B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~   作:五島七夫

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A Boy and the Tiger

(やはり来たか……先輩)

 

 アラン・スミスは自分と同じく、高次元存在に期待されていた存在だ。片や世界を終わらせるために、片や世界の存続のために――しかし、自分は既に明確な答えを持っているのに対し、彼はまだ答えを持っていないはずである。

 

 いや、もしかしたら自分が知らない内に、アラン・スミスは世界に対して何某かの答えを得たのか? それならと、探りを入れてみることにする。要するに彼の意識を映し出すモニターさえ見つかれば、彼が何を思ってここに来たのか分かる。それどころか、彼の魂を見つけ出せば、そのまま葬ることだって可能だ。

 

 過去のすべてに通じるこの領域において、旧世界や新世界、それどころか他の星々に生きる知的生命体の意識すら存在してしまうこの領域においては、那由多の数の意志が存在することになるのだが――すでに先刻から一気にウイルスによる浸食が進み、既にこの領域の半分は少年の意のままになっている。それならば、すぐにでも探し出すことが可能だろうと少年は踏んでいた。

 

 早速だが、その計画は当てが外れた。原初の虎の意識は何某かに守られており、少年には彼の魂を認識することは出来なかったのである。少年のカウンターとして存在している虎の意志を守っている一派があるのは認識していたし、それによる干渉がアラン・スミスを守っているというのだろうか。

 

 そして、原初の虎は間違いなく、こちらを目指して走り続けている。その姿を視覚的に捉えることはできない。より正確に言えば、少年が視覚的にとらえている男の像は、過去の映像なのである。

 

 物質を超越した空間においてただ唯一存在する男の肉体、それは重力や空気などの抵抗に阻まれることも無く、光の早さすら超えて――光が最速というのは物質世界における不変のルールであるが、この超次元存在においてそれは当てはまらない――際限なく加速し続ける存在が、こちらへ向かって迷うことなく走り続けきているのだ。光の速さを超えているが故に、彼のシルエットが映るのは、過去にそこにいたという痕跡としての光があるだけ。本体であるアラン・スミスの姿を捉えることができないのだ。

 

 しかし、迷いなくこちらを目指してきているということは、こちらが向こうを認識しているのと同様に、向こうもこちらを認識しているということか。いや、そもそもあの人ならば、確かに誰かの気配を察知するのは――それが光年など生易しいほど離れた単位であってすら――何故だか可能だと思わされるのだから性質が悪い。

 

 だが、それならそれでやり方を変えるだけだ。そもそも正面から戦う必要性など無い。どれほど虎が早く駆け抜けようとも、それならその速度でも太刀打ちできないほど距離を離してしまえばいいだけだ。原初の虎は走り続けることしかできないが、自分は軸を変えて瞬間移動ができるし、更には並行世界や過去へだって跳ぶことが出来る。肉の器に囚われているあの人は、決して自分に追いつくことなどない。

 

 自分が距離を離しているうちに全てを終わらせる。その後、あの人がどうなるのかは分からないが――高次元存在が役割を終えるとともにあの人の魂も消滅するのか、ただ世界に残る唯一の魂になるのか、どちらかだろう――どちらにしても自分の目的は達成できる。星右京と名づけられた魂は永久に消滅するという目的は果たされるのだから。

 

 少年はそう考えて軸をずらし、考えうる中でも最も遠く、宇宙の開闢の時に最も近く、そして自分達が歩んできた可能性の遥か彼方へとたったの一歩分で移動した。

 

 こうなっては、もはやあの人も追ってこれまい。肉の器にあるということは、空間も時間も可能性も超越できないことを意味する。あとは、あの人がこちらへ到達する前にやるべきことをすまして消えるだけ――しかし少年の目論見は外れた。先ほどまで背後から迫ってきたはずの男の気配が、今度は真正面から迫ってきていたからだ。

 

 なぜ、複数の次元の軸を移動した自分を虎が追うことができるのか。その答えに関しては、冷静に考えれば簡単なことだった。質量を持つ物体が光速を超えれば、時空や因果律を捻じ曲げる。単純に、原初の虎はその速度を極限に高めることで、次元の壁を突破してきたのだ。

 

 つまり、こちらの居場所が相手にバレている限り、どこに逃げようともあの人は自分を追ってくる。逃げ続けたとして、更に速度を上昇させ続けていることを想定すれば、それこそほんの一瞬で因果の果てまで到達するだけの速さを得てしまうだろう。以前、少年は原初の虎に「走り回るだけでは星の裏側で起こる悲劇を止めることなどできない」と言ったものだが、今のあの人は際限なく上がる速度で走ることで、どこへだって現れてみせる――それがこんな形で自分に跳ね返ってくるなど、一体どうして予測できたものだろうか。

 

 そうなれば、次の手段を取るしかない。少年には戦う力が無くとも、この無限の可能性の中からあの人を倒せる可能性を紡ぎ出せばいい。すでに少年は神に等しい力を有しており、接近してくる虎に対して相応の力をぶつけることは可能だ。

 

 まず、少年は魔術を用いて――それは旧友であるダニエル・ゴードンが作ったものだ――虎に対して攻撃を仕掛けた。しかし、こちらの攻撃の軌跡を読む野生の勘で、虎は少年が編み出した魔術をいとも簡単に躱してしまう。撃ち出された魔術は、原初の虎が過去にいた光を射貫くだけだ。

 

 次に少年は、原初の虎が苦手とした魔獣を、彼の進路を阻むように設置した。もちろん、単純な魔獣のコピーではなく、通常のそれの何万倍もの巨大さで創り上げ、それを何万体も設置する。しかし虎はその凄まじい速度を繊細にコントロールし、魔獣たちの反応できない速度でその隙間を的確に縫い、いとも簡単にそれらを潜り抜けてしまう――魔獣たちが攻撃するのは、ただ虎の残した残像に対してだった。

 

 それではと――次に少年が創造したのは、かつてアラン・スミスを最大限に追い詰め、かつ自分自身も恐ろしいと思った男の残影を創り出した。その残影は瞬間移動の能力を有し、かつ今の虎の規格と渡り合えるだけのスペックで新たに創り出されたコピーである。虎はその残影の出現に一瞬だけ驚いたような気配を見せたが、すぐに冷静な様子になり、速度を落とさないまま、旧世界の征服者が瞬間移動から姿を現した瞬間を捉えて一刀両断した。

 

 なるほど、既知の存在であの人を止められないのなら、既知の外側にある強力な抑止力を生成すれば良い。次に少年が創り出したのは、宇宙の始まりの中で最も強力なモノだった。それは自分達が惑星レムに到着する前に進化を遂げた古代人達が創り上げた宇宙兵器であり――彼らの知的好奇心は留まることを知らず、ある兵器を創り上げた。その名を人の身である少年は言語化することは出来ず、その大きさは恒星の大きさを超え、その兵器の形は深海に渦巻く軟体生物の形にも似て、その火力は一つの銀河系をゆうに破壊できるほどである。

 

 それに対し、虎に出来ることは走ることだけだ。彼の大きさは二メートルにも及ばない。規模感から言えば、まさしく大海に挑む砂粒にしか過ぎない。これで勝敗は決するはずだった。

 

 しかし、またしても少年の当ては外れた。それは、あの人がほんの僅かでも質量を持っているということと、自分が逃げ回りすぎた弊害とも言えるかもしれない――あの人が超次元の空間に足を踏み入れてから、その速度は際限なく上昇している。そして、威力というものは速度の二乗と質量の乗算に比例する。

 

 つまり今のアラン・スミスは、恒星一つを破壊するのを優に超えるだけのエネルギーを持っていたのである。原初の虎は古代人の超巨大兵器に対して、破滅的な勢いでぶつかり――恐らく蹴りを繰り出したのだろう――真っ黒な細い筋が巨大な球体に呑み込まれと思うと、それは恒星レベルの巨大さを一瞬で突き抜け、その直後に大爆発が巻き起こり、古代人の兵器は一瞬のうちに滅び去ってしまった。その爆発の勢いは凄まじい速度で周囲を焦がしていくが、その衝撃波の速度など加速し続ける虎の前には牛歩の如き速さに過ぎず、蹴りをかました当の本人は後方で巻き起こった爆発など歯牙にもかけず――実際にあの速度で進んでいたら爆発が起こっていることすら気付いていないかもしれない――駆け抜け続けている。

 

 同時に、それほどの威力でぶつかって、あの人はなぜ無事なのか。確かに、エディ・べスターの創り上げた機械の体に有機体が合わさっており、機械だけでは持たなかった再生能力を有している。更にフレデリック・キーツの最高傑作を身にまとっている。それは分かる。だが、そんなものは所詮は精々万年の科学の進歩の結果であり、億年をかけた古代人の技術の粋がいとも簡単に破壊されてしまうことも納得できない。何より、それだけのエネルギーでぶつかったのなら細胞の一片すら残らないはずだ。

 

 だが、原初の虎は確かにその身を保ち続けている。彼が通った道筋に残されている虚像を見る限り、後方の像はその身を焼いているが、こちらへ近づくにつれて再生していっている――つまり、凄まじい速度で体組織が再生しているのだ。確かに彼の体には晴子のリジェネレーションが施されているが、次元を超えてまでその影響を受けるとは考えにくいし、そもそも塵も残らないほどのエネルギーの中に居てすら再生するほどの効果はないはずだ。それなら、少年に取り込まれずにいる虎を支持する超越者の一派があの人を守っており、その身が朽ちぬように回復させているのだろうか?

 

 少年がその原因を辿ってみようとするが、虎の接近がそれを許してくれなかった。それならせめて移動を繰り返し、あの人が走れなくなるのを待つべきでないか? 変身さえ解ければ、あの無限の再生能力はなりを潜め、まだ対処できるかもしれない――いや、それは無駄だろう。高速戦闘が行われているせいで体感時間としてはかなりの時間が経っているが、アラン・スミスがこの領域に足を踏み込んでからまだ一分と経っていない。それでもこれだけの加速をしているとなれば、次に移動しても一瞬で距離を詰められるはずだ。

 

 それなら、あの人を止めるしかない。しかし、その存在はなんだ? この世界でもっとも強い存在、古代人の兵器すら超える恐ろしいモノ。ともかく、それをぶつける以外にあの人を止める手段はない。

 

 少年は想像力の限界で以て、その存在をなんとか創り上げ、原初の虎の前へ立ちはだからせて見せた。それは間違いなく、最強の存在であった――それを創り上げたのはほとんど無意識であったのだが、少年はそのシルエットを見て動揺した。少年が作り上げた影は、敵対するものと同じく光速を超える速度で走り出したその虚像は、羨望の眼差しを向け続けた男のシルエットそのものだったのだから。

 

 それを見て、あの人は仮面の下で笑ったに違いない。「それがお前の考える最強かよ」と――そして気が付けば、少年が作り出した想像上の虎は、本物が残したカランビットナイフに頭を貫かれて倒れていた。

 

 同等の力を持つ者同士がぶつかったというのに、どうして負けてしまったのか。その理由はあまりにも単純だ。原初の虎は常に少年の想像の上を往くからである。言葉遊びのようであるが、虎は少年の空想に勝る。それこそが全ての幻影をいとも簡単に振り払ってしまった要因だったのだ。

 

 もはや万策は尽きた。だが、それはあくまでも「原初の虎を止める」ということに関してだ。自分の勝利条件は、全く別の方法で満たせる。それならあの人がここにたどり着くまでの僅かな時間だけでも、やるべきことをやるだけ――。

 

「……右京ぅうううううううううううううう!!」

 

 名を呼ばれ、少年は思わず意識をそちらに取られてしまう。本来なら音が伝わる速度など虎が出しているスピードに比べれば遅いのであり、声が先立って聞こえることなどあり得ないはずだが――虎の意志が直接少年の意識に語り掛けてきたと言うことなのだろう。

 

「こんの……大馬鹿野郎がぁあああああああ!!」

 

 振りぬかれた渾身の拳は――視覚的には見えないが、間違いなく右の拳だ――人であった時に左頬と呼ばれた部位に突き刺さり、そして少年の魂は後方へと凄まじい勢いでぶっ飛ばされた。三次元の存在であるアラン・スミスの拳が魂だけの存在となった少年に触れたのは、その執念ゆえなのか、はたまた少年自身が「殴られた」ということを自覚したが故の作用であったのか――ともかく少年の魂は宇宙の果てまで飛んでいくのではないかという勢いで吹き飛ばされてしまった。

 

 そんな勢いでぶつかられてもどうにか少年が無事だったのは、既にダメージを受ける肉体を放棄していたおかげだろう。ただ、確かに痛かった。肉体的な痛みは無いものの、心には確かに彼の拳は響いた。だが、その痛みは不思議と不快なものではない。確かに彼の拳は怒りにまみれていたが、逆を言えばそれ以外の負の感情を感じられなかったせいかもしれない。

 

 少年が尻もちをつく形でうずくまっていると、二本の足がすぐに目の前に止まった。視線を上げると、ヒビだらけの仮面の男がこちらを見下ろしており――そしてその仮面が砕けて落ちるとともに、彼の身体を覆っていた黒い皮膚がボロボロと崩れ落ちた。

 

「……痛いじゃないか、先輩」

「はっ、そりゃよかったぜ。テメェにお灸をすえるために、わざわざこんな所まで走ってきたんだからよ」

「それは、とんだ苦労をかけたね……でも、もう全てが手遅れだ。すでにこの世界からは魂が消失しつつある。高次元存在は、もうじきその役割を終えるんだ。

 それに、貴方が何かの力を使って僕を滅するというのなら……それはそれで、僕の目的は達成されるんだ。僕はこの宇宙から永遠に消え去るためにここまで来た。この魂が消失するというのなら、それは僕の勝ちを意味するんだよ」

 

 そう話をしている間に、虎の足が一歩こちらへ近づいてくる。それで、少年はいつの間にか視線が下がっていたことに気づいた。そう、自分は勝ったはずだ。色々な計画は崩されたが、目標は達したのだから胸を張っていれば良い。それでも自然と視線が下がっていたのは、自分が選んだ結末に対して自分自身が納得しておらず、紡ぐ言葉が自然と言い訳がましくなってしまったからかもしれない。

 

 そんな少年の心を読み取ったのか、頭上からは大きなため息が漏れてくるのが聞こえる。

 

「はぁ……やっぱりテメェは大馬鹿野郎だぜ、右京。こんな宇宙に果てにまで来て、未だに勝ち負けだとか、優劣だとかに執着してやがるんだからな」

 

 聞こえてきた男の声には、もはや怒りは籠っていなかった。それこそ、先ほどの右ストレートで怒りは全て吐き出したとでも言わんばかりであり――後に残っている感情は、呆れ半分、憐れみ半分といったところか。

 

 しかし、少年はまだ顔を上げる心持ちにならなかった。呆れられること、憐れまれるということ、それが少年の自尊心を傷つけたからだ。自分が至らないから、失望される。それは少年が最も避けたかったものであり、それ故になるべく人目を避けて生きてきたのだから。

 

 ちっぽけなプライドだと笑われても構わない。結局、指摘されたポイントは少年がどれだけ悩んでも覆せなかった彼の本質であり、何を言われてもどうする事も出来ないのだから。

 

 少年がしばらく押し黙っていると、虎はまた大きなため息を一つ吐いて、また一歩少年に近づいてくる。

 

「俺はな、テメェを消し去りに来たわけでもねぇ。宇宙の趨勢をどうこうしようと思ってここまで来たわけでもねぇ。ただ一発殴って、テメェに言いたいことがあったからここまで来たんだ」

「成程、それで目的は半分達せられたわけだ……さぁ、残り半分は? 貴方を裏切ったことに対して文句を言いに来たのかい? それとも、晴子を幸せにできなかったことに対する恨み言でも言いに来たのかな?」

「いいや、違う。俺は、感想を伝えるためにここに来たんだ」

「……感想?」

 

 予想もしなかった言葉に、少年はそこでやっと顔を上げた。そこには、一万年前には見ることのできなかった――同時にこの星でレムに蘇らせられて初めて見た――優しい眼差しをこちらへむける青年の瞳があった。

 

「俺は、あの世界が好きだ。描きたくなるような景色がたくさんあって、若い活力に満ちた人々の暮らす……お前が創り上げたあの世界のことがな」

 

 そう言われても、少年にはピンとこなかった。むしろ唐突に感想を述べられて、唖然としてしまったという方が正確かもしれない。ただ、不思議とだが――好きだという彼の言葉が、少年の心の底に渦巻く黒い感情を幾分か解きほぐしてくれた。

 

 対して青年は、静かに後ろへと振り返った。彼の視線の向こう側に、僅かに見える光がある――それは、少年がまだ支配しきらない僅かな魂の残り火。その光は遥か彼方にある幽《かす》かな光だというのに、確かに青年の横顔を、背中を照らしてくれていた。

 

 そして少年は気付いた。虎がどれほど無茶苦茶な速度で走り抜けようとも、どれほど無茶苦茶な力で駆け抜けようとも、彼が砕けなかったのは――虎の帰りを祈っている無垢な魂たちが、彼を守っていたからだと。虎はその光を見つめながら口を開く。

 

「確かに、あの世界が出来た成り立ちは不純なものであったのかもしれない。人々の在り方は創造主の一存で歪められて、その成長を阻害されてきたのかもしれない……だけど、その創造主が自身のことをどんなに嫌っていたって、生まれてきた世界は、確かに美しかった……俺は、そんな世界のことが好きなんだ。

 それで、俺はあの星に生きる人々を守りたいと思ったし、そこで大切なものを得た。お前達が創り上げた世界に生まれた魂たちが、俺に本当に描きたくなるような世界を見せてくれたんだよ」

 

 そして虎は再び少年の方へと向き直り、口元に微笑みを浮かべながら話を続ける。

 

「思えばさ、親がどんなに歪んでたって、子供は育つんだよ。いや、もっと言えば……子供は確かに親の歪みだって引き継ぐかもしれないけれど、それを含めて人間って奴だろう?

 逆に言えば……俺を救ってくれたあの子達が、お前の創り出した世界で生まれ育ったっていうんならさ。お前にも確実に真っすぐな部分があるのさ。

 それで……俺が求めていたものが、お前が創り出した世界に全部あった。その感想をこうやって直接伝えるために、俺はここまで来たんだ」

「……わざわざ、それを言うために、こんなところまで?」

 

 少年の質問に対し、虎は静かに頷いた。もちろん、アラン側としては、手をこまねいて世界の終わりを待っているわけにもいかなかったのは事実なはず。しかし、原初の虎がここまで来た動機は間違いなく、少年が作った世界を肯定することだった。

 

 そして不思議とだが、アランが言葉を紡ぐたびに、少年は心が軽くなっていくのを感じていた。惑星レムを作った動機こそは自らの消滅であったが、少年は世界創造には全力を注いでいた。それは、確かに少年自身のこだわりでもあったが、やはり少年特有の諦めの悪さ――つまり、何かが自分に幸せをもたらしてくれるかもしれないという淡い期待から取り組んだことでもある。

 

 少年は妻との間に子を成すことが出来なかった。それ故に、惑星レムの創造は、彼の中の生物的な本能が何かを残そうと必死に足掻いた結果だったのかもしれない。そしてそれは、かつて絵を通して世界に意味を見出そうとした憧れの人物に対する憧憬も含まれていたのだろう。

 

 遥か昔、少年は虎に対して「自分も何かを作ってみようか」と言ってみたことがある。あの時は、本当に何かを作ろうなどと思ってもいなかった。少年の望みは消滅する事であり、後に何かを残すことになど意味はないと思っていたから。しかし同時に、何かを作ろうかと言ってみたことは、何かを創り出そうとする行為を通じて、羨望の的であるアラン・スミスに近づけるのではないかと――そんな期待は確かにあったのだ。

 

 だが、実際に惑星レムとその機構を創り上げたとて、誰一人として少年のこだわりや真意については気付いてくれなかった。DAPAの生き残りたちは大真面目に――時に少年のこだわりに疑問を持ったり、反対意見を述べながらも――あの世界を創り上げ、運営に協力してくれた。それ自体は有難いことであったのかもしれないが、協同の運営者となってしまった彼らは、既に少年が創り上げた世界を評価する側にいなかったのである。

 

 そう思えば、晴子が兄に対して「見て回ってくれ」と依頼したことは、不思議な因果があったと言えるのかもしれない。晴子は少年が創り上げた世界の機構を兄に裁定して欲しかったようだが、奇しくもそれが一周回って、本当は少年が求めていた「生み出したものへの評価」へと繋がっていた。惑星レムの外から来た彼こそが、DAPAの生き残りたちが創り上げた世界を客観的に評価できる、ただ唯一の人物だったのだから。

 

 そして少年が懸命に作り上げた世界は、ただいまを持って一人の男に認められた。その事実が、少年に感じたことの無いような充足感をもたらし――同時にその少年の心を通じて、消滅へと向かっていたはずの世界が息を吹き返し始めた。すでにその大半を少年が支配下に置いていたため、高次元存在の意識は少年の意識と連動していたのだ。

 

 その結果として、辺りに漂っていた無数の砂嵐が止み、モニターには先ほどまで映し出されていた映像が一斉に蘇ってくる。人々の魂が見せる輝きは、まさしく暗闇の空に浮かぶ無数の星のように瞬き、次元の果てで佇む二人を照らし始めた。

 

「右京、お前……」

「……いいや、違うよ。僕だけじゃなく、世界が……高次元存在が望んでいた答えを得たんだ」

「……それは?」

「自分が創り出した世界を肯定してもらうこと……彼らが求めていたのは、たったそれだけだったのさ」

 

 そう、たったのそれだけだったから、中々見つけられなかったのかもしれない。近くにありすぎて、見えなかったのかもしれない――そうなれば旧人類や古代種は、高度に形而上学を発展させ、あまりに多くの思考方法や難解な定義を生み出してしまったが故に、その単純な答えになかなか辿り着けなかったのも頷ける。

 

 恐らく、アラン・スミスは本心から、自分に創り上げた世界の感想を言いに来ただけに違いない。彼はそれが高次元存在が求めていた答えだったなどとは露にも思っていなかっただろう。

 

 しかし実際の所、高次元存在が求めていたのはこれだったのだ。善悪を判断できない上位存在が求めたのは、この世界が好きだという肯定的な感情――自分達の存在を認めてくれる言葉。自らが創り上げた世界を誰かが好んでくれるのであれば、この宇宙にはそれだけで意味があると言えるのではないか。

 

 もちろん、善とは移ろいやすいものであり、虎が少年にもたらした感情がそのまま宇宙にとっての普遍的な真理になる訳ではないかもしれない。アラン・スミスが出した答えが、宇宙にとっての最善であるとは限らない。しかし同時に、少なくとも、アラン・スミスの言葉は世界に対して意味を見いだせなかった上位存在や、世界に不幸しか見いだせなかった少年の心を救うものであったことは間違いない。

 

 思い返すと、少年は何度か他者から好意を向けられたことがある。同性からの信頼だってあったし、異性からの愛情だって受けたことはあった。だが、他者から好意を向けられたという経験は――なんとも不義理なことではあるが――少年の心を慰めるに足らなかった。その要因は、結局彼ら彼女らが認めてくれているのは少年が一生懸命取り繕っている仮面の方であり、同時に自分という存在が世界で最も信用ならないということを少年自身は自覚していたので、他者からの好意を素直に受け止めきれなかったのだ。

 

 だが、自分自身でなく、自分から生まれたものに対して好意を向けられるとなれば事情は異なる。創り上げたものを肯定されるというのは精神性の肯定であり、自らの本質の肯定である。少年は自身の外面を愛することは出来なかったが、誰よりもその内面を認めてもらうことを渇望していた。それ故に、アラン・スミスが掛けてくれた言葉が、一万年も苦悩し続けた少年の根っこの部分を救ってくれたのだ。

 

 そう思えば、仲間たちの最後が安らかであったことも納得できる。アシモフは彼女自身のあり方を自分で認めたのではなく、その足跡を娘に認めてもらえた。キーツは彼自身で自らを肯定したのではなく、宇宙を駆けるという夢を息子が引き受けてくれた。リーゼロッテは彼女自身で足跡を認めたのではなく、彼女の誇りと技を後胤が継いでくれた。そしてゴードンは彼自身を許したのではなく、彼が築き上げた学院の在り方をその生徒が肯定してくれたのだから。

 

 皆一様に、彼ら彼女ら自身でなく、彼らが生きてきた証を続く者たちに認めてもらえたのだ。自分の想いを誰かに継いでもらうこと、それはその者が生きてきた証を――その魂を肯定してもらったことに他ならない。だから、仲間たちの最期は穏かなものだったのだ。

 

 それは高次元存在とて同じことだった。彼らは己の一部を肉の器へと封じ、数多くの子供たちを三次元の檻へと送り出した。どんな答えを返されるか、この世界を作った時には思いもよらなかったのだろう。

 

 確かに上位存在は自分達の創造主であり、そういった意味ではやはり自分達との間に親子としての役割は存在する。そして、子供が自分の在り方を肯定してくれる――それ以上の喜びはない。

 

 つまり、宇宙の意味を見出すという命題は、アラン・スミスと、高次元存在と融合を果たしていた自分が彼の言葉を受け入れることで、一定の成功を得た。事の顛末はそういうことだったのだ。

 

「……まったく、皮肉だよ。僕は永遠に消え去りたいと思っていたのに、上位存在を取り込んでしまったことで、むしろ永久に消えることが出来なくなってしまったんだから」

 

 実際の所、消え去りたかった男が永遠にその機会を失ったとなれば、それは最大の罰とも言い換えることはできるだろう。少年の言葉に対し、アラン・スミスは心底嬉しそうに口元を吊り上げて少年の方を見下ろしていた。

 

「それじゃあ、俺の勝ちってことで良いな?」

「はぁ……こんな世界の果てまで来て、下らない勝ち負けにこだわってるのはどっちなんだい? でも、まぁ、そうだね……うん、僕の完敗だよ、先輩。やっぱり貴方は……僕が憧れた、最高のヒーローだった」

 

 今の言葉は、嘘偽りのない少年の本心だった。アラン・スミスは、宇宙と共に心中しようとする自分を見限る訳でもなく、こんな次元の果てまで駆けつけて、確かにその心を救ってくれたのだから。幼い日々に少年が憧れたのは、ただ強いだけのヒーローではない。困っている誰かを見たら、それこそ理由なんか考えずに手を差し伸べに行く。それこそが、少年が素晴らしいと思った魂の在り方なのだから。

 

 しかし、こちらの素直さに面を食らったのか――いつものように皮肉の一つでも返されるとでも思った居のだろう――アラン・スミスは唖然とした表情を浮かべて後、すぐに照れくさそうに頬を掻き始めた。

 

 少年自身も狙っていなかったカウンターが決まって少し胸がすく心地がして後、視線を上げて改めて辺りの景色を――再開された人々の営みをみつめる。そこには、自分が、自分達が創り上げた世界に生きる人々の営みが映し出されている。彼らは自分達が生み出し、育んできた結晶、随分と親の我儘を押し付けてしまったかもしれないけれど、それでもひたむきに成長し続ける萌芽――アラン・スミスが語ったように、自分達の良さも確実に継承してくれている愛おしい存在達の様子が、まさしく無数の星のように煌めいていた。

 

「それで……僕も、見たくなってしまったのさ。貴方が好きだと言ってくれた世界に生きる人々の未来をね」

「……なるほどな」

 

 男は頬をかくのを止めて小さく笑い、そして少年から数人分ほど距離を離して隣に座った。それは、いつかの日に二人で語り合った距離感と同じであり――気が付けば、二人の腰の下には瓦礫の山が敷き詰められていた。未来に希望を見出している時に瓦礫とは、少々景気が悪いのではないか――少年は一瞬そんな風にも思ったが、すぐにこの光景のもたらす懐かしさが勝り、悪くないような心持ちになった。

 

 アランの方も同様だったのか、最初こそ現れた瓦礫に驚き、しかしすぐにしっくり来たのか、瓦礫の下で足を延ばし、少年と同じように色鮮やかな星の瞬きを見上げた。

 

「……しかし、お前の作った設定な、全部が全部良いと思ってるわけじゃないぜ? なんだ、アラン・スミスが死人の呼び名って言うのは。人のコードネームを使うだなんて、趣味が悪すぎるだろう」

「それは、僕なりに先輩の死を悼んでだね」

「自分でとどめを刺しておいて、悼むもくそもねぇだろうがよ」

「はは、違いない」

 

 男の言葉は乱暴だが、声色は穏やかだ。だから、話しやすい。二課においては先輩と後輩という間柄だったが、互いに皮肉を言い合う悪友のような仲であったし、それが少年にとっては心地よい関係性であったことを思い出す。

 

 それは、アラン・スミスが真っすぐであるから安心できるという意味合いでもある。他の者と違って、彼の本心は分かりやすく、少年としても自然体でいやすく、だからこそ会話をしていて心地よかったのだ。

 

 もちろん、少年は知っている。アラン・スミスは大胆な一方で繊細な部分も持っており、相手の立場や気持ちを慮って、様々なことに苦心していることは理解している。ただ、少年と彼とが対照的であったのは、苦心した結果として自分の殻にこもってしまうか、全てを認めたうえで奔走し続けるのか、その違いであったのだろう。その諦めずに抗い続ける様が彼の真っすぐさであり、心地よさであり、同時に少年が永久にその背に追いつけないという絶望をもたらしていた。

 

 ただ、今となっては、羨望よりも感謝が勝る。二度も自身を殺めた相手を救うために、こんな果ての果てまで来てくれるなど、真似しようと思ってできることでもないし、何よりそのお人よし加減は真似しようとも思わない。だから、もはや少年は完敗だと認めた訳だし、ようやっと自己の肥大化を抑えて、彼我との間に明確な境界線を引くことができたのだ。

 

 少年がそんな風に自己分析をしている間に押し黙っていると――単純に会話より思考が勝っただけだが――隣からどこか遠慮するように小さな声が上がり始める。

 

「……でも、聞いたぞ。惑星レムに美しい景色をたくさん作ったのは、それこそお前が死んだ俺に捧げようとしたんじゃないかってな」

「晴子からそう聞いたのかい?」

「あぁ……違うのか?」

「ここで肯定してあげられれば、底値になっている僕の株を少しは回復できるんだろうけれど……残念ながら違うね。

 もちろん、この世界の文明レベルを中世相当で抑えたのは、進歩が最も遅れた暗黒時代と呼ばれた時代を再現するというのが一番の理由だった訳だし、そも自然環境も文化形成の重大な一要因になるから、なるべく旧世界に近い環境を再現させるのが良いだろうという実践的な理由もあったけれど……かなり細部までこだわったのは、単純に、僕がそれを見たかったからさ。

 ま、要するにだ。僕の趣味と先輩の趣味とが、たまたま合致したってだけだよ」

「はぁ、なるほど……いや、野郎と趣味が合うだなんて気色悪いだけだぜ」

 

 男は一瞬納得しかけたようで、すぐに首を振ってしっしと少年の方へ向けて手を振ってきた。だが、互いに悪い気はしていないはずだ。趣味が合うというのはそれだけ互いを理解しやすいということの証左なのだから。

 

 その後は、惑星レムについての話を瓦礫の上で気の向くままに語り合った。アラン曰く、都合の良いように改造して抑圧していたことはいただけないが、それでもやはり少年たちが創り上げた機構は冒険心が掻き立てられて不謹慎ながらにワクワクしたということ。自然と共存し、時に切り拓き、積み上げてきた街並みや景色には何度も心を打たれたこと。そしてどれだけ創造主たちが抑圧しようとも、少しずつでも成長しようとする子供たちの在り方を美しいと思ったこと――アラン・スミスが惑星レムをディストピアと評したことなど、少年たちが創り上げた世界のうちのほんの一部の評価にしか過ぎなかった。本当に、彼はあの世界のことを愛してくれているのだと――話しているうちに、それが少年には痛いほど伝わってきた。

 

 男の感想に対し、少年は「それはこういうつもりであった」だの、「結構苦労して作った」だのと、創り上げた世界に関しての蘊蓄《うんちく》を語った。きっと、我が子を自慢したくなる親の気持ちというのはこういうものなのだろうと。可愛いだけでない、好きなだけではない、時には面倒くさいことだってあるし、合わせ鏡の存在に眼をそむけたくなることもある――だが同時に苦労して育て上げたからこそ誇らしく思う。少年は今更ながらにそれを理解した。そしてやはり脳裏に浮かんでくるのは、いつでも自分の隣に居てくれた彼女のことだった。

 

 今となってはどうすることもできないが、出来ればもう一度彼女と――そう思って首を振っていると、隣からまた控えめな調子で質問の声があがった。

 

「……それでお前、これからどうするんだ?」

「どうするもこうするも、さっき言った通りさ。僕は高次元存在と同化し、永久に消滅できない存在になってしまった。まぁそれこそ、はるか遠い未来か何かに、僕のようなヤツがもう一度現れて、今度こそ意志という物を全て消滅させてやるって殴りこんで来たら分からないけど。

 ただ、そんな馬鹿な奴が来ない限りには……ここから永久に世界を見守ることになるだろうね」

 

 少年はそこで言葉を切って隣を見る。男はどこか寂しげに眉を潜めていた。それは一般的な魂の在り方から逸脱してしまった自分への同情なのか、消えようとしていた魂がその機会を永久に失ったことに対する――または失わせてしまった事に対する悔恨なのか。はたまた、ここで少年が永久に孤独に過ごすことに対する憐憫なのか。恐らくそのどれもが正解であろう。

 

 同時に面白かったのは、やはり彼が真っすぐな人だということを再確認させられた点だ。以前は仮面で表情が見えなかったはずなのに、彼から感じる感情は、以前から少しも変わらない――むしろ表情が見えているせいで、余計に余計に痛ましく感じるくらいだ。

 

「大丈夫さ、悲しいことなんかない。ここからなら、全てが見える。過去も、現在もね。未来からの光はまだ来ないけれど、それはせいぜいネタバレの回避とでも思って楽しむことにするよ。

 それに当面は、誰かさんの行く末を見守っているだけで、退屈はしなさそうだ」

「……テメェに見られていると思うと、おちおち眠ることすら出来なさそうだ」

「まぁまぁ、良いじゃないか。僕がこうなったのは自業自得なんだろうけれど……こんな所まで追いかけてきた誰かさんに対する、ちょっとした仕返しだよ。

 でも、そうだね……もし、望むなら、彼女が隣にいてくれればありがたいんだけれど……」

 

 少年が伊藤晴子を愛していたという気持ちに偽りはなかった。ただ、申し訳なかったのだ――愛する彼女に対して、到らない自分が。完璧でない自分では、彼女を幸せには出来ないのではないかという焦燥感が常にあって、そんな彼女の隣にいる自分が許せなかった。今となってはそんなことは些末な問題ではあるのだが――。

 

「……僕はとんでもない甲斐性なしだったからね。もはや、愛想も尽かされてしまっただろうし……そもそも、彼女は僕を止めるために、貴方を蘇らせたわけだし……」

「いいや、そんなことは無いさ。大丈夫、晴子はきっとそのうちここに来てくれる……言ってたぜ、お前に対する感情は執着だってな」

 

 アランが聞いたというのは、正確には晴子の言葉ではなく、彼女の人格を模したAIが言った言葉なのだろう。しかし、少年はずっとそのAIに対して本物を感じていた。実際に、彼女は本物であったに違いない。それは、夢野七瀬の魂が、クローンを通じてセブンスという器に宿ったのと同じように。

 

 魂とは、別に必ずしも肉の器に宿る必要性はない。単純に有限の器に魂をもたらすことが命の代謝を産むからこそ――ゴードンが危惧したように、循環しなければ硬直と腐敗を生む――高次元存在は有機物に魂を封じたのであって、自ら思考し世界に何某かを働きかけようとする物に対しては、なんにでも魂は宿りうる。

 

 その証拠に、第五世代型の中でも、その萌芽を見せている個体は存在する。それに、キーツが考えたように、道具にすら微細ながらに意思は存在するのだ。それならば、AIに魂が宿ったってなにもおかしくはない。惑星レムの海を管理するAIには、確実に伊藤晴子の魂が宿っていた。

 

 何より単純に、高次元存在と一体になった今の少年なら、晴子の魂の居所をある程度は把握することができる。一年前に海と月の塔で本来の彼女の生命維持装置を破壊してからも、彼女の魂は次の輪廻に向かっていない。つまり、彼女の魂はまだ現世にある。そして、彼女が機械の目を通して見ている景色を、少年はただいま宙に浮かぶモニターから確認できるのだから、彼女はまだあそこに存在しているのだ。

 

 それならば、確かにアランの言うように、彼女はきっといつの日かここに来てくれる。その時に、何て言われるかまでは想像も出来ないが、もう一度、彼女と会うことはできる。散々彼女には酷いことをしてきたし、今更彼女と一緒にいたいなどというのも全くこちらの我儘という物でもあるのだが――しかし執着というのはどこか彼女らしくて、少々笑ってしまうのも事実だった。

 

「はは、そいつは怖い。まったく、執着なんて……僕になんかもったいない感情だ」

「そんなこと言うなよ。俺の大事な妹なんだ……お前は、晴子が愛し続けた男なんだ。だから、勿体ないなんて言うもんじゃないぜ。今度こそ……晴子のことを頼む、右京」

「……あぁ、今度こそ。嘘偽りなく……今更彼女のことを幸せにするなんて言えなけれど……任せてくれ、先輩」

 

 少年の返答に、男は満足そうに頷いてくれた。そして瓦礫の海に静寂が訪れた。こんな風に沈黙ですら心地いいのは、彼が少年にとって数少なく心を許せる相手であるからこそだ。これは、この兄妹の特性といって良いのかもしれない――むしろ、晴子は兄の影響があったからこそ、一緒にいて居心地が良かったのかもしれない。

 

 もちろん、やはり同性と異性で距離感が違う部分もあるし、兄には兄の、妹には妹の良さがあり、同時に難しさもあるのだが――ともかく、先ほどは自分のことを聞かれたので、少年は相手のことを聞き返してみることにする。

 

「それで、先輩の方こそどうするつもりだい? 何か帰れる算段があってここに……あるわけないか。タイガーマスクはそういう男だ」

「イヤな方向性に信頼が振り切れているが……まぁ、その通りだ。残念ながら、無策でここに吶喊してきたよ。それに……」

 

 男はそこで一度言葉を切り、外套の下にあるベルトを優しく叩いて見せた。それが最後の衝撃となったのか、ベルトはバラバラと木屑かのように崩れてしまう。

 

「もう、コイツは使えないからな。ここに来た時みたいに、馬鹿みたいな速度で走って帰ることも難しいな」

 

 そう言いながら、アラン・スミスはどこか寂しげに笑った。流石に光すら超えるほど無茶をさせたのだから壊れて当然と言えば当然なのだろうし、逆によくここまでもってくれたとも言えるのだろうが――彼が今抱いている感情としては、恐らく良きライバルであったフレデリック・キーツの作品を壊してしまったことに対する申し訳なさ、と言ったところか。

 

「それじゃあ、僕と一緒にここで過ごすかい?」

「勘弁してくれ。陰気臭い野郎と一緒に四六時中一緒だなんて、気が滅入らぁ」

 

 アランはそう言いながら、再度少年の方へ向けて面倒くさそうにしっしと手を振る。直後、遥か彼方をじっと見つめながら口元を引き締めた。

 

「仮に戻れなかったとしても、後悔はない。あの子たちの未来を繋ぐことは出来たんだから。だが、未練はある……俺は、あの描きかけの絵を完成させたいんだ」

「それなら、貴方は帰らないといけないよ」

 

 そう言いながら立ち上がり、少年は目の前の空間を指先で一撫でする。すると、瓦礫の海の上に一筋の光が入りその光は遥かへと続く道になった。その道の終着点には、虎の帰りを祈っている者たちが待つ、現世への眩い光が輝いている。

 

「悪の組織を倒して戦いに終止符を打ち、そして還らぬ英雄となる……一見すると美しい幕引きだけど、そんなものよくある三文芝居だ。ヒーローは生き残り、決断して掴んだ未来の結末を、その最前線で見る義務があるんじゃないかと思う。

 そして、今度は僕に見せて欲しいんだ……貴方の作品をさ」

「ヒーローだなんて、そんな大それたもんじゃないさ……俺は勝手に皆のためだとかなんだと走り回ったが、結局……俺の方こそ、あの子たちに救われたんだから」

 

 男はそこで言葉を切り、道の先で輝く光を見つめながら自嘲的な笑みを浮かべる。

 

「散々言われたよ。自分一人頑張れば世界がどうにかなるなんて酷い傲慢だって……実際にその通りだと思う。思えば、人なんてもんは誰かに救われるもんじゃないんだ。確かに、幾分か手伝いはできるかもしれないけれど……誰かが救われる時ってのは、勝手に救われてるもんなんだ。

 もっと言えば、自分で自分を許した時にこそ、人ってのは救われて、成長するもんなんだと思う。お前だって、結局のところはテメェが歩いてきた道筋に救われたんだから」

「そうかもしれないね……ただ、ならばこそ、貴方は帰らないといけないよ。貴方を救えるのは、未練を解消できるのは、貴方だけってことになるんだからさ」

「右京……」

「……とまぁ、あぁだこうだと理屈はつけたけど、ここで貴方がキチンと帰ってくれなきゃ、さっき誰かさんの未来を見届けたいって言ったのが嘘になってしまうからね。話が締まらないってのが本音さ」

 

 少年が振り返ると、男は道の先にある光をじっと見つめ――そしてまた微笑を浮かべながら首を横に振った。

 

「不公平じゃないか? 俺はお前から感想を聞けないんだからよ」

「大丈夫だ、ちゃんと伝えるよ。ただ、それは未来の話……僕からしたら一瞬だろうけれど、貴方からして見たらまだまだ先の話になるだろうね」

「……あぁ。その時が来たら聞かせてくれ。そん時は、俺はしわくちゃのジジイになってるかもしれないがな」

 

 そこまで言って男はようやっと立ち上がり、瓦礫を踏みしめながら亀裂の前に立った。一応、少年はまったくの善意から帰り道を用意したのだが――元々持っていたJaUNTの発展型でもあり、自然とできたことではある――如何せん他人を遥か彼方に送り届けなければならないので、一瞬で移動とはならない。そして、いくつか注意すべき点もある。

 

「光の筋の上を行けば、あるべき場所へと帰れるはずさ。だが、気をつけてくれ……かなりの距離の移送になるから、結構な距離を歩くことになるはずだ。

 そして多次元宇宙はその構造上、ちょっとでもズレれば上手く戻れなくなるかもしれない。少しのズレが複雑な因果をもたらし、たとえば宇宙空間に投げ出されてしまうとか、何万年もズレた時間軸に放り出されてしまうかもしれない。

 だから、この筋に乗ったら、後は振り返らず、真っすぐにあの光を目指していくんだ……貴方の帰りを待っている人たちがいる、あの場所にね」

「あぁ、了解だ……とはいっても、別に外れることも無いと思うが……」

 

 アランはそこで言葉を切り、しばらく亀裂の奥にある光の筋を見つめて押し黙った。確かにそう幅のある道でもないが――横幅は三十センチメートルといったところだ――今更になってそれを怖がる男でもあるまい。恐らく、本心としては――。

 

 そしてややあってから首を回して少年の方へと顔を半分見せ、嘆息を吐きながら口元を吊り上げた。

 

「……どうせこれが最後なわけでもないんだ。あんまりしんみりしても仕方がねぇな」

 

 そう言って男は少年に背を向けて光の筋へと一歩足を伸ばす。

 

「それじゃあな。またいつか会おうぜ、少年」

「そうだね……またいつか会おう、先輩。そして、ありがとう」

 

 少年の返答を背中で受け、男は右手を挙げてひらひらと手を振り、そして一歩一歩を踏みしめながら光の方へと向かって歩き出す。少年は段々と小さくなっていくその背が見えなくなるまで――いや、見えなくなってからも男が去っていった道筋をいつまでも見つめていた。

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