気が付いたら幼稚園らしいけどここ暗くないか??? 作:ぱんのみみ。
前回のあらすじ
保安官の助力により、洗脳された道化師の強襲を躱す。外科医に報告後、情報収集へ戻る。
ドクターの手術室を後にし、仕事…ジャンボジョッシュの調査の続きだ。個人的にはシェリフとビターギグルのことはやっぱり気がかりではあったが、ドクターはどこかうんざりした顔で、連絡係としてアシスタントの一人を彼らに向かわせると言ってくれた。だからさっさと自分の仕事に集中しろ、という目で私は部屋を追い立てられたのだが。
情報を貰うため、件の騒音被害を訴えた市民のいるモーテルの2階…ではなく、私は3階にいた。確認したいことがあった、きっとすぐ済むことだ。
部屋の扉は開け放たれている…物音は聞こえない。
もう避難し終えているのかも、と思いつつ、失礼しますと声をかけて部屋に入る。
しゃがんでベッドの下を覗くと、目が合った。
「―――化けて出てきた!!!!」
叫ばれた。失礼な。…でも緑の彼らからすると人間の顔色って悪く見えたりするのだろうか。色が薄いなあ、みたいな…?
「生きています。―――大丈夫ですよ、あの人物はもういません。そこから出られますか?」
なかなか苦労しそうな様子だったので、這い出るのに手を貸す。無事に立ち上がった相手からそっと手を放して顔色を見る。
「お怪我はありませんか」
「な、な、ないけど…え…?」
よかった。ちょっと混乱しているようだが、強い恐怖はないようだ。まだ怖い思いをしているのでは、と心配だったのだが。
「あの人物は、保安官が確保したので安心してください」
「は、あ…えぇ…」
動揺している彼の様子を見つめる。出来事を考えるに無理もない、そうっと私は頷いた。
「よく、ずっと、諦めずに声を上げ続けてくださいました」
あの状況でマニュアルに沿って動けたのは、凄まじいことだ。
彼の声がなかったら、シェリフと共にビターギグルを止められなかったかも…。
「駆け付けるのが遅くなってすみません。諦めないでいてくれて、ありがとうございます」
しばらく口をパクパク開けたり閉めたりした相手は、やがて声を出した。
「あ、あ、あんた、その、な、名前は…なにか、れ、礼、を…」
「…ああいえ、ええと…私は実際に犯人を確保した訳ではなく逃げおおせただけなので、名乗るような者では…。もし何かありましたなら、シェリフか市長へ」
第一に私は市長の名代で情報収集のお使いをしている最中なので、勝手に名乗るようなものでもない。寄り道の自覚はある…キレるドクターの顔は想像に容易い。目の前の彼の無事も確認できたことだし、さっさと戻った方がいいかもしれない。
「ともかく、ご無事でよかった。まだノーティワンズたちがいますから、どうぞお気を付けて。…お邪魔しました」
「え、え…あ…」
一礼をして私は部屋を後にした。
モーテル2階。ノックしたドアから飛び出す勢いで出てきたのは、騒音被害を訴えていた市民だ。
『―――ヒーローが帰ってきた!』
何を言っているのかはわからなかったが、喜んでいそうなことはわかる。
『あの騒音の正体は何だったんだ?マジで変な音だったもんな。永遠にソの音が聞こえて気が狂うかと思った―――ああ、でももういいんだ。喧しくなくなっただけで十分満足だよ』
翻訳、と端末を探す私を手で押しとどめて、彼は笑んだようだった。
ゆっくりと言葉が投げかけられる。
『
これはなんとなくわかるぞ…!
差し出されたキーカードをうけとって、私も微笑んだ。
「
―――彼の口元はちょっと嬉しげににやついた。
『…きっと、アンタらってみんながそう悪い奴なわけじゃないよな』
…これはわからないな…。首をかしげて見上げた先で、やがて彼はキーカードと外を指さした。
『
英語だ!ぶんぶんと私は頷いた。
『
彼は、苦笑した。私は端末を差し出した。
『…悪いな、俺、その怪物がどこへ行ったかはわからないんだ。でも、劇場で俺の知り合いが役に立ちそうな道具を持ってるのを見た。無駄足じゃないはずだ』
端末の翻訳をよく読んで、私は微笑んだ。
「ありが…むんとオブリガード」
明るく彼は笑った。
『「Obrigada」』
「…Obリガーda?」
『Obrigada』
「…Obrigada!」
「Muito bom!…ぐっど、だ!」
彼の細い手が私の肩を軽く叩いて、それからひらりと振られる。
手を振り返して、私は部屋を後にした。心持ち、足取りは軽い。
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シアターへ向かいつつ…一応先ほどの屋上を覗いたが、もうシェリフらの姿はなかった。近くのバーにも顔を出したが来てはいないとのこと…。あんまりそっちに集中してもドクターに面目が立たない。気にはなるが、一旦頼まれた仕事を進めよう。
道中で、カボブマンを発見。彼は、市民の一人と何やら顔を突き合わせている…。彼にはバードアップに関してお礼をまだしていなかった。無事も喜び合いたいところだ。
あの、と声をかける…言語が聞き取れない可能性があるので端末は既に起動済みだ。緑のキャスケットの市民は息を吐いた。
『…少し静かにしてくれないか。にらめっこ中なんだ』
…ドイツ語!比喩じゃなくて本当に、にらめっこ中らしい。
『この相手、思ったより強いんだよな…』
…、…。カボブマンは…眉一つ動かさず…どっしりとそこに立っている。忖度なく強そう。
なかなか勝負はつかなそうと見た。
…、…。楽しそうにしてるし、じゃあ、まぁ私の出る幕じゃないか…。
「おじゃましました…」
私は彼らに頭を下げて立ち去った。カボブマン、いつかまたどこかで会おう。
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シアターに到着…したが、チケットが無いと入れないらしい。しかし手持ちに通貨はない。
市長の許可書でなんとかならないかと鞄を探るため視線を動かした時…視界に橙色の、ある姿が映った。
―――スティンガーフリンだ!
駆け寄る。
「―――ご無事でしたか!」
「…、…」
近づいて見て、どうやら大きな怪我はなさそうだと察する。
落ち着き払った一つの目は、私を見降ろした。
「…お前、ぴんぴんしてるな…」
なんで生きてるんだって言われてる…?あるいはもっと萎びてろって…?
「お前が元気に生きているようで嬉しいとは言えない」
相も変わらずの話し方だ。話の核心から3歩ほど離れてぐるっと円周を描くような物言いである。…迂遠なようでいて滅茶苦茶シンプルにくたばってくれと言われているのかもしれない。
つまり超不機嫌ってことだ。事態を鑑みるに、むべなるかな。
私は神妙な顔をした。フリンはため息をついた。
「あの気が触れた蛭が私を手下にすることはできない。しかし未だ辺りをうろつくのは危険にすぎる」
私はシリンジョンの部屋にあったホワイトボードの表を思い出した。フリンの絵の横にあったクエスチョンマーク。…やはりあれは、安否確認のボードかもしれない。
「子どもたちがあのようなモノを一匹でも見たら、どれほど恐ろしい思いをするか、考えてみてほしいものだな…」
「ノーティワンズ…。本当に、危険な、存在なのですね」
「いまだ理解が及ばぬようだな。―――人間を最も憎む、心無き生き物だ」
「…、…。彼ら…人間を…私を、真っ先に攻撃しに来るわけではありませんでした…」
「奴等の首領が指示しているからに過ぎない。以前は統率の取れていたそれも、頭脳体が我を忘れたのならどうなるかは知れる。…今はまだ優先順位が働いているが…憎しみで何もかもを平らげるまでに止まるかは、外部の干渉次第だ」
「…、…」
「私が子ども達を隠した場所へ…奴らが辿り着かないという可能性は、否定しきれるものではない。この事態を引き起こす一端を担った人物に責任を問いたいところだ」
…、…。深く私は頷いた。
「当事者として精一杯、事にあたります」
…クソでかため息が返ってくる。
「誠意はある。嘘ではないのが誠に…悔やまれる…。これ以上言うまい…」
「…ご寛大な対応、痛み入ります…」
いや、本当に怒ってるんだろうけど生来の気質からか完全には放り出せないんだろうなスティンガーフリン…ご心配をおかけします…。
「ともかく…またお前に見せるべきものがある…」
物凄く億劫そうに、ひょいと橙の腕が持ち上げられ―――はっとして私は口を開いた。
「お待ちください。…お聞きしそびれていました。貴方が見せて下さるコレは…一体」
「幻覚。それ以上のものではない」
しかし、彼が何度も繰り返すからには、意図や意味があるものでは…。
「―――見せてくださる幻覚の光景は…たびたび現実に起こる出来事と結びついているように思えます」
サボテンとジャンボジョッシュ。強大な多足の虫と巨大化したナブナブ。バスとキャプテンの関係性…は、まだわからないが…。
私は彼の黒い瞳を見た。
「スティンガーフリン、もしかして貴方は……予言のようなことができるのではありませんか」
その類まれな頭脳によって起こされる、高度な演算は…未来を映し出すに足りるのでは?
スティンガーフリンは、じっと静かにこちらを見つめている。
長い沈黙ののち、声が降る。
「―――誰しも、見たいものしか見ない。わからないものは見えない。よってこれはただの幻だ。そのように終わる。…全てが終わった後に、ああそうだったかもしれないと、都合の合う理由を見つけるだけのもの」
でも。でも彼は、私にそれを見せてくれる。
「…可能であれば、お話して、いただけませんか。それは、近しい未来に起きる出来事を暗示している気もします。その配役は異なれど…もしかすると、誰かの助けに、」
橙の腕が伸びる。
「―――意味はない。甲斐もない。だから、ただ眠るといい」
では、なぜ貴方は
ぱちりと光が弾けて、私の意識は暗闇に飲まれていく。
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…、…。
気が付いた時…私は、何かに乗っていた…???
異様に眠い。
不揃いな形の窓の向こうは明るく青い。雲が見える、近い―――空だ。
空を飛んでいる。ここは航空機内か。
直前の記憶を辿る。橙の手。閃光。
―――幻覚、ここはスティンガーフリンが見せる幻覚のはずだ。
見えるものから状況を推し量ろうとする。
向かい合うシートの正面に誰かが座っている。小柄な紫色の姿。キャプテンフィドルズ。彼はぱたぱたと片足を揺らしている。機嫌は悪くなさそうだ。
彼から見て左隣に赤い彼、ウスマン。それから右隣に青いクモの彼、ナブナブが座っていた。ナブナブのさらに隣にはオピラが首を丸めて片足で立っている…。
意識が、身体が、重たい。
大して動くこともできず、目線を動かすのみにとどまる。
機内はそれ程広くはない。構造からして飛行機か、あるいはヘリ…いや、窓越しに翼が見えた。セスナのような小型飛行機だ。ついでにゾルフィウスと目が合う、こんにちは。
「―――で、今の計画は?」
ウスマンが、運転席側へ声をかける。
運転席に橙色の姿がある。スティンガーフリンだ。振り返った彼は答える。
「―――いつもと同じだろうな」
重たい声だ。
「我々は、この運命に見放された旅を続ける」
ふむ、と椅子に座ったウスマンは膝の上で両手を組んだ。
「僕らは空のど真ん中に居るわけだ、それで実際にはどうするって?」
「 私 が 知 る か ! 」
だいぶ怒ってる!でもそうだろうな!
流石のウスマンにもフリンの怒気は伝わったようだ。
「わかった、一旦落ち着こう」
掌を見せつつ、椅子に座りなおしてウスマンは言った。
「ただの質問のつもりだった」
…スティンガーフリンは気まずげに視線を前方に戻した。
「―――すまない。ただ…もうこれに疲れただけだ」
「何に疲れたんだ?」
「全てに」
再びフリンの瞳がこちらを向く。
「意味がないんだ、バンバン」
沈黙が落ちる。
「なんだって?」
「いずれのものにも、やる意味を見いだせない」
…、…ひどく疲れているのだ、と思った。
彼に何かを言いたい。休んで、何もかもを一旦置いてその荷を下ろし…無理なら誰かに預け、それで……、――――無責任な。何も知らないくせに?
思考が定まらない。これは過去?―――だからこれほど動けないのか?視界の端っこでキャプテンが両足をぱたぱた動かしている…ナブナブがそっとその足に触れて動きを止める。
沈んだ声が続く。
「そして終わりが見えない…」
頭にクエスチョンマークを浮かべたウスマンが困惑気味に問う。
「君に何があったんだ?なぜ突然それ程ネガティブに?」
悪手な気がする…。ひやりとする私をよそにフリンは憂鬱な声で答える。
「この計画を断念すべき時なのかもしれない。…本物の海ではなく、なぜジバニウムの海の上を飛ぶことになったのだろうか…」
「―――OK、やめだ」
かちり、とウスマンの雰囲気が切り替わる。困惑から先導する者へと。
冷静で簡潔で明確な指示が飛ぶ。
「君がその状態であるなら、キャプテンに操縦を任せた方がいい」
―――意見としては私も同じだ。誰かに荷を預けて休んだ方がいい。でも、でも……言い方……。
焦燥に襲われる私の目の前で、瞬時に運転席から伸びた触手がウスマンを掴んだ。
「―――何をするんだ?!」
「お前の変わらぬ無駄口も終わりにしよう」
乱暴に助手席へウスマンを叩き込んだフリンが告げる。―――今まで隣の席に誰もいなかったのだ、とようやっと気が付いて私は胸が痛い。副操縦士がいないとか、まじか…まじ、か…。……スティンガーフリン……。
計り知れない心労を負っていただろう怒りの声が続く。
「お前と会話を始めるといつも碌なことにならない―――」
助手席から唸り声が聞こえた。
と思うまでもなく赤い腕がフリンに掴みかかる―――そのまま橙の身体がいともたやすく機体の後方へ投げ飛ばされた!
「―――戻れ!このままでは墜落するぞ!」
衝撃によって機体から半ば身体が投げ出されたフリンが叫ぶ。
運転席側から飛び出してきたウスマンの瞳は…理性を失っている。剝きだされた牙と角。凶暴化した姿だ。
一直線にフリンの元まで跳んだ彼は、威嚇するオピラを巻き込んで橙の身体へ飛び掛かった。
3名が機体の外へ消える。
止める間もない出来事だった。
愕然としている時間は惜しい。何かをしなければならない。―――墜落を防ぐ?あるいは落ちた者の救出につながる何かはあるか。…操縦…パラシュート…
散りそうになる思考をまとめて立ち上がろうとする。身体が重い、意識が、どこか、遠い。
歩もうとしてぐらついた身体を、誰かが掴んだ。
視線を上げる。青い色。
目が合う。
「――――なぶ、」
急激に景色が変わる。
私とキャプテンの身体を抱えた彼は、外へ飛び出した。
浮遊感が襲う。まもなく先に落ちた3名が見える。
スティンガーフリンが、いまだ自身へと向かってくるウスマンへ叫んでいる。
「止まれ!―――気が触れたか!」
いや、いつぞや彼が凶暴化したタイミングを思うと感情の高揚あるいは生命の危機に反応したか―――考察している場合ではない。落ちている!
眼下は果てないエメラルドグリーン……ジバニウムの海だ。このまま落ちたら衝撃でバラバラになる―――のは、もしかして私だけか?そんなに焦らなくてもいいやつかこれ?
ぐるぐる回る視界の端っこ。
乗っていたと思しき小型飛行機が見え―――それが、まもなく爆発した。
世界は止まる。
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気がついた時…私は、見覚えのある場所にいた。
青い空。
白い砂浜。
どこまでも続く、海。…うみ、ちゃんとした海だ…先ほど見たジバニウムの海ではない。海水。
おや…?と私は横にいたスティンガーフリンを見あげた。
「…あの、先ほどの幻覚は…いえ、ここはまだ幻覚ですね…。ええと、」
「これは過去でも未来でもない、存在しているのは今の私とお前だ」
「ああ、左様で…」
ちょっと頭がこんがらがるな…。
すぐに目が覚めずに、まだここに居るという事は…話が…あるってことでいいのか…?
しばらく見上げる先で…フリンは億劫そうに口を開いた。
「時間が…余った…」
…ええ…?
「良いか…お前が好き勝手に動くので私も苦慮している…スケジュールというものがあるんだ…もう少しあの場に留まらねば要らぬ衝突が起こる…」
どうやらその千里眼じみた目で広範囲を見通し大勢の動きを予測している様子…?
「理解はきっと及んでいませんが、意図するところはわかりました。…しかし、なぜここに…?」
「遥かに安全でトラブルの可能性がない」
「ええと、しかし、体は無防備に現実世界にあるのでは…」
重たい視線が私に注がれた。
「そのデメリットは、お前が現実世界で引き起こすかもしれない珍妙な現象より重いか?」
「…イイエ…」
トラブルメーカーみたいな扱いをされている…。申し訳ない気持ちになって大人しく現状を受け入れることにした。
要するに…ここへ呼ばれた理由は時間つぶしということだ。
…、…。先ほど見た幻覚を思い出して、そうっとスティンガーフリンを窺う。何か声を掛けたいと思ったのだが、今の彼は別段激しく怒っている訳でもなければどうしようもないほどの悲しみに暮れているわけでもない。現在もう忙しく働いてはいない様子だし…。…そもそも彼の計画をぶち壊し、ワンオペ操縦から最悪の形で解放することとなった私が何を言ったところで火に油な気もするな…。
せっかくなので辺りを見てみることにする。きょろきょろし始めた私の横からじとっとした視線が投げられた気がしたが、すぐにその気配はなくなった。放っておくことにしたらしい。いつぞやと同じような体勢で彼は海を眺めている。黒くて重い瞳はどこまでも続く、近くて遠いそれを見つめ続けている……ずっと。
青い海。寄せては返す波は、白い砂を躍らせど橙の腕に触れることはない。
そもそも彼の目は水平線の彼方へ向けられている。
…、…。
「―――あの、スティンガーフリン」
火に油だ、と思ったのに、私の喉からは音が出ていた。
黒い瞳が私の方へ向く。
何を言いたいかよくわからずに、それでも何かに押し出されるように口を開いて、―――そうして言葉が詰まって、眉を下げる。
報告書や幻覚や彼の言葉を思い出す。その努力と忍耐と責任感とを思った。疲弊した心を想った。
早くはっきり言わなくては彼を苛つかせるだけだろうに、浮かんだ言葉はどれも安っぽくて言うのが憚れる。どうあがいても完全にはなれない薄い共感の言葉ではなくて、繰り返した謝罪の言葉ではなくて、―――じゃあ、自分は、何を言いたいのだろうか。
「―――」
スティンガーフリンは、私の頭のてっぺんからつま先まで見て、その大きな一つ目をゆっくり瞬かせた。
彼は急かさなかった。丸い瞳でただこちらを見ている。私は言葉を探した。
「貴方を、その…」
悲しませたいわけではない。怒らせたいわけではもちろんない。疲れ切っている貴方に、無理に何かを、してほしいわけではないのだけれど。
―――ゆらり、と世界がぼやける。意識がゆっくり遠ざかっていく感覚。目が覚める時間なのか。
掴みかけた何かを必死に手繰り寄せようとするが、それはするりと逃れていく。
それでも考える。意識が途切れる直前まで。
消えゆく意識の最後。
どうか、と。何かを願った、気がする。
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目が覚めた時…私は見覚えがある場所にいた。
薄暗いが明かりがある街角。灰色のコンクリートの地面に横たわ――――いつぞやと同じく、体の上に橙色の腕が乗っかっていたため、私は起き上がるのに失敗した。
「…、…お、おはようございます…」
下から恐る恐る窺った黒い瞳は、やっぱり徐々に半眼になった。
「…お前、その寝相をどうにかできないのか」
そんなに酷いのか…彼が言うんだから本当に相当なんだろうな…。私は頭を振った。まだぼんやりする意識を無理やり目の前に戻して口を開く。
「申し訳ありません、なにぶん意識外のことで…あの、まさか貴方を蹴っ飛ばしたりなどはしていませんよね…?」
「……」
フリンは無言だった。私はダメージを負った。
ふう、と息が吐かれて、彼は何か遠くに転がっていたものを引き寄せた。……蓋が開いたリュックだ。中身が飛び出ているのがみえる。―――どんな寝相だ、これは酷い。
「まことにもうしわけございません…」
恐縮しまくる私にフリンは整えたリュックを突き出した。
かしこまって拝受する。
「……」
「……」
下を向いてリュックを持つ私に、声が降る。
「眠れといったのは私でお前はその通りに眠ったにすぎない」
…?何かが差し出された気配に顔を上げる。
「私の用事は終わった。どこへでも行くと良い」
伸びた橙の手の先、目の前のそれを見る。―――シアターのチケットだ。
あっ。えっ?
「く、くださるのですか」
「落ちていた」
えっ??
ん…???
「私はすでに忠告した。どうしようとお前の勝手だ。―――私は静かな場所にしばし身を置くとしよう」
まじまじとチケットを見つめる私をよそに、フリンはさっさと歩みを進めてビルの影に姿を消した。
…………世話焼きが過ぎないか?わ、わからない…怒ってる…怒ってるのだけど…最後あんま怒ってなかったな…。教えてくれようとして直接的ではないけど助けてくれるのか……。
……、……。
その調子で仕事を……ずっとしていたのではあるまいな……。疲弊するだろうなそれは……。
でも今その彼に最もストレスを与えているのは間違いなく私だろうな…。胸が痛い。
私は貰ったチケットを大事に両手でもって先に進むことにした。責任を果たしに…つまり、この混乱した事態の収拾を進めるために。
P1:あっちこっち気になる性分だが優先順位付けに難あり。
叫んでいた市民:恐怖はなくなった。動揺は収まらず。
騒音被害者の市民:難しいので母国語以外は好んで話さない。
橙のクラゲ:お冠ではある。しかしなるべく静かに過ごしたい。