~八雲邸 客室~
side-影政
「...落ち着いたか?」
「...えぇ」
襖を開け放ち、満面の笑顔で俺が目を覚ましたことを喜んだかと思いきや、俺に抱きついて号泣しだしたが、少しして落ち着いて俺から離れ、傍に座る藍からちり紙を受け取る。
「ありがとう、藍。...ズビーッ...改めて...影政、やっと目を覚ましたわね。百年も眠るなんて、とんだお寝坊さんよ」
「...そんなに眠っていたのか。なら、さっきの取り乱し方も納得だ」
紫の言葉で思っていた以上に眠っていた事を察し、申し訳なさで頭を掻く。
「本当に心配だったのよ?吸血鬼と刺し違えて負った深傷は治ったけど、今の今まで目を覚まさなかったんだから」
「...刺し違えた、か。吸血鬼は死んだんだな?」
「...そっちを心配するのが影政らしいわね。えぇ、確かに吸血鬼は死んだわ。そうよね、藍?」
「はい。落下中に灰になって散ったので死体の確認は出来ていませんが、吸血鬼が発動していた術式は全て消失しましたので、九割...いえ、十割死亡と判断してよろしいかと」
呆れたような表情を浮かべる紫の答えを藍が裏付ける。止めを刺した手応えはあったが、俺自身も吸血鬼の悪足搔きを食らって意識を失った。だが、二人がそう言うなら間違いなく吸血鬼を討つことはできたようだ。
「...なら、俺が刺し違えた意味も「刺し違える意味なんてないわよ!」っ...紫?」
珍しい大きな声で俺の言葉を遮り、紫は今にも泣きそうな表情を浮かべる。
「本当に、本っ当に貴方は...!影政は自分を大事にしなさすぎよ!吸血鬼異変で貴方が瀕死の深手を負ったと聞いて、どれだけの人が辛い思いをしたか分かる?!...カニンなんて、深傷を負って動かない貴方を見て気を失ったのよ...!」
紫はそのまま大きな声でまくし立てる。俺の従者のことを挙げたが、それだけで俺が刺し違えたことの影響の大きさを察した。
「...本当にすまない。言い訳になるが、あの時はまさか吸血鬼が自ら動くとは思っていなくてな...俺が場を動かしたと判断して直接排除しに来たようだった。
向こうも俺を逃がすつもりは無かったし、俺もあそこで討てなければより被害は大きくなると判断して、決戦に臨んだ」
―――『貴様のせいか...悉く我の計画を潰しおって!今ここで貴様を殺す!!』
そう答えながら、俺と相対して怒りで顔を歪めた吸血鬼の言葉を思い出す。異変を起こした際の余裕綽々の振る舞いが嘘のように、奴は本性を露にしていた。
「...あの決戦の時は、私の采配ミスがあったわ。貴方以外皆、後始末と警戒にあたっていて動けなかった。あの時、一人でも貴方の下に加勢させられていれば...」
紫はそう言って悔しそうに俯く。肩を見れば微かに震えていた。あの決戦で俺に加勢を送る余裕が無かった事をずっと後悔していたようだ。
「...でも、それを糧に前を向かないとね。影政も――影信もいつも言っていたでしょう?"過去を悔いて止まるより、それを糧に前を向いて歩け"って」
「...そうだな。お前に言われて気付いたが、俺自身も、一人で動かず動ける者をできるだけ連れていく選択を取るべきだった。...これからは、一人で何でもかんでもするんじゃなく、誰かに頼ることもしていこう」
紫は顔を上げ、目尻に滲んだ涙を指で拭いながら微笑む。...思い返せば、決戦の時に遅滞戦闘をしていれば加勢を得られたかもしれない。
紫は俺以外動けなかったと言ったが、動かせるようにする時間を作っていれば...紫と同様に後悔はあるが、彼女が言ったようにそれを糧に進まなければ。そう思いながら紫の言葉に頷く。
「そうしてちょうだい。私を含め、貴方がいつも私達の前に立ち続けたことを不安に思っていた人は沢山居るのだから。...この話は一旦おしまいにしましょう。貴方は百年以上眠っていた。色々、聞きたいことがあるでしょう?」
「そうだな...最初に聞かせてくれ。――俺の身体はどうなった?」
俺の問いに紫と藍は表情を強張らせる。―――止めを刺そうとして吸血鬼と刺し違えた時、俺は違和感を感じた。まるで堰が破られて何かが流れ込んできたような感覚だった。今はその感覚は無いが...二人はその感覚の正体を知っていそうだった。
「...影政、落ち着いて聞いて。今の貴方は――」
―――刀に宿っていた戦神と融合して、"戦神"になっているわ。
side-紫
―――『牙門影政』は、人間だった。でも只の人間では無く、牙門家の開祖が神代の人間だったらしく、それ故に普通の人間を凌駕する身体能力と寿命を持つ妖怪に近い人間だった。
しかし、人間と妖怪の間には種族差がある。例え超人でも、妖怪相手には敵わなかった。でも、影政は人間でありながら妖怪相手でも戦うことができた。彼が"相棒"と呼ぶ、無銘の刀に宿った"故も名も無き戦神"の力のおかげだった。
彼は刀に宿った神を"戦神"だと言っていたけど、自分の一族の口伝で伝わっているだけで本当にそうなのかは謎だった。彼の一族は故郷と共に滅びてしまった為、確かめる術は無い。だから、私達も影政が使う神の力を"戦神"のものだと認識していた。
長く"戦神"を使っていたためか、その神力に晒され続けたことで影政の存在は段々と妖怪に近付いていた。私達も勘づいていたし、勿論影政本人も気付いていた。
けど、彼は"人間であることに誇りを持っている"という精神力で境界を越えることを阻止していた。
―――『"人は定命。故に命ある限り生きよ。生命の全うは至高の輝きなり"...俺の一族に伝わっていた家訓だ。確かに俺は普通ではないがそれでも人間だ。俺は家訓のように、やりたいことを――"幻想郷の創造とその守護"をやり抜いて逝きたい。...正直、妖怪側に近過ぎて怪しい所はあるがな』
影政はそう言って、神の力を振るう人間として歩き続けた。その姿を見ていたせいか、私は一層人間が、彼の生き方が好きになった。彼が言う"生命の輝き"は眩しくて、魅力的だった。―――けど、あの決戦で彼は。
―――『......噓、よね?...藍、噓って言ってよ...ねぇ!』
―――『...紫様、噓ではありません。彼は...影政様はもう...!』
―――吸血鬼と刺し違えた影政の身体...いや、存在は妖怪側―――戦神になっていた。私は、その残酷な事実をすぐに受け止められなかった。
私の親友で、大好きな人間。眩しくも魅力的な輝きを放っていた彼が、吸血鬼によって何らかの方法で戦神と融合させられ、彼は戦神と化していた。
―――吸血鬼と刺し違え、討ち果たした代償は惨いものだった。その事実を、異変終息後の後始末の最中に影政を見舞いに来た皆に伝えた。
―――『クソッ!あの吸血鬼...!』
―――『"人間である"ことを誇っていた影政が...あの吸血鬼にとっては最高の形で一矢報いたことになるね』
―――『...死ぬことはないということを喜ぶべきか、影政様が変わってしまったことを嘆くべきか...今の私には...』
―――すぐに受け止めた者の方が多かったけど、私のようにすぐに信じられない、受け入れられない者も居た。...でも、彼自身は。
「――そうか。あの感覚はそういうことだったのか。...いつかはこうなると思っていたが、早かったな」
―――影政は、落ち着いていた。まるで分かっていたように、納得したように呟いた。
「...驚かないのね。でも...悔しいとか、憎らしいとかの感情は無いの?」
「...無いな。そもそも、いつかは人妖の境界を超えるだろうと常々思っていたからな。人妖の種族差を超えかねない境地に俺は居た。ただ、誇りと精神力で踏み留まっていただけだ」
「...!」
―――影政は既に、人間でなくなる事を受け止める覚悟を決めていた。彼は言葉を続ける。
「あの吸血鬼は、それに気付いていたのかもしれない。だから、死に際に壁を超えさせた。深傷を負って動揺した隙を突いて、俺を戦神にした。――奴は、俺の誇りを踏み躙ることで一矢報いたんだ。...やれやれ、俺の不覚だな」
影政はそう言って苦笑し、頭を搔く。本当に、彼の表情には怒りや憎しみは無かった。...あぁ。彼は、もう変化を―――
「...ねぇ、影政。貴方が望むなら、人間側に戻せる方法を探すわ。多分、私の能力を応用すれば――」
―――影政は私の提案を手で制す。
「紫は人間が好きだものな。その想いは解る。...だが、俺は神と化した自分を受け入れる。嘗て、俺と紫が出逢った時。俺はお前の"夢"に――幻想郷の実現に賛同して、ここまで来た。
"人間で在り続ける"こと。それ以上に俺と紫、皆で創りあげた"幻想郷を護りたい"、そんな想いがいつしか強くなっていた。吸血鬼異変に直面した時、俺はそれを改めて自覚した。
人間ではなくなったことに後悔は無い。それ以上に、これからも"幻想郷を護る"ことができることが嬉しい。戦神になってしまったなら、なってしまったなりに幻想郷を護っていくさ」
影政はそう言って口角を少し上げる。
「...はぁぁ...全く、うじうじ悩んでたのが馬鹿らしいわね。そこまで言うなら、これからも"幻想郷を護って"貰おうじゃない。...でも、その想いを持っているのは貴方だけじゃない。私達が出逢い、共に創りあげてくれた仲間や部下、親友、友人達...皆も持っているの。
――約束して。吸血鬼異変での決戦のように、一人で先走らないこと。前に立って歩き続けるのは止めて、皆で肩を並べて歩いてほしいの」
悩みを吐き出すように息を吐き、影政の紅い瞳を見つめながらそう言って手を差し伸べる。もう、彼に導かれてばかりではいけない。同じく"幻想郷を想う"なら、肩を並べて歩んでいきたい。
「――あぁ、約束しよう」
影政は頷き、私の手を握った。初めて出逢った時と殆ど変わらない、男らしく大きくて暖かな手だった。
「...辛気臭くなっちゃったわね。まだ他に聞きたいことはある?」
「藍の後ろに居るのは、新しい式神か?目を覚ました俺を見るなり悲鳴をあげて、紫達を呼び込んでいたが」
「ふにゃ?!」
話題を変えようと次の質問を促すと、影政は藍の後ろで緊張して正座する橙に目を向ける。唐突に話題が振られて橙は変な声をあげて肩を跳ねさせる。
「はい。私の式神である猫又で、『橙』という名を与えています。式神としてはまだまだ未熟ですが、将来有望な子です。...ほら、橙。固まってないで自己紹介を」
「は、はひっ...!...ら、藍しゃまの式神、ち、『橙』とい、言います...!か、影政しゃまのことはよく聞かされていましたっ...み、未熟者ですが、ど、どうぞよろしくお願い致します...!」
藍に促されて影政の前に出て、嚙みながらもしっかり自己紹介して頭を下げる。
「橙、か。『牙門影政』、元人間の剣士だ。主である紫と藍は、二人共実力ある大妖怪だ。学べることは多いだろう。頑張れよ」
「...は、はいっ...!」
「ふふ、よく自己紹介できたわね。...私からも橙をよろしくお願いするわ。修行優先でまだ外に出せていなかったから、人見知りが激しいの。時々でいいから、気に掛けてあげてほしいわ」
「分かった。...次の質問、いいか?」
影政の問に頷き、質問を促す。
「あの異変は、どれだけ犠牲が出た?」
「...人間は殆ど被害は無かったけど、妖怪は総人口の七割が死んだわ。本当、人口の回復は大変だったのよ?冬眠も忘れて外に出て妖怪達を探したけど...もう、外に妖怪の居場所は殆ど無いわ。神ですら信仰を奪われる科学文明の発達は、どんどん妖怪の存在を否定しているわ」
そう答えながら、改めて幻想郷を創ることは間違いでは無かったと実感する。幻想郷を創造した時――外が"明治"という時代に入った時から急速に人間の文明が発達し始めた。妖怪が起こした災害は科学や技術で証明、再現され、存在の否定に繋がった。今では外で妖怪を一人捜すだけでも時間を要する程に、科学は発達していた。
「総人口の七割か...大き過ぎる犠牲だな。外がそういう状況なら、吸血鬼異変は二度と起こしてはいけない」
「えぇ、同感よ。...だからこそ、霊夢が『弾幕ごっこ』を――」
「――待て。知らない名前と用語が出て来たな?」
影政が言葉を遮る。...私としたことが、流れで影政が知らないことを漏らしてしまった。でも、ちょうどいい。謝るべきこともあるし。
「あぁ、ごめんなさい。...六年前、『博麗の巫女』が代替わりしたの。名前は『博麗霊夢』。零に迫る霊力の質、量、扱いの素質がある天才よ」
「六年前か。想夢から百年、三代位は経っているか」
「...影政、その代替わりなんだけど。その...怒らないで聞いて、ね?」
影政の考えは当然だった。人間の寿命、巫女として働ける肉体年齢も考えれば在任は三十年位が妥当。百年以上経っているからそう考えるだろう。...私は表情を強張らせて謝るべきことを切り出す。
「...霊夢は、想夢の次代よ。想夢は齢五十で引退、七十で老衰で往生したわ」
「想夢の次代?...異変の時は二十だったな。...紫、まさか――」
影政は想夢の年齢、霊夢の巫女就任、百年経った事からサッと計算て察したようだ。信じられないと言いたげな、驚愕の表情で私を見ている。
「――ごめんなさい。『博麗の巫女』に...大きな空位を作ってしまったわ」
影政に頭を下げる。想夢の引退時点で約三十年。霊夢の就任が六年前――六十四年も、私は『博麗の巫女』に空位を作ってしまった。
「――『博麗の巫女』の存在が重要なことは、紫自身がよく知っている筈だ。何なら発起人だろう。そのお前が...」
「...言い訳になるけど、私は外で妖怪を探し回ってて次代『博麗の巫女』となる娘を探す暇もなかったの。想夢も頑張ってくれたけど、体力お化けの彼女でも五十年が限界だった。...想夢の引退式にも、葬儀にも出られなかったわ。
妖怪の人口回復に目途が付いて、幻想郷の立て直しの状況確認もひと段落して初めて...気付いたの。博麗の巫女の次代をまだ見付けてないって。...同時に、大きな空位を作っていたことに気付いたわ」
「...そうか。事情は理解するが...全くお前は...」
影政は怒る様子も無く、静かに呟いた。
「...影政様。私の方で当時そのことに気付いた紫様を締め上げましたが...影政様も、殴っていいんですよ?それだけのことをやらかした訳ですし」
「ちょ、藍?!」
藍の言葉に声をあげる。あの時はヤバかった...モフモフの九尾であんな関節技を極められるなんて初めてだった。...とは言え、藍の言う事はもっともだ。もし、影政がそうすると言うなら潔く受け止めよう。そう決意して影政の答えを待つ。
「...別にそのつもりはない。紫が状況が一杯一杯になると視野が狭くなることはよく知っている。賢者になってもそこは相変わらずだな、全く...次は気を付けろよ」
「はい...気を付けます」
普段通りの声だけど呆れを多分に含んでいて、私は素直にもう一度頭を下げる。影政が言った通り、私には飽和した状況下や、急すぎる事態の発生で頭がパンクして視野が狭くなる欠点がある。幻想郷を管理する賢者として、全体を俯瞰するべき者としては改善しなければならないけど、中々改善出来ないでいる。
「『博麗の巫女』については分かった。...次だ。『弾幕ごっこ』とはなんだ?」
「霊夢が提案して、私達賢者を中心に実力ある妖怪達の承認を得て制定された戦闘ルールよ。本人に聞いた方がいいと思うけど...彼女から提案された時は目から鱗だったわ」
―――『"縁起"とか、歴代巫女の手記とか読んだけどさ。異変の度に少なくない死傷者出すって馬鹿らしくない?特に"吸血鬼異変"なんて最悪じゃない。...アンタがどう思うか知らないけど、無秩序に戦うよりは、できる限り死合わないルールを敷くべきじゃない?例えば――』
影政に答えながら、脳裏に霊夢が"博麗の巫女"就任の儀を終えて早々に『弾幕ごっこ』を提案した時の言葉を思い出す。
「戦闘ルールか。...確かにそういうものは制定したことが無いな。精々異変の意義を定義した位か?」
「そうね。...反発が強いと思ってたんだけど、皆あっさり受け入れてくれたわ。...それだけ、吸血鬼異変で幻想郷が崩壊しかかった事実が重かったのよ」
私の予想に反して、一部は不満そうではあったけど反対の声は一切無かった。誰もが、吸血鬼異変の二の舞を防ぎたいと思っていた。
「『郷に入っては郷に従え』。俺も受け入れなければな...それに、興味がある」
「じゃあ、明日は『博麗神社』に行きましょうか。今日は休みなさい。見たところ異常は無さそうだけど、念の為、ね?」
「あぁ、分かった」
私の提案に影政は頷く。
「じゃあ、他に聞きたいことはある?」
「そうだな――」
それからお昼ご飯で休憩を挟みながら、夕方まで私達は影政が聞きたいことに答え続けた。
side-影政
「...百年、か」
縁側から見える夜空を眺めながら呟く。―――聞きたいことを聞いていたら、あっという間に夜になっていた。百年の間に幻想郷は変わっていた。
―――『吸血鬼異変』として"縁起"に記録された最悪の異変で、幻想郷は崩壊の危機に瀕した。だが、紫を始め皆が立て直しに尽力してくれたおかげで幻想郷は存続している。『病み上がりって危険なのよ。だから、私が許すまでここで療養してなさい』と言っていたから、その許しが出たら各所に報告に行こう。直接変化を見て回りたいしな。
「...戦神になってしまったが、"幻想郷を護る"意思に一切変わりはない。これからも、俺は――」
戦神そのものとなったが故か以前より馴染んだ神力が身体を巡るのを感じながら、改めて決意するように呟き、手を握り締める。
―――俺は『牙門影政』。元人間で、今は戦神の剣士。そして、"幻想郷を護る"意思を持つ一介の住人。
―――これからは一人で前に立たず、幻想郷創造に協力してくれた友人や従者、仲間達と肩を並べて幻想郷を護って行こう。
―――to be continued―――