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ぺリベット通り・〝サウザンドアイズ〟2105380外門支店。
蛇皮の上着を身に纏った線の細い男。亜麻色の髪に整った顔立ちの青年、ルイオス=ペルセウスは机を隔てた先の人物。東の〝
「そういえば、あの吸血鬼の古巣にはウサギが居るんだったっけ?」
「ふん、だからどうした?」
白夜叉は声も聞きたくないとばかりに顔を顰める。ルイオスは〝サウザンドアイズ〟から依頼されたギフトゲームを独断で中止にした。それは〝ペルセウス〟だけでなく、双女神の旗印にも泥を塗るに等しい。
白夜叉の中では、既に〝ペルセウス〟が双女神の旗印を掲げて商売を行うのを許すつもりはなかった。殆んどの幹部たちはその意見に同意するだろう。
それ程までに、ルイオスの狼藉は目に余った。これ以上を行うのであれば、〝ペルセウス〟は〝サウザンドアイズ〟からの後ろ盾を失い、箱庭第5桁から第6桁に降格するだろう。
それを想定していないのか、想定内だからこその余裕綽々の態度なのか。ルイオスは負い目がある筈の白夜叉を前にしても軽薄な態度を崩さない。
首元のチョーカーにぶら下がっている金の装飾。蛇の髪を生やした女の首を模ったそれを白夜叉に見せつけるように手で触っている。
此処に至るまでルイオスが働いた白夜叉への狼藉は複数あった。
白夜叉の部下を侍らせ、自身に売ってくれないかと持ち掛けるに留まらず、部屋を出ようとした彼女を遮るように茶器を放り投げて部屋を汚し、あろうことか部屋に細工を施して扉が開かないようにした。
仲間を何より大事とする白夜叉に、仲間を金銭で売ってほしいと宣い、彼女を侮辱した行為が2つ。今は秩序の守護者である彼女だが、その来歴は押しも押されぬ大魔王だ。彼は自身の行いの代償として、白夜叉から攻撃を受けても文句は言えない立場にあった。
にも関わらず、余裕綽々な態度を崩さないのは彼が頻りに触れている装飾にある。
あの装飾に宿る存在であっても、白夜叉は歯牙にも掛けずに打倒するだろう。
戦闘の余波を無視すれば、の話だが。この支店には店員が何人も勤務している。ルイオスは白夜叉が自身を害そうと動けば、彼のギフトを解放すると脅したのだ。
故に白夜叉は動けない。ルイオスがこの場を離れるまで、白夜叉は彼とこの部屋で過ごさなければならなかった。
白夜叉からの鋭い視線を受けながら、ルイオスは肩を竦めた。
「いやぁ。生のウサギなんて見たことないからさ、是非見てみたいと思ってね⋯⋯」
「生憎だが、レティシアを所有するおんしたちへの黒ウサギの心象は最悪だろうよ」
「そんなこと僕らに言われても困るね。あの吸血鬼を捕まえたのは僕たちじゃないし、ギフトゲームに負けたのはアイツらの自己責任だろう?」
「ふんっ、精々粋がっているがよい。双女神の旗を汚したおんしたちのコミュニティには、相応の罰が下されるだろうからのう」
「ハイハイ。分かっていますよー」
ルイオスの煽るような物言いに、白夜叉は青筋を立てた。彼女の堪忍袋の限界に届きそうなその時、部屋の外から男の声が聞こえた。
「る、ルイオス様! よろしいでしょうか!」
「あ、どうやら吸血鬼は確保できたみたいだねぇ。いいよ入って」
「⋯⋯失礼します」
そう言って扉を開けたのは、真紅の外套を纏ったルイオスの側近だった。だが、彼は額に汗を浮かべて跪いたまま部屋に入ろうとしない。
ルイオスはそんな側近に怪訝げに話しかけた。
「さっさと入ってこいよ。そんな所で膝突いてないで──」
「失礼致します」
ルイオスの声を遮るように、凛とした女性の声が白夜叉とルイオスの鼓膜を揺らした。
白夜叉は知己の声に目を見開き、ルイオスは眉を潜めた。
側近の男の後ろから現れて部屋に入ったのは、怒りを表情に滲ませた黒ウサギだった。
「黒ウサギ!? おんし、何故此処に!?」
「おいおい、黒ウサギだけじゃないぜ白夜叉」
そう言って黒ウサギに続いて入室したのは、逆廻十六夜と久遠飛鳥だった。白夜叉は虚を突かれたように二人を見た。
「おんしたちまで⋯⋯」
「は? 誰だよこいつら。つかお前、何こんな奴ら連れてきてんの? 吸血鬼は?」
ルイオスは機嫌の悪さを隠すことなく側近の男に捲し立てる。その視線と声音は冷たく、側近への落胆が感じられた。
「きゅ、吸血鬼は確保できたのですが⋯⋯」
「なら良いじゃん。何でウサギは兎も角、後ろの2人も連れてきてるんだよ?」
「⋯⋯それは」
「そこから先は黒ウサギが答えさせて頂くのですよ」
黒ウサギは睨むようにルイオスを見下ろした。ルイオスは眉間に皺を寄せる。先程までは黒ウサギに興味津々な様子だったが、彼女の態度は気に入らなかったようだ。
黒ウサギはギフトカードから厚みのある布を一枚取り出して足下に敷く。
そして、その上に一振りの西洋剣を顕現させた。白夜叉は刀身を覆う大量の血液を見て驚愕に声を漏らした。
「こ、これは⋯⋯!?」
「我らが同士、御波さんの血液が付着した剣でございます」
黒ウサギは端正な顔立ちに憤怒を滲ませ、ルイオスを鋭く見据えた。
〝ノーネーム〟本拠・中庭。
100を超える軍勢を連れて、中庭に降り立ったのは血塗れの御波だった。談話室でレティシアから事情を聞いていた黒ウサギは、それを見て顔を青褪めさせた。
「み、御波さん!?」
談話室の窓を開け、中庭に跳び下りた黒ウサギは御波に駆け寄る。十六夜とレティシアもそれに続く。御波の容態を見た黒ウサギは、口に手を当てて悲鳴を押し殺した。
「⋯⋯っ!」
黒のロングコートから流れ落ちている血液の量は、存命であることが不思議な程の量であった。
首元を刃物で斬られたのだろう。首から下を鮮血で染めている。コートから滴る血液と此処に戻ってくるまでの時間を考慮すれば、一刻も早く止血して治療を施さなければ死に至るのは想像に難くなかった。
「貴方たちは⋯⋯!」
黒ウサギは思わず、御波と共に中庭に降り立った軍勢を睨んだ。彼等の纏う装備と、掲げる旗印は先程まで話に上がっていた〝ペルセウス〟のものだ。
彼等の狙いはレティシアだと黒ウサギは推測した。彼等は、レティシアの身柄を確保しようと〝ノーネーム〟の敷地内に侵入し、それを察知した御波と対峙したのだろう。
その結果、御波は命の危機に瀕している。御波の流血は、重要な血管に傷が入っているとしか思えない量だ。
〝ペルセウス〟は黒ウサギの同士に刃を向けるだけに留まらず、殺す気で刃を振るったのだ。
それを悟った黒ウサギの髪が緋色に染まる。怒髪天を突かんと怒りを滲ませた黒ウサギだが、彼女を静止したのは十六夜だった。
十六夜は軽薄な笑みを潜め、険しい表情で黒ウサギを叱責する。
「おい黒ウサギ、早く御波を治療室に運べ! 時間がねえぞ!」
「は、はい!」
怒りに身を震わせていた黒ウサギは冷や水を浴びせられたようにハッとする。
御波を救うための治療用ギフトは黒ウサギしか使えない。彼女は〝ペルセウス〟への怒りを噛み締めて御波に近付いた。
「御波さん、気をしっかり! 今から治療室に運ぶためにお体を抱えさせていただき」
「大丈夫。見た目は凄いけど、止血は終わってるから⋯⋯」
「えっ?」
「何?」
「ほらっ、出血自体は収まってるでしょ?」
御波は屈んで、黒ウサギと十六夜にうなじ部分を見せてくる。白い肌は鮮血に染まり刀傷は痛々しいが、確かに出血しているようには見えなかった。
黒ウサギは御波が此処に到着するまで生存していた理由に得心がいった。
(そ、そういえば、御波さんは治療用のギフトを所持されていたんでした⋯⋯!)
黒ウサギは表情を綻ばせるが、すぐに気を引き締める。止血されているだけで、傷が何時開くかも不明。そして、出血量は昼間の耀の比ではない。増血を施さなければならなかった。
体を抱えようとした黒ウサギを御波は手で制して、〝ペルセウス〟の軍勢を指差した。
「ボクは大丈夫だから、あの先頭の人が側近みたいだから話してみてよ」
「え、ええ?」
「本当に、ボクは大丈夫だから」
そう言って微笑む御波だが、黒ウサギは気が気ではない。仲間の言葉を信じたい気持ちは強いが限度がある。放置するには、御波の出血は夥しかった。
傷の痛みと出血による倦怠感は凄まじい筈だが、微笑む姿は無理をしているようには見えない。、顔色も正常そのものだった。
今すぐに御波を治療室に運びたい気持ちを抑え、黒ウサギは御波の言葉に頷いた。
「⋯⋯分かりました。しかし、少しでも異常があればすぐに治療室に運びます! よろしいですね?」
「うん、ありがとう黒ウサギ」
黒ウサギは御波の前に出て、御波が指差した紅い外套の男と向き合った。額に汗を浮かべ、顔色の優れない男を黒ウサギは睨みながら問いかける。
「⋯⋯貴方たちが、御波さんに重症を負わせたのは間違いありませんか?」
「⋯⋯事実だ」
「何故か? とは貴方には問いません。御波さんを早く治療しなければなりませんし、責任の所在は貴方たちの長に問わせていただきます⋯⋯貴方たちの目的は、レティシア様ですね?」
「その通りだ。後ろの吸血鬼を捕獲しようと行動した我々を妨げようとしたその者を、我らは斬り捨てようとして⋯⋯制圧されたのだ」
「えっ?」
黒ウサギは兵士たちを見る。黒ウサギは兵士たちが御波を連れて本拠に来たと思っていた。だが、事実は逆のようだった。
彼等は総じて顔色は優れないが、その体には傷一つ無い。彼等が自分たちを卑下する言葉を望んで吐くとは思えない。本当に無傷で制圧されたのだろう。
だが、この数を無傷で制圧する方法を、黒ウサギは咄嗟には考えつかなかった。
外套の男は黒ウサギではなく御波に視線を向けた。
「制圧された我々に、そこの御波という者が交渉を持ち掛けたのだ。吸血鬼は元々我々が所有権を有している。その身柄を確保するのと、自身に重症を負わせたことを引き換えに⋯⋯〝ペルセウス〟と交渉をさせろとな」
「ほ、本当ですか御波さん!?」
「本当だよ黒ウサギ。ボクを
「ヤハハ! 自分が斬られたのを逆手に取ったのか。只では転ばねえってことか?」
「そうなるね⋯⋯」
愉快そうに笑う十六夜に御波は答える。そして、突如としてレティシアに頭を下げた。
突然の御波の行動に、レティシアは叫んだ。
「お、おい何故頭を下げる!?」
「貴女の許可なく、身柄を引き渡す交渉を進めてしまいました。ごめんなさい」
「⋯⋯いや、元はと言えば所有物である私が行方を眩ませたのが原因だ。君が頭を下げる必要は皆無だとも。頭を上げてくれ、君の体に障ってしまう」
レティシアは微笑んで御波を諫める。御波は今回の騒動の被害者と言える立場だ。そんな御波を責めるなど、黒ウサギが尊敬するレティシアが行う筈がなかった。
「⋯⋯ありがとうございます」
頭を上げた御波に、レティシアは安堵したように息を吐く。十六夜は鋭く〝ペルセウス〟の軍勢を睨んだ。
「御波を治療し終わったら、お前たちのボスに直接落とし前を付けに行かせてもらうぜ」
「⋯⋯無論だ」
黒ウサギは鋭くルイオスを見据え、声音に怒りを籠めて宣言した。
「我々の同士が受けた暴挙に暴言。そして傷は、謝罪で済む問題を超えています。我々が望むのは、〝ペルセウス〟が所有するレティシアの所有権です。それを賭けて、両コミュニティでのギフトゲームによる決闘を申し込みます!」
「チッ⋯⋯! しくじりやがって!」
「⋯⋯申し訳、ありません」
ルイオスは傍で跪く側近を罵った。側近は顔を伏せて謝罪の言葉を口にするが、ルイオスは苛立たしげに毒づいた。
「お前らが無能だから、ボクが出張らなきゃいけなくなったんだぞ!」
「それで、ルイオス殿よ。これだけの暴挙を働きながら、〝ノーネーム〟とのギフトゲーム。よもや受けないとは言うまいな?」
白夜叉は覇気を纏いながらルイオスへ問いかける。
その目付きは、YES以外の答えを許さないとばかりに鋭かった。ルイオスは冷や汗を頬に伝わせながらも、飄々とした声で答えた。
「ええ、構いませんよ。流石にこんな証拠を提示されたんじゃね。ただ、決闘は〝ペルセウス〟が誇る最高難易度のゲームで決着を付けさせてもらいますよ」
「〝ノーネーム〟としては異存はありません」
「うむ。両者の決闘の承諾は、〝サウザンドアイズ〟幹部の白夜叉が見届けた。仮に〝ペルセウス〟が前言を覆すようなことがあれば、〝サウザンドアイズ〟の〝
「勿論ですよ。⋯⋯ゲームの日程は──」
「ル、ルイオス様!」
「はあ⋯⋯何だよ?」
ルイオスの言葉を側近の男が遮った。ルイオスは側近の男を睨むが、彼は臆することなくルイオスに忠言した。
「お耳に入れたいことが⋯⋯」
「何だよ?」
側近の男はルイオスの耳元で何事かを囁いた。訝しげだったルイオスはその表情を顰め、そしてニヤリと笑って黒ウサギに視線を向けた。
側近の男を下がらせ、ルイオスは黒ウサギに尋ねた。
「ねえ黒ウサギさ。一つ聞きたいんだけど」
「⋯⋯何でしょうか?」
「そっちの御波、だっけ? 本当に重症なんだよね?」
「それは貴方の側近が一番知っている筈ですが」
「うん。うちの馬鹿が君の同士に重症を負わせたことは聞いたよ。でもさ、その御波って奴は平気そうに立っていたってうちの側近が言ってるんだけど⋯⋯まさか、そんな重傷者がゲームに参加したりはしないよね?」
「そ、れは⋯⋯」
黒ウサギは答えに窮する。彼女の想定では数日あれば御波はギフトゲームに参加できるまで復調する見込みだった。
〝ペルセウス〟の軍勢を無力化した御波と、神格保持者を圧倒した十六夜の2人ならギフトゲームでの勝機も十分にあると考えていたのだ。ルイオスはそれを封じる手立てを講じてきたのだ。
「こっちはその御波って奴が重症を負った罰も兼ねてギフトゲームを行うんだぜ? なのに、重症だった奴がゲームに参加するなんてそんなことは無いよなぁ?」
「っ⋯⋯」
黒ウサギは歯噛みする。ルイオスとその側近は冷静だったのだ。どう返答しようかと黒ウサギが思案していると、隣の十六夜が前に出て黒ウサギの代わりに答えた。
「何当たり前のことを言ってんだ? 重症なうちの仲間をゲームに参加させる訳ねえだろうが」
「い、十六夜さん!?」
「ふん、なら話は終わりだ。ゲームは2日後に行う。僕たちはこれで帰らせてもらうよ」
ルイオスは側近を伴って足早に部屋を後にする。黒ウサギは怒りを、十六夜は落胆を、飛鳥は侮蔑の視線を向けて見送った。
〝ペルセウス〟の2人が店舗から出たのを確認し、黒ウサギは十六夜に問いかけた。
「十六夜さん、どうして御波さんの参加を⋯⋯」
「御波のゲーム参加についてはあの七光りの言い分が正しいだろうが。それに、御波の力が無くても、俺とお嬢様、春日部で十分勝てるさ」
「な、何を根拠に!?」
「あら? 黒ウサギは私たちを信じてはくれないのかしら?」
「えっ!? い、いえ、決してそういうことでは⋯⋯!」
ニヤニヤと黒ウサギを揶揄うように問題児2人は笑みを向ける。黒ウサギはあたふたと忙しなく腕を交差させて否定するが、問題児たちは意地の悪い笑みを崩さない。
そんな遣り取りを微笑ましく見つめていた白夜叉。彼女は肩を竦めて黒ウサギに助け船を出した。
「そういえば、御波の容態は大丈夫なのか?」
「は、はい。出血が非常に多かったため増血を施しましたが、御波さんのギフトのお陰で怪我自体は深刻ではありません」
「む、御波は治癒のギフトも持っておるのか?」
「ああ。見た目は包丁だが、斬った箇所の怪我を治す類のギフトらしいぜ」
「ふむ。⋯⋯あの実力だけでなく、治癒のギフトまで⋯⋯」
「えっ?」
小声で呟いた白夜叉に黒ウサギは小首を傾げた。黒ウサギたちは白夜叉と御波の間で行われたギフトゲームについて知らない。それは内密にしてもらうと御波とも確約していたのだ。
白夜叉は咄嗟に話題を変えた。
「そ、そうだ! その剣なのだが、私が預かっても構わないだろうか?」
「構いませんが⋯⋯」
「そ、それと、御波に言伝を頼みたいのだ」
「御波さんに?」
「うむ」
白夜叉は頷いてその内容を口にした。
「2日後のゲーム当日、御波にはこの店に足を運んでほしいのだ」
〝ノーネーム〟本拠・入口
「皆、お帰りなさい!」
〝サウザンドアイズ〟から帰った黒ウサギたちを迎えたのは、後ろ髪を結びエプロンを着用した御波だった。
艶やかな黒髪はうなじで纏められ、厨房から出てきた際に尻尾のように揺れた。エプロンの下は黒を基調とした普段着ではなく簡素な紺色で上下を揃えた長袖を着ている。
首元は白い包帯で覆われていて痛々しいが、御波は朗らかに黒ウサギたちを出迎えた。
「お疲れ様。ご飯できてるけどすぐに食べる?」
「ま、まさか御波さんお一人でお作りになったんですか!?」
「うん。今日はボクが怪我した所為で皆に迷惑を掛けちゃったから、今日ぐらいはボクがご飯を担当したいと思ってね」
洗い物も殆んど終わってるよ。
そう言って微笑む御波だが黒ウサギは驚きを隠せなかった。コミュニティの総勢は126人にも及ぶ。御波一人でその人数の食事を用意するなど尋常ではない作業量だ。
黒ウサギ達が本拠と〝サウザンドアイズ〟を往復するのに要した時間は2時間を切っている。それだけの人数の料理と食器の洗浄をその短時間で熟したと御波は言っているのだ。
「子供たちはご飯を食べ終わって別館で寝てるよ。ジン君が年長組の子たちと協力して子供たちを寝かしつけてる筈だから、ジン君はそれが終わったら戻ってくるってさ」
そう語る御波の表情は涼しげで、重傷者が重作業を短時間で熟した後にはとても見えなかった。
「それで、先にご飯を食べる? それともお風呂?」
「御チビが戻ってきたら主力全員で話がしたい。先にメシにしとくぜ」
「そうね⋯⋯それに、とても美味しそうな香りがするものね」
「それじゃあご飯を持ってくるから、食堂で待っててね」
御波は厨房に消えた。黒ウサギたちは食堂の席に腰を下ろして待つことにした。
十六夜はワクワクした様子で厨房に視線を向ける。
「さて、グルメ時代から来た御波の料理。どんなもんかね⋯⋯」
「グルメ時代? それは御波君の世界についてよね?」
「黒ウサギも初ウサ耳です!」
「そういえば、御波が自分の世界について話してくれたのはまだ俺だけだったか」
御波の世界については飛鳥と黒ウサギも興味が尽きないようで、やや身を乗り出して十六夜の言葉に耳を傾ける。
十六夜はそんな2人に苦笑した。
「まあ、そこら辺を俺の口から話すのは野暮だな。御波に聞いてくれ」
「あらっ、面白そうな話を独り占めかしら?」
「そういう訳じゃねえさ。ただ、本人の口から聞いた方が面白いだろうぜ」
「それなら、折を見て御波君に聞かせてもらうしかないわね」
「お待たせ―!」
厨房から御波の声が聞こえた。扉を開け、配膳ワゴンを押しながらテーブルの前に立った御波は料理を3人の前に配膳していく。
献立は野菜炒め、味噌汁、白米の三種で構成されていた。見た目は普通極まりないが、主菜から漂う香りが食欲を刺激し3人は喉を鳴らした。
「3人の口に合えば良いんだけど⋯⋯」
自信なさげに御波は言う。3人は箸を手に取って野菜炒めを口に運び──その表情を綻ばせた。
「美味いな⋯⋯!」
「ええ⋯⋯! お肉もとても柔らかいし、野菜も歯応えを残しつつソースの味が染みてて食べやすいわ!」
「う~んっ! これはご飯が進みますね~!」
十六夜は感嘆したように、飛鳥と黒ウサギは頬に手を当ててその味を賞賛した。
噛み切れる程に柔らかい肉と、食べやすい大きさに切られた野菜。濃すぎないソースは食材全体に絡み合い、味の濃淡を感じさせない一体感を醸し出している。
3人は白米を口に運んで頬を緩める。3人が料理に舌鼓を打つ様子に、御波は安堵したように息を漏らした。
「良かったぁ。皆の口に合ったみたいで良かったよ」
「コミュニティの金で買える食材でこれだけのメシ作れるんだから自信持てよ。余裕で金を取れるレベルだぜ」
「そういえば、コミュニティはまだお金が無いから安価のものしか買えてないって言ってたわよね黒ウサギ?」
「そ、そうでした⋯⋯! 御波さんの料理が余りにも美味しくて失念していました。粗雑では決してないですが、相当安価であったあの食材たちで一体どうやって⋯⋯」
「そんなに喜んでくれたなら作った甲斐があったよ!」
御波は喜色満面といった様子で笑った。彼も料理人の端くれ。己の料理を褒められるのは嬉しいようだ。
そんな御波の背中から、春日部耀が顔を出した。
「美味しそう⋯⋯」
「か、春日部さん何時から其処に!?」
突如として現れた耀に飛鳥は驚愕の声を上げる。耀は口の端から涎を見せながら料理に熱視線を送っていた。
そんな彼女に御波は苦笑する。
「耀は沢山食べたでしょ?」
「うん。凄く美味しかった⋯⋯でも、美味しそうなのものは仕方ない」
「ヤハハッ、春日部は色気より食い気なんだな」
「うん。子供たちと黒ウサギが作ってくれるご飯も美味しいけど、御波のも凄く美味しい」
「ありがとう、また機会があったら作るね」
「楽しみにしてる⋯⋯!」
耀は料理が余程お気に召したのか、キラキラと瞳を輝かせて御波を見る。
ジンが戻ってきたのは、それからすぐのことだった。