第二博麗坂、山頂付近──午後十時
妖夢が頂上のガソリンスタンドで給油していると、ワンビアが反対側のスペースに入ってくる。
「やっぱりこっちにいらっしゃったんですね。……あれ?AW11もハイオクなんですか」
大妖精はそう言いながらエンジンを切り、静電気除去シートを触ってから「ギガフレア」と書かれた黄色のノズルを手にとる。
このガソリンスタンドの名は「霊烏路興産」──幻想郷のガソリンは地底から提供されており、その事業は地霊殿が一手に引き受けている。
外界のスタンドと同様、霊烏路興産の油種にもそれぞれ商品名がつけられている*1──レギュラーに「メガフレア」、ハイオクは「ギガフレア」、そして軽油は「アビスノヴァ」といったように。
霊烏路興産の看板は、反転させた橙色の放射線警告マークの中心に、赤い目を描き入れたものだ。
おかげで幻想郷には、放射線警告マークをガソリンスタンドのマークと思っているものがちらほらといる。
同時に、幻想郷においては「ハイオク」よりも「ギガフレア」の方が通りがいい──博麗大結界の内側には現状、霊烏路興産以外のガソリンスタンドが存在しないからだ。
大妖精の素朴な疑問に、妖夢は給油ノズルを引き上げながら頷く。
「昔のクルマはレギュラーってイメージが強いよね。かつてはハイオクなんて油種はなかったみたいだし。大妖精のシルビアもハイオクなんだ。魔理沙のS13はレギュラーだった気がしたけど」
「私のSR20はS13・K'sのエンジン*2をスワップしてるので……S13のSRは、NAならレギュラーですよ」
「考えてみたら、ハイオクが一番売れてるってすごいよね、幻想郷。レギュラーはまだしも、軽油は全然売れないし。やっぱりガソリンが外界より安いからかな?外界の『円』のレートにしたら、リッターあたりハイオクで80円くらいなんでしょ?たしか」
「スポーツカーばっかりですからねえ……あくまで噂ですけど、地底はもっと安いらしいですよ。地上まで輸送するコストがかからない分、円レートでハイオク1Lが40円くらいらしいです……あ、私も終わったや」
大妖精もノズルを引き上げ、給油口キャップを閉じる。
そこで、あれ?と疑問気な顔になる。
「そういえば、鈴仙さんはどうしたんです?一緒に
「鈴仙なら、スタンド併設の休憩スペースに行ってるよ。ガソリンのにおいが苦手みたいでさ。給油終わったし、私たちも行こっか」
「そうなんですね。私はガソリンのにおい好きなんですけど、たしかに好み分かれるかも。チルノちゃんなんて、におい嗅ぎたくなさすぎて鼻の穴自分で凍らせてましたし……一度窒息して『一回休み』になったこともありましたけど。じゃあ、妖夢さん先に駐車してください。私その後に続くので」
わかった、と妖夢は言って、敷地奥にある休憩スペース手前にAW11を駐車しようとする──が、どうやら先客がいたらしい。
「あれ?誰か先に来てたんだ。……アルテッツァかあ。エンジンのバリエーションが豊富だけど、どれだろう」
ワゴンの「ジータ」じゃないし、直4の3Sか直6の1G……3Sだったらいいな、同じトヨタの直4だし──妖夢はそう思いながらAW11を白線におさめ、エンジンを切った。
……アルテッツァのフロントグリルってメッシュだったっけ?──ワンビアの駐車を横目に、ダークブルーマイカのマシンを観察していた妖夢。
パタン、とドアが閉まる音がすると同時に、大妖精が妖夢に声をかける。
「あ、もう来てたんですね。さすが、人里で一番クルマに熱入れてるだけのことはあります」
「大妖精、このアルテッツァ知ってるの?」
「ええ、人里じゃ知らない人いないんじゃないですかね。結構有名なマシンですよ、そのアルテッツァ。人もクルマも、印象によらないってやつです。……多分中で鈴仙さんと話しこんでるんじゃないかな。鈴仙さん、置き薬*3で人里に下りてくると、よく茶屋で一緒に談笑してますから」
人里の人かあ……時々は行くけど、買い物だけしてさっさと帰っちゃうから──妖夢はそう言いながら、休憩スペースの扉を開く。
そこにいたのは──
「──慧音さん?」
「おや、妖夢に大妖精か。妖夢は久しいが……壮健そうでなによりだ」
仏塔の屋根をかたどったようにも見える紺色の帽子──その下に揺れる銀髪は、やや紫陽花の青に似た色彩をしていた。
女性は妖夢と大妖精に対し、軽く右手をあげて応じる。
彼女の名は上白沢慧音。
人里に住み、人間を愛するワーハクタク──妖怪だ。
普段は人里の寺子屋で教鞭を執りながら、歴史の編纂にいそしんでいる。
「こんばんは、慧音先生」
「こんばんは、大妖精。宿題は……お前のことだ、心配しなくても大丈夫だろう。リグルもいいとして……ルーミアとチルノが心配だな。大方二人して、クルマいじりばかりやってるんだろう」
慧音が指摘すると、大妖精は頬をかいて曖昧な笑みを返す。
「あはは……チルノちゃんは……はい、ずっとチェイサーのエアロを試作してます。神奈川仕様のドリ車にするんだそうで。多分ルーミアちゃんも一緒になって、自分のロードスターいじってますね」
「まったく……ルーミアはNAロードスターのボアアップ*4にチャレンジしてるんだったか?それはいいとして、チルノは……氷でいくらでも試作できるからって、エアロ試作ばかりやってるな。本格的な神奈川仕様なんてやったら、人里に入れなくなるぞ」
「あのー……すみません、『神奈川仕様』ってなんですか?」
鈴仙はどこだろう──見慣れたうさ耳を探して店内を見渡していた妖夢は、聞き慣れない言葉に疑問の声をあげる。
ため息をついていたのもつかの間、よくぞ聞いてくれた、という顔になる慧音。
教えるのが好きなのはやっぱり教師の本能なのかなあ、と妖夢は思った。
「うん……まあ、幻想郷では知る限り一人もいないからな。『神奈川仕様』っていうのは、チューニングスタイルのひとつだ。定義は様々だが、大抵はバンパーやサイドステップの上で一段絞った後、フレア状に広がるデザインの直線的なエアロを組む。そしてツライチ*5、
「なんとなくは……ものすごく取り回し大変そうですね、それ。幻想郷は不整地路結構ありますし、車高短フルエアロは道選びますよ?」
妖夢がそう言うと、そうなんだよなあ、と慧音はふたたびため息をつく。
先生って大変そうだなあ、と妖夢が思っていると、大妖精が耳打ちで伝える。
「慧音先生、『走りのセダン』が大好きなんです。特にアリストとかチェイサーみたいな、トヨタの走りのいいセダンが。表向きには阿求さんや急病人搬送のため4ドアなんて言ってますけどね。……だからチルノちゃんがチェイサーに乗り換えたの内心喜んでたんですけど、同時にちょっとハラハラしてるみたいで。慧音先生はシブめの正統派路線が好きなんですけど、チルノちゃんは派手なパフォーマンス路線ですから」
……前言撤回、この人もきっちり「幻想郷」の住人だったか──そう思いながら、クルマ狂いとして人のことを言えない魂魄妖夢は頷いた。
そうしていると、鈴仙がハンカチ片手に近づいてくる。
「あ、妖夢に大妖精。給油は終わったんだね。ごめんごめん、ちょっとお手洗い行ってたんだ」
そうだ、と呟いて、鈴仙は慧音の座る丸テーブルの近くにあった赤い自動販売機に小銭を入れる。
かつて外界で普及していた瓶専用のタイプだ。
世界的に有名なコーラのロゴが一面に描かれているが、中身はどうやら違うらしい。
扉を開け、鈴仙は青緑がかった瓶を四本取り出す。
自動販売機に取り付けられた栓抜きで器用に王冠を外した鈴仙は、それらの瓶をテーブルに置く。
「妖夢、大妖精。立ってないで座りなよ。はい、慧音さんも。今夜私クルマ出してないし、これはおごりです!味わって飲んでね」
「ありがとうございます、鈴仙さん。このサイダー、おいしいんですよね」
「ありがとう、鈴仙。いただくよ」
「あ、ありがとう鈴仙……『間欠泉サイダー』?」
妖夢はまじまじと瓶のラベルを見る。
烏の羽がついた少女の黒いシルエットが橙色の六角形の棒を構え、その先端から水が勢いよく吹き出している絵柄のラベルだ。
「妖夢は飲んだことなかったんだっけ。最近、霊烏路興産で新発売になったサイダーなんだけど……ちょっとお値段張る分、抜群に美味しいんだよね。」
鈴仙は一口飲み、この強炭酸!と叫ぶ。
妖夢もおそるおそる口をつけてみる──炭酸の泡がきめ細かい。
それでいて泡のひとつひとつに粒感を感じる。
炭酸が重く、力強い──いままでにないインパクトだ。
味自体はしっかり甘い古典的なサイダーだが、この味は強炭酸とのバランスをとるためか──幻想郷で一、二を争う健啖家、西行寺幽々子の台所を預かる妖夢は冷静に間欠泉サイダーと向き合う。
「お、さっそくやってるねえ」
「うん?妖夢は口に合わなかったのか?」
一口飲むなり黙り込んだ妖夢を見て、ニヤニヤし始めた鈴仙と心配そうに見つめる慧音。
それに対し、大妖精が予想を放つ。
「うーん……多分、すごくおいしかったんじゃないでしょうか。おいしさの理由を分析するために集中してるんじゃないですかね」
「やるじゃん、大妖精。大当たり。妖夢って、本当においしいものに出会ったら黙りこんじゃうんだよね」
「えへへ……走りのスタイルからして、そうかなって。さっきのヒルクライム、すごく観察されてるなって思いましたから」
「激しいエキゾーストが聞こえるなとは思っていたが……お前たちだったのか。どうやら大妖精にとって、いい『課外授業』になったらしいな。どれ、聞かせてくれないか」
サイダーの瓶を脇に寄せ、慧音が身を乗り出して口を開いた。