気が付いたら幼稚園らしいけどここ暗くないか???   作:ぱんのみみ。

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 前回のあらすじ

 アクアティックセクターで橙のクラゲと接触をはたす。
 施設から立ち去るよう警告を受けるが、進みたい旨を主張する。
 橙のクラゲは再度逃げるよう警告し、何かを見ろと促しその手を伸ばした。



18 Suggestion

 

 …気が付いた時、私は横たわっていた。―――景色には見覚えがある…スティンガーフリンのミッションがあった、あの人工の海辺…。

 巻き戻ったのか?と考えが過るが、見た覚えがないものが視界に映った。

 

 目の前に転がっているのは…2つの…パーティーハット…?

 

 

 

 妙にぼやける視界の中、周りに目を向けた時―――それが、唐突に目に入る。

 

 

「―――肝臓も、腸もない…だが、もっとも肝心なことは―――」

 

 赤い姿。2本の角。隆起した身体。

 大きく開かれた口と、そこに並ぶ鋭い牙。白い目。

 

「―――膵臓がない…」

 

 恐ろし気な姿をした何かが、こちらをのぞき込んでいた。

 ―――バンバン、の似姿。かろうじてあのマスコットキャラクターらしきものの面影を残している。膵臓を求める発言からしても、きっとそうだろう。

 見知った姿とはかけ離れた様子を間近で目にし、私は硬直する。低い声が、なおも続ける。

 

「もっと中身があった方がいいな。そこにモノがないとき、何を食べろっていうんだ?…他の場所を探してみるか…」

 

 視界が、ぐらぐらと揺れる―――

 

 …、…。

 

 

 揺れが収まって再び目を開けた時…、私はまだ、人工の砂浜にいた。意識は途切れることなく連続している。先程の赤い人影…人相の凶悪なバンバンっぽいものは、立ち去ったのか。

 

 相変わらず妙にぼやける視界のまま、ふらふらと立ちあがろうとし―――

 

 …、…視界に入った己の手に、思考が停止した。

 

 

 …まじまじと、それをよく見る。

 凹凸が無くて…橙色だ…。

 

 よくよく見ようと明かりにかざして眺めてみる。

 関節が無くて、滑らかな動きだ。

 橙色のそれは、自分の意思に従って、ゆらゆらと動く。

 自分で自分を触ってみる。…つるつる…する…。

 

 …、…。

 

 可及的速やかに鏡を見たいところだったが、あいにく探索はできなかった。体は何かに引っ張られるように、部屋を進んでいく。

 妙な感覚だ、やるべきことがわかる。

 ―――ミッション。ミッションを、やらなければならない。

 

 大砲のゲームを自分の手でクリアして、薄暗い部屋へ入る。真っ白のホワイトボードを素通りし、ボタンを押して、開かれた扉を抜け、廊下へ―――

 

 突き動かされるように、進む。体は手順を知っているように、迷いがない。

 

 廊下にいる誰かに会ったとて、その身体に動揺はない。…いや、中身の私は大いに動揺した。スロウセリーヌだ。

 

『あなた、彼らのひとりでは…ないのね。…新しいひとよね~…』

 

 しっかりとこちらを向いた彼女が言う。

 

『隠れて…彼らがくるわ~…』

 

 意味深な言葉を告げて、彼女は目の前から猛スピードで消える。視界が、徐々に、暗く――――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 気が付いた時…私は見覚えのない場所にいた。

 

 身体を起こす。見えた両手は…馴染みのある自分の手だ、間違いない。しばらくヒラヒラさせて、息を吐く。視界も良好だ。異常は…ない。

 

 スティンガーフリンは…私の危機感を煽るために、自身の記憶を見せたのだろうか?あるいは、シミュレーションをさせた?恐れを抱いて逃げ去ってくれればいいと、そう望んでいるのだろうか…。

 

 …、…。本当のところはもっと話したかったのだが。進むなと言う彼と、進みたい私の妥協点を何とか探ることはできないだろうか。

 

 改めて、周囲を見回す。全体的に緑色の部屋は、人工の樹の根っこと蓮の花の遊具のようなものに彩られている。天井まで落ち着いた緑に彩られた部屋は、どことなく湿地帯を模しているようにも感じる。

 …、…。ここはもしかしたら、『アボリアル』のエリアの方かもしれない。部屋の扉は開かないので、ここでキーカードを探さねばならないようだ。

 近くの壁には文字があった。『!Sheriff Toadster Mission!』と書かれたそれをよく読む。

 

 どうやらトードスターのミッションは、犯人を10人見つけて捕まえることらしい。

 目の前の檻に、それらを見つけて突っ込めば良いようだ。

 

 檻の上に乗っかっているピンクのバケツを見つめる。…つぶらな瞳だ。これが犯人…?ひょいと手を伸ばして両手で取って見ても、別に危険は感じなかった。中に爆発物が突っ込まれている訳でもない。かわいらしい物だ。

 特に危機は訪れない、宝探しあるいはかくれんぼの鬼役のようなゲームは問題なく進む。

 

 最後にボスっぽくないボス(他と見た目は変わらないバケツ)を確保し、ついでにいかにも怪しい机裏のボタンを押して、隠されていたビデオテープっぽいものを回収。

 10人を檻に入れると、棚が開く。

 …、…ピンクリボンの先生のような、こちらを見つめる目がない分アトラクションはあっさりと終わった。

 

 ちょっと寂しさを感じつつ、手に入れた青いキーカードで次のゲームを開始する。

 

 『光の跡をたどって、現れた光にジャンプ!』と壁にトードスターの顔と共にかかれた文字を読む。…スティンガーフリンの見せた幻覚を思うと…これまでのミッションはもしかしたら、幼稚園児がするためのものではなく…実験の一環でCase番号の振られた彼らが行うものだったのかもしれない…。

 

 床への投影を用いた仕掛けの、音と光のアトラクションに挑戦する。水面に浮かび上がる蓮の葉に飛び移る様な…リズムと身体能力が必要なそれらは、なかなか丁度良い難易度だ。特に問題なくクリアの音を聞く。

 

 一息つきつつ、途中で見つけていた書類を拾い上げて確認する。

 

 報告書だ。Case6の、更新番号4。

 

『Case6は依然として近づこうとする人や物を攻撃し、スピーカーからの指示に応じない等、精神的に不安定な状況にある。

 独房から釈放されたにも関わらず、彼は一日のほとんどを収容室の隅に身を寄せて過ごしたり、独り言をつぶやきながら部屋を歩き回ったりしている。

 発言された単語は「ジバニウム」、「腎臓」、「ウェバリー」、「ウスマン」等があるが、これらに限定されない。これらの用語の使用に関する文脈は依然不明である。

 改良型ジバニウム溶液の適用や、場合によっては同伴者の導入など、例外的な鎮静方法について上層部に要求が提出されている。現在返答待ちである。

 ケースは発表の準備ができていない』

 

 …。

 その後が気になっていた、独房に入れられた後のCase6の情報だ。心配していたとおりCase6はしっかり精神的にダメージを受けている。同伴者、というのは、前見た報告書の、先生のことだろうか。根本解決がすぐさま難しいだろうことは想像に難くないが…彼の味方が居たことを祈るしかない。少なくとも解決方法は探られていたようだ。

 

 開いた扉を進むと、見覚えのある廊下に出た。アクアティックセクターだ。振り向くと、やはりシェリフトードスターの顔の絵がある。スティンガーフリンは、近場の誰もいない部屋に私を運んだ、らしい。後は自分で帰ってくれということだろうか。今までの経路を思い浮かべる…いや、戻ったところで帰れなどはしないけれども。

 

 視線を元に戻し、―――おや、と私はナブナブとナブナリーナの絵がつけられている扉を見た。いつの間にか、その青い扉は人が通れるくらいに開いている。

 …開いてはいるが、この部屋こそ明らかに彼のテリトリーであろう。無遠慮に踏み込んだら襲われる気がする。と、いうか誰だって自室に他人が土足で入ってきたらもれなく迎撃か110番だ。…そうか、自分は不法侵入の不審者だったな…。

 

 続く暗がりを見つめる私に、放送開始のチャイムと声が聞こえた。

 

『無事かい?…よかった、大事ないね。そしてすまない、カメラとスピーカーがない部屋に君を連れていかれたおかげで、コンタクトが遅れた。君に起きたのは…スティンガーフリンの芸当の1つだ。彼はプログレッシブセクターに移動したが、先に2つほど君に伝える情報がある』

 

 声の主はこちらの様子をチェックしようとしてくれていたらしい。大きめに手を振り、健康体である旨をアピールしつつ頷く。

 

『1つ目、緊急性が高いものから。ナブナブの部屋の扉が開いているのが見えるね?つまり彼が中にいるということだ。くれぐれも近づかないように。そして彼は今、狩りの状態の真っただ中だ。この状況で僕らが何かをしようとするのは非常に危険が伴う。早急な対処が必要だ』

 

 頷きつつ、そっと扉から離れた。狩りの状態…それもやはり、本能的な何かなのだろうか…。

 

『幸運にも、解決策がある…が、君は…嫌がるかもしれないな…』

 

 放送の声は言葉を濁したが、すぐに声色が切り替わった。

 

『2つ目。君が懸念していた彼女のことだが、居場所はわかった』

 

 はっとしてカメラを見つめ直す。声に深刻さはそれほどない。

 

『カメラのない通路を度々使ったようで詳細な経緯や関係者は不明だが、ジョッシュは彼女をグラウンドセクターへ運んだ。現在は彼の収容室にいるだろう。閉じ込められてはいるが、言ってしまえばそれだけだ。ある意味で、安全とも言える――…ああ、ええと、ジョッシュの部屋には危険なものはないし居心地は良い方だ。緊急性はないし、僕の方でも救助の方法を考えておこう。だから、…心配はいらないよ』

 

 わかった、と頷く。声の主は、前回の言葉通りに時間を割いて先生の様子を探ってくれたようだ。彼女の居場所はグラウンドセクターのジャンボジョッシュの部屋。覚えておこう。

 

『ナブナブに関しての解決策だが…ひとまずメディカルセクターに移動してくれ、話はそこでしよう』

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ケーブルカーを使ってメディカルセクターへ移動した。

 足場のギリギリに引っかかっている書類を見つけて拾い上げる。

 報告書だ。Case6の、更新番号6。

 

『Case6の反抗的な態度は、Case7の導入でも変わらなかった。協力を促すためにも代替手段が経営陣によって承認された。

 脳機能に作用し、Type5のCase2に対し自己思考機能を低下させるように設計された新型ジバニウム溶液の導入である。

 この新型ジバニウム溶液は再度使用されることはなく、余分な材量の全ては鍵が掛けられ保存されている。

 強い鎮静状態の中、新型ジバニウム溶液が投与された。

 直後にCase6は腹部を押さえて膝をつき、激しい腹痛を示した後、身体に大きな変化が現れた。この溶液は、自己思考機能の抑制効果が高すぎたために、Case6は我々が非常に避けるべき原始的な本能に囚われたようだ。

 ケースは発表の準備ができていない』

 

 …、…。沈痛な気持ちで紙面を見つめるが、書いてある内容は、変わりはしない。もう一度読む。頭が痛くなってきた、つまり?

 自己存在に苦悩していたから…悩みをもたないくらいの知能にしようとしたって…コト…???いや…いや、もっと複雑な議論があったとは思うが、結果的にそうなったことに動揺を隠せない。差し出口ではあろうが、対応策を考えた面々、闇が深すぎやしないだろうか…。それか、事態が本当に切羽詰まっていたか…。

 文面にある『原始的本能』というのは、本人が言うように暴力的衝動のことだろう。身体の変化は…スティンガーフリンの見せた幻覚を思い出す。見た時は、声の主とは別存在の可能性も考えなくはなかったが、あれこそが彼が変貌した姿、なのだろうか…。

 

 声の主の受難に思いを巡らせ、資料をかばんにしまいつつ先へ進む。

 

 メディカルセクターのピンクの廊下には緑のドラム缶がいくつも並んでいる。ジバニウムだ。

 病院で言えば…輸血のパック、あるいは食料が並んでいるようなものか…?無造作に置かれている様を見るに、どうやら、保管方法は複雑ではないようだ。

 通路をぐるりと回るが、いくつも並んだ黒色の扉は開きそうもない。建物の外へ向かうらしい隅の扉へは板が打ち付けられている。唯一ライトがついたパネルのある緑の扉も、現在のところ入るのは無理そうだ。

 

 開いている扉はたった一つ。部屋に入ると電気がつく。背後で速やかに扉がスライドした。

 

 

 ―――えっ扉閉ま…開かな、いけど?

 

一瞬の内にとりとめもない考えが浮かんでは消える。ひやり、とする私の耳に天井の声が届く。

 

『これで、襲撃される恐れはないだろう』

 

 ―――はっとして慌てて頷く。なるほど、なるほどね。

 声の主は安全確保をしてくれたようだ。…余計な疑心だった、自分を恥じる。

 …、…悪気はない…なさそうだな、信じよう。

 

『さて、続きを話そう。…ナブナブが脱走した後まもなく、従業員が消え始めた。もちろん、予防策や訓練だけでは限度がある。永続的効果をもたらす対策が必要だった。ナブナリーナは、その解決策だったんだ』

 

 私は目の前のストレッチャーに座るその存在を見た。壁の絵の彼女によく似た姿形だ。

 

『我々は、ナブナブが攻撃的なのは、彼の孤独が起因しているという説を唱えた。手術の最中に建物の崩壊が起きたから、証明できなかったけどね』

 

 近づいてその顔をのぞき込む。緑のリボンを付けた黒い身体は、まだ意思が感じられない…。

 そうっとその体を横たえつつ話の続きを聞く。

 

『そして、君の出番だ。その手術の最終段階を取り行ってほしい』

 

 えっ。

 

『ジバニウムを使う手順は、非常に繊細だ。今から伝える指示には非常に注意を払ってもらう必要がある。難しい工程はすでに完了している。ただ君は正しい濃度に混ぜて、それを彼女に6回ほど投与してくれればいい』

 

 ちょ…っと、待って欲しい。命を扱う手術にこんなド素人を投入するとか正気か?

 …いや、そういえば、今は緊急事態であったなと思い至る。非常時に常識を言い出してもしょうがない。倫理うんぬんの前に自分の命がかかっている、それは…そうだな…。

 

 納得しようと試みるものの、容易には頷きがたい心地。続く説明を聞きつつ、動揺は収まらない。

 

 そもそも…そもそもだ。ナブナブとナブナリーナ…。ひとりぼっちだった彼と、それを癒せる彼女…それが善いと思えるのは、彼らが自然と互いに手を取り合えた場合だ。

 今行われようとしているのは、作為的な事象に他ならない。

 

 ―――孤独を解消するために、同じ苦しみをもつかもしれない者を、生み出すのか。

 それは…それは、なんとも…。

 

 ジバニウムの実験で生まれたマスコットキャラクターたちを思う。幼稚園で、子どもと関わらせる目的のもと、生まれた彼ら。しかし、目の前の彼女はどうだ?

 定められた相手を心から愛せるか。それが達成できないとき、…そのために生み出された彼女は一体…。

 血の気の引く感覚がする。

 …しかし、私が立ち止まったとして、ここにある彼女の身体はどうなる?命が吹き込まれるはずだった…生まれるはずだった命を、私の一存で無しとしていいのか?

 ―――いいわけがない、そんな権利はない。

 

 でも、だが、しかし…。

 

 

 …、…。

 …、私は…ストレッチャーにいる存在を見た。

 壁の絵に描かれた通りの姿の…ナブナリーナは、まだ、静かに横たわっている…。

 

 

 

 しばらくしても動かない私に、放送の声がかかった。

 

『ええと、』

 

 言葉を選ぶような間が開く。

 

『…君はこの作戦がきっと好きじゃないだろうな、と考えてはいるんだ。恐らく…君は何かを、心配…しているんじゃないかと思うんだが…合っているかな…』

 

 私はカメラを見上げた。こくこくと頷く。

 

『失敗することが?』

 

 …、…。

 私は悩んだ末、三角形を描いた紙を掲げた。

 

『…✕ではない。遠からずだが本質は別…。…ナブナリーナに襲われる可能性かな。手術が成功すれば、その心配はないよ』

 

 私は頭を抱えつつ三角を掲げる。相手にどうやったら伝わるかと、うろうろ部屋を歩き回った。多分この危惧は…もともとこの施設の研究者である記憶をもつ彼には、彼が専門家であるがゆえに伝わりづらいだろう。

 

 彼女の身体を捨て置けない以上…手術への協力は必要だと感じる。緊急性の高い問題に対して、代替の解決策を持ちえない私が拒否をすべきでないし、ひいては声の主の助けにもなるというならば積極的に断ることはしたくない。で、あれば、今、問題は…。

 

 ―――今までの報告書や、出会ってきた存在が脳裏をよぎる。

 ジバニウムの効果とその副作用。セリーヌの悲哀に満ちた声を思い出す。声の主の、オリジナルを突きつけられた際の衝撃を思う…。

 

 私は、大きく文字を書いて、カメラに掲げた。

 

『…、…『PAIN』、…』

 

 ナブナリーナを手で示しつつ、私はじっとカメラを見た。もし…もし、起きることに予見ができるのならば、対処法があるのならば、…目の前で苦しむ存在を見ることになる前に、知っておきたい…。

 

『―――、…君、は…』

 

 考え込む声が途切れる。伝わらないか、と私は歯噛みした。視線が落ちる。沈黙は続く。次に掲げる言葉を考えあぐね頭をひねり…

 

 

『―――…、…。痛みは、多分、無いよ』

 

 

 ぱっと顔を上げた。目を瞬く間にも、声は続く。

 

『…ジバニウム溶液は…実験を繰り返す中で改良が重ねられた。今投与しようとしている物は、全身を襲う痛みを引き起こす初期のジバニウムとは違う物だ。前例ももうある』

 

 考え考え話すように、声の主は言った。

 

『だから、先ほど言った通り手術後に君を襲うことがない、ということにも繋がるんだ。…まぁ手術が失敗したらその限りではないが…』

 

 つまり―――メンタルの方は少しずつ対応するしかないとして―――速やかに懸念すべきは手術の成否だけということか?

 希望がもてる話だ。

 私は…、私はカメラに向かって、飛び跳ねて、手を大きく振った。充分すぎる情報だった。ありがとうを伝えられないかと、全身を使う。

 

『それに追加して言うと…ナブナリーナはまだ動いていないが、すでにもう存在すると言っていいほど完成している…君が行う処置は、栄養を注入するのと変わらない程度のものだ。責任は…君ではなく、僕らがとる物で…ええと、何を言ってるんだ僕は?』

 

 笑顔で首を横に振る。それは心配していない、大丈夫だ。携わる以上責任を負う必要はある。…しかし、気持ちはさらに明るくなった。

 

『…、…ええと。よくわからないが、多分、君の憂いは取り除けたかな…?』

 

 頷く。大きな丸を掲げる。

 

 この状況で、歩み寄ろうとしてくれた相手の忍耐と優しさを思った。無視して構わないだろう私の心情を考えた相手の、心を思った。

 事態は何も変わっていない。変わったのは私の心理状態だけだ。しかし、それを無駄と一蹴しないでくれた相手に私は信頼を覚えた。

 ありがとう、と頭を下げる私に、声は言った。

 

『…うん、幸運を祈るよ。きっと成功する』

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 入念な確認とイメトレの後、滅茶苦茶に気合を入れて挑んだワンオペ手術は成功した。片手にドローンのスイッチ、もう片手に工具を手にしたまま思わずガッツポーズをしたが、ひとまず一言言いたい。ヒューマンエラーを続出させる仕組みゆえ今すぐ方法を改めるべきだ。

 

 額の汗をぬぐいつつ開いた棚の中身…録音テープを手にし、ナブナリーナの様子を見ようと視線を向け…―――いない。

 ストレッチャーはもぬけの殻だ。

 

 慌てて見回す。部屋の入り口から、こちらを伺うその姿を見つけた。

 …驚いた。Case13の報告書を見て、てっきり休眠状態があるものと考えていたが、彼女はすぐさま動けるらしい。ジバニウムの改良の効果か、はたまたタイプが違うのか…そういや彼女の背中には縫い目がなかったなと思い至る。異なる実験タイプの結果なのかもしれない。

 

 彼女を見つめる。

 扉から半分体を覗かせるその様子は、ナブナブそっくりだ。

 私はむやみに近づかず、そっと声を掛けた。

 

「…おはよう。痛いところはないですか」

 

 相手はじっとこちらを見つめている。警戒や恐怖、敵意は…ないように見える。

 しばらくこちらを見ていた彼女は、ふいに引っ込んで姿を消した。

 

 …苦痛や混乱の様子はなさそうだった。多分、成功で、いいんだろう。

 

『お疲れ様。難しくなかったようだね。とりあえず、アクアティックセクターに戻って、ラウンジのスピーカーで録音テープを再生してほしい。クモたちの団結の時だ』

 

 頷く。

 …、…もし。もしも、彼女がナブナブを好きにならなかったとしても…その時は、それぞれの幸福について、もう一度ちゃんと考えて、方針を探ろう。きっとそうすべきだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 アクアティックセクターへ戻ってスピーカーをセットする。

 流れた音は表現できぬ感覚だったが、クモの彼らにとっては何か意味ある音なのだろう。

 

 ケーブルカーの方向からナブナリーナがやって来て、ナブナブが居るだろう部屋、扉の天井前で立ち止まった。まもなく、部屋からナブナブが出てくる。

 

 ―――二人はしばし見つめあった様子だった。

 

 どちらからともなく彼らは並んで、ゆっくりと天井を歩く。右へ、左へ。

 息のぴったり合ったダンスのようなステップを終え、再び二人は見つめあう。

 ナブナブが、ナブナリーナに何かを示した。…『行こう』、だろうか。ナブナリーナが追従し、二人は連れ立って、廊下の向こうへ歩いていく…。

 

 

『これで、彼ももう惨めなんかではないだろう』

 

 …うん。よかった。彼らの未来に幸福が多くあることを祈る。

 

『彼らがもともと下層の突然変異体でなかったのが不思議なくらいだ。確かにお似合いだね。…これは、』

 

 ―――不自然に途切れた声に顔を上げる。直前に聞こえた低い音は、確か―――

 考える間に地面が大きく揺れる。急いで姿勢を低くして廊下に目線をやると、天井を伝って何かがやってくる。

 ナブナリーナだ。慌てた様子で彼女は割り当てられていた部屋に入っていく。

 ―――彼女、一人だけだ。ナブナブは、どこへ?

 

 揺れが収まって二人が進んでいった方へ向かうと、廊下に何か転がっていた。

 走って拾い上げる。…パーティーハットだ。白黒のこれは、ナブナブのものに間違いがない。何があった?

 

 駆けだそうとする私の目に、ケーブルカーの向こうの暗がりから現れた、橙の姿が映った。

 スティンガーフリンだ、走り寄りつつ尋ねる。

 

「っすみません、ここに、ナブナブ、青い…クモのような誰かは来ませんでしたか。それか緑の巨人か…何かがあったようで、」

 

 

「―――それがお前の言う『道中の誰か』か?」

 

 

 厳格な声が響いた。ひたりと見つめられて、思わず固まる。

 

「―――帰還にいささか時間が掛かり過ぎているようだな。自力で戻れぬなら、手を貸すが」

 

 

 ―――やっべ、忘れてた。そういや進むか否かの問答に、結局答えが出ていないのだった。

 

 伝えたいことはあったはずなのに、ここに来るまでに何の準備もしていなかった私は言葉に詰まる。

 手を貸す、という提案に頷かぬ私を見て、彼はすっと目を細めた。

 

「優先すべきことは何だろうか。お前の命と子どもとの再会。他の誰かを心配している時間が?」

「いえ…あの…」 

 

 まごついた私は言葉を絞った。子どもの安否は気になるところではあるが、会ったことのない「子どもとの再会」は一分一秒を気にするほど待ち望んでないし子ども側だって別に待っちゃいないだろう…。

 

「実のところ、どれ程時間が掛かっても…」

「…逃げる機会は棒に振られそうだ。安全な提案を受け入れるには遅きがすぎる」

 

 色良い返事ではなかったためか相手の声の温度は落ちた。

 

「しかし安心すると良い、まだお前を排除や収容するつもりはない。浪費はしない性分だ」

 

 取り付く島はなさそうだが、すぐさま害されもしないようだ。…なんというか、まだ、脅かしをしているような気配を感じないでもない。相手は、私の反応を、よく観察している。

 

「古い友人は私よりずっとお前を必要としている。彼らもまた心の平穏を守るために動いているようだが。もはや私は己の願望と最終的な精神調整を進めるための材料をそろえている」

 

 するり、とその橙色の手がこちらに伸びる。

 

「少し昼寝でもしているがいい。あるべき場所へ連れて行ってやろう―――」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




P1:自分に関する事態をよくわかっておらず呑気している。親ではない。◯ ✕ △の記号の意味が、海外において一般的でないと失念している。

赤い声の主:望む結果を得る為に、条件を整える労力を気にしない。それには対象の心理へのアプローチも含まれる。なお得意ではない。

黒いクモ:素敵な相手を見つけたが、怖い思いもした。

青いクモ:素敵な相手を見つけたが、痛い思いもした。

橙のクラゲ:盤上に増えた駒が勝手に動きまわるので帰ってほしい。そうじゃなきゃ寝ててほしい。相手の心理把握とアプローチは苦なく可能だが、対象の特殊性からいまいち響いていない。
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