B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「……ねぇ、アラン君。覚えてますか? 以前、こうやって夜中に二人並んでお話したことを」
「あぁ、覚えてるぞ……あの時はティアにどぎまぎさせられたな」
「ふふ、どうしてどぎまぎしちゃったんです?」
「どうしてって、そりゃあ……」
近かったからだ、そう言おうと思った瞬間、クラウディアは一歩身を乗り出して、以前と同じくらい――いや、それ以上に近づいてきた。
「……こんな風に近かったからかな?」
美しく澄んだ紫色の瞳がこちらを覗き込んでおり、彼女は口元を悪戯そうに吊り上げている。自分の腕は彼女の細い腕にからめとられ、クラウディアは完全に体を――というかその豊満な部分を――こちらに対して密着させてきた。
「前より近いな……」
「でも、アラン君が寒かったら本末転倒じゃないですか? 素直に温まりましょうよ」
「うぅん……あんまり年上をからかうもんじゃないぞ?」
「ふふ、年上、年上ですか……それじゃあ、お兄さんに甘えちゃいます」
そう言いながら、クラウディアは一層こちらの腕を抱き寄せる力を強めた。おかげさまで寒気は消え失せたが、ある意味では緊張に妙な汗が噴き出してきた。
先ほどの口調も、その態度も、ティアのものを彷彿とさせるが、今は以前にも増して更に大胆である。普段の口調こそクラウのものだが、どこか超然的な話し方や大胆な態度を見ると、やはり彼女を形成するのにティアという人格が混じっていることを再認識する。
むしろ、以前よりも大胆になっているとすら感じるのは、ティア本来の大胆さにクラウの適当さ加減が上乗せされたからかもしれない。本来なら足して二で割れば薄まるものだが、彼女の場合はそのどちらも本質であったので、相乗効果でイケイケになっているといったところだろうか。
同時に、自分はクラウディア・アリギエーリに不思議なシンパシーを感じている部分もあった。自分と同じ景色を見たからだろうか、話の速い部分もあるし、言葉にせずとも伝わる部分も多いように感じる。
いや、元からクラウは察する能力は高かったようにも思うが、そこにティアの余裕が加わって、いい塩梅になったというべきか。それにジョークのセンスも近くなったように思うし、自分としては彼女と話していて居心地の良さを覚えているのは――今の物理的な距離の近さから来る緊張感はひとまずおいておいて――確かだった。
「……私、実はちょっと悔しい部分があるんですよ」
こちらが一方的なシンパシーを覚えている傍らで、ふと横からそんなアンニュイなため息が聞こえる。見ると、言葉と同じようにアンニュイな表情を浮かべて、クラウディアは視線を満点の星が浮かぶ湖面へと降ろしている。
「藪から棒だな……どうしたんだ?」
「私にだけ無いんです……一万年前の想い出が。もちろん、お話を聞けば、情報としてアナタの足跡を理解することはできると思います。でも、ソフィアちゃんにはグロリアさんの、エルさんにはリーゼロッテ・ハインラインの想い出が直接共有されている訳で……そういった生の体験が、私にだけないんです」
そこまで聞いて、ようやっと彼女の言いたいことが呑み込めた。今回の戦いにおいて、自分やチェンを筆頭に、遥か過去の因縁に立ち向かっている面々が多い中で、確かにクラウディアはそういった因縁が無いといえる。因縁の長さだけで言えば、通常の尺度で考えれば長い時を経ているはずのT3ですら、たかだか三百年と言えてしまうかもしれない。
逆を言えば、クラウディアは遥か過去の人間たちがやらかした諸々のことに巻き込まれた被害者とも言えるし、その中で抜群の存在感を放つ特異点とも言える。それに――。
「……それって必要なのか?」
何かに立ち向かうことに対して、全てを理解している必要などないとも思う。もちろん、事情を知らずに戦うことは無理解による暴力となりかねない側面はあるが、同時に全てを理解する事なんて不可能だ。そうなれば、結局は己の信念の任せる範囲で何かに立ち向かうしかないし、無理して全てを知る必要もないと思う。
「不要必要で言えば分からないですけど……でも、私にだけないなら、悔しいって気持ちも理解できません?
まぁ、ないものねだりしても仕方ないですからね。私にとっては、私の知る範囲のアラン君が全部ですから」
そう言いながら、クラウディアは一層こちらに身を預けてきた。何となく、自分は何か勘違いをしているような気がする。彼女の論点は「戦うために知るべきことを知っていること」ではなく、単純にソフィアやエルとの差についてだったのかもしれない。
彼女もこちらが勘違いしていることには気付いているのか、ともかく密着する彼女の香りと温かさと柔らかさで、どうにかなってしまいそうな心地がしてくる。
このままではいけない、雰囲気に流されてしまいそうだ。そう思って背筋を伸ばし、気持ち彼女との距離を空け――拒絶したいわけでもないのだが、少し落ち着きたい――少し話題を変えることにする。
「なぁ、戦いが終わった後のこととか、何か考えていたりするか?」
「アラン君、そういうのはフラグになるんですよ?」
「大丈夫だ、俺が皆を絶対に護ってみせるから」
多分こちらが少し落ち着きたい意図も察してくれたのか、彼女も少し腕の力を緩め――とはいっても離してくれるわけではないのだが――クラウディアは「そういう問題でもないと思いますけど」とため息をひとつ、そして再び光がちりばめられている水面へと視線を落とした。
「そうですね……私としては、やりたいことが三つほどあります」
「へぇ、結構あるな……聞いてもいいか?」
「はい。まず、アガタさんのお手伝いをしたいなぁと。実際、彼女にはたくさん助けられましたしね」
「なるほど、それじゃあ戦いが終わったら教会に戻るのか?」
しかしそれだと、一度異端とされて追放された場所にわざわざ戻るということになる。元はと言えばルーナが悪いと言えども、それも少々理不尽な話だとも思うのだが――そう思っていると、クラウディアは小さく首を横に振った。
「本格的に教会に戻る気はないんです。一応、私は元々ルーナの信徒ですし、一時期は魔王征伐のお供として名前も出されていたくらいですから、異端として追放されたことを加味しても教会内に影響力を持つことはできると思います。でも、あんまり自分がそういうことをしてるのって想像つかないんですよね。
それこそ、火力マシマシのとっつきとか作ってる方がテンションも上がっちゃうようなタイプなので、人の上に立って導く、なーんてのは向いてないんじゃないかと」
「はは、違いない……タイガーファングは良かった、ありがとうな」
「違いない」という部分に関しては、彼女が教会で影響力を持てないだろうと侮っている訳ではなく、素直な同意だった。むしろその気になれば、彼女は人の上にだって立つことはできると思う。相手の立場を理解し、心に寄り添う優しさのある彼女は、強力な指導者ではないとしても、良き先導者としての素質は備えているからだ。
だが、彼女の良さは前や上というより、むしろ隣にあってこそ発揮されるような気もする。同じ立場に立ち、側に寄り添うことで、相手を支える――そんな立ち位置の方がしっくりくるように思う。だから、人の上に立つというのには少々違和感を覚えるのだろう。
それに、彼女はルーナやレムどころではなく、その更に一つ上の概念の声を直に聞けるという世界にたった一人の力を宿している。その気になれば既存の宗派を根絶して、新たな教えを開くことだって可能なはず。
しかし彼女はそんなことは望まないだろう。クラウディア・アリギエーリにとって高次元存在の声が聞こえるというのは、目の前のことを一生懸命にやるためなのであり、それを政治の道具として使うタイプではないからだ。
何より、彼女は誰かを動かすよりは、自分自身で手を動かしている方が性に合っているに違いない。あのパイルバンカーは自分もテンションが上がったし――そんな風に思っていると、クラウディアはこちらの礼に対して「いえいえ」と少し謙遜して見せた後、顔を湖の方へと向けて今度は星空を見上げた。
「なので、どちらかといえば混乱が収まるまで、忙しくて目を回していそうなアガタさんを支える事に専念したいかなぁと思っている感じですね」
「なるほど、アガタも喜ぶと思うぜ……それで、二つ目は?」
「ステラ院長に恩返しがしたいなぁと思ってます。私がこうやってここまで来れたのは、ステラ院長の教えがあってこそだと思うんです……もちろん、アラン君たちにもたくさん助けられてっていうのもあるんですが、考え方とか、生き方とか、そういうことは全部、本当は全部あそこで既に学んでいたように思いますから。
具体的には……教会の再編が落ち着いたら、孤児院に戻って職員をやろうかなって。今日の朝まで子供たちに囲まれて、改めて思ったと言いますか……此度の戦乱が収束しても、その爪痕は大きく残ってしまっていますから。そんな戦禍に残された子供が一人でも真っすぐに育てるように、お手伝いしたいなぁと思っています」
クラウディアは空の輝きを見つめ続けながらそう続けた。まったく、彼女は立派だ――この世界の災禍の中心で翻弄され続け、それでも何を恨むわけでもなく、誰かのためにあろうとするのだから。
ふと、彼女の祈りが実現されている場面を想像してみる。自分もあの孤児院にはお世話になったし、子供たちも含めてその有り様を脳裏に思い描くことは容易だ。穏かで優しい院長の元、元気に育つ少年少女たち。しっかり者でユーモアもあるクラウディアなら、きっと子供たちの人気者になるのだろう。
そんな彼女と子供たちが、春には花の萌芽を喜び、夏には清流に遊び、秋には葡萄を収穫し、冬には暖炉の前で肩を寄せ合い温め合う――そんな牧歌的な情景がありありと浮かび、どこか懐かしいような、愛おしいような心地すらしてくる。
人と自然とが織り成す四季折々の美しい景色を描くことができるのなら――そんな一つの可能性が脳裏に浮かび、そして過ぎ去っていく。孤児院の生活は大変そうではあるものの、なんとなく自分の性にも合っている気もするし、彼女を支えながら生きていく、そんな道もあるんじゃないかと、自然とそんな思いが浮かび上がってくる。
しかし、彼女は立派過ぎるという風にも思う。これだけ世界に翻弄されてきたのだから、もう少し我儘を言っても良いと思うのだ。
「……恩返しばっかりで真面目だな」
「真面目が服を着て歩いているとよく言われますからね。でも三つめは、ちゃんと私自身の願いなんですよ?」
「へぇ、教えてくれよ」
「……当ててみてください?」
天に向かっていた紫色の瞳がこちらへと注がれ、そして再びこちらの腕をつかむ力が強くなった。当ててみろというか、当たってるんだが――いや、流石にこの流れで「わからない」と言うほど鈍いつもりでもないし、しかし彼女の上気している顔を見ると頭が真っ白になりそうというか――そうどぎまぎしていると、クラウディアはけらけらと笑って後、ようやっとこちらの腕を解放してくれた。
「あはは、そんなに困らないでくださいよー……大丈夫、分かってますよ。色々とね」
そう言って立ち上がり、少女は自分が貸していた外套を肩から外して、大事そうに腕の上に乗せてこちらへと差し出してきた。
「ありがとうございました。あったかかったですよ、これ」
「いいのか? 別荘まで送っていくから、それまで羽織ってくれてても……」
「えー? 良いんですか? 誰かに見られちゃうかもしれませんよ?」
そう言いながら、彼女は意地悪そうに目を細める。確かにこんな夜中に男女が二人一緒にいるところなど見られたら、あらぬ噂というか、変な誤解が生まれてもおかしくはない。いや、ある意味ではそれこそ自分がへたれているだけとも言えるのだが――まだ色々な事に踏ん切りが着いていない状態で彼女たちの気持ちに向き合うのも違うように思うのだ。
だから変に周囲に誤解を与えるのも違うと思うし、しかし同時にここで「そうだな」なんていうのも彼女に対して失礼にあたる。そんな風に思って困っていると、また少女は口元を手で隠してくつくつと笑った。
「そんなにあたふたしてちゃ、年上だ―なんて言えないですよね?」
「返す言葉もない……」
「……一つ勘違いしないで欲しいのは、私だってくっついてるの、結構恥ずかしかったんですからね? でも……それ以上にあったかくて、元気をもらえちゃいましたから。アラン君、ありがとうございます」
クラウディアは最初から羽織っていたケープを抱きしめながら、深々と頭を下げてきた。
「それじゃあ、名残惜しいですが、私はそろそろ戻ることにします。アラン君、良い夢を」
「あぁ……それじゃあまた明日な、クラウディア」
「はい……あの、最後になんですけど、クラウディアって名前を呼ぶの、ちょっと長くないですか?」
その言葉と一緒に顔を上げ、少女はこちらをじっと見てくる。自分でも何の気なしに呼び方を変えていたのだが――以前に自分が言って的中していたことがふと思い出され、それをそのまま口にすることにする。
「クラウとティアでクラウディアだったんだから、俺はクラウディアって呼ぶことにするよ」
これを出会った当初に言った時には呆れられたものだが、要するに自分が呼び名を変えていた理由はこれだったのだ。クラウと呼べばティアがいないし、ティアと呼べばクラウがいない。それらは今の彼女を呼ぶのに相応しい名ではないように思うのだ。
もちろん、彼女本人は呼び方など気にするタイプでもないと思うし、好きに読んでも問題ないと思うのだが――好きに呼んで良いのなら、好きに呼ぶことにするだけだ。それが思いのほかイイ所に当たったのか、少女は驚いたように目を見開き、しかしすぐに嬉しそうに細めた。
「ふふ……うん、そうですね。実はクラウディアって呼んでもらえるのは嬉しいので、それじゃあそのままでお願いします」
少女は頬を紅色に染め、同時に満面の笑みを浮かべて満足そうに頷き、そして少し慌てたようにそそくさと別荘の方へと歩いて行った。今日はやられっぱなしだったから、最後の最後に少しは反撃ができたとほっと胸をなでおろし――自分の方は彼女から受け取った外套を膝の上に置き、そのまましばらく夜風にあたり、上気した身体を冷やしてから寝床に戻ることにしたのだった。