B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「それで……なんか用かよ、チェン」
「大した要件ではないのですが……ただ、集中していらしたようでしたから、少々声を掛けていいものかと悩んでいたのです」
「構わないぜ。今日はこの辺りで終わりにしようかと思っていたところだからな」
振り返ると、チェンは幅広の袖に両腕を隠しながら、顎である方角を指して見せた。こちらも頷き返して立ち上がり、彼の歩いていくのに黙ってついていき――自分も旧世界の平均的な身長よりは高いはずだが、それよりも更に高く、しかし細さの中にも確かな頑強さが見える男の背中を追いながら――最終的には湖のほとりにまで移動していた。
チェンが水辺に立っている姿は、在りし日にべスターと並んで語らっていた光景を彷彿させる。旧世界で二人が立っていたのは埠頭であり、その景色はどこまでも水平線が続いていたという違いはあるが――ともかく自分もその隣に立った。誘ったくせにチェンはしばらく黙って水面を眺めており、それが退屈で、一つ悪戯に煙草を吸っているふりでもしようかと思ったが、止めておくことにした。それはきっと、自分と彼との共通の友人の想い出を汚す行為になるからだ。
ただ、べスターのことを思い出すのと同時に、自分はメッセージを託されていたのだったと――茜さす湖面を眺めながら彼の遺言を思い出す。
「お前は自分のことを冷たい奴だと思っているが、その義理堅さに何度も救われた……一万年の時を超えて戦い続けた魂に、最後に安らぎが訪れることを祈っている」
一字一句は多少違うかもしれないが、大体のニュアンスは問題ないはずだ。風に揺らぐ湖を見ている傍らで、男が少し動揺した気配を感じる。その雰囲気からチェンはべスターのことを聞きに来たのだと確信した。そしてそこでようやっと男の方へと視線をやると、チェンは変わらずその細い目で湖を――正確には遥かの山間を見つめながらそっと口を開いた。
「……私は、半信半疑だったのです。確かに貴方は記憶のないはずのホークウィンドの名を挙げてみせましたし、緊急時にのみ彼の声が聞こえるとは言っていましたが、それでもまだ、貴方の中にエディ・べスターがいるとは、どこか信じ切れていなかった部分はあるのです」
そう言えば、一年前にわざわざチェンにべスターのことを細かくは質問されなかった。それは、霊的な存在を信じ切れていなかったからか――そう思っている傍ら男は言葉を切り、こちらに向き直って神妙な表情を浮かべる。
「それで、彼は今……」
「俺に全てを託して、次なる輪廻に向かった。今のは、アイツからお前に向けた最後のメッセージだ」
「……そうですか」
僅かに嘆息をつき、チェンは再び湖面へと向き直った。既にべスターがいないことは直感はしていたのだろうが、それでも男の横顔はどこか寂しげに映った。その様子を見ていると、やはりべスターのチェンに対する評は正しかったように思う――この星で初めて出会った時は敵同士であり、魔族の口減らしなどとんでもないことをしている奴とも思ったが、アレも二年前における食糧難において仕方がなかった部分もあるのだろうと思う。
非情な決断を取ることを厭わず、それに対して言い訳もしないが、同時に胸に熱い物を秘めている。仲間と認めた者に対しては義理堅く、そして何より、当の本人がその気性を理解しておらずに冷血漢と自嘲している。その在り方はまさしくべスターが評したチェン・ジュンダーという男にまるっきり当てはまるように感じられる。
「……お前、この戦いが終わったらどうするんだ?」
「唐突ですね」
「そんなことはないさ。アイツの遺言なんだからな」
チェンはハッとしたような表情を浮かべた。先ほどのはべスターの遺言と認識できたようだが、その中身までは細かく考えていなかったのだろう。まぁ、気持ちは分かる――自分が逆の立場であったのなら、恐らくまずは遺言が残されていたことの驚きが勝り、その中身について考えるのはしばらく時間が経ってからのことになるだろうから。
そういう意味では急かしてしまった形になるのだが、別に今考えたって罰《ばち》は当たるまい。それに、もしかしたら何か事前に考えていたこともあるかもしれない。そう思いながら横顔を眺めていると、男はこちらの期待を裏切るように小さく首を振った。
「……この戦いが終わった後のことなど考えてはいませんでした。負ける気はありませんでしたが、結局は分の悪い賭けでもある……この世界に渡ってくる時などは旧DAPAの中核はいまだ健在、それに対してこちらは私とホークウィンドのみという状況です。
もちろん、T3やセブンス、それにグロリアの合流や、ソフィアやシモンらと、ブラッドベリと魔族たちと、この星に着いてから多くの者が協力してくれたのは心強くもありましたが……同時に我らは大海を揺蕩う小舟に過ぎず、ここまで七柱を追い詰められたのは奇跡に近い。
正直、いつ自分が死んでもおかしくない状況で……しかも人の生だとかいう尺度をとうに通り過ぎてしまったこの身において、その戦いの後のことを考える暇も余裕もなかったというのが正直なところです」
「ま、そうだよな……気持ちは分かるぜ」
以前、自分はDAPAとの戦いに決着が着いたら、ACOにその存在を抹消されて終わりと考えていた。そこから二課のメンバーに励まされ、モノリスを取り巻く戦いに苦しむ人を救おうと思っていたのだが――恐らく今回の戦いが終わるというのは、また以前とは違った様相を呈《てい》するはずだ。
旧世界においては、モノリスの所有がDAPAからACO、ないしどこかの国の政府に移るだけで、権力から権力に超越した力の源が移ると予想されていた。今回に関しては――まだどちらが勝つともわからないが、仮にこちらが勝ったとしてモノリスの扱いに関する決断はレムとチェンに委ねられるのだろうが――該当するような勢力が存在しない。
ともなれば、世界は一時的な平和を得るかもしれない。七柱が起こした天変地異やその戦果の爪痕により、長らく復興は必要になるだろうが、混沌とするパワーゲームの中で、その被害に理不尽に巻き込まれることは無くなるだろう。
そんな世界が来るとするのなら、自分としても何をするべきか想像もできない。きっとチェンも同じなはずだ。あまりに長い時間を戦いに捧げたせいで、闘争のない世界で自分が何をするべきなのかなど考えもしていなかったのだろうから。
もっと言えば、自分たちのような者たちが、自らの罪を清算せずに居ても良いものだろうか? 次の世代にすべてを託し、静かに去っていくべきなのではないか――フレデリック・キーツやリーゼロッテ・ハインラインがそうしたように――。
「……何か、考えてみようとは思います。しかし、その答えを出すのは今である必要はありません。真に戦いに決着が着いてからでもいいでしょう。そして、それは貴方もですよ、アラン・スミス……先ほどの絵を遺作にするべきではありませんよ」
その声に下がっていた視線を上げると、チェン・ジュンダーはシニカルな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。自分としては人形としての彼との付き合いの方が長いが、人の身で浮かべるその笑顔は想い出の中でべスターに向けていたものとそっくりだった。
「私たちは、もはや一般的な幸せを享受する権利などないでしょう。しかし、同時に……魂の安らぎを見つけることは、きっと出来るのだと思います。ファラ・アシモフやリーゼロッテ・ハインライン、それにホークウィンドが最後に何かを見出したのと同じように……多くの命を弄びながらも戦い続けてきた私たちも、戦禍の後に何かを見出すことは出来るのだと思います。
何より、妙なナルシズムで自罰的になって破滅的な道を突き進むのは、ある意味では我らが友の願いに対する冒涜だとは思いませんか?」
「確かに……お互いに、アイツの名前を出されるのは弱いな」
「えぇ。ともかく、ありがとうございました、アラン・スミス……まさか、一万年越しに彼の言葉が聞けるとは思っていませんでしたから」
そう言いながらチェンは踵を返し、そのまま小屋の方へと戻っていった。気が付けば山稜から指していた光もほとんど消えかけており、今日は絵もここまでにすることに決め、急な雨風にキャンバスが飛ばされないように画材一式を例の倉庫へと運び込んだ。
その後は自分も別荘へと足を向け、中で晩御飯をいただけることとなった。シルバーバーグが保管していた食材を使わせてもらい、料理はT3と小夜啼鳥のコンビがしてくれた。ソフィアはクラウディアの手伝いもしていたし、グロリアの記憶もある――何よりソフィアとグロリアの二人が腕を振るいたいとのことで、かなり頑張って人数分を用意してくれたようだ。
旧世界においては、自分はサイボーグ食しか食べることが出来なかったので、グロリアの手料理を食べるのは初めての経験になる。味もさることながら、なんとなくその温かさが身に染みる思いがして、つい三杯ほどおかわりしてしまった。
その後に倉庫へと戻ると――前もここで寝泊まりした馴染みでここを自分の寝床に選んでいる――気が付けば少しだけ寝落ちしてしまっていた。そのせいで、夜も更けてからもなかなか寝付けなかった。
もちろん、復活してからここまでバタバタとしていたし、ゆっくり考え事をするにも丁度いいかもしれない。高原の夜は肌寒いが、それもある意味では思考をクリアにしてくれる。昼間の話の続きをするためにレムに声を掛けようかとも悩んだが、今は一人が丁度いい。
倉庫の小さな窓の側に陣取り、今までのことを整理しようとするのだが、なんとなくだが頭も回らなかった。それもいいか、何にも考えずにボーっとするのも時には必要だろう――そんな風に呆けていると、ふと倉庫の扉が控えめに叩かれた。
「あの、アラン……ちょっといいかしら?」
ノックと同じくらい控えめな調子で扉の向こうから聞こえた声はグロリアのものだった。立ち上がって扉を開け、機械の鳥に宿っている彼女を部屋の中へと招き入れる。
「あの、夜遅くにごめんなさい……寝なくて大丈夫?」
「いいや、寝れなかったんで丁度良かったよ。それで、昔話に花を咲かせに来たのかな?」
極地基地では自分も記憶がなくて申し訳なかったが、今なら色々と話すこともできる。そう思って彼女の方を見ると、グロリアは首を小さく横に振った。
「それも悪くないんだけど……その、私のことを、描いて欲しくて来たの」
そう言いながら、機械の鳥は控えめな調子でこちらに視線を向けたのだった。