B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「……これで良し、と」
巨大な窓ガラスの前、指令室の大きな木製の厳つい机で、ソフィア・オーウェル准将は先ほどの書面に判子を押した。そしてその紙を持って立ち上がり、応接用のソファー、こちらの座っている目の前にある暖炉を遮って座り、コーヒーカップの横に書類を置いた。
「昨日からの手荒い扱い、すいませんでした、アランさん。間者の容疑は晴れました。こちら書面です……えと……」
そう言えば、レムのやつがこの世界の大半のやつは、簡単な文字しか読めないと言っていた。なので、ソフィアは俺が文字を読めるか判断に困ったのだろう。文字読めませんよね、などと言うのも失礼だろうし、文字読めますか、と質問するのもコンプレックスに感じる奴がいるかもしれない。それで言葉に詰まったのと推察された。
一応、置かれた書面に目を通す。自分の知っている言葉にすれば一番上に潔白証明と訳せる文字――表音文字だろう、前世の文字に形も似ている――その下には延々と難しい言葉が羅列していた。要は読もうと思えば読めるし、文字面は理解できるが、内容は理解できないし、読みたくもないやつだった。
「対応ありがとう……ございます、ソフィア准将」
「ふふ、敬語は結構ですよ。普通に話してほしいです」
「とはいえ、ここで一番偉い人に、失礼があっちゃ……」
准将というのなら、他の者たちのこの子に対する態度にも納得出来るものがある。とはいえ、兵たちの態度は畏敬でもない、形式的なものでもない――なんとなく分かる、この子に対して、尊敬半分、親愛半分、といったところだろうか。
そう思っていると、小さな将軍は寂しそうに笑った。
「失礼なんてないですよ、私なんて若輩者なので……ささ、遠慮なさらず。食事と同じくらいいらないものですよ、遠慮」
ソフィアは空いている皿を指さした。指令室に通される前に俺の腹の虫が鳴り、気遣いで簡易な食事を出してもらっていた。まぁ、この先長い付き合いになるわけでもあるまい、ひとまず彼女が遠慮するなというのなら、普通通りにさせてもらうことにする。
「えぇっと、ご馳走様……それで、書面の内容は確認しなくていいや」
「そうですか? 一応、内容を私からお伝えすことも可能ですが」
「難しいことは覚えられないからな。すぐ忘れられてもいいなら話してくれ」
「まぁ、契約書ってわけでもありませんしね……じゃあ、これは置いておきましょうか」
ソフィアは紙の代わりにカップを手に取って、それ大体ミルクだろうという液体に口をつけた。
「なぁ、さっきの検査、いったい何だったんだ?」
「はふぅ……えと、さっきの検査ですね。端的に言えば、二つの検査をしてました。一つが、先ほど言った通り、高等な魔族が人に化けている可能性を懸念しての調査です。もう一つが、人間に魔族が洗脳の魔術をかけている可能性を考えて、ですね。普通なら、どちらにしても簡単な調査で分かるのですが……」
そこで元コーヒーを口に運び、少女は一息を入れる。
「……アランさんの魔力に、ほとんど勘なのですが、私から見てちょっと違和感があったんです。個体上の誤差と言い切れる範囲なのですが、あまり感じたことが無い魔力だったというか……」
魔力、という言葉に体が自身の体がぴくっと反応する。もちろん、良い意味で。
「なぁ、記憶がなくてそういうことに疎いんだが、魔力ってのは俺にもあるのか?」
「はい。厳密にいえば、アランさんだけでなく、この星に生きとし生ける者の大半は持っています。人間は勿論、魔族も持っていますね……七柱の創造神【マグニフィセントワンズ】の贈り物です」
なるほど、別に特別なものではなかったらしい。てっきり、魔力の多寡が魔法の才能に関係しているとか、そんな感じかと思ったのだが。しかし口ぶり的には違和感があっただけで、特別多いというわけでもなさそうだ。というか、魔力が多ければレムが「奮発しました!」とか胸を張って報告していただろう。
思考を巡らせている傍で、ソフィアが話を続ける。
「それで、その違和感が、私が認識していない変化や洗脳の魔術によるものだと困るので、高位の解呪の魔法をアランさんに掛けました。私の解呪より高度な魔術が施されていても、何かしらの痛みや変化はあるはずだと。しかし、何もなかったので……」
「容疑は晴れた、と」
「はい、そうなります」
そこで、指令室のドアが叩かれる。ソフィアに促されて入ってきた白いコートの若い者が――それでもソフィアよりは余程年上だが――准将に一枚の書類を手渡した。そして、今日はお休みください、という男に対して、大丈夫ですよ、と少女は返し、コートの男はしぶしぶといった調子で部屋を出て行った。
「……エルさんは、アナタはどこかの船の航海士か何かと推察しておられました。それで、直近の海難事故について、調査してもらってたんです……」
話しながら、ソフィアは書類に目を通している。そして読み終わったのか、再び紙とコップを入れ替えた。
「はふぅ……どうやら、その可能性は高そう、と言えるみたいです。輸送船セントセレス号という船があるのですが、本来なら三日前にレヴァル港に到着している予定でした。捜索も行われているのですが、いまだ行方不明のようです。東海は比較的穏やかな海ですし、嵐があったとの記録もありません。それでもどこかで座礁したのか、難破したのか……その可能性もあります」
「つまり、俺はそこの船員だったってことか?」
「そうですね、あくまでも可能性ですけれど。船に何かしら事故があって、アランさんは波に流されてきた……その本当は船員名簿まで分かれば、アランさんがそこに乗っていたのか分かるのですが、それはレムリア側でないと確認できなさそうですね」
エルに引き続き、ソフィアにも、この世界の船員だったのではと推察されてしまった。もちろん、異世界から転生してきましたと言うよりは、余程説得力があるのは変わらず間違いないのだが。
それに、もしかするとレムが気を使って、自分の身元がこの世界にそれっぽくあるようにしてくれたのかもしれない。航海士の格好と記憶喪失のおかげで、怪しい者ではあるものの即座に排除しなければならないほど危険な者、という判断にもなっていないのだから。
「はは、全然、船の仕事なんて出来る気もしないんだがなぁ……」
ひとまず、話を合わせてみると、ソフィアはじ、とこちらを見つめていた。整った顔立ちに碧の吸い込まれるような瞳、どことなく人形のような美しさがある。
「……そうですね。船乗りの方は、もう少し日に焼けている印象です。もしかすると、まだ新米というか、船に乗るもの初めてだったのかもしれませんね。アランさん、おそらく二十歳前後くらいだと思うので」
前世ではあまり外に出ていなかったせいで日に焼けていないのか。もし、船の動力を風に任せている世界なら、船乗りは常に日に焼かれているから、その黒さも半端ではないだろう。そう考えれば、自分の肌があまり焼けていないのは、転生したからとも考えられる。
しかし、年齢か、ここに来るまであまり意識していなかったが、本当は何歳だったのだろう? それに、未だに自分の顔も確認していない――丁度、司令室に鏡があり、そこに反射する自分の顔を見てみる。高校生と言えばそれでも通じるし、新社会人と言えばそれでも通じそうな顔立ちで、確かに二十歳前後とソフィアが推察するのも納得だった。
「なるほど、それじゃあ船になじみを感じないのも、仕方ないのかもな」
「はい、そうですね……それで、これからのことなんですが……」
ソフィアはソファーから立ち上がり、再び執務机の方へと向かった。椅子には腰かけず、どうやら引き出しを開けて何かを探しているらしい、えーと、という声と紙が擦れる音が聞こえてくる。そして、ありました! という声が響き、再び少女が目の前に座った。
「アランさんのこれからなんですけど、取れる道は二つあります。一つは難民申請をして、レムリアの方へ移動するという道。こちらに関しては、難民キャンプの方で待ってもらって、次の連絡船に乗る、という形です。この紙に私が捺印すれば、難民としてレムリアへ行けます」
少女が手に持つ紙には、確かに難民認定証明書と書かれている。ただ、恐らくそれを受け入れても、今度は牢屋でなくとも、ある程度自由を拘束されてしまうだろう。
「もう一つは?」
「冒険者登録する道かなと」
「じゃ、冒険者登録で」
「即答!? も、もう少し細かい話を聞いても……」
「じゃあ、おすすめは?」
「それは、アランさんみたいに若い男性でしたら、冒険者のほうが良いかなぁと……?」
「よっしゃ、准将殿のお墨付きだな」
「え、えー! ちょ、ちょっと待ってください!」
准将殿は少し大げさに両の手をぶんぶん、と振ってこちらの決意を制止した。
「そのっ、一応、説明義務があると言いますか、冒険者は決して安全ではないので……」
「うーん、それじゃあ簡単に説明してくれ」
「うー……アランさん、ちゃんと契約書とか読まないタイプですね?」
素晴らしいプロファイリングに心の中で拍手を送り、ソフィアの続く言葉を待つ。
「ごほん、それでは……まず、難民申請をした場合ですが、先ほども言ったように難民キャンプで連絡船を待っていただきます。
ただし、難民用の連絡船はこの前出たばかりで、次は一か月後になります。更に、やはり戦時中ではありますので、難民キャンプに回せるのは簡易な食事のみ。
一応、このレヴァルが魔族により陥落しない限りには比較的安全ではありますが、自由は結構拘束されますね」
「ふむふむ」
「一方、冒険者なんですが、戦時は結構扱いが特殊です。というのも、戸籍の無い方でも、冒険者になれば身分証明書として冒険者証が付与されます。
これは、税が払えずに故郷を追われた人や、魔族の侵攻で行き場の無くなった人への最後のセーフティネットでもあります」
「夜盗や山賊になられるより良いってことだろ?」
「はい、その通りです。ですので、身寄りのないアランさんは、ひとまず冒険者になるのも良いかなと。住所こそありませんが、冒険者ギルドで仕事は斡旋してもらえますし、街に入るにも海を渡るにも、冒険者なら可能ですので。
ただし、冒険者に振られる仕事は基本的に大変なものが多いです。もちろん、危険性の低い物でしたら、農耕の手伝いや採掘、土木工事などもありますが、これは基本レムリア側での話ですね。レヴァルでの依頼は、もっぱら戦闘を伴うことが多いです」
「まぁ、3Kってやつだな」
「さんけ……?」
今までエルやソフィアと話していてカルチャーショックはあまり感じなかったが、ここで初めて意思疎通が出来ない部分が出てきた。しかし、きつい、汚い、危険は承知の上――いや、もちろん、こういった世界にどことなく興奮してしまっているだけで、まったく危険に対して認識が甘いのかもしれない。
それでも、女神に世界を見てほしいと言われているのに、自由が拘束されるのは問題だ。何より、自分自身が、この世界を渡り歩いてみたい。あとで甘かったと後悔することになっても、今はチャレンジしてみたい。
「話ありがとう、ソフィア。やっぱり、冒険者になってみようと思う」
「そうですか。分かりました」
ソフィアは笑顔で書類を裏返し、机の上に置いた。
「それで、アランさんが良かったらなんですが、冒険者ギルドまでご案内しましょうか?」
「そりゃもちろん、案内してもらえればありがたいが……いいのか? きっと、ソフィアはかなり忙しいだろう?」
「いえいえ、普段からハンコをペッタンペッタンしているだけなので、そんなに忙しいことはないですよ」
少女はペッタンペッタンの仕草を取っておどけて見せた。確かに、疲労がたまっているようには見えないが、こちらが彼女の疲れを察知できていない可能性もある。
「さっき休んでくださいって言われてただろう? 働き詰めなんじゃ……」
「そんなことありませんよ。それに実は、今日は非番なんです」
「こらこら、それなら余計に休まないとダメだ……というか、休みなのになんで職場に来てるんだ?」
「え、えーと、それは……」
こちらの指摘に、少女は視線を泳がし始めた。レオ曹長やその他の人たちとのやり取りを見るに、仕事を押し付けられているというわけでもあるまい。どちらかというと、仕事を探している、そんな風に見える。
それでいて、そんなに押しの強い子でもない。先ほどからチラチラとこちらを覗き見ているが、絶対に付いていきます、と言えるほどの度胸はないのだろう。恐らく、俺に対してどうこうというより、誰に対してもこんな感じで――なんというか、居場所を探しているけれど、どこに行けばよいか分からず迷っているようにも見えた。
それなら、折角の申し出だし、一人で行くよりは余程心強いのは確か。ここは厚意に甘えることにしよう――他の兵士からは疎まれそうだが、本人がその気なのだし、まぁ良いだろう。
「よし、ソフィア。やっぱり、案内してもらえるか?」
「は、はい! ありがとうございます! 一生懸命、誠心誠意、ご案内いたしますね!」
こちらの言葉に、将軍とは思えないほど無邪気に瞳をきらめかせ、両手をぐっと握って応えてくれた。
「礼を言うのはこっちなんだよなぁ」
「あ、そうかもです。おかしいですね」
「そうだな、おかしいな。まぁ、特にお礼として払えるものも無いんだが、よろしく頼むよ」
「いえいえ、お気になさらず! それでは、行きましょうか!」
そう言いながら、少女は軽やかな足取りで入口に掛けていたコートと杖を取った。