B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
「そうですか、魔王を……きっと亡きお義父様も、喜んでいらっしゃると思います」
そう言いながら、老人は眼鏡の下を布で拭った。
現在、エルが簡単な近況報告を済ませたところだ。ソファーの前にある机にあるお茶からはまだ湯気が見えるほどで、エルが何故宝剣を持って去ったのかなど、あまり詳細な説明はまだしていない。
とはいえ、老人はエルが生きていたと知っただけでも大層な喜びようだった――それに、付き合いも長いようだ、すでに彼女が屋敷に戻らなかった理由も察しているのかもしれない。
そんな風に思っていると、老人は改めて、自分とソフィア、クラウの座る長椅子の方へと向き直った。
「エリザベートお嬢様の仲間の皆さま、改めまして、私《わたくし》、クリストフ・シルバーバーグと申します……宜しければお見知りおきを」
「それで、アナタがなにやら困っているとテレサから聞いて来たのだけれど……屋敷はどうしたの?」
「えぇ、えぇ……実はですね、半年ほど前に、屋敷の業務をクビになりまして……」
「ちょっと、そんなの聞いていなかったのだけれど」
「テレジア様とお会いになったのも、すでに一年近く前ですから、仕方のないことかと……勇者様との旅の途中で、少し寄られた程度ですから……まぁ、屋敷から追い出された程度で済んでよかったと思っていますよ」
「……割と大事だと思うけれど、何があったのか教えてもらってもいいかしら?」
「はい、そうですね……今の主人とそりが合わなかった、という次第でございまして……」
「回りくどいのはいいわ。端的に言ってちょうだい」
エルがそう促しても、シルバーバーグは言おうか悩んでいるようで――ソフィアの方を盗み見たのは、きっと何某か理由があるのだろう。そして、聡い少女はそれをも見逃さなかった。
「……今のハインライン辺境伯領の領主、ボーゲンホルン家の方ですよね。あまり良い噂は聞きません……確固たる証拠はありませんが、脱税の疑惑とか……」
その言葉を聞いて、老人はぎょっとした表情をした。きっと、それがそのままズバリの答えだったのだろう、シルバーバーグは小さくため息をついて、覚悟を決めたようだった。
「はぁ……あまりことを荒立てたくなかったので、墓まで持っていこうと考えていたのですが……」
シルバーバーグは大きく息を吐いて吸い、顔をキッと上げて表情を固くした。
「皆さんは、グリュンシュタッドの街の人々の様子は見ていらっしゃいますでしょうか?」
そう言われて振り返ってみると、他の街と比べて人々の顔も暗かったように思う。戦後で厳しい状況でも、他の街はもう少し戦勝ムードに包まれていたのに対し、グリュンシュタッドの街の人々は暗い顔をしていたような気がする。
「ソフィア様のおっしゃる通り、テオドール様亡き後、ハインライン辺境伯領は遠縁であるボーゲンホルン家の次男、カール様が統治しています。ですが、カール様は領内で重税を課し、領民を苦しめているのです」
「……私が、家督を継がずに放蕩していたから……」
エルの声は、潰れてかすれていた。対して、シルバーバーグは小さくかぶりを振る。
「エリザベート様、そう苦い顔をしないでください。どの道、貴女が戻っていたところで後見人としてボーゲンホルン家は介入してきたでしょうから……」
冷静に考えれば、他の家の者がしゃしゃり出てくるのもおかしい気もする。普通、貴族ならある程度の規模間のある一族というか、血縁集団でも居そうなものだが。
「なぁ、事情に疎くて申し訳ないんだが……テオドール・フォン・ハインラインには兄弟とかはいなかったのか?」
もしくは、エル以外の子供や、エルの母親は――とまでは言わないでおいた。そもそも、テオドールがエルに入れ込んでいたことを考えれば他に子供もいなかったと考えるのが妥当だし、母親も今までの話に絡んでこないのだから、故人の可能性が高い、そう考えればこの辺りはデリケートな話題になる。
「ハインライン家の者は近年では体の弱い方が多く……一世代前で成人まで成されたのは、テオドール様を除いておりませんでした。また、テオドール様は生涯独身であられたので……」
「なるほどな……ありがとうシルバーバーグ、続けてくれ」
「はい……ともかく、私は領内の経理を担当しており、私個人しか分からないことも多くありましたので、しばらくの間はカール様の下でも仕事は振られていました。
とはいえ、いつまでも手飼いでない者を雇っておく理由もないでしょう、カール様の息のかかった後任に引き継ぎが終われば、黒い部分を知っている私はお役御免というわけです……殺されなかっただけマシですね」
そこまで言って後、シルバーバーグは自嘲気味に乾いた笑いをあげた。話が一区切りしたのを見て、ソフィアが控えめに手を上げて老人の顔を見つめている。
「領主にはある程度の課税権が認められているのは事実ですが、度を越えた税はレムリア法典で禁止されていますし……それに、領の規模に対して、近年王国や教会に対する納税額が減っていたのは学院の方でも把握しています。実際、カール・ボーゲンホルンは脱税をしていたのですか?」
「……はい、おっしゃる通りです。その一翼をになったのは私です……」
「あの、私はシルバーバーグさんを裁こうとか、そういうつもりなわけではないんです……ただ、納税の帳簿と脱税の証拠があれば、王国裁判でカール・ボーゲンホルンを裁くことも出来るかなと……」
「そうですね……」
老人は少女の言葉に頷いた後、冷めてきているであろうコップを両手で持ち、その中を覗き込みながら呟き始める。
「……もし仮にカール様がいなくなったとして、ハインライン辺境伯はどうなるのでしょう?」
「それは……学院の監視下の下、しばらくは軍の方で統治することになると思いますが……」
「えぇ、そうなるでしょう。そしてそれは、もしかすると今よりはマシなのかもしれません。少なくとも、次の領主が決まるまでは……ですが、次の領主がカール様よりマシという保証はどこにもありませんし……私が仕えていたのは、ハインラインです。テオドール様亡きあとは、少しでもあの方が愛した領民の負担を減らすべく奔走しましたが……」
シルバーバーグが話せば話すほど、エルの表情が沈んでいく――老人もそれには気付いているのだろう、主君の方へと向き直り、再び口を開く。
「……エリザベート様、本当に、貴女を責めているわけではないのです……繰り返しですが、貴女が戻ったところで結果は変わらなかったでしょうから。それにまだ、貴女にはやるべきことがあるのでしょう? せめて、お父上の墓に手を合わせて下されば十分かと思います……ちょうど、あの方の愛した湖畔にありますので……」
「……そうね」
「ともかく、もうすでに暗くなってきましたし、今日はここにお泊りください。今、皆様の寝床を準備してきますので……」
シルバーバーグはコップを置き、椅子から立ち上がった。それをソフィアが身を乗り出して制止する。
「ちょっと待ってください、帳簿は……」
「……貴女がカール様だとして、私がそれを握っていたらどうしますか、ソフィア様?」
今頃、ここには居なかった――そういうことだろう。シルバーバークはそれだけ言い残し、二階へと上がっていった。
晩御飯を食べ終わり、自分とシルバーバーグは別荘に隣接する納屋まで来ていた。元々シルバーバーグがここで寝る気だったらしいのだが、自分が代わりにここで寝ることにしたので案内を受けている形だ。
「……本当に宜しいのですか、アラン様」
「あぁ、毛布を重ねれば死ぬほどの気温でもないしな……引退している老人や女の子にはゆっくり寝てほしいしさ」
「はぁ……お優しいのですね……アラン様、ありがとうございます」
「気にすんなって。それより、寝床を作るのに協力してくれると助かるな」
納屋の中は散乱しているというほどでもないのだが、男が一人で横になるには少し整理しないとスペースは取れない。先にしゃがみ込んで床の物を壁の方へと移動させ始めるのだが、老人は後ろで灯りを持ったまま立ち尽くしているようだ。
「……私が一番お礼を言いたいのは、エリザベート様をここに連れてきてくださったことです。正直、生きていらっしゃったのも驚きですが、この場所に来られたのに何よりも驚いたと言いますか……」
「……うん? どういうことだ?」
恐らく、片すより先に伝えたいことがあるのだろう、こちらは立ち上がらずに振り返って胡坐をかきながら話を聞くことにする。
「……この場所は、テオドール様が愛されていた場所であると同時に、テオドール様が亡くなられた場所でもあるのですよ」
「なっ……」
それを聞いて、思わず自分で自分の額を手で抑えてしまった。エルがここに来たがらないのは、単純に旧知に合うのが気まずいからだと思っていたのだが――思い返せば、屋敷の前にいくまでは、渋々ながら普通だったが、別荘の話が出てからより曇っていた気もする。
「……俺は事情も知らないで、アイツをここまで来させちまっただけなんだが……」
「ははは、そういうことだろうとは思いました。ともかく、エリザベート様だけでは、きっと踏ん切りも付かなかったでしょう。ですから、あの方の背中を押してくれる方がいらっしゃるというだけで、私はありがたい気持ちなのですよ」
そう言って柔らかく笑った後、シルバーバーグも膝をついて整理を始めてくれた。まぁ、エルも旧知に会えた訳だし、老人も喜んでいるし、結果論だが良かったとするか。
しばらく掃除を進めていく中で、とあることに気づいた。
「……なぁ、テオドール様ってのは、絵を描くのが好きだったのか?」
一本の絵具のチューブをつまみながらシルバーバーグに聞いてみる。老人は眼鏡をあげて、こちらの指先を見つめた。
「えぇ、えぇ、おっしゃる通りで……別荘内に何枚か絵があったと思いますが、アレは全て、テオドール様が描き上げたものなのですよ」
言われてみて思い返すと、壁に何枚か立派な絵が飾ってあったのを思い出す。前世の感覚で言うと中世なら宗教画など抽象的な絵が一般的な印象だが――そもそもそんなものを別荘に飾る意味もなさそうだが――壁にあったのは写実的な油絵だったと思う。
しかし、剣聖と呼ばれるほどの腕を持ち、大貴族の上に絵も上手いとか、天は二物も三物も与えるものだななどと痛感する。まぁ、金銭的に余裕が有る者の方が、返って色々やれる時間があると言えばそれまでなのかもしれないが。
とはいえ、何となくだが、チューブを握っているのがしっくりくる。周りをもう少し見ると、埃を被ったカンバスに、筆やデッサン用の木炭など一式揃っているのも確認できた。
「……なぁ、シルバーバーグ、これって使っても問題ないか?」
「はい……?」
自分の口から出た一言が意外だったのだろう、老人は眼鏡をあげ直して素っ頓狂な声で返事をしたのだった。