B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~   作:五島七夫

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ソフィアの戸惑い

 自分は奇妙な感覚に戸惑っていた。朝目が覚めた時から――恐らくアランが海の底から蘇ってから――いや、もっと正確には、恐らく彼女の母であるグロリア・アシモフがその魂を燃やした時から、その違和感は生じ始めていたのだと思う。

 

 何が起こっているのかと言えば、この身に宿る同居人であるグロリア・アシモフの思考が読めなくなってきているのだ。もちろん全く分からないという訳ではないのだが、以前は思考が駄々洩れであったのに対し、今は時々靄がかかったように彼女の思考が読み取れない時がある。戦闘時など緊急の時にはクリアなのだが、それ以外の時には彼女の思考が聞こえにくくなることがあるのだった。

 

 それは、本来なら望ましい変化といえるのかもしれない。思考が駄々洩れというのは、文字通りにプライバシーが侵害されているのも同義だから。しかし、自分にはこの状況が何か悪いことの兆候のように感じられた。

 

 自分と同様の症例として、たとえばテレサ姫が最も近いはず。とはいえ今彼女は身近にいないし、本人から話を聞くことも難しい。それにテレサが居たところで、なんとなく――グロリアがいる前では聞きにくい部分もある。

 

 一応、テレサとグロリアのケースをもう一度整理してみると、彼女たちの場合は精神が徐々に融合していっていたはずであり、段々と彼我の差が薄くなっていったはず。今、自分が体験しているのはむしろ逆という印象である。自分とグロリアとが明確に分けられていっているような、そんな溝を感じつつあるのだ。

 

 彼女が少し眠っている間に――肉体的には寝る必要のない彼女だが、たまに精神を休ませるのに意識を休止させている時間がある――こうやって状況を整理しているわけだが、ついでに左腕に撒かれている包帯を一時的にほどいてみる。

 

 主が眠っているその腕は、今は完全に自分の物として自由に動かすことができる。その一方で、この腕が明確に別人のものであるという証拠のように、いつまでも消えぬ縫合の痕が肘の上あたりに残っている。他者のものを無理やり神経を繋げたこの腕だが、自分の身体の他の部分が成長するのに合わせていつの間にかサイズもぴったり合うようになってきている。施術をしたチェンは、アミノ酸で作られた繊維で縫合したので、そのうち消えるだろうと言っていたのだが、結局縫った痕は一年経っても消えないままだ。

 

 わざわざ包帯をほどいてみたのは、いつか消えると思っていた縫合の痕が、むしろより広がっているのではないかと懸念したからだ。それ自体は杞憂であったが、どうにも胸騒ぎが治まらない。

 

 自分が何故彼女の思考が読み取れないことに焦りを感じているのかと言えば、それには二つの理由がある。一つは、単純に彼女の存在が自分にとっては大きいモノであり、彼女がどこか遠くに行ってしまいそうな雰囲気が辛いというもの。意地の悪い部分も確かにあるが、それ以上の優しさと温かさで自分を支えてくれた彼女のことを、自分はかけがえのないものと思っている。

 

 もう一つの理由は――これこそがある意味では自分の中の最大の不和であるのだが――自分たちが同じ人を愛し、そしてその人が戻ってきたということ。アラン・スミスは一人しかおらず、自分たちは二人いて、そしてその身は一つであるということ――この複雑な事態にどう折り合いをつけるべきか、自分は大いに葛藤していた。

 

 もちろん、まだ戦いに決着が着いたわけでもないし、浮ついた気持でいるのも不謹慎かもしれない。それに、強力なライバルは他にもいる。だが、自分にとってはグロリア・アシモフこそが最大の身内にして、最大のライバルでもある。

 

 外に焦がれる籠の鳥に空を与えてくれた人。人の優しさを知らなかった彼女に温かさをくれた人――グロリアとアランの想い出は自分にも余すところなく共有されており、それはある意味ではまた別の出会い方をしたグロリアに対する羨望の気持ちと、また同時に彼女のアランを想う気持ちの強さにたじろいでしまいそうになるほど――その事実が自分にとってはどうしても重く圧し掛かり、どうやって折り合いをつけるべきか悩ませてくるのだった。

 

 同時に、自分にとってグロリア・アシモフは、この一年間で分け難い大切な自分の一部となっているのもまた事実。できることなら、彼女にも幸せになって欲しい。そんな気持ちも間違いなく存在する。

 

 アランを大切に想う気持ちと、グロリアを大切に想う気持ちとが葛藤を起こし、そこに加えて彼女の思考が共有されない部分が出てきている。その結果として、自分の情緒が乱されるのだった。

 

 本当は、今すぐ彼の元に行ってたくさん話をしたい。いいや、むしろ話なんかしなくてもいい。ただ隣に座って、真剣にキャンバスに向かうあの人の横顔を間近で眺められるだけでも満足だ。しかし同時に、今自分の胸に渦巻いている混乱にキチンと折り合いをつけないと、なんだかわだかまりが残りそうな気がする。そんな思いから、ひとまずグロリアが眠っている間は絵に向かうアランと距離を取り、別荘の窓からその背中を見つめているのだった。

 

 しばらくあの人の背中を眺めながら悩んだ挙句、ある一つの解答を閃いた。それは自分にとってベストかは分からないが、よりベターな解答ではあるように思う――その結果に対する不安もあるが、彼女とならそんなに悪い結果にならないはずだ。

 

 そして丁度思考がまとまったタイミングで、もう一つの思考領域が覚醒し、同時に机の上で丸くなっていた機械の鳥がすっくと背筋を伸ばした。別荘の二階には今は自分しかいない――エルとシルバーバーグは階下におり、その他のメンバーは散歩へと出かけている。色々と話すには丁度いいタイミングと言えるだろう。

 

「あら、偉いじゃない。アランの邪魔をせずにいるだなんて……てっきり、今頃べったりくっついているものかと思っていたのだけれど」

 

 そう言いながら、グロリアは窓際で椅子に掛けているこちらに視線を向けてきた。先ほど考えていたことは、ある程度は彼女も認識していると思うのだが、多分キチンと自分の口から伝えるべきだろう。

 

「あのね、グロリア……考えたんだけれど……私たち、心を一つにして……混ざりあってしまうのはどうだろうって」

 

 このアイディアは、自分なりに悩んで出した答えだ。そもそも、自分は最初は彼女を受け入れるつもりで――人格が混ざりあってしまって構わないという覚悟を持って――彼女の左腕を縫合した。たまたま自分が作っていた仮想の思考領域に彼女が収まっただけであり、各々の人格を保持できたのはまったくの偶然だったのだから。

 

 クラウとティアというような前例だってある。もちろん、彼女の二つの人格は、最初からクラウディア・アリギエーリという器に宿った一つの魂が分けられていた形であり、自分とグロリアの関係性とは勝手が異なるのは分かっている。それでも、二つの人格が混じり合うことで、昇華される魂だってあるかもしれない。

 

 自己が他者と混じり合い、ソフィア・オーウェルというアイデンティティが崩壊してしまうことの恐怖は全くないと言えば嘘になる。それは全く知らない誰かと混じり合うとか、はたまた気の許せない相手と混じり合うならば、いっそ死んでしまった方がマシとも言えるかもしれない。しかし、自分はグロリアのことを信頼している。そもそもこの一年は互いに思考が筒抜けであり、本来精神が持つべき思考のプライバシーだって皆無だったのだから今更だ。

 

 何より、どの道グロリアは、ずっと自分の左腕として脳の同居人として隣に居るか、自分と混じり合ってしまうか、どちらかしかない。彼女がこの身から独立するという選択肢として、彼女の左腕のDNAから彼女が宿れる器を培養するという手段もなくはないと思うのだが、たぶん彼女はそれに反対するだろうし、自分としても抵抗があった。失ったはずの器を培養するのは――これを言い出したらレムはその禁忌を侵したことになるのだが――本来は器の消失と共に原初へと還るべきという、不可逆的な生物のルールに反する。これを肯定してしまうことは、自分が一度否定した魔術神アルジャーノンのやり方を、自分の勝手で肯定してしまう結果になってしまう。

 

 そうなれば、彼女の行き場所は、ここしかない――そんな風に考えていると、何故だか脳裏に妙な違和感が走った。グロリアから不吉な気配を感じるとかではないし、自分が負の感情を持った訳でもない。ただ、何かを忘れてしまっているような、そんな違和感があり――機械の鳥が大きくため息を吐いたその声で、ふと我に返った。

 

「ふぅ……アナタの気持ち、分からないでもないわ」

「それじゃあ……?」

「残念ながら、お断りよ」

 

 機械の鳥はそう言いながらゆっくりと首を振った。自分としては一大決心をしたつもりだったのに、素気無く断れてしまったことにはやはりショックを――同時に少しの安心感を――覚える。

 

「安心して……なんていうのも変かもしれないけれど、別にアナタの身体を取って食おうなんて思っているわけじゃないわ。それに多分、私達はもはや上手く融合できないと思うの」

「でも、私とグロリアは境遇も性格も近い部分があるから……」

「まぁ、私が適合したいくつかの素体の中で、アナタが最も私と近い性質を持っているのは間違いない。でも、やっぱり別人なの……アナタはソフィア・オーウェル。私はグロリア・アシモフなのよ。

 もちろん、混じり合ってしまって、小夜啼鳥として生きていくこともできなくはないかもしれないけれど……でもね、私は誰かさんと同じで嫉妬深くて独占欲が強いから、きっと全てを独り占めにしないと、満足できないと思うの」

 

 グロリアの言葉自体は少々乱暴なきらいはあったが、その声は穏かで、それこそ幼い子供を諭すかのような物言いだった。同時に、それは自分も懸念していた部分であり、断られて安心してしまった部分でもある――やはり独り占めしたい気持ちはあるし、それに混じり合った結果がどうなるかも予測できない以上、自己が喪失してしまう危険性はやはり恐ろしいと思ったから。

 

 しかし、それならどうすればグロリアが幸せになれるだろうか。思考が振出しに戻って困っていると、グロリアは羽根をはばたかせて自分の肩に乗って窓の外を眺め――恐らく自分がそうしていたように、あの人の背中を見つめている――ややあってから「そんなことより」と声を上げる。

 

「アナタ、以前アランに似顔絵を描いてもらったのよね? どんな気持ちだった?」

「私の記憶は、グロリアに余すところなく共有されているはずだよ」

「それでも、アナタの口から聞きたいの。私が見れるのはあくまでも記憶であって、アナタがその時に感じた気持ちまでは理解できるわけじゃないから」

「そうだね……うん、凄く嬉しかった。アランさんが私のために時間を割いてくれてるっていうのはもちろんだけれど……私のことを真剣な目で見つめて、一生懸命に書いてくれていたあの時間が、愛おしかった……」

 

 長い船旅の道中における、自分にとって大切な思い出。本当はじっと見つめられて恥ずかしかったけれど、綺麗に描いてほしかったから――少しでも可愛らしいと思って欲しかったから――彼が一生懸命に描いてくれるのと同じくらい、自分も一生懸命にすました顔をして。そして、その時間は彼を独り占めして、彼が自分を見つめるのと同じくらい、自分も彼を見つめ返した――そんな幸せな時間だった。

 

「……でも、ちょっと幼い感じだったのはいただけなかったかな! あの時の私は、今と比べたらそれは幼かったかもしれないけれど……流石にあそこまでじゃなかったと思う!」

「ふふ、そういうところが、きっとアランから見たら幼く見える部分なのよ。泣く子も黙る准将殿も、あの唐変木《とうへんぼく》の前じゃ形無しなんだから」

 

 グロリアはひとしきり笑って後、また窓の外で風景と向き合っている男の背中を見つめはじめた。もしかすると、あの小さく見えるキャンバスの向こうに彼女が――在りし日のグロリア・アシモフが居て、自身を真剣に見つめてもらっている――そんな光景を想像しているのかもしれない。

 

「……そうだ、グロリアも描いてもらったら?」

 

 思いがけずに自然と出た言葉だったが、我ながら妙案でもあったように思う。先ほど、グロリアは自分を描いてもらう気持ちを知りたいと言った。それなら実際に描いてもらうのが一番早い。

 

 そんな自分の案を聞いて、グロリアは最初驚いたように機械の羽を少しはためかせ、そして直ぐにその長い首を横に振った。

 

「私? 私は良いわ。描いてもらうって言っても、この機械の体を描いてもらうじゃ味気ないし」

「何言ってるの。ホログラムがあるでしょう? あの姿は、旧世界のアナタの姿を正確にトレースしているってチェンさんから聞いているよ」

「でも……」

 

 彼女はそこで押し黙ってしまう。その思考は相変わらず完全には読み取れないが、この一年間一緒にいた間柄だからこそ、別に正確にトレースできなくても彼女が何を考えているのかは概ね理解できる。

 

 アランは今、自分の作品に向き合っているのだから邪魔したくない、または成長した自分の姿を――しかも失われた自分の姿を――描いてもらうのが気恥ずかしいような、同時に寂しいような、そんな風に思っているに違いない。思考が読めなくても、感情は分かる。グロリアは今、期待と不安の間に揺れているのだ。

 

 だが、期待があるのなら後悔が無いようにするべきだ。それに、絶対にアランはグロリアのことを無下にすることは無い。だって――。

 

「約束、だったんだよね? いつか、描いてもらうって……一万年も待ったんだから、ワガママを言ったっていいと思うな」

 

 彼女がこちらの記憶を知っているように、自分も彼女の記憶を知っている。そして本来の記憶の主も遠い日に約束をした時の気持ちを思い出したのか、少し戸惑いながらも決意を固めたようだった。

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