「さっきはごめんなさい、アリス」
「まあ、走ってる以上そういうこともあるわよ。でも咲夜、あなたらしくもないわね。クロノグラフみたいに正確なコントロールがあなたの信条なのに」
咲夜は俯き、FCの右のリアフェンダーをそっと撫でる。
ぶつけなかったのは幸いだった。
あそこでとっさにスピンさせたのも、咲夜の腕あっての判断だろう。
あのスピードからセンターラインを割らずにスピンさせるのは容易なことではない。
「魔理沙のRが引っかかってるんでしょ」
私は単刀直入に言う。
「……どうして言い切れるのよ」
「FCの後ろ姿に迷いがみえてたからね」
迷いが映っていたのは確かだが、それがすべてではない。
私は
今夜咲夜を走りに連れ出したのは、レミリアに頼まれたからだ。
コウモリが運んできた手紙には、こんなことが書かれていた──
咲夜の走りに焦りがみえるわ。
魔理沙にRを与えたことが影響してるんだと思う。
「私が認めるくらい走れるようになったら、魔理沙にRを与える」そういう約束だったからね。
──パチェから聞いてると思うけど、咲夜は五年前に紅魔館で引き取った子なの。
あの子は引き取る以前のことをほとんど覚えていない。
でも、拾われたことはなんとなくわかるんでしょうね。
私たちが咲夜の親の話を一切しないから。
咲夜は私に認められようと一心に努力を続けている──五年前に発現した「時を操る程度の能力」を駆使してまで。
咲夜はメイドとしても走り屋としても超一流──だけど、発現した原因が原因だから、正直言って私は心が痛むの。
私たちが咲夜のFCを350馬力に抑えているのは、あの子を走りで失いたくないからなの──けして咲夜の速さを認めていないからではないわ。
だけど、咲夜には言えない──それは咲夜に過去を思い出させることにほかならない。
そう遠くはないうちに、FCの13Bに大きく手を入れる日がくる──それは私にもわかってる。
あの子は走り出してしまったから、きっとたどり着いてしまう──スピードの向こう側にある真実に。
でも、まだその時じゃない。
咲夜にはまだ、私の安全な檻の中にいてほしいの。
それが親としてのエゴにすぎない感情だとしても。
私がFCのパワーアップを許さない理由を、咲夜は自分の腕が足りないからだって思ってる。
自分の走りは、霊夢や魔理沙ほどお嬢様に認められていない──咲夜はそう思ってるの。
多分あの子は、霊夢や魔理沙にはそんな胸中明かせないと思う。
咲夜は素直に認めたがらないけど、二人は咲夜にとってライバルだから。
最近は妖夢や鈴仙ともつるんでるけど、やっぱり難しいでしょうね、まだ。
だからアリス──
──私は目の前の咲夜に意識を戻す。
「──ねえ咲夜。魔理沙はRに乗り換えてますます速くなるわ。それは今日、魔理沙の助手席で確信した。──あの子はきっといつか、本物のR乗りだけが知る景色にたどり着く。Rのリアバッジは、弛まぬ努力に必ず応える──乗り手を見定め、意志ある者にだけ、その速さで応える──それがスカイラインGT-R。あのレミリアが32Rを与えるくらいだから、魔理沙はよっぽど認められてるんでしょうね」
咲夜の顔がぐしゃりと歪む。
こんな表情、紅魔館の面々以外では、私にしか見せないかもしれない。
紅魔館に来て間もない頃、初めて咲夜がティータイムを仕切ったときと同じ顔。
段取りよくサーブできなくて落ち込んでたっけ。
あれから随分背が伸びたけど、咲夜は私のなかではずっと子供のまま。
「でもね、咲夜。魔理沙が認められたからと言って、あなたが認められていないわけじゃないのよ。私がパチュリーのところへ行くと、レミリアはいつもあなたの自慢ばかり──親馬鹿っぷりを正直に見せられる相手が、紅魔館以外だと私しかいないんでしょうね。メイドとしてはもちろん、走りだってレミリアは認めてる」
咲夜は「お嬢様が、私を……」と呟いている。
私は続ける。
「FCのパワーを抑えているのは、走ることの裏側にある陰を、レミリアはよく知ってるからよ。咲夜、あなたには才能がある。あの霊夢と負けず劣らずな、走りの才能がね。だけど、今夜FCのコントロールを失ってわかったでしょう?走ることの怖さが。あなたにはスピンに持ち込む腕があるし、時間を止めれば事故しても死なない。でも、FCは逃げられない。あなたがFCを守ってやらなくちゃいけないのよ」
咲夜はうなだれたまま「ごめんなさい」と小さく呟き、FCに再び手を当てる。
まあ、こんなところでいいだろう。
「にしても、あなたとレミリアは似た者同士っていうか……もうすこし素直にコミュニケーションしなさいよね。レミリアはあなたの前でいい恰好ばかりしようとするし、咲夜、あなたも完璧な顔しようとしすぎ。間に挟まれる私の立場になってよね……パチュリーはこういうとき役立たずだし」
「……?お嬢様がアリスに……?」
「そうよ、レミリアが私に頼んだの……ってこれ、口止めされてるんだったわ。聞かなかったことにしてちょうだい」
まあ、わざと口を滑らせてやったんだが。
咲夜は「そっか、お嬢様が……」なんて言いながらニマニマしている。
多分もう何も聞こえていないだろう。
やっぱり私の前じゃ、咲夜はまだまだ子供だ。
アリス・マーガトロイドはスカイブルーの瞳で満月を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
もたれかかったアルピーヌが、一仕事終えたその背中を労ってくれている──FRPのボディが、こころなしかあたたかく感じる夜だった。