気が付いたら幼稚園らしいけどここ暗くないか???   作:ぱんのみみ。

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 前回のあらすじ

 監獄内で保安官に再度捕まった後、騒ぎが起こる。混乱に乗じて望まぬ脱獄をすることになった。逃走車が橋で地雷を踏み、その勢いで下層に落下した模様。



74 Identify

 

 気が付いたとき、私は暗い場所で転がっていた。

 

 動き出そうとして感じた痛みに、思わず呻き声が漏れる。

 身じろいだ拍子に、私が居た場所……すなわち瓦礫の山が崩れて、私はずるずるとそれらと共に滑り、人工的な材質の床に転がり落ちた。

 

 

 ……。生きて、いる。

 

 

 床に倒れたまま、私は茫然と天井を見上げた。

 

 ひとまず命があるという事実をゆっくり飲み込んで、それからゆるゆると視線を下げて自分の体を確認する。胴体から、四肢、末端……。

 全身を強打したように痛みがあるが、言ってしまえばそれだけだった。腕も足もついたままだし変に曲がってもいない。ところどころ擦れてはいるが、大出血もない。

 

 無事だ。驚きを通り越して怖いまである。

 

 一体何がどうなったのだろうか。

 目の前の灰色の床に手をついて、慎重に起き上がろうとしてみる。

 ――ちょっとふらついたし痛みはあるが、体重をかけても腕も足も問題なく動いた。幸いだ。

 

 周囲は折れた木材やらズタズタになって垂れ下がった布、つぶれた段ボールなどが散乱している。これらに引っかかりまくったことがクッションになった……?それにしたって運が良すぎるな。最初に居た位置から上を見ると、天井に穴が開いているのが確認できた。暗くてよく見えないが、その向こう、トラックの残骸らしきタイヤが見える……。

 

 運転手は無事か?と動きかけて、直前に聞いた声を思い出した。

 『運転手と乗員2名は橋の残骸に』『内1名が車と共に下層へ落下』……。ここまで落ちてきたのは、私だけなのだろうか。

 

「誰か、いますか……!」

 

 声をあげてみても、返答はない。耳をそばだてたが、物音も拾えなかった。

 ……ジバニウムでできている彼らは、私より断然丈夫なはずだ。無事であることを祈っておこう。

 

 周囲を確認しつつ――――ここに落ちた経緯もだんだん思い出してきて、私は真面目な顔をした。

 

 

 

 ……全く意図せず脱獄してしまった……どうしよ……。

 

 

 

 多方面にマイナスな影響を及ぼす気配しか感じない。

 ほ、本当にどうしたものか……。上手いことダダドゥー卿に使われてしまったようだ。上は結構な混乱となっているに違いない……。

 

 とはいえここに居たままでは仕方がないこともわかる。

 とりあえず進んで……ドクターに会いに行くか、刑務所に戻れるか試してみて……。信じてもらえるかは正直怪しいが「逃げる気は全くなくて、シックス君について貴方と話があります。たぶん私は味方です」と伝えて……それで……。

 ……。考えながら、それは無理筋だと自分の突っ込みが入る。脳内でイマジナリーなお医者さんが匙を投げて黙って首を横に振った。手は尽くしましたが残念ながら…。

 

 

 でも、何もしないよりは……マシ……。

 私は、歩き始めた……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 周囲は薄暗い。

 

 狭い通路と見慣れた扉……。周囲の荷物や壁の作りは、シリンジョンの街に来る前にさんざん歩いて回った施設内部と雰囲気が似ている。

 

 廊下の光源は絞られて、天井近くの壁に仄かに光るライトが設置されているだけだ……。

 

 

 

 ――――ふいに。奇妙な感覚に襲われて、私は目を瞬いた。

 

 

 

 この景色を、知っている気がする。

 

 今まで歩いてきた上階に似ているというだけではなくて。……目線はもう少し、低かったかも、しれない?

 

 

 これは、既視感だ。

 

 

 導かれるように足が進む。

 

 見覚えがあるホワイトボードの多数決表。パソコンの並ぶ机を、通り過ぎる。

 

 

 その先、部屋の突き当り。

 古びたクローゼットの前で、私は止まった。

 

 

 心臓が、跳ねている。

 撚れて結ばれた縄で、取っ手は縛られている。足元に落ちていた鋏を拾い上げ、その縄を切る音が、やけに耳につく。

 

 呼吸を止めていたことに気が付いて、私は一度静かに息を吐いた。

 

 取っ手に手をかける。

 

 両開きの扉は、軋みながら、ゆっくりと開かれた。

 

 

 

 

 見えたのは、青色だ。

 

 

 ――――きょとん、と驚いたような丸い瞳と視線が合う。クローゼットの中の相手が、首を傾げる。

 

 

「……きみはだれ?」

 

 

 膝を抱えて座っている青い姿の相手は、こちらを見上げて続けた。

 

「ぼく、かくれんぼをしているんだ。シックスがいいよって言うまで隠れてなくちゃ。……君は?新しく一緒にあそんでるひと?」

 

 ……。私は彼を知っていると思った。直接自分の目で見たことはないけれど、彼が誰かを知っている。そうっと口を開いて、呼びかける。

 

 

「……“ぼく”。おぼえて、る?」

 

 

 青い彼は、ぱちり、と瞬きをした。

 

 

「……きみ。きみ……“わたし”?」

 

 

 夢ではなかった。――――夢では、なかったのだ!!

 

 私は頷いた。喜びが口から零れた。

 

「そう……!“わたし”!レイ!」

 

 私はその青い彼に手を差し出す。

 丸くて黒い、彼の瞳はきらきらっと輝いて、しかと私の手を握り返した。

 

「わぁ……!“わたし”!そうか、きみなんだね!今なんだ!――――わぁ、待ってた!ぼく、ずっと、待ってたよ!」

 

 その声があの時のままの調子だったので、――ぎゅっと胸を締め付けられて、私は思わず手に力がこもった。

 

「待った、よね、そうだよね。ごめん、一体どれくらい……一緒に居られたら、よかったのに、」

「ううん、会えるってわかってたし、かくれんぼで隠れてるのも悪くなかったよ。……ねぇ“わたし”せっかく会えたから笑って!ね!」

 

 ぱっ、と彼は私に微笑んだ。

 

「ぼく、きみに会えて、とてもうれしい!」

 

「わたし、も……」

 

 泣きたいような笑いたいような、へなへなの声で、――でも私は心から微笑みかえした。

 

 

 

 ふと、にこにこしていた“ぼく”が、視線を上げた。

 

「あ、ちょっと待って。誰かくる」

 

 え、と私は背後を振り返った。私に音は聞こえない。

 

「ねぇ“わたし”、心当たりある?」

「わからない、でも、追手、かも」

「追手?……きみ、シーカーから逃げてるの?」

「ああええと。ちょっと、貴方が隠れている間に色々あって……」

「――聞きたいことはたくさんあるけど、でも一旦隠れよう!」

 

 腕を引かれ、私はクローゼット内にあったドラム缶の上に乗っけられた。私は急いで取っ手を掴んで、扉を閉める。

 

「わぁ。ありがとう、“わたし”」

「こちらこそ、“ぼく”」

 

 我々は微笑みあった。

 

 

 

 クローゼットの中は、当然ながら暗い。その中でも仄かに見えるものがあって思わず声が零れる。

 

「……これ、“ぼく”が描いたの?」

「あ!ふふ、そうだよ!」

 

 彼は小声で嬉しそうに笑った。クローゼットの奥で薄く緑色に発光するそれは…似顔絵だ。

 

「きみの座っている缶に、ジバニウムが入っていたから。それを使って、ぼく、みんなを描いたんだ!」

 

 私はそれをまじまじと見つめた。デフォルメされた絵だ。

 シックスやセブンに、ブロブたち。……トリュフトゥート、エイト、セブンティーン、キティ……。形や表情の特徴をよく捉えている。かわいい。フォースやあの大きなヤギ頭の蛇までいる。“ぼく”の隣にいるセブンの周りには、小さくハートマークと星マークが加えられていた。なるほど、と思わず頬が緩む。

 

「誰が誰だかよくわかる。いいね」

「ほんとう?……あのね、きみもいるんだよ……!」

 

 青い指は、セブンの隣に描かれた“ぼく”を指さした。……てっきり彼自身を描いたのだと思ったが、私だったのか!そうか、“ぼく”は私の容姿を知らないから彼の顔になったわけだ。

 

「ありがとう。うれしい」

「……うん、ぼくも」

 

“ぼく”は、両手で口を押さえて笑った。

 

 

 

 しばらく暗闇でじっとしていると、私にも足音が聞こえてきた。

 

 静かな足音だ。急いでいるわけではない様子だし、大勢でもない。追手ではない、か…?

 ……。

 

 かたん、とクローゼットの扉が揺れる。

 

 緊張に息を止めつつ、場合によってはいつでも飛び出せるように、足に力を籠めてそれを見つめる。

 やがて、ゆっくりと扉は開かれ――――その隙間から、赤い色が見えた。

 

 

「やぁ。久しぶ……――いや待って。君ここで何してるんだい?」

 

「!ウスマン!貴方こ、そ――」

 

「シックス!」

 

 相手の姿を見て言葉が思わず止まった私をよそに、“ぼく”がぱっと立ちあがって笑った。

 

「きみにも早速会えるなんて。久しぶり!でも……でもきみ……?その姿は……何があったの?」

 

 はたり、と赤い彼は瞬きをする。

 

 

6番(シックス)?なんのこと?」

 

 

 ―――、……。

 私は、口を開いて閉じた。

 

「え?いや、冗談は無しだよシックス。かくれんぼが終わりなんだよね?鬼は僕を見つけられずに、その時が来て、きみと“わたし”が迎えに来てくれたんだ。あれ?違う、の……?」

「……ふむ……なるほど、クローゼットの中に長時間居すぎたようだな……」

「何言ってるの、シックス。きみがこの場所を“わたし”とぼくに教えてくれたんだ、ここで隠れていてって……」

「なんだって?違う。行方不明だった君を、今やっと見つけたんだ」

 

 ……。……、……。

 数秒のうちに、脳内で様々な記憶と考えが交錯する。物凄く色々悩みつつ、私は“ぼく”の腕を引き、頑張って彼の耳…と思しき部分に口を寄せて小声で喋った。

 

「待って、“ぼく”。……あのね、彼は……ウスマンなんだよ」

「……どういうこと……?別の子?でも彼、シックスがちょうど大きくなった感じだ。頭の上に“Case6”って出てるよ。体はなんだか所々……緑だけど……」

「うん……。確かにシックスなんだけど、ウスマンなんだというか…。いや、説明は難しいんだけど……ええと……確かに彼は“ぼく”の知っているシックスの続きではあるんだと思う。でも彼自身には今、シックスの記憶や意識がないんだ。代わりに、ウスマンという人間の記憶と意識があるんだよ」

 

 ……いや若干本人も薄々色々気付いてそうでもあるんだけれど……。

 

 私は言葉に詰まった。やっぱりたぶん本人もちょっと認識している気がする……。少なくとも体が人間ではないんだとは知っていると感じる。そうでなければ、時間稼ぎとはいえダダドゥー卿に洗脳された軍団に一人で立ち向かわないだろう……。

 洗脳集団に関する研究者としての知識と、自分が十分に戦闘可能だというジバニウムの体である認識がなければ、あの場面でそうするメリットがあると判断できない。

 つまり、深層意識に、Case6である認識は存在していそうでもある。

 まぁそれはそれとして、自認は…。

 

「それでも彼の自認は、ウスマン・アダムという人間なんだよ……」

「人間……?」

「私みたいな『人間』って呼ばれる生き物……わかる……?彼は人間のウスマンだから、そうじゃない扱いをされると混乱しちゃうんだ……」

「……、……わかる。でも、えっと、」

 

 うわぁあ、受け入れがたいよなぁ、そうだよね……!ややこしい上に混乱も焦りもあってうまく言えない。どうしよう、ごめんどう説明すればいいのか。

 

「――君たち、さっき出会って仲良くなったの?」

 

 ウスマンの声が掛かる。こっちもこっちでなんと説明していいものか!

 だって彼はシックスの記憶が無いんだし!すっかり私の頭からすっぽ抜けてたけれどそりゃあそうなる!

 ……かすかでも彼の記憶に引っかかっていたら、『私が“わたし”なんだ』と喜び勇んで「手伝う」と言った約束を果たせると宣言したのに……!

 おたおたしている私をよそに……ひょい、と“ぼく”が屈んでいた姿勢を直してウスマンを見つめた。

 

「――きみ、シックスじゃ、ないの?」

 

「……?先程からそう言ってるよ。僕はウスマン。ウスマン・アダムだ。ここの職員だよ」

 

 

 

「……そっか。……そうか。わかった」

 

 

 肯定の言葉と共に、青い手は私の片手を握った。

 ……おや?

 相手の事情の受容にしてはなんか、なんか……その声は静かすぎる、な……。

 

 

「こんにちは、ウスマン」

 

 

 ウスマンが青い手をちらと見て、それから再び“ぼく”の顔を見る。

 

「僕はかなり長く気を失っていたのかな。君たち、すっかり打ち解けているみたいだ。どういう経緯で仲良くなったんだい」

「いやウスマンええとこれはちょっと、ね、“ぼ――」

 

「――――きみにはまだ、うまく、言えないかもしれない。ごめんよウスマン」

 

 

「……」

「……」

 

 

 見つめ合う青色と赤色の姿の間で、私は口を開けて閉じた。

 

 違う……私はこんな未来を望んだわけでは……。彼らが手を取り合って仲良くできるようにって……――これ、もしかして責任を逃れようとする悪側の台詞か?

 

 空気が重い。何か重大に酷いことをした気がする。……目の前の赤い彼がシックスではないと、シックスをずっと待っていたはずの“ぼく”に飲み込ませてしまった……?なぜ……いや私が余計なことをしたのか……そうか……。

 衝撃に打たれている私をよそに、気を取り直した様子のウスマンが口を開く。

 

「……まぁ、青色の君はともかく。―――ええと、君。うん、そう、君のほうだ。僕は君とエレベーターで別れてから、気を失って……気が付いたらベッドの上だった。外科医に頼まれて、こっちの青い彼を探しにきたんだよ。僕はその手のことが得意なので引き受けた」

「きみ、かくれんぼ得意だったもんね。でも今回はぼくの負けじゃないよ、場所を教えて見つけさせるのはズルだもん」

「なんて?いや、遊びに夢中のこっちの彼は置いといて、ええっとうん、君も外科医の所へおいでよ。今ここらは彼が仕切っている。あそこは安全だ」

 

 ……衝撃からまだ立ち直れないながらも、私は重い口を開く。

 

「……私は、一緒に行かない方が良いかもしれない。シリンジョンにきっと追われていると思う」

「うん?なんで?……君が外科医に?いつから?」

「ちょっと前に……おそらく彼の知られたくない秘密を知ったからだと、思っている……」

「うーん……外科医の秘密……。……もしかしたら何か誤解があるんじゃないかな。彼は少々気難しいところがあるしね」

「そうかな……。あと……意図せず脱獄してしまったので……。戻ろうとは思っているんだけれど……」

「うんなんで…??―――いや……ともかく、一度彼と話をしてみよう。僕も一緒に行くから大丈夫だ」

 

 ウスマンの言葉に、“ぼく”が小首をかしげる。

 

外科医(フォース)のところ……安全……。そこに17番(セブンティーン)はいる?見つかってぼくらの負けってことはない?」

「あー……、うん、17番に見つかる可能性は全然ないよ。行こうか」

 

 すたすたと彼は歩き始めた。いや、体を、少し、引きずりながら……。

 私は早足で彼に追いついて、その引きずられた体の様子を、足先から順に頭まで見た。

 

「……あの……ウスマン」

「うん?」

「……怪我が……」

 

 ああ、と彼は言った。

 

「大したことないみたいだ、問題なく動けるし。……ああ、でも扉を開けてくれると助かるな、少し体調が悪くて」

 

 

 私は……広範囲に緑の液体の滲んだその体を見た。

 私を下層へ逃がす際に、洗脳された集団と戦って負っただろう傷……。

 ……。

 

 

「……だいじょうぶ?“わたし”?」

 

 “ぼく”の声にはっとして、自分の歩みが遅くなっていることに気が付いた。ごめん、と慌てて小走りになる……。

 

 “ぼく”はきょろきょろと私とウスマンをしばらく見ながらついてきていたが、唐突に声を上げてぴょんと飛び跳ねた。

 

「……あ!そうだ!」

 

 ちょうど、ケーブルカーの駅らしき広場にたどり着こうとしたところだった。

 立ち止まる私の視線を受けて、彼はぱたぱたと腕を動かす。

 

「ねぇ“わたし”。ぼく、さっきの部屋から持ってきたいものがあるんだ、いいかな?」

 

 私の横で少し屈んだ彼の目を見つめて、頷く。

 

「わかった。――ウスマン。ちょっと待ってほしい。さっきの部屋から取ってくる物が……」

「忘れ物かな?まぁいいけれど」

「ありがとう」

 

 承諾を得て来た道を戻ろうとした私を、しかし青い手がやんわりと留める。

 

「“わたし”には、きっと重いよ。シック……、ウスマンがあそこに行くのも大変そうだね。ぼくが運んでくるから、待っててね」

 

 

 青い姿は、とことこと来た道を戻っていく。

 

 

「……」

「……」

 

 

 残された私は、所在なく手をうろうろさせて、怪我だらけの赤い彼を見上げた。

 どことなく気まずい。

 

 

 

「……あの……ウスマン。体調が、良くないんだよね?とりあえず座って待とうか……」

「ああ、そうだね、うん。そうさせてもらうよ」

 

 

 

 我々は、駅の長椅子に座った。

 ちょっとした沈黙が落ちたが、口を先に開いたのはウスマンだった。

 

「ええっと。無事でよかったよ、僕の犠牲は無駄じゃなかったということだ」

「……」

 

 私はうまいこと言えずに口を開いて、それから閉じた。いい言葉が思い浮かばない。

 

 言いたいことはいっぱいあったと思ったのに。

 

「もしかして君、心配していた?」

「……そう、だね……」

「まぁそうか、一度彼らに吹き飛ばされてるところを見せた訳だしね。でもこの通り無事だから、できればその情けない記憶は帳消しにしてくれると良いな」

「……うん……いや、情けないと思ったことはない……」

「あぁ、そう?良いことを聞いたな」

 

「……怪我の具合は……」

「君、かなり気にしているね。もしかして僕、結構出血しているかな。ちょっと自分では見えにくくて」

「……」

「ああでも、安心してほしい。戻ったら、外科医が治療してくれるという話だ。彼の腕なら傷もなかったくらいに元通りになるよ」

 

 ……。

 ……、……。

 

「……」

「ね、そう沈んだ顔をしないでよ」

 

 その通りだ、相手のためにもこれは良くないと、自分でも思っているのに。取り繕おうとしても上手くいかず、微笑みは失敗した。

 どう言ったら良いかわからずに、でも口から言葉が零れる。

 

「見える、傷は、」

「うん」

「消えて、しまうね」

「……、ええと」

「……外科手術が、決して簡単なことじゃないのは分かってる。すごい技術だ、敬意を抱かずにいられない。……でも、そうみたいに治ってしまえばいいなとどうしても思わずには……。……感じた恐怖も、痛みも……」

 

 私は、彼の目を見られずに、横を向いて何もない空間を見た。

 

「……なかったことには、ならない」

 

「……」

「……痛かった、よね、―――いや、ごめん、言わなくても、いい……」

「……」

「お礼を、いってなかった。いわなきゃ、……助けてくれて、ありがとう」

「……いいえ」

 

「それで、もう、あんまり、してほしくないかもしれない……」

「……そうだね、僕も、君にそんな顔はしてほしいわけじゃないからね」

 

「……貴方がしなくてすむように、力を尽くすから、貴方もしなくてすむ方法を、考えてほしい……」

「うん」

 

 零れてしまわないように、宙を見つめる。言葉を絞り出す。

 

「……貴方が受けた全部の傷が、少しも痛まないくらいに、治ってしまえばいいのにと、思う……」

 

 

 穏やかな声が返ってくる。

 

 

「見えない傷だって、それなりの癒し方があるよ。少なくとも僕は、すでに結構慰められている」

 

 

 ……そうなのか、と少しの安堵と共に彼の担当医に感心をし、私はそちらを向けないままで鼻をすすった。

 

「すごいな、シリンジョンは。カウンセラーもできるのか」

 

 一拍。

 

 声を上げて笑ったウスマンの手が、私の背を励ますように軽く叩いた。笑ったツボはよくわからなかったが、元気はあるようで少し安堵する。

 

 しばらくの間、彼は心得たように決して私の顔をのぞき込まなかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「――――……そういえば。僕は、飲み物の中でもコーヒーが好きなんだが」

 

 

 ふと、沈黙が破られる。

 

 ――――いつぞやの会話を思い出す唐突な自分語りに、私は思わず顔をあげて彼の方を見た。

 以前に私が相手を励まそうとして、話し始めから捻挫していたメロンパンの雑談だ。

 ウスマンは、目線だけでこちらを見て笑ったようだった。

 

「コーヒーと言っても様々だ。君は、アンデス山脈のコーヒー畑を知っているかな」

「……。世界遺産の……?」

「その通り!コロンビアのコーヒーは有名だね。様々な条件が良質なコーヒー豆を作る」

 

 彼の視線は一度前を向いた。

 

「コーヒー畑を作るとき……水が豊富である証として、ある竹の生息地を目印にしたそうだよ。それは建築材としても使われていて、優れた景観にも一役買っている。で、ここからが、重要なんだが」

 

 つい、とその赤い指先が伸びる。

 

「鋼鉄の竹と呼ばれるその竹はね、強いけれど、軽く、しなやかだ。そして成長速度が速い。その一帯はちょうど地震地帯でもある。コーヒー畑と共に生きる人々にとって、近くにあるこの優れた素材がどれほど役立ったかと思うな。倒れても、すぐに立て直せる」

 

 黒い瞳は緩やかにこちらを見た。

 

「さて、幾分も遠回りしたが……――君に伝えたいことは、つまり。頑丈さは、必ずしも傷つかず倒れないことじゃない。傷ついても如何に回復し立ち直れるかだ。幸いにして周囲には水分も適切な温度もあるので、君は心配しないでほしいな。……どうかな?」

 

 ……どうかなって、ええと……その……。

 

「……元の話者より上手なのはおやめください……」

 

 立つ瀬がなくなってしまう。

 ウスマンは笑った。

 

「本人に褒めてもらえてよかったな。ところで、君は飲み物では何が好きだい?」

 

 そのままの調子で雑談が始まった。私は少し考えてから答える。

 

「……メロンソーダ」

「――君、実はメロンが好物だったりするのか」

「いや、そんな恐れ多い」

「恐れ多い……???」

 

 なんかこうメロンは……いかにもな高級贈答品って感じがして気後れ……。ベッドの横の印象で己の食べるもんじゃない感……。

 ウスマンはやや首を傾げた。

 

「嫌いという訳ではないのかな」

「とても美味しかった」

「一応食べた経験はあるのか」

 

 まぁ……。でも、日常的に食べたくなるかと言うとそうじゃないな。メロンパンの比でない。

 彼はふと自身の口元に手をやった。

 

「さては、そのメロンソーダというのも、メロンの成分がないやつかい」

「なぜそれを…?」

 

 ウスマンはほんの少し笑った。

 

「そうなのか」

「あてずっぽう……!?い、いや当たってはいるけれど……。そう、緑のシロップを炭酸水で割って作るものなんだけど、成分的には別にメロンじゃない。色と香りが、メロン風なだけ」

 

「“風”ね」

 

 つまり、とウスマンは、からかうように言った。

 

「君はメロンの偽物が好きなわけだ」

 

 ……うーん?と内心首をかしげる。首を横に振る。

 

 

 ちょっと違う。

 

 

「それはそれで、本物なんだよ」

 

 

 ――――ウスマンは……頬杖をついて、緩やかに目を細めてこちらを見つめた。

 

 黒い瞳の中で部屋の明かりが静かに揺れている。口がゆっくりと弧を描く。

 それはどこか可笑しそうな。困ったような、嬉しいような、寂しいような。でも、そのどれでもないような。

 なんだか不思議な表情で、彼は微笑んだのだった。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「―――おはなし、終わった?」

 

 

 ひょい、とそこの角から青い頭が覗いて、私は飛び上がった。

 

「“ぼく”!ごめん、もしかして待ってたのか」

 

 緑のドラム缶を運んできていた“ぼく”が角から出て来る。

 

「ううん、あんまり待ってないよ。あ、シッ……、ウスマン、コレどうぞ」

 

「――ジバニウム。なぜ?今のところ使う予定はないけれど。外科医への手土産?」

 

「そうじゃないよ、クローゼットの中にずっとあったんだ。これできみも元気になるかも!」

 

 胸を張る“ぼく”と首をかしげるウスマンに、私はハラハラと視線を行ったり来たりさせた。

 ウスマンが、ワンテンポ遅れて納得したように頷く。

 

「……ああ、そうか。うん。ありがとう君。これは君たちには必須なエネルギー要素かもしれないが、人間には栄養とはならないものだ。……とはいえ外科医の機嫌回復にはまあ有効かもな。君の気持ちと共に、ありがたくいただくよ」

「あ、そうか……、……うん!役に立つなら、うれしいな!」

 

 

 ……、……なんか、なんか……ギリギリ、成立してるっぽい!双方ともに微妙に気を使うことによって、どうにか!

 

 

 私は口を開きかけ、しかし結局何も言えずに閉じる。

 

 ケーブルカーがやってくるまでの短くも長い間、その奇妙な緊張は続いた。

 

 




P1:喜ばしいし望んでいた再会だが、それはそれとして状況的に神経はものすごく使う。
*過去での言動の責任が追いかけてきた。余計なことの上塗りは避けなければならない。何もしないほうがマシだ

青い声の主:素直に長い時間待っていた、聞き分けの良すぎるこども。それでも納得しがたいことはあって、赤いあの子の面影を探してじっと見つめている最中。知っているような知らないような、目の前の相手を何と呼ぶべきだろう?

赤い声の主:必要に駆られて、相手の心情を考えるという得意でないことを努めて行っている。なぜって、……貴重で有用な協力者たちと、友好的関係を築くに越したことはないので。その点、以前の自分の犠牲は成果をもたらしたし、賭けには勝ったと考えている。

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