ある夜のことでした。
残暑というには涼しく、秋というにはまだ暑い、それくらいの時期のことです。いずれにせよ、夏休みが明けてからの出来事です。
あの島でミメシスを嫌というほど目にしていたので、私はこうしてあの夜に起きたことを覚えていられたのです。
彼女らが現れたのはまったく突然でした。気がついたときは聖堂の正面へ……二列の縦隊を作って並んでいたのです。
青白い肌とマスクはたしかに異質でしたが、もう何度も見たものでした。それでもあの異様さには言葉を失います、なんと……彼女らは馬にまたがっていたのです。
馬のほうも、手綱と一体になったマスクをかぶり黒く艶やかな馬着をまとっていました。
カービンの先には抜身の銃剣があり、月光を受けてきらきらと光っています。白刃という言葉はまさにああいった物のためにあるのだと思いました。もしも、あれが人の身体に突き立てられたらどうなるのだろうと、思い返すと今でも震えるような心持ちになります。
それが十二騎……つまるところ、聖堂前に現れたミメシスの騎兵隊です。
遅い時間だったのは幸いでした。あたりにいるのはシスターだけでしたから。
誰何の声を聞きながら、私は聖堂の階段を駆け上がります。息を切らしながら擲弾銃を窓から出して構えると、あちこちで銃を向けるシスターが見えました。
ところが騎兵隊は堂々としたもので、まったく慌てる様子もありません。
撃っていいものか、どうしたものか、困っているとサクラコ様が広場に入ってきました。きっと機転のきくシスターの誰かがお呼びしたのでしょう。
「ここは祈りを捧げるための場所、そこに軍馬で入り込むとはいったいどういうおつもりか、お聞かせください。もし狼藉を働くのであれば、歌住サクラコとシスターフッドがお相手します」
サクラコ様のお言葉でシスターたちがにわかに緊張します。何かあれば撃て、ということです。
すると騎兵の一人が進み出て「姉妹らよ、私たちは誰も傷つけぬ。ただ話を聞いてほしいのだ」
物々しい姿とは裏腹に、騎兵隊はずいぶんと淑女的でした。その気配を察したのでしょう、サクラコ様がうなずくと、騎兵の筆頭はカービンを頭上に掲げ語り始めました。
我らはアカシア騎兵隊
聖なる雫 求めたる
精鋭無比の 十二騎だ
大地を焦がす 飛竜すら
我らを倒す ことはない
しかし無敵の 我らでも
敵わぬことが あったのだ
聖なる雫 求めれば
大きな試練に 見舞われん
言い伝えにも そうあった
いやいや試練は 問題ない
聖なる雫が 課したのは
長い長い 旅だった
はじめは息吹 凍りつく
あたり一面 銀世界
吹雪のとくに ひどい日は
翼を休める コマドリが
枝に止まって そのままに
ポトリと落ちて 氷漬け
これに我らの 心胆も
寒々しさを きわめたり
次には湧き立つ 溶岩と
火口の連なる 大連峰
山肌の斜は きつすぎて
とても降れた ものでない
細く尖った 尾根伝い
汗を垂らして 踏破せり
丘越え山越え 波濤越え
刃向かう野盗 蹴散らして
ただ一心に 御勤めを
果たさんがため 進んだが
気づくと我らの 肉体は
青くすぅっと 透き通り
霊の身体と なっていた
戦に敗れる ことなどは
これまで一度も なかったが
ただ道のりが 長すぎた
最後に我らは ここに着き
次なる試練に 身構えた
よくよくあたりを 見回すと
ああ懐かしき 大聖堂
そしてようやく 我々は
試練の終わりを 知ったのだ
ところが周りに 騎士などは
ただのひとりも いやしない
さすがに我ら 十二騎も
何が起きたか 理解した
騎士が世から 消えるほど
我らの歩みが 遅すぎた
貴き御方も この世から
お隠れになり 久しかろう
それでも我ら 十二騎は
務めを果たす ためだけに
こうしてここ に戻りたり
我らの遠き 姉妹たち
無礼はとうに 承知だが
貴き御方を 呼んでくれ
聖なる雫を 献上し
永き務めを 終わらせん
我らはアカシア 騎兵隊
貴き御方の 忠臣だ
時がいくら 過ぎようと
我らの忠義に 翳りなし
貴き御方を 呼んでくれ
……なんとこの幽霊たちはずっと昔の生徒だと言うのです。
驚きはしましたが、たしかにそれならあの格好もすこしは納得できます。
ええ、夏の島で見た、あの姿によく似ていました。
それに何と言っても、朗々と語る彼女らは静かに涙を流していました。
頬を伝わる雫が、彼女の顔から離れると、地に落ちる前にぱっと弾けて消えるのです。
馬も人もはらはらと涙を落としてしまうので、月の明かりが反射して、光輝をまとっているかのように見えました。
このような人たちがなにか悪い霊だとは私にはとても思えませんでした。
しかし貴き御方など、心当たりがありません。
それでもやはりシスターフッドの長、サクラコ様は動じることなく返答しました。
「勇猛果敢な姉様よ、お目にかかれて光栄です。
叶うことならすぐにでも、貴き御方をお連れして、貴公の帰還を言祝ぎたい。
しかし今代の姫様は、巡礼の旅に向かわれて……私も行方を知りませぬ。
畏れ多きことですが、聖なる雫は我々が
祈る者の
時が来たなら必ずや、貴き御方に捧げましょう」
「おお当代の姫様が 行方知れずと申すのか
なれば我らは姫様の 帰りをここで待つとしよう
聖なる任についてから どれほど過ぎたか分からぬし
さらに待とうと苦ではない
祈る者の長姉サクラコよ しばし我らを留めたまえ」
これにはサクラコ様も……流石に困っているようでした。彼女らは本当に何年でもここで待つでしょうし、いつそれが報われるのか分かったものではありません。
実力で彼女らを調伏することはできなくはないでしょうが、それはあまりにもかわいそうです。
「――姫様ならばここにおわす」
沈黙を破ったのは補習授業部の……白洲アズサさん、という方だったはずです。
アズサさんは仮面をつけた別の生徒を伴っていました。
いいえ……正確には仮面を着けた生徒が、アズサさんをお供にして現れたのです。
騎兵隊のみなさんは姫様の姿を認めると、いっせいに馬から降りて膝をつき、礼をされました。
「面を上げよ」
仮面のお方の凛とした声があたりを打つと、私はそれだけで指の一本すら動かしてはいけないような気持ちになりました。
騎兵隊の方々はもちろん、その場のシスターフッド全員がそう感じていたようでした。
ピタリと動けなくなった私たちなど、最初からいなかったかのように、仮面のお姫様とアズサさんが騎士たちに近づいていきます。
やがてアズサさんが重々しい、それでいて柔らかな口調で声を発しました。
「貴公らの主に代わり…………貴き血の継承者、神の恩寵による聖なる三体の[検閲済]、アリウスの統治者にして信仰の擁護者、秤アツコ殿下が聞し召す」
「ひ、姫様……姫様、なのですね……私は……」
その先の言葉を私に書きあらわすことはできません。決して、彼女らが我を失って泣いていたということではありません。ただ肩を震わせながら言葉を述べる立派なお姉様方を表すにあたって、私には良い方法が思いつかないのです。
お姫様はそれらの言葉をしっかり聴き取り、肯きをかえしていました。
「我が君よ、聖なる雫を奏します」
騎士が差し出したのは手のひらほどの小さな箱でした。知らずに見れば指輪やイヤリングが入っていると思うようなものです。
アズサさんはそれをそっと持ち上げ、お姫様が受け取りました。
お姫様が二度目の言葉を発します。
「アカシア騎兵隊よ、貴公らはその義務を果たした。よって聖遺物探索の任を解く。……さあ、もうおやすみ」
それきり、アカシア騎兵隊は霞のように消えてしまいました。
その後、お姫様とアズサさん、サクラコ様の間で極めて淑女的かつ穏当な交渉がありました。(注:私は誠実に交渉しました)
その結果、聖なる雫はシスターフッドが管理することとなったのです。
シスターフッドがこの聖遺物を収蔵するにあたり、一つ問題がありました。
聖なる雫という名前はすでに別の品で(今回の件とは無関係の古いぶどう酒です)使われているのです。
この品をなんという名前で呼ぶべきかにあたって、長い会議がありました。議事録の大部分は図書館に収められたはずです。……こういったことはトリニティによくあることです。
結局、この品はアカシアの雫と呼ばれることに決まりました。
彼女らの帰還がもう少し早ければ、トリニティの聖なる雫と言えばこちら、ということになっていたのだと思います。
とはいえ、彼女らが聖なる雫を持ち帰ったという事実が記録されないのはどうにも忍びないので、こうして物品管理目録に補遺を加えることになったのです。
以上がアカシアの雫の来歴です。