼女の方がマシだろう。もちろんペンは剣より強しともいうし、その影響力を考えれば間接的な功罪は彼女の方が大きいのかもしれないが、それでも今更ではあるし、兄としては彼女が何をしたいのか確認しておきたい。
そんなこちらの思考まで彼女は理解しているはずであり、しかしやはり言いたくないのか、レムは珍しくごにょごにょと口ごもっている様子だ。
『えぇっと……その、情報統制と言いますか……』
「なんだ、歯切れが悪いな……つまり?」
『AIを活用して人が多く見るSNSや動画のコメント欄などにですね……世論をコントロールする情報を自動的に流していたと言いますか……』
「要は、BOTを使ってクソリプを量産してたってことか?」
こちらの歯に衣着せぬ表現に対し、どうやら図星であったらしくレムは「うぐぅ」とうめき声をあげて押し黙った。確かにやっていたことがそれでは、言いよどむのも無理もないかもしれない。確かに、家族に「クソリプを量産していました」とは報告しにくいものもあるだろう。
今にして思えば、アガタが時おり独特の語感で話をしていたのは、旧世界において晴子がクソリプを――もとい、乱暴な言葉遣いなどをAIに学ばせ、流布していたせいかもしれない。日常的に攻撃的な言葉を使っていたせいで、日常的に晴子自身もついついそんな言葉が出るようになってしまったとか、なんとなく妙に納得できる部分もある。
それに、恐らく彼女なりに手に職をつけようと――また右京の役に立とうと必死に勉強して得た仕事に違いない。プログラムやAIに関して専門知識のなかった彼女がアルファ社というエリートが集う大企業においてついていくには、それこそ血のにじむような努力だって必要だったのは間違いないのだ。
自分のそんなフォローを読み取ってか、レムは未だにバツの悪い様子で話を続ける。
『まぁその……私のやっていたことって、旧世界においてはそんなに大きな影響力は無かったんです。単純接触効果により否定的な意見がたくさん目につくことで多少は影響もあったと思うのですが、実際の所は名もないBOTが生み出す大量の悪口雑言より、インフルエンサーなどによる思想や言論の方が遥かに影響力はあったはずです。
私のやったことが旧世界においてあんまり功を奏さなかったのは、素直に聖典にも記載していますよ……婉曲表現ではありますが』
「そう言えば、主神の詔を古の神々に伝えていたけれど、あまり聞き入れてもらえなかったとか……それがまさかクソリプの量産だったとは思いもよらなかったが」
『ぬぐぅ……まぁともかく、そんな折です。私が彼女……ローザ・オールディスと出会ったのは』
ローザ・オールディスがアルファ社に所属しており、インフルエンサーをしていたことは過去の記憶を取り戻した今なら把握している。しかし、彼女もまた、その仕事に関してはあまり芽が出なかったことも聞かされているが、実のところはどうだったのか。とくにオリジナルが死んだ後に彼女がどんなことをしていたのか、それを聞いてみたい。
レムから明かされたことは、ひとまずローザの略歴ではなく、彼女との出会いに関する事であった。ローザはアルファ社で右も左もわからなかった晴子のことを気にかけて積極的なサポートをしてくれていたらしい。
当時のアルファ社は、デイビット・クラークの哲学が――ある種洗脳と言い換えても良いかもしれない――もっとも浸透していた部門でもある。知的で論理的で、自らの道を自分で切り開けるだけの努力と才能を持つ者が歓迎される、働いた経験のない晴子がそんな土壌の中に入れられても、上手くいかないのは火を見るよりも明らかだ。
右京としては、前提とする知識がより少ない部門を選んだということらしいが――確かに機械工学に関して高い専門性が無ければダイナミクス・モーターズやアシモフ・ロボテクスカンパニーに入社することは難しいし、医学知識が無ければならないパラソル社も同様――風土としては最も晴子の性に合わない企業に入らざるを得なかったということになる。
そんな中、晴子の背景を理解し、粘り強く仕事を教えてくれたのがローザだったという。今のルーナという人格を知っていると意外だが、彼女はクラークの提唱する歪んだ優性思想に染まることもなかったということらしい。
『彼女は自分の理想を実現するために、学術機関でなく実践の場を選んだんです。その理想とは、人類の真の平等の追求でした』
旧世界における人権意識は、とくに世界が終わる二世紀前からかなりの前進を見せ、法の下の平等というものが各国の憲法に記載された。とはいえ、古くからの因習は依然残ったままであり――性差、出自、経歴、能力、性向などによる差別は続いていた。
そして旧世界の崩壊から一世紀前にもなると、インターネットの発達に伴い、個人が平等を声高に発信できる世の中になってくるのだが――その先に待ち受けていたのは、「行き過ぎた平等」を求める声だった。
もちろん、因習レベルでの差別を乗り越えるためには、強い発言も必要だった部分があるのは間違いないだろう。権利を勝ち取る歴史というのは、正義や公共のために行われるのではなく、自己保身のために行われる。そういう意味ではあるポジションの者が自分が生きやすくするために社会に対して権利を叫ぶこと自体は問題ないとも言える。
とはいえ、ネット時代に行われる過激な人権活動は、数多くの感情論や詭弁の中に、本質的な活動が埋もれてしまった部分もあるだろう。どちらかと言えば、社会や他者に対して何か不満がある者が、平等という名のもとに他者の足を引っ張る発言が多くあった部分も否定はできない――それはデイビット・クラークが「強者の足を引っ張るだけの弱者」と切り捨て、忌み嫌った者たちのことを指す。
『……アランさんは、人が真に平等になることはあり得ると思いますか?』
唐突にレムが自分にそう質問してきた。こちらはレムの声をラジオ代わりにして筆が乗り始めていたので、出し抜けな質問に少し意表を突かれて思わず手が止まり――しかし人が持つ究極の命題の一つに少し考えを巡らせてみることにする。
「難しいな……ルール上では平等であるべきだと思うんだが、結局行き過ぎた平等に関する論点や争点って個人レベルの身体的、または精神的な違いに対してのものになることが多いだろう?
そうなったら、そうだな……万人が全く同じ生まれ、性別も画一で、同じ外見をして、同じ教育レベルで、同じものを食べて同じものを見てたら起こらないんじゃないか?」
『なかなか皮肉の効いたものいいですが、私も概ね同意見です。逆説的に言えば、個人差がある以上は差異は生まれる……そう言った意味では、平等の実現のために真に必要なのは、惑わぬ自己を持つことか、他者に関する寛容なのかもしれません。
もちろん、人は自分の価値を他者と比較してしまう傾向にありますから……実際、右京はその点でいつも悩んでいた訳ですし……他者を認めるということも、人類の平等と同じくらい不可能なことかもしれませんけれどね。
ともかく、ローザはそんな世情の中でも理想郷を求めて活動していたんです。行き過ぎた感情論ではなく、人が真に平等になるためにはどうすればいいか……それを求めて心理学を学び、人の行動や心の在りようがどのようにするか、その変数の解を求めて実験するために彼女が選んだのがアルファ社だったんです』
「難しい物言いだが、人がある情報に触れた結果として起こる人の感情や行動を分析し、コントロールすることで、論争に寄らない社会的な平等を追求しようとしたって所か?」
『はい、そんな感じです』
それ故に、彼女はひとまずインフルエンサーとしての立ち位置を選んだということらしい。自らの言葉や言説が人々にどのような影響を及ぼすか実験しようとしていたと――だが、ローザの努力もレムのそれと同じく、旧世界において芽が出ることは無かった。心理学はある行動に対する人の心の変化を統計学的に分類することは可能とするが、それは結局観測者が事象に対してラベリングをしているに過ぎない。つまるところ、起こった出来事に対して数字の多寡から人間の行動と心のあり方の傾向を後付け的に分類することは可能ではあるが、それは結局人の心を丸裸にする魔術でもなければ、因果関係を事前にすべて明確にしておく奇跡にもならなかったのだ。
要するに、彼女の学術的に裏打ちされているはずであった机上の社会心理学は、フィールドワークにおいて役に立たなかった。そもそも、彼女は人々から見向きもされなかった。アルファ社によるネット上のアルゴリズム調整によって、彼女の生み出すコンテンツを優先的に見せようとしていたとしても、多くの場合は無視されてしまった。そして数少ない閲覧者達に関しても、彼女の活動を継続的に追ってくれることも無かった。それらは周到に計算された科学的な統計によって緻密に作られていたというのにも関わらず――ジム・リーのような魔性には敵わなかったのである。
結局、人の心の動きの変数を科学することはできないのかもしれない。それこそ、人の心を無理やりにでも書き換えることができれば――それはこの星においてDAPAが第六世代型アンドロイドに実際に行ってきたことではあるが――別であるが、自然状態の人間の心の機微をコントロールすることはできはしないということなのだろう。
「……しかし、なんでローザは人々の平等を求めたんだ?」
『私も気になって聞いたことはあるんです。そしてそれは、嘘でもないと思うのですが……彼女曰く、今のように権利の対立構造が激しいままでは人心の中に軋轢しか生まれず、真の平等は達せられないから、と』
「そいつは立派な建前だがな。俺が知りたいのはローザの動機だ」
たとえば、旧世界の自分がそうであったように――お題目としては「世界征服を企む悪の企業の偉い奴らを倒すことで世界平和を目指していた」と言えなくもない。ただ、その動機としては非情に単純で、晴子の医療費を稼ぐために偉い奴らの言うことを聞いていただけだ。人の行動には、建前と本心とがある。自分が知りたいのは、ローザ・オールディスのそういった本質的な部分だ。
『アナタの言いたいことは分かっています、アランさん。彼女の本心の部分は……これは私見になりますが……恐らく、本質的な部分は彼女が否定した感情的な部分であったと思うんです。
彼女の理想論は、彼女自身が世界を見て育んだ欲求というよりも、将来より生真面目だった性格と教育に寄る所が大きい……彼女は厳格な家庭に育ち、その期待に応えるように勉学に励み、社会とはかくあるべきという理想を徹底的に教育されていたようですから。
つまり、彼女が平等を求めたのは、彼女自身の真なる欲求というよりも、世界はそうであることが正しいという洗脳に寄る所が大きい……』
「つまり、平等を求めたのはローザ自身の願いでも欲求でもなく、親の意向だったということか?」
『いいえ。どちらかと言えば、歪んだ形で彼女のものになった、というのが正解だと思います。彼女は優秀な人ではありましたが、同時にコンプレックスの深い人でもありました……社会的には地位ある家庭で生まれ育ち、博士課程を優秀な成績で修め、アルファ社で活躍できるほどの優秀な頭脳を持つ一方で、生来の真面目過ぎる気質により……それは時に融通の効かない人と見られる部分もありました……対人関係、交友関係はもちろん、異性関係に関しては上手くいかないことが多かったようです。
彼女はその満たされない承認欲求を、人類の平等という夢に掛けていた部分があるように思うんです。全ての人が平等になれば、優劣が無くなれば、自分がそのコンプレックスに悩むことは無くなると……ただ、彼女自身、その自分の本心には気付いていなかったんだと思います』
「なるほど……」
『……実際に、この星で第六世代型アンドロイドを管理するにあたって、初期の彼女はある意味ではアシモフよりもレムリアの民に同情的でした。生体チップで思考をコントロールせずとも、肉の器にあるものはその生来持つ善性により、協調して平等な社会を築けるのではないかと言っていました。
同時に、彼女は旧世界で成功しなかった社会心理学の実験の場として、宗教により人々の平等を成し遂げようとしたのです。
ゴードンはローザの意見を理想論だと否定していましたが、同時に生体チップで何億ものアンドロイドを一斉にコントロールすることも難しいですし……何より、洗脳でコントロールしてしまえば、レムリアの民が高次元存在より知的生命体として認識されない恐れがある。
そのため、ローザの意見如何に関わらず宗教を通じて人々の行動規範をコントロールしようとしていたのであり、自ら進んで立候補してくれたローザに文句を言うものは居ませんでした。彼女が七柱の創造神として特別な役割を得たのは、彼女が月の管理と人心の掌握という面倒ごとを一挙に受け持ってくれたからに他なりません。
そして、それは最初の百年程度は上手くいっていたのですが……彼女が器を新しくするたびに、次第に彼女は肉の欲に溺れるようになっていきます。恐らく、気付いてしまったのでしょうね……人の平等という理想社会の実現などしなくても、自らの承認欲求は満たされてしまうということに。
先日、クラウディアが言っていたのです。彼女はモノリスのもたらした超科学の犠牲者であると……実際の所、私もその通りだと思います』
絶対的な権力は絶対に腐敗する、という言葉を聞いたことがある。もしローザの寿命が元来通りに百年に満たないものであれば、怪物は生まれなかったに違いない。もし彼女の元来の願いが偽善的な物であったとしても、それが誰かのためになっているのなら、同時に誰かを傷つけるものでなかったのなら、それは社会通念上では善と言えるはずだからだ。
しかし、彼女は禁断の果実を口にしてしまった。何度も美しく生まれ変わり、絶対的な力を振るって弱者を蹂躙し、肉の欲求に溺れる――その甘美な味を一度覚えてしまえば、もはや戻ることもできなかったのだろう。
彼女が誤った道を進み続けるというのなら――善悪を人殺しの自分が規定するなどというのも間違えているかもしれないが――もはや彼女と語るべきことも無いだろう。自分が月において彼女と対峙するかまでは今のところは不明だが、出会ったら女神ルーナという怪物を止めることに躊躇はない。
目を閉じると、瞼の裏に腐ってしまった果実がいつまでも木にしがみついている様子が映し出される。それはいつまでも木から養分を吸い取り、腐りかけたままじゅくじゅくとその身を肥大化させ続け――心の内で枝に向かって短剣を投げ、その欲にまみれた巨大な果実が落下するのに合わせて瞼を開くと、相も変わらず美しい山々が視界へと飛び込んできたのだった。