B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
自分の近況が話し終わってからは、アガタとクラウから教会に関する状況が語られた。大まかな概要は自分も確認している――結論から言えば、ひとまず教会はその社会的な立場を大きく落とすことは無く、それなりの立場を保ち続けている。
というのも、差し迫った問題に対処するのに、教会が活躍したからである。一つは依然と続く食料問題に対処したという点、もう一点は単純にこの二年間で勢力を増していた魔獣に対処できる結界を生成できるのが結局教会だからという点である。生活の安全性を確保するという点では魔術師と変わらない立場であるものの、そのうえに人が生きるのに最低限必要なものを供給した点が評価され、大きな迫害は逃れている形だ。
とはいえ、その精神的な立場の後退は免れなかった。とくにルーナ派の立場は、想像通りに低下した。女神ルーナはレヴァルを中心にその悪逆が実際に目撃されてしまっているので、それが原因で社会的な地位を下げてしまったのだ。
多くのレムリアの民たちにとっては記憶にないことと言えど、他の七柱に此度の混乱の責任を被せるとなれば、どうしても槍玉は必要になる。その責任の所在は実際に世界の終わりを告げたアルファルドと、実際に手を下したルーナとに集められる点は致し方が無かった。
とはいえ、それはあくまでも個別の神に対する攻撃であって、教会全体への批難に繋がる訳ではない。この世界の宗教は多神教であり、多くのレムリアの民たちは贔屓にしていた神が存在していたと言えど、七柱全てが悪い神でなかった以上、その信仰の対象が絞られただけに過ぎない。とくにアルファルドは語られぬ神であり信徒も持っていなかったので、実害を被ったのはルーナだけで済んだというのは――ルーナ派に属する人を除けば――僥倖であったのかもしれない。
とくに此度の戦いにおいて、アルファルドがレムは第六世代型達の味方であった点を公表してくれたことで、主にレムが信心を集める形で教会はその権威を保つことが出来た訳だ。この辺りに関しては、復興前から事前に想定されていた通りになったとも言える。
また、教会全体の威信を失墜させなかった点として、レム派による以下のような説得があった点も見逃せない。女神ルーナは長い時を掛けてその善性を失墜させてしまったが、その原初は聖典に語られるように、間違いなく慈愛の神であったと――それ故に、聖典に記されている道徳が揺るぐものではないと。
この言説のおかげで、レムリアの民たちの倫理観の低下は免れたと言える。もちろん、社会的な混乱は依然として収まらず、依然として人心が荒廃していること自体は否めない。しかし、それでも各所で人々の道徳心が聖典と共に焼かれなかったのは、レム派によるルーナの擁護に寄る所は大きい――ある意味、旧世界においては伊藤晴子がローザに助けられていたことの恩返しがここになって為されたとも言えるのかもしれない。
ちなみに、どこにでも逆張りをする人間というのはいるもので、此度の戦いは実はレムとレアが組んだ七柱の内乱であったとか邪推する者も存在する。それはある意味では正しい側面もある。実際、レムが最初にこの世界の在り方に疑問を持ち、本物の邪神ティグリスを蘇らせたことが今回の戦いの始まりであり、同時に彼女はファラ・アシモフを離反に誘った訳だ。批判主義者が言うように、事実としてレムとレアの信仰は以前より厚い物となっている。それ故、勝者が歴史を歪めているだけで、実際にはルーナ神が正しかったと言っている者は僅かながらに存在する。
とはいえ、こういったルーナを支持する言説はそのうち消えていくことだろう。先述の通りに実際にルーナの悪逆は目撃されているし、この説を唱えるのは黄金症を発症して眠っていた熱心なルーナ信者だ。それ故に、このような言説を支持する人の社会的な立場は非常に弱い。あまり表だってこのような意思表明をすることは徐々に出来なくなっていくに違いない。一応、ある種のカルト教的な意味合いで今後も続いていくかもしれないが――旧世界での悪魔崇拝などと同じような立ち位置として――それがマジョリティとして復権することはもはや望めないと予想される。
ルーナがその威信を地に落とす一方、信心を一手に集めたレムだが、半年前には眠りについた。正確には、彼女の復活は、一年前に取り決められていたように一度も公表されてはいない。下手にレムが存在していることをレムリアの民たちが認識してしまえば、彼らは彼女に頼りきってしまうことになる――それはレムリアの民の自立を阻害することになってしまう。
そのため、レムはその存在を公表することなく社会的な趨勢を見守り、一段落した後でこの星と人工の月との維持管理機能を除いてその機能を停止させたのだった。
そしてそれは同時に、この世界をディストピアとしていた最大の要因である「神による監視」が無くなったことも意味する。彼女こそが第六世代型達の記憶や意識の管理を担っていたのであり、この三千年の中において危険因子が出現した時に対処をしていたのは彼女に他ならない。アルファルドたちに反旗を翻した女神こそが、実は最も管理社会に貢献していたというのは皮肉なことだが――ともかく三千年の歴史において、人々は初めて精神の自由を手にしたと言える。
そう言った意味では、自分達第六世代型アンドロイドはようやく親の目を離れたと言ってもいいだろう。成人したというよりは、やっとプライベートな個室を与えられた子供、という表現の方が正しいのかもしれないが。それでもようやっと、一つの自立した存在としてこの地に足を降ろしたと言えるのかもしれない。
レムが眠りにつくタイミングに関しては、事前にアガタから共有と相談は受けていた。アガタや彼女の復活を知る一部の教会の司祭たちは、まだ社会は安定したと言い難く、もう少しレムに残って欲しいと伝えたようだ。しかしレム曰く「最も難しい状況は切り抜けたし、結局問題はあとからでも絶え間なく出てくるから、言い出したらきりがない」と一蹴した。自分とチェン・ジュンダー、ブラッドベリもレムの意見に賛成したことで、アガタも引き下がった形だ。
以上のことを取りまとめると、教会の再編という事業は概ね成功したといえる。未だ不信の火種は消え去っていないものの、当初想定されていたよりはずっと穏便な形になっているのだから。教会は魔獣除けの結界を供給するというインフラを担うことで地位を保ちつつ、教会の教えは絶対的な信仰の対象ではなく、道徳観や倫理観の形成の場の一部として残る。このような結果になったのは奇跡であると同時に、早期に黄金症後の対応に尽力したレムとアガタ、並びに教会の指導者達の努力の賜物といえるだろう。
さて、ここまでが現状の教会の情勢で、その後からはポツポツとアガタとクラウの近況が語られることになった。レムが眠りにつく半年前まではクラウも海と月の塔に留まって教会の再編に協力していたが、今ではそれぞれ別の道を歩み始めている。
アガタはペトラルカ家の当主として、またレム派の筆頭として、今も海と月の塔において執務を行っている。もちろん、自分と同じように政治手腕的には彼女はまだ若輩者の立場であり、指導者としては彼女の父、並びに枢機卿達が権勢を振るっているが、アガタ自身は父の補佐を行い、次期の指導者としての経験を積んでいる形だ。
「まだ、信仰というものがレムリアの社会にとってどのような役割を担っていくか予測もできませんが……私はこの星の平和と発展のために尽力するつもりです。この星に生きる子供達が健やかに育っていくこと……それが、眠りについた我が主の願いでもありますから。
しかし、生まれてこの方、ずっと彼女の声が聞こえていた訳なので、それが聞こえなくなるのは……やはり寂しいものがありますわ」
高原へと向かう道すがら、アガタはどこか寂しそうに笑いながらそう呟いた。自分としては、彼女の気持ちが全く分からないでもない。それは恐らく、自分にとってグロリアの声が聞こえなくなったのと感覚的には近いだろう。
むしろ、彼女の場合は自分のそれよりも重大といえるかもしれない。言っていたように、彼女としては生まれた時からレムが隣にいた。自分としては半身を失ったという悲しみがあったが、彼女からしてみれば息をするのと同じように当たり前にあったものを失ったことに近いのであり、その喪失感を完全に理解することはできそうにもない。
「でも、これこそが彼女が望んだ結果でもありますから……うん?」
アガタがそこで言葉を切ったのは、隣を歩いていたクラウが肩を叩いたからだ。ただ肩を叩いただけでなく、クラウは人差し指を伸ばしており――都合、アガタの頬にそれが突き刺さる形になる。クラウは意地悪そうにニヤッと笑い、対してアガタは呆れたように友を見つめた。
「……貴女は子供ですの?」
「それはこっちのセリフです。アナタの忠誠心は素晴らしいとは思いますけれど……主が眠りについたというのなら、アナタはあなたの人生を生きなきゃいけません。それに、私が居るじゃないですか?」
まぁ、四六時中アナタに話しかけられるわけじゃありませんが、クラウはそう言いながら手を引っ込めて微笑み、アガタも「そうですわね」と微笑みを返した。
「でも、私は変わらず教会の未来のために尽力をするつもりです。それは彼女が望んだ世界の実現のためでもありますが、同時に私自身の願いでもあるから……それなら良いでしょう?」
アガタの言葉に対し、クラウは頷き返した。同じように、この場にいる全員が納得したことだろう。多かれ少なかれ、自分達は旧世界の人々の意志を継ぎ、そしてそれを自分の道として歩み始めているのだから。
さて、ここからはクラウについて。まずは教会に残った半年間の詳細から共有された。彼女はルーナ派とレム派のパイプラインとして活動していた。旧ルーナ派でありつつペトラルカ家と繋がりがあり、双方の迅速な意見のすり合わせを実現するためだ。
クラウがこのような役割を名乗り出た時、アガタは最初は反対したようだ。そもそも、クラウを異端とした者たちのために尽力することもないし、同時にそういった背景があるために、ルーナ派にクラウが受け入れられないかもしれないと判断したためだ。とはいえ、黄金の疫を通じてパワーバランスが崩壊した両陣営のパイプ役は必要であるとして、最終的にはクラウにその役割を任せた形である。
そして実態としては、アガタが心配したようなことにはならなかった。ルーナ派の司祭たちとしても、ペトラルカ家と繋がりのある者が手を貸してくれるというのが渡りに船だったからである。クラウのおかげで両派の意思疎通が迅速に行われた結果、教会の混乱は半年という、騒動の大きさに対しては僅かな期間で落ち着きを見せたといっても過言ではない。
なお、クラウは教会に残った半年において、主神との繋がりがあることはその活動を通じて黙っていた。七柱の権威が失墜した中で一足飛びにより上位の存在の神託を受け取れる預言者が現れたとなれば、それだけの権勢を握ることもできただろうが――彼女にはそういった欲が無かっただけでなく、あの戦いの後から高次元存在の意志を汲み取りにくくなったのも原因としてはあるようだ。
曰く、あの人が多次元宇宙に旅立った後から、徐々にその声が聞こえなくなり始めたとのことらしい。その詳細までは不明だが――彼女自身はあまりそのことを気にしている様子もなかった。
「別に、主神の声が聞こえなくても、自分のやりたいことをやっていくだけですからね」
クラウはそう言いながら屈託なく笑った。以前、彼女には色々と敵わないと思ったが、この一年でも彼女の強さは全く変わっていないと言えるだろう。
なお、上位存在の声が聞こえにくくなったのに合わせて、第八階層級も使えなくなってしまったようではあるが、枢機卿クラスの神聖魔法を扱うこと気配を感じ取る能力とは残ったとのことらしい。それでも今の世の中を生きるには十分だろうし、彼女自身も第八階層が使えなくなったことも全然気にしていないようだった。
教会を去った後、クラウは聖レオーネ修道院に戻って孤児院の職員となった。それは、かねてからの彼女の願いでもあったのだが、彼女が教会での執務を止めてでも解決しなければならない差し迫った問題を解決する為でもある――つまり、黄金症の発症に端を発する、その後の第五世代型や魔獣の襲撃によって急増してしまった孤児達の問題が浮上してきたためだ。
魔族との戦争において戦災孤児が増えていたのに、そこからさらにその数が急増してしまったとなれば、親のない子供たちを受け入れるだけの設備が足らないという問題が発生していた。そこで、教会指定のいくつかの孤児院に優先的に予算を与えて人員と設備を拡充しているのだ。
とは言っても、孤児院の職員だって足りているわけではないし、予算が正しく使われているか監査をする必要もある。そのため、教会指定の孤児院には監査員が送られるとともに、クラウディア・アリギエーリは孤児院での業務について詳しい立場であるので、まさしく孤児院に派遣されるにはうってつけの人材ということであった。
「……元々、聖レオーネ修道院は建物の老朽化の修繕のために予算の申請をしていたんですが、ローザによって棄却されていました。それは、異端者である私を排出した腹いせだったのでしょう。
ともかく、新しい体制の元で聖レオーネの今までの功績が評価されたので、指定の孤児院となることができました。これも、アガタさんがキチンと評価してくれたおかげです」
そう言いながらウィンクをするクラウに対し、アガタは瞼を閉じながら微笑みを返した。実際の所、自分がアガタの立場であったとして――仮に親交が無かったとしても、クラウディア・アリギエーリを排出した孤児院となれば評価せざるを得ないだろう。七柱との戦いにおける貢献ももちろんだが、それ以上にこの過酷な世界において、クラウディア・アリギエーリの精神性を育んだ孤児院となれば、それは優れた教育が為されている証拠だからである。
このようにクラウとアガタは別々の道を歩み始めたのだが、連絡は密に取っているようだ。というのも、両名の補佐のために優秀な助手がついており、彼女らを通じていつでも通信ができるからだ。実は、ジブリールがクラウの、イスラーフィールはアガタの補佐として、それぞれ付き従っているのである。
話は脱線するが、第五世代型アンドロイドの多くは眠りにつくこととなった。正確に言えば、主には光の巨人が出現する前の状況に戻ったと言える――第五世代型達は元々保管されていた場所に戻り、再び長き眠りにつくことになった。
彼らは操られていたと言えども、多くの第六世代型の命を奪った。そのため、レムリアの民との共存は難しいし、そもそも彼らの存在そのものが、今この星の文化レベルからすればオーバーテクノロジーである。何より、ファラ・アシモフは第五世代型達がゆっくりと眠る世界を望んでいた――その遺志がそのまま実現された形である。
もし今後レムリアの民たちの文化レベルが上がり、此度の悲劇を過去のことと客観的に捉えられるほどの時間が過ぎたら、もしかしたら第五世代と第六世代の共存の道も拓けるかもしれない。その時には、もう第五世代が争いの道具として使われなくなれば良いのだが。
ただし、例外的に活動を続けているアンドロイドたちもいる。それは人工の月を維持するために活動している者たちと、一部人と見分けが付きにくい熾天使がそこに該当する。前者に関しては、月においてレムの自動管理は続いているものの、修復に手作業が必要な場合に働き手が必要である。月の管理区は今でも第五世代達と旧世界の生物とが静かに共存する静かな箱庭となっている。
熾天使に関しては、既にイスラーフィールとジブリールしか残っていないのだが、彼女たちは前述のようにそれぞれアガタとクラウに付き従っている。物静かで作業の正確なイスラーフィールは執務の補佐にうってつけであり適切な人材配置だったと言えるのだろうが――。
「ジブリール、意外と子供たちに好評なんですよ? 言葉遣いは乱暴な部分がありますけれど、根はやさしくて面倒見も良いですし、何よりも反応が大きいからついついちょっかいを出したくなるんですよね」
クラウはそう言いながらも、なかなかに良い表情をしている。言い方は婉曲的だったが、要するにジブリールは子供たちにからかわれて、それに対してジブリールは全力で応えているということなのだろう。その様子はありありと目に浮かぶし――実際、そんなに一生懸命反応してくれる相手が居れば、子供たちもついからかってしまうのも頷けるような気がする。
ジブリールとイスラーフィールも、大本は僚機として常に一緒に行動をしていた訳だが、敢えて違う道を選んだようだ。それはちょうど、親友同士であるクラウとアガタに触発され、違う景色を見ることで得られることもあるかもしれないという期待があったに違いない。
ともかく、今日クラウとアガタがこうやって時間を取れたのは、優秀な助手に仕事を任せていられるからという事情がある。イスラーフィールは快くアガタを送り出してくれ、ジブリールには「アンタの代わりに子供たちの相手をしておいてあげるんだから、お土産を買って来なさいよ!」と言われたようだ。もちろん、熾天使である彼女自身が土産に興味がある可能性は低いので、子供たちのために買ってきてあげて、ということのようだった。
以上が教会の現状、並びにクラウとアガタの近況である。ちょうど二人が話し終わるタイミングで、峠道の終着点が見え始めたのだった。