B&T~記憶喪失の転生者、伝説級の暗殺術で異世界ディストピアをぶっ壊す~ 作:五島七夫
海と月の塔へ向かう橋には、人通りがほとんどない。橋の入り口に憲兵のような者たちが立っていて、それをアガタが事情を話して自分だけ着いて行く旨を伝えると、あとは人っ子一人いない状態だった。
無言で歩いていれば自然と潮騒の音が聞こえるのみ。とはいえ、ここまで黙っていたのは、人っ子一人いないこの空間に、確かな気配を感じるから――橋を支える柱の後ろなどに、恐らくこちらを監視している者たちがいる。
「……アランさん、もう少し近寄ってください。風の音が騒がしいですから……」
その言葉だけ切り取るとなんだかカッコいいが、要するに小声で話せという事だろう。言われた通り、アガタに近寄ってから声をかけることにする。
「……アイツらはなんだ?」
「教会の総本山ですから、不審な輩がいないか常に見張られているのですよ……ルーナ神には、人の心を覗く力はありませんから」
「……なるほどね。それにしても、まさかあの騒々しい街で再会なんて奇遇なんてもんじゃないな……レムの指金か?」
「指金とは人聞きの悪い……教会に立ち寄ってくれたというのはレムから聞きましたが、声を掛けたのに深い意味はありませんよ。まぁ、アランさんにはレムからの言伝があったので、ちょうど良い機会ではありました」
風の音がより一層強くなり――アガタは人差し指でこちらへ、とジェスチャーを取ってきた。それに従い、相手の身長に合わせて少し身をかがめて、自分の耳を彼女の口元に近づけることにする。
「……通信は、今だ回復は難しいです……なので、今しばらくはお声がけできませんが、引き続き世界を回ってくださいと。あと、ホークウィンドですが……彼もまた、アランさんの推察の通りゲンブの仲間で、旧世界からの来訪者であると」
「なぁ、アイツらにはエルが狙われているんだ……その理由は分かるか?」
「……いいえ、私は伺っておりませんので、分かりません」
「嘘だな、表情がこわばっているぜ」
根は実直なせいか嘘をつくのは苦手なのだろう、アガタの表情は硬い。
「レムには魔王を倒したら、全部話すって言われていたんだ。それなら、これくらい答えてくれたっていいんじゃないか?」
話す気はない、ということなのだろう。アガタは瞳を固く閉じてまっすぐ歩いている。
「はぁ……言いたくないことばっかりかよ、この世界の連中は……まぁいいや、それでアガタは教会に戻って何をしてたんだ?」
「魔王討伐に関する報告書の作成と、ジャンヌ・アウィケンナ・ネストリウスに関する手続きをしておりました」
「……ジャンヌは、どうなったんだ?」
「それは……」
隣を見ると、アガタはまたかたく瞳を閉ざしている――もしかすると、レムの声を聞いているのかもしれない。
「……山奥のサンシラウという村で静養しています。此度のケースは、ネストリウスの孫である彼女が魔王につけこまれ、操られていたにすぎないと……」
「はぁ……」
いや、アレは彼女の本意から魔王軍に与していたように思うし、まさか異端審問にかけられもしなかったとは少々意外だった。いや、正確には異端審問にはかけられたのだろうが、想定していた結果にはなってなかったということか。
とはいえ、少しほっとしている自分もいた。彼女がやったことは許されるものではないが、いたずらに命を奪われるより良いだろう――死んだって償えないこともある。生きて償うのも、また罰なのだろうから。
「……サンシラウの村は、王都に向かう途中にありますから、良かったら会いに行ってみてください」
「うげぇ……それは大丈夫なのか? めっちゃ恨まれてそうだが」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「いや、大丈夫って……」
「
そう言うアガタの表情は、ぞっとするほど冷たかった。それにこちらが少々物怖じしたのを察したのだろう、アガタは伏し目がちに頭を垂れた。
「……ごめんなさいね。ともかく、見に行った方が早いと思いますよ」
「……あぁ、了解だ」
その後は無言のまま、風の吹く橋を渡り切り、巨大な塔の入口をくぐった。教会の中に入ってからも、中は伽藍としている――多くの聖職者がこの中で生活しているはずなのに、人は視界の中に片手で数えられるほどしかいない。とはいえ、やはり総本山とだけあって装飾などは荘厳で、三階分の吹き抜けの天上一杯に宗教画らしいものが描かれている。
「……学区や食堂、生活関係の施設は、四階から二十階までに集まっています。その上は、聖職者たちの居住区で……手続き関係などは、一階から三階で行えます。さぁ、こちらへアランさん」
アガタの後について階段を上がり、吹き抜けの三階に到着する。その背を追ってまたしばらく進んである一室に入ると、そこもまた直方体の殺伐とした空間だった。三方を白い壁に囲まれたなかなか広い部屋で、正面もまた白いのだが、恐らくマジックミラーなのだろう、こちらからは向こうが見えなくなっている。
アガタはガラスのほうまで進み、壁に備えられたカウンターに肘を掛けると、そのまま中指の背でガラスをノックする。よく見れば、細かく穴が開いており、カウンターの部分に引き出しがある。アレで手続きなどをするのだろう。
「こちら、アガタ・ペトラルカです。聖レオーネ修道院の修繕費に関する請願書を持ってきたのだけれど」
「……はい、それでは引き出しに請願書を入れてください」
「いいえ、その前に状況を確認したいです。レオーネ修道院からは、何通か請願書が送られてきているらしいのだけれど、それはきちんと受理されて、給付の準備の方は進んでいるのかしら?」
「確認いたします……少々お待ちください」
「えぇ、お願いね」
そのやり取りのあとも、なかなか返事は返ってこない――あまり離れているのも気まずいというか手持ち無沙汰というか、ともかくアガタの隣に並んで返事を待つことにする。恐らく前世の感覚でいうところの防弾ミラーに隔てられているから、向こうの様子はイマイチ分からないが、小さく開いている穴から小声は聞こえ続けてきている。
そして数分待って後、やっと誰かが再びミラー越しまで移動して来る気配を感じた。
「……アガタ・ペトラルカ様。月の巫女がお呼びです。お連れの方と一緒に教皇の間に移動してください」
「はぁ? 私は、請願書の手続きをしに来ただけなのだけれど……」
「教皇の間に移動してください。それでは」
そう言葉が切られて後、ガラスの向こうにあった人の気配が消えた。アガタは自分の方に振り向いて嘆息しながら、大げさに肩をすくめてみせる。
「……ルーナ派の書状を、なんでレム派が持ってきたのかって訝しまれてるのか?」
「まぁ、それもあるでしょうけれど……他にも色々と理由はあると思いますよ。まぁ、ご招待預かったのです、アランさんも参りましょうか」
アガタは自分の横を通り過ぎ、またスタスタと歩き始めた。自分もその背を追いながら、月の巫女とやらに呼ばれた理由を考えてみる――本来なら世俗と関係性をなるべく断っている教会のそのトップが、一見世俗にまみれている自分を通す理由を考えれば、恐らく自分の存在を月の巫女、ないしルーナ神が確認したいということなのかもしれない。
三階の吹き抜けの中央へと続く橋を渡ると、教会のど真ん中を突き抜ける巨大な柱部分まで到着した。アガタが壁の一部分を押すと、柱に細く光が走り、壁の一部分が開く。
「……エレベーターだな」
「えぇ……さ、アランさんも」
すでに乗り込んでいるアガタを追って、エレベーターに乗る。再びアガタが内部の壁を数回指で押すと、白い壁の密室が中々の速度で上へと登り始めた。
「……教皇の間とやらは、何階にあるんだ?」
「まぁ、それは月の巫女がおわす場所ですから、なるべく月に近い所……ですわ」
言葉は丁寧だが、声色はやや忌々し気だ。アガタの言うように、エレベーターは長々と時間を掛けて上がっていき――そして扉が開いた先は、薄暗い空間だった。まさか、本当に成層圏を突き抜けて宇宙まで来たわけでもあるまい、恐らく明かりが無いだけだ。
また、この空間には恐らく、自分とアガタを含めなければ四人ほどの気配を感じる――うち、二名分はなんとなくだが違和感がありつつ、懐かしい感じがする――悪意と言えば悪意なのだが、そうとも言い切れぬ何か。殺気と言えば殺気だが、生物が自然と発する物とは少し違う何か――ともかく、油断は出来ないだろう。
「……そう身構えるな、アラン・スミス……取って食おうというわけではない、妾《わらわ》は歓迎しておるぞ?」
鈴の音の様に涼しい、同時に人を小馬鹿にしたような調子の声が、正面から聞こえてくる。そして、空間が一斉に明るくなり――どうやら、回りをカーテンで仕切っていたらしい、それらが円形である部屋の形をなぞる様に左右に開かれていき、正面には祭壇が現れ、そしてその奥に声の主が鎮座していた。
祭壇より一層高い壇上の上、豪奢な椅子に腰かけるのは、それは見目麗しい少女だった。雪の様に白い肌に、白い髪、細い肩――そして、金色の瞳。身を包む装束すらも白、というより半透明で、その細くしなやかな肢体のシルエットがなんとなくだが見えるほどだ。
一言で言えば、絵画の世界から飛び出してきたような絶世の美少女。どことなく荘厳で、威圧的で、油断できない雰囲気の少女――普通に見れば眼福と言いたいところなのに、どちらかと言えば自分の本能は警戒を呼び立てている。
「……月の巫女、セレナ様……お呼びに預かり参上しました」
自分が警戒している横で、アガタが片膝をついて跪いた。そして、彼女はこちらを見て――なるほど、同じようにしろと――言いたいことを察し、自分も左膝をついて頭を垂れる。
しかし、視界には一人しかいない。他に後三体はどこかに潜んでいるはず――恐らく、先ほど違和感のあった二体は、月の巫女がおわす玉座の付近の物陰に潜んでいる。残り一体は、恐らくエレベーターの柱の後ろ側だ。
「……だから、身構えるなと言っておろうに……」
こちらが気配を察知している傍で、頭上から声が振りかけられてくる。
「……すいません、癖なもんで……」
「ふぅ、まぁ良かろう……ひとまず、アガタ、貴殿の要件を聞こう。孤児院の修繕費に関する請願であったか?」
「はい、セレナ様。こちらが請願書になります」
膝をついたままアガタが封筒を差し出すと、気配のうちセレナ側の一体が動き出した。その者は空間の何もない所から――自分としては違和感を覚えるのだが――突如として現れ、アガタの前に立った。姿を現したその人物は、白いローブを深々と被っており、今の跪いている状態ではその顔は伺えない。ともかく、ローブの人物が封筒を受け取り、それを月の巫女の下へと運んだようだ。
「ふむ、レオーネ修道院、レオーネ修道院……聞き覚えがあるぞ? なんだったかな、ジブリール」
月の巫女はわざとらしく側頭部を人差し指で叩いて、近くにいる白ローブに問うた。
「……異端者、クラウディア・アリギエーリの育った孤児院が併設されている場所ですね」
「ははぁ、そうじゃったそうじゃった……」
そのやり取りを聞いてマズイ、と思った。そう言えば、コイツはクラウを追放した張本人ではないか――なぜ今までそれを失念していたのか、教会の内部の雰囲気に吞まれてしまっていたのか。ともかく、事情が事情だから、コイツは援助はしないとか言われかねないのではないか。
「……両名、顔をあげい」
こちらが色々と考えていると再び頭上から声を掛けられる。言われた通りに顔を上げてみると、セレナは物悲しそうな表情でこちらを見ていた。
「そなたらはこう思っておる……クラウディア・アリギエーリの育った修道院の請願であれば、妾が無下にするのではないかと……それは違うぞ。生きとし生ける全ての者、そして我が主、ルーナを信仰するすべての者は、等しく女神は愛してくださる。
じゃが、魔王討伐の直後故、教会の財政が切迫しているのも事実じゃ。同時に、世界各地でこのような請願は立てられておる……順を追って処理をしておるから、待ってくれとしか言えんな」
「……そうは言いますが、セレナ様。そもそも、請願の受理はしていたのですか?」
その鋭い意見は、隣のアガタから出た。そう、セレナの話はふわっとしていて、何の具体性もない――肝心なのは、きちんと手続きが進んでいるか否かだ。
「……イスラーフィール」
玉座の背後から、また突如として別の白いローブ姿が現れる。その者が玉座の横に跪き、また一枚の紙をセレナに渡した。
「そこから見えるか……? このように、受理はされておる」
セレナがこちらに見せた紙には、確かに何某かの印が押されている紙がある。聖レオーネ修道院の補修費についてと読み取れるので、手続きは進んでいたという事か。
「……これで納得したかの、アガタ・ペトラルカ」
「はい、出過ぎた真似を……申し訳ございませんでした」
「良い……さて、アラン・スミスよ」
セレナはアガタに対して顔を伏せるようにとジェスチャーをしてからこちらへと向き直る。
「……そなたの噂は伺っておるぞ。なんでも、魔王討伐に尽力してくれたとか……とくに此度の征伐では、勇者達だけでは厳しかったと聞く」
「……いいえ、たまたま居合わして、やれることをやっただけです」
「ふむ……ただの冒険者が、異世界の勇者に見出され、魔王との戦いに参加したと?」
「はい、そうです」
「くくく……まぁ、良い。そういうことにしよう」
セレナは妖美に笑いながら、ゆっくりと足を組みなおす――その一挙一動からは、何故だか眼を離せない。
「のぅ、アラン・スミス……妾の物にならぬか?」
「何を、言って……」
「妾は、そなたに大変な興味がある……この月の加護満ちる聖域で、永久《とわ》に安楽を享受させてやろうではないか……」
「いいえ、俺は……」
そんなものに興味はない、そう思っても、上手く呂律が回らない。ただ、その金色の瞳に魅入られて――月の巫女が、玉座から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「それだけでない……妾がこの身朽ちるまで、熱く愛そうではないか……いや、後世の巫女も、きっとそなたのことを気に入るだろう……永久に、永久に、空と月に墜ちていくのじゃ……」
そして、目の前に少女の姿が現れた。白く長い指でこちらの顎を持ち――もう視界には、精巧な作り物のような顔しか入らなくなってしまう。
「どうじゃ、アラン……いや、原初の虎。妾は美しいだろう? さぁ、見ろ、見るのじゃ……美しい私を……ッ!!」
確かに、見た目は天上の如く美しい少女、それに永久に愛されるとなれば、それは何て幸せなことだろうか。この塔の中で、もう苦痛を味わうこともない、寒い思いもせず、永遠の享楽に落ちていく――それは何と幸せなことだろう。
あぁ、こんなに美しい少女に見染められるなんて、ここまで頑張ってきたかいもあるというものだ――だが、なんだろう、内から湧き出るこの違和感は。目の前の愛に溺れたいのに、何故か体がそれを拒絶しているような違和感が――。
『……アラン』
そう、内に潜む奴の声が聞こえる――つまり、これは自分の本能が、目の前の女を拒否しているという事。逆説的だが、理性は籠絡されそうになったのに対し、むしろ本能が逆らっているのだ。
「……おぉおおおおおおお!!」
こちらが無意識に大きな声を上げると、月の巫女は驚愕に顔を歪ませる――そして直後、金属がかち合う音が響く。気付けば、自分の首に二つの凶器があてがわれ、同時にそれらを自分に差し向けている白いローブたちに対し、青いローブを纏った何者かとアガタが、白ローブの首に凶器を――アガタは手刀だが――あてていた。
「……セレナ様、お戯れが過ぎますよ……この塔は、アナタだけの領域でないことをお忘れなく」
「ふん……レムの犬どもめ……」
セレナが指をならすと、白いローブの者たちは自分から凶器をどけて、合わせて青いローブの者もその刃を収めた。そして、アガタ以外の三人は、また姿を消し――視界には階段をあがっていく月の巫女だけが残った。
「興が覚めた……下がるがよい」
「……はい、それでは失礼します。アランさん、参りましょう」
体には壮絶な疲労感があるものの、確かにこの場からは一秒でも早く立ち去りたい――先に立ち上がって柱の扉を開けているアガタの後を、酷い倦怠感の中なんとか追いかけることにした。