B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
さらに翌日は、早朝に起きることが出来た。昨日は深夜に来訪者もなかったため早い時刻に眠ったため、目が覚めたのは日の出とほとんど時を同じくしてであり、画材を持って倉庫から出て、早々にいつものポジションにキャンバスを置いた。
椅子に座し、しばし朝の冷たい空気で頭を冷やし、朝食も摂らないままに筆を取る。早朝の集中力は昼のものに勝る――朝の清浄な空気のおかげなのか、身体が太陽の日を浴びることで分泌される何某かの成分のおかげなのか、それともただのプラシーボ効果なのかは分からないが、ともかくその集中力でもって一気に筆を進めていくことにする。
既に大まかな荒描きまでは完成しており、あとは細部に色を塗りこんでいくだけ。同時に、ここからは無限の時間を取れる作業ともなる。完璧主義者がなかなか作品を完成させられてないのは、その細部に意識を取られ、無限に塗り重ねていってしまうからだ。とくに部分に集中するとバランスが悪くなる――そのためなるべく全体のバランスを見て、部分が浮かないように注意を払いながら作業を進めていく。
パレットに絵具を出し、色を創り出し、風景に合う色を模索し――この絵は昼をイメージした絵であるが、絵が写真と違った自由さを持つのはここであり、その色彩に関して昼の光に縛られる必要はなく、朝の清浄な空気を閉じ込めようと、しかし陰影でバランスを壊さないように注意しながら――塗り進めていく。
そんな作業をしばらく続けていると、ソフィアが背後から朝食が出来たと声を掛けに来た。その声に離脱感が――世界と自分が一体のものとなって、景色が自分に語り掛けてくる感覚が――薄れるのと同時に、自分が人間であったことを身体が思い出したのか、胃が空腹感が訴えかけてきた。
そのため作業を中断し、彼女に連れられて別荘へと戻り――珍しくエルも既に起きていたが、どちらかといえば自分が集中していたので声を掛けるのを遅らせててくれたようだ――しばし談笑をしてからまた一人で外へと出て、再びキャンバスへと向かった。
朝食前の集中力はなかなか戻ってこないまま、しばし腕を組みながら自分が塗ってきたそれと向き合う。朝の作業のおかげで、すでに九割方完成をしており、あとは本当に細部を塗りこんでいくだけとなっている。しかしそれをどう表現したものかと悩みながら、絵と風景との間で視線を何度も往復させ、なかなか手を動かせないでいると、脳裏に声が聞こえ始めた。
『アランさん、アランさん。何やらお困りのようですね?』
『レムか……』
そう言えば、彼女の声を聞くのは丸一日ぶりな気がする。昨晩一同が集まっている時に、彼女から世情の共有がなされていたりはしたはずなのだが――なるほど、アレは普通に音声として聞いていたのであり、こうやって脳内に直接声を掛けてくるのは本当に一日ぶりだったことに気づく。
レム曰く、グロリアに二人っきりにしてくれとお願いされたのを切っ掛けに、自分が誰かといるときには気を使ってくれていたのだとか。一昨日の夜分に営業をしていないと言ったのは、クラウディアが――彼女は生体チップを残しているので、レムの方で位置や思考を見ることは可能とのこと――自分の方に近づいているのに気付いたからであったらしい。
『それで……誰にするんです?』
一応断っておくと、ソフィア達と話しているところはレムの方では見ていない、ということらしいが――彼女は自分の記憶を見ているから、間接的には把握していることになるはずだ。彼女が少女たちと話をしている時にこちらを見ていなかったのは、どちらかと言えばこちらの行動を制限しないためだろう。
『俺の思考は分かってるんだろう?』
『えぇ。ですが、敢えてこうやって問いかけることで、アランさんに改めて意識してもらおうと思いまして。そうじゃないと勇気を出して鈍い誰かさんにアプローチを掛けた娘たちが、浮かばれないじゃないですか?』
レムはどこか窘めるような調子でそう言った。自分の思考というのは、端的に言えば今結論を出すことは出来ない、というものである。レムはそれを分かっていて、敢えて釘を刺してきたという形だ。
結論を出せない理由は三つある。まず単純に、今は戦いの後のことを考えられないということ。自分は彼女たちにアレコレ聞いておいて虫のいい話にもなるが、そもそもの自分は本来なら一万年前に死んでいたはずの人間であり、改めて自分の在り方を考えるとなると簡単に結論を出せるものではないから――元々はDAPAが瓦解した後に正義の味方でもやろうと思っていた訳だが、今はその世情は大きく異なるため、また新たに自分の在り方を考える必要があるだろう。
それに付随して二点目、この戦いにおける自分の優先度はかなり低く設定している。七柱の創造神たちをかなり追い詰めたと言えども、まだあの星右京が残っている。そのため、この戦いに生き残れるとは言い切れないためだ。
結局、未だ量子ウイルスの影響はレムの方でも解析できていないのであり、そうでなくとも月は彼らの本拠地であり、次の戦闘だって生きて帰れる保証はない。自分が注力しなければならないことは、右京を止めるということと、未来ある者たちを生きてこの星に帰すこと、以上の二つだ。
チェンにはこの絵を遺作にするべきではないと言われたが――だから簡単に死んでやるつもりもないが――ともあれ頑丈な自分が少しでも矢面に立ち、彼女たちが語った目的を達せられるように道を切り開いていく必要がある。彼女たちがこの戦いが終わった後に思い描いている予想図は、この星の未来のために必ず必要なのだから。
三点目は、やはり迷いがあるということ。それは、二重の意味でだ。一つは自分が誰かと一緒になるということに関する戸惑いである。アラン・スミスは確かに暗殺者であり、この手にはローレンス・アシモフの脳髄を突き刺したあの感覚が染み付いている。誰もが皆、それは仕事であったとか、命令であったとか、お前のせいでないとは言ってくれるが――やはり誰かの未来を奪った分は、自分からも奪われるべきだと思う。つまり、誰かと一緒になって幸せになるということが、どうにも自分には許されないような気がしてならないのだ。
もう一つは、単純に選べないということ。何とも贅沢なようにも聞こえるが、正確な所で言えば次にようになる――自分が彼女たちを妹のように思っていたというのは嘘偽らざる本心であり、昨日の今日でその態度を一変させるということが難しいのだ。
もちろん、元からみんなのことを女性として魅力的と思っていたし、何ならスケベな目で見ていた部分だって間違いない。だが、実際に異性として改めて意識しようとすると、それが中々上手くいかない部分もある。ここ数日の彼女たちアプローチにはけちょんけちょんにされた訳だが、だからといって直ちに接し方を変えられるというイメージも沸かなかった。
『……もしかするとアランさんは、彼女たちを妹のように思うことで、無意識のうちに防衛線を張っていたのかもしれませんね。自分が人殺しであるということを本能的に覚えていて、それで特別な関係にならなくていいような目線で彼女たちを見ることで、決定的な選択を避けていたとも言えるのかもしれません』
『そうかもしれないな』
『でも、いつまでもあぁだこうだと言い訳をして逃げ回っているのも失礼じゃないですか?』
『……その通りだ』
『まぁ、アナタの気持ちもわかりますし……それにエリザベートが言ってくれたように、大切なのはアナタの気持ちですから。でも、ゆめゆめ彼女たちのことも忘れないようにしておいてくださいね』
全くレムの言う通りだし、事実としてエル達と向き合うことも必要なことは間違いない。この場に自分が居られるのは、彼女たちが自分を救い出そうと懸命に戦ってくれたから。だからこそ、もう一度右京を止めるチャンスをもらえたのだ。
いや、そういう物理的な話だけではない。自分は彼女たちにも精神的にも救われた。自分のやりたいことを支えてくれ、共に歩んでくれる存在がいることの、何と心強いことだろう。
『……何より、こんな俺のことを慕ってくれてるんだ。それだけでも有難いことだよな』
『そうですよ? アランさんの長所と言えばスニーキングと無駄に強い腕っぷしだけで、今のところ甲斐性なんか皆無なんですから』
『あのなぁ……そんなのは今までの話だろう? ちゃんとそういう立場になったら、きちんとしかるべきようにやるさ』
今までそういう仕事しかしてこなかっただけで、やろうと思えば他のことだって出来る――と思いたい。そうでなくとも、未来に向かって行く少女たちの歩みを支えることは出来るだろう。彼女たちが、今まで自分に対してしてくれたのと同じように。
ただ、誠実に向き合うのなら、本気で支えられるのは誰か一人だ。今までは七柱の創造神に立ち向かい、このディストピアを破壊するという共通の目的があったから共に歩んでこれた。それに対し、この戦いが終わった後の彼女たちの目的はそれぞれ異なる――そうなれば、自然と歩む道のりも異なってくるのだから。
それに自分としては、やはりグロリアのことが気に掛かる。一番初めに、戦いの後のことを約束したあの子は――彼女の言う通り、以前と今ではまったく状況も異なるが――この戦いが終わった後はどうするつもりなのだろうか? 彼女は終わってから考えれば良いとは言っていたが――。
『……話を始めたのは私ですけれど、今すぐ無理に結論を出さなくていいと思いますよ。それより、手元がお留守なんじゃないですか?』
『あぁ、そうだな……』
レムと話をしている間に、少し集中力も戻ってきた。筆を再び手に取り、彼女の声をまたラジオ代わりに作業を進めることにする。
まずは世界の状況――昨晩も共有されたがその進捗も併せて――について。都市部や主要な街の混乱については、迅速に対策行動を取ったことで予想よりは抑えることができたようだ。というより、やはり喫緊の課題に対して物理的な解決策を提示できた点が大きいのか――要するに、緊急の食料配給ができたことが教会の信頼の回復に功を奏したようだ。また、街道や城壁の結界を緊急に復活させることで、魔獣による被害を減らしていることも評価されているとのことらしい。
もちろん、全ての人々がそれに納得したわけでもないし、中には今こそ教会を打倒し、食料拠点を抑えるべきだとか急進的な行動を発言をする者も――確かにこの一年の間に食料を隠していたという不義理をしていたと言えなくもない訳で――いるようだ。とはいえ、この一年の間で黄金症を発症しなかった者の多くは第五世代や魔獣による襲撃が無くなったことを喜び、黄金症から目覚めた者は状況を理解することが手一杯であるため、急進的な思想に同調する者はほとんどおらず、余分な混乱を抑えられてはいるようだった。
懸念していた魂の消失については、今の所はそのような現象は見られていないとのことだ。代わりに、不思議な現象が見られると――それはこの惑星の上だけでなく、観測可能な宇宙上においても、かつて見た観測されたことのない量子の揺らぎが発生しているとのことらしい。
専門性の高い話で自分の脳では理解は仕切れなかったのだが、レムにして曰く「演算処理をしていないのに魔術が発生してるようなもの」と語られた。それに対して物理的な現象が起こっている訳ではないらしいのだが――それ以上のことは難しくて自分にはチンプンカンプンである。
ともかく、それが具体的にどんな結果を引きこすか、正確なことは言えないとのことだが――恐らく右京のウイルスの影響が出始めたのだろうというのがレムの見解であり、それ故にノーチラス改造の速度を早めているとのことだった。