グルメ時代から異世界に来るそうですよ?   作:雪月鷹架

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問題児の脱走

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこうなったのか。

 

 御波は天を仰ぐ。

 憂鬱とした心情とは真逆の澄み渡った青空と優しく照り付ける太陽。

 肌を伝うのは眠くなるほどに柔らかな微風。大河の爽やかな流水の音が耳に心地良い。

 

 御波は視線を下げる。視線の先に映るのは愉快そうに口角を上げる逆廻十六夜だった。

 

「まぁ災難というか何というか⋯⋯気にすんなよ御波」

 

 そう言う彼の表情は依然楽しそうである。十六夜に物申したい気持ちはあるが、それを飲み込んで御波は大河に視線を向ける。

 十六夜よりも、視線の先に映る生物が御波の心労の原因であった。

 

 10mに近い巨躯の白い大蛇。それが視線の先の水面に沈んでいたのだ。

 

(⋯⋯どうしよう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ御波。黒ウサギには内緒で一緒に世界の果てを見に行かねぇか?」

「⋯⋯えっ?」

 

 隣を歩く十六夜からの提案に御波は驚きの声を漏らした。

 

 世界の果てとは、召喚された際に上空から見えた断崖絶壁のことだろう。

 しかし、箱庭の都市へ向かい更に詳しい説明を受けようとしている状況でその提案を受けるとは思わなかった。

 御波の疑問を込めた視線が十六夜に注がれる。それを予測していたように十六夜は軽薄な笑みで言う。

 

「黒ウサギはさっきから考え事をしていてこっちを気にしてる様子はない。俺たちが世界の果てに行くなら今しかないと思ってな。それに⋯⋯お前も黒ウサギが何か肝心なことを隠してるのに気付いてるんだろ?」

「⋯⋯」

 

 沈黙は肯定である。少なくとも御波は十六夜の言葉を否定しなかった。

 それを受けて十六夜は更に続ける。

 

「俺たちが此処から離れれば、俺たちをコミュニティに加入させたい黒ウサギは俺たちを追ってくるだろう。そこでアイツの隠し事を聞かせて貰おうと思ってな。まぁ世界の果てを見たいのも本音なんだけどな」

「そっか⋯⋯」

 

 御波は先頭を歩く黒ウサギを見る。

 出会って僅かであるが黒ウサギの人格は善良そのものだと御波は判断していた。

 だが、如何に善人。仮に聖人だとしても隠し事をしている人物を無条件に信じることはできない。

 

 此処は異世界であり、御波たちは何も知らない異邦人だ。対して黒ウサギはこの世界に深い知見があるだろう。黒ウサギがその気になれば、情報を偏らせて印象を操作することなど容易い。

 その考えが十六夜にもあるのだろう。御波は十六夜の提案に頷いた。

 

「分かった。ボクは十六夜と一緒に行くよ」

「よしっ、それならお嬢様と春日部にも聞いてくるぜ」

 

 十六夜は前方の二人に近寄り小声で話しかける。その時間は十数秒ほどで終わり、十六夜は肩を竦めて隣に戻ってくる。

 

「二人は世界の果てには興味がないんだとよ」

「じゃあ、ボクたちは世界の果てに向かおうか」

「ああ⋯⋯ところで御波。お前さっき空を飛んでたが、走りには自信があるか?」

「うーん⋯⋯ボクの世界なら上から数えた方が早いぐらいには走れると思うよ」

「へぇ? なら問題なさそうだな」

 

 二人は立ち止まり黒ウサギたちに背を向ける。

 

「じゃあ行くか」

「うん⋯⋯お先にどうぞ」

 

 御波は先頭を十六夜に譲る。それを受けて、十六夜は挑発的な笑みで御波を見る。

 その笑みは、置いていかれるなよ? という彼の声が聞こえてきそうであった。

 

「じゃあお言葉に甘えて⋯⋯」

 

 さながら疾風の如き速度で十六夜が走り出す。

 

 その速度に御波は目を見張る。明らかに軽い走り出しだったがそれでこの速度である。

 黒ウサギに気付かれないように走り出したことを加味すれば、欠片も本気を出していないだろう。

 あの速度での疾走を可能とする人間は、御波の世界でも多くはなかった。

 

(箱庭の世界には他にもこんな人が沢山いるのかな? それこそ黒ウサギたちも⋯⋯凄いな箱庭の世界って)

 

 感心してばかりもいられない。既に十六夜の気配は遥か先にある。

 御波も黒ウサギに悟られぬように御波も駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ついてこねぇ⋯⋯流石に速すぎたか?)

 

 逆廻十六夜は胸中で呟いた。世界の果てへ疾走する彼の速度は既に亜音速の域に達している。

 森林に住まう獣や鳥類は逃げ出し、草木は大きく靡いている。

 通常の人体では亜音速の衝撃と大気の壁に耐えることはできない筈だが、逆廻十六夜も修羅神仏が集う箱庭に召喚された者ということなのだろう。

 その表情は涼し気で、彼の全速力はこの程度ではないことを如実に示していた。

 

(足には自信があるとは言ってたが⋯⋯あいつは空も飛べるみたいだし少し待つか?)

 

 共に召喚された久遠飛鳥と春日部耀。そして三人を待ち受けていた黒ウサギ。

 御波との邂逅はそれから一刻程後の出来事であった。

 

 その容姿、纏う雰囲気は天空から舞い降りた黒の天使の如く。

 十六夜の母国、日本でも見たことのない程に美しい黒の御髪に、透き通るような白い肌。中性的な美貌が神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 十六夜──他の三人にも気配を悟らせることなく背後を取り、上空から語り掛けてきた御波の容姿は警戒して振り返った四人が一瞬目を奪われる程であった。

 

 だが、十六夜の興味を何より引いたのはその容姿でも飛行能力でもなく御波の出自だった。

 

 十六夜の知識にないグルメ界という土地。食材の捕獲とはそのグルメ界に自生する食物、もしくは野生の獣を狩ることを意味しているのだろう。

 御波が住むという人間界。言葉通りなら人類の生存圏だと推測できるが、グルメ界はその外に存在する場所ということだ。

 

(御波と俺の世界で科学技術の差がどれだけあるかは分からねぇが、服装的にはそれほど離れていなさそうに見える。そんな科学技術を持つ人類でも生存圏にできないのがグルメ界の筈だ。そんな場所に乗り込んで何かしらを捕獲、帰還できる奴が見た目通りの訳がねぇ)

 

「⋯⋯とはいえ速すぎたよな。仕方ねぇ御波を」

「──ボクがどうかしたの?」

「なっ⋯⋯!?」

 

 急停止をして旋回する。其処には、先程まで胸中で話題としていた御波の姿があった。

 頭の上に? が見える表情で小首を傾げるその姿は、幼さと美しさを両立させる相貌と小柄な体躯もあって見る者に微笑ましさすら与えるだろう。

 

 一度ならず二度も気配を感じ取れず、今回に至っては真後ろにいた御波の接近に気付けなかったのだ。その事実に、十六夜は背中に汗が伝うのを感じる。

 

「ヤハハ⋯⋯お前、いつから俺の後ろを走ってたんだ?」

「えっ? ついさっき追い付いたところだよ。十六夜ってば凄い速く走れるんだね! 同年代でこんなに速い人初めて見たよっ!」

 

 嬉しそうな笑みで褒める御波だが、十六夜はそれどころではない。

 

(マジかよ⋯⋯! 追い付くだけならまだしも、気配が感じられなかっただと。こいつどんな手品を使ってやがる!)

 

 気を抜いていなどいなかった。どころか御波を拾いに行こうと背後を意識していたにも関わらず気付けなかったのだ。

 十六夜は戦慄と共に御波を見るが、彼の心境を知る由もない御波は十六夜に笑いかける。

 

「世界の果てに行くんだよね? 黒ウサギが追い付く前に早くいこっ!」

「⋯⋯」

 

 柔和なその笑みに肩の力が抜ける。御波も世界の果てが気になるようだった。

 

「⋯⋯そうだな。早いとこ世界の果てを拝ませてもらおうかね。御波、さっきよりも速度を上げるが構わないよな?」

「うん、大丈夫だよ」

「ヤハハ! じゃあ、行くぜっ!」

 

 地面を蹴って疾走する。初速から音速を超えて更に加速した十六夜は背後をチラリと見るが、御波は難なく追随している。

 

(顔色一つ変えねぇか。面白れぇ!)

 

 十六夜は歓喜の笑みを浮かべる。彼の胸中には、これからの箱庭における生活への期待しか存在していなかった。

 箱庭に召喚されて早々、自身を戦慄させる存在に出会えたのだ。

 飛鳥や耀、そして黒ウサギの存在。そして、箱庭の世界に存在するという修羅神仏たち。退屈に満ちていた逆廻十六夜の人生を潤して余りある出来事がこれから数多とあるのだと。

 そんな高揚と共に、十六夜は世界の果てへと疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十六夜に追随すること暫く。御波の視界の景色は一変した。

 日の光を遮る程に生い茂っていた森林を抜けて、御波たちが辿り着いたのは大河の岸辺だった。

 大河を流れる水の勢いは緩やかで耳に心地良い。人の世俗とは無縁の川の水は澄み渡り、見る者の心も洗うような清らかさだ。

 

「へぇ、中々良い景色だな。これなら世界の果ても期待できそうだ」

「そうだね⋯⋯でもその前に、其処の人? に話を通した方が良いかも」

「あん?」

 

 御波と十六夜は水面を見る。聞こえてくるのは威厳と気品を感じる響くような声音だった。

 

『ほう? 我の存在を感じるか、人の子よ』

 

 水面が揺れる。揺れは瞬く間に大きくなり、その震動は大河の水を溢れさせ岸辺を濡らす。そしてその声、震動の主はその姿を現した。

 

 10m近い巨躯の白い大蛇。その鱗には首から尻尾にかけて金の二重螺旋の紋様が刻まれている。その威容には何処か気品すら漂っている。

 人語を解する点と箱庭の世界であること。世界の果てを守護するように御波たちの前に現れたこと。そして威厳のある振る舞いを踏まえると、目の前の大蛇は高貴な存在なのかもしれない。

 

 大蛇は、自身と比べて遥かに小さな体躯の御波と十六夜を睥睨する。

 

『先程の会話、聞かせて貰ったぞ人の子らよ。この先にある世界の果て、そしてトリトニスの大滝を見たいのならば我が提示する試練を選び、それを乗り越えて見せよっ!』

「へぇ⋯⋯偉そうに言ってくれるじゃねぇか」

 

 大蛇からの挑発を受けた十六夜は獰猛な笑みで前に出る。そんな血の気の多い十六夜に御波は慌てて待ったをかけた。

 

「ちょ、ちょっと待って十六夜っ!」

 

 あん? と十六夜は視線を御波に向ける。静止を受けるとは思わなかったのか、表情には戸惑いが見て取れた。

 この世界に来て初めての汗を額に滲ませながら御波は頼み込んだ。

 

「少しだけ、ボクに話をさせて貰っても良いかな?」

「⋯⋯はぁ、良いぜ好きにしろよ。但しそんなに待たねえぞ」

「⋯⋯! ありがとう十六夜!」

 

 折れてくれた十六夜に感謝を告げて、御波は大蛇と向き合った。

 

「あの、初めまして! ボクの名前は御波と言います!」

『むっ?』

 

 突然の挨拶に大蛇は目を丸くする。試練を選ばせようとする発言の通り、試練を選ぶまでは向こうから襲い掛かるということは無さそうであった。

 

「貴方の言う通り、ボクたちは世界の果てを見に来ただけなんです! 少しだけで良いんです。どうか貴方の寛大な心で僅かのお目溢しを頂けませんか!?」

『⋯⋯』

 

 大蛇へ訴えかける。訴えかけなければならない理由がある。人語を解するならば、御波たちの態度次第では争うことなく場を収めれるかもしれない。

 そんな希望を抱きながら、御波は目を逸らすことなく大蛇と対峙する。そんな御波の態度に感じ入るものがあったのか大蛇は思案している。

 

 背後で十六夜が痺れを切らしそうな気配を感じる。急がなければと御波は声を上げた。

 

「どうか、見逃しては頂けませんか!」

 

 大蛇は瞼を閉じる。嘆願が通じたのかもしれないと、御波は頬を僅かに緩める。

 だが、瞼を開いた大蛇は諭すように。しかし、御波の予想とは的外れな言葉を紡いだ。

 

『後ろの小僧の身を案じ、我の前に立つ其方の気持ちは⋯⋯確かに理解した』

「⋯⋯へっ?」

『その矮小で非力な身でありながら、好いた者のために水神の眷属たる我に立ち向かうその気概⋯⋯好ましくはある』

「えっと、あの⋯⋯」

『しかし、其方にその小僧の身を守りたい理由があるように、我にも此処を退けぬ理由がある! 故に其方の言葉は受けいれることはできん!』

「あの⋯⋯そういう意味ではなくt」

『分かったならば其処を退け。貴様の小僧を想う気持ちと我の前に立ったその勇気に免じて、その小僧を大きく傷付けることはせんと誓おう』

「⋯⋯」

 

 唖然とした御波の肩にそっと十六夜の手が置かれる。優し気な仕草で肩に手を置いた十六夜に御波は振り向く。

 

 御波を憐れむような。どこか笑いを堪えているようにも見えるのは気の所為だろうか。

 いや、よく見ると肩が微かに震えている。気の所為ではないようだ。

 

 肩を落として御波は後ろに下がる。その頬は微かに赤らんでいた。

 

「ま、まぁ気にするなよ御波⋯⋯あの蛇がかっ、勝手に勘違いしただけだ。お、お前はゆっくり後ろで待ってろよ⋯⋯」

「⋯⋯」

 

 出会ってから一番楽しそうな笑みで声を震わせる十六夜。今の彼に何を言っても揶揄われるのは明らかだった。御波は気恥ずかしさや訂正したい思いなど、複雑な感情を込めて十六夜に視線を向ける。そんな視線などどこ吹く風と言わんばかりに、十六夜は大蛇と向かい合った。

 

『覚悟はできたか小僧?』

「クッ⋯⋯ああ。お前をぶちのめして、さっさと世界の果てを拝ませてもらうぜ」

『フンッ、威勢だけは良いようだな! 貴様に試練を選ばせてやる。力、知恵、勇気の中で好きなものを選ぶがよい』

「ハッ、試練を選ばせてやるだと。まずはお前が俺を試せるのか試させて貰おうじゃねえか! かかってこいよ、蛇ヤロウ!」

『⋯⋯後悔するなよ、小僧!』

 

 大蛇の周囲に大量の水が出現する。

 その出所は足元の大河からだ。其処から巻き上げられた水は大蛇の身の丈の半分ほどの大きさとなって水柱を形成していく。

 竜巻のように渦を巻く水柱は木々や岩を容易く粉砕する威力を内包しているだろう。

 

『自分の浅慮を恨むがいい! 小──』

 

 十六夜が大蛇に向かって第二宇宙速度で跳躍する。

 

 十六夜を迎え撃つ大蛇の反応は緩慢としている。動体視力が追い付いていないのか、それとも侮っていたのか。その動きは十六夜の姿を捉えていなかった。

 そんな大蛇の辿る末路は一つしかない。十六夜の拳が無防備な大蛇の腹部を捉える。

 

『ガッ⋯⋯!?』

 

 水面に崩れ落ちる白い巨躯。衝撃は大河を氾濫させ、大地に地響きを齎した。大蛇が周囲に展開させていた水柱は制御を失い明後日の方角へ進行する。水柱は周囲の木々や岩を巻き込みその姿を無残なものに変えた後に姿を消した。

 

 十六夜の一撃を受けた大蛇は立ち上がる素振りがない。気絶しているのは火を見るよりも明らかであった。

 尋常ならざる身体能力を目の当たりにした御波に感慨はない。十六夜の疾走を考慮すれば、この程度の動きは可能だろうと予測を立てていた。

 

 自分の予測が的中してしまった御波は、

 

「やっぱりこうなった⋯⋯」

 

 天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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