いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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手を離してはいけなかった

「なんだ?トラブルでもあったのか?」

 

岸辺の小屋から舟に戻ってきた小町に、私は問いかける。

ここはどうやら関所かなにからしいのだが……小町はうんざりした顔で後頭部をぽりぽり掻いていた。

 

「まあ……トラブルっちゃトラブルかね。さっき、あんたが『降ってきた』ってあたいは言ったろ?あれは比喩でもなんでもなくそのまんまの意味さ。あんたは舟にどすんと落ちてきた──船底に穴を空けて、そのまま尻で蓋をしてくれるような勢いでね」

 

「でもよ、穴は空いてないぜ?2Jツインターボのフル加速並にぶっ飛ばしても、舟はバラバラにならなかったしな。……何キロくらい出てたんだ?」

 

「それはまあいいんだよ、モノのたとえさ。ついでに言えば魔理沙、あんたも女なら、スピードより『どすんと落ちてきた』に反応すべきだね。あと、こいつは舟だ──何キロ?じゃなくて、何ノット?だよ」

 

「へいへい……説教はごめんだぜ。これからしこたま聞く羽目になるんだからな。……四季映姫だろ?」

 

私が口を尖らせると、小町はため息をつき、先ほど詰所から受け取ったらしき茶封筒を私に差し出す。

 

「読んでみな。問題は全部そこに書いてある」

 

封筒の中には、三つ折りにされた書面が一枚。

「死後審判法廷変更のお知らせ」と題が打たれている。

簡単にまとめれば、どうやら私の行き先──天国行きか地獄行きかとか、そういう──を決める審判の場所と担当に変更が入ったらしい。

 

当初の担当閻魔は「四季映姫・ヤマザナドゥ」。

変更後の担当は──

 

「ヘカーティア・ラピスラズリ?誰だこれ、西洋人か?私は基督(キリスト)教に入信した覚えはないぜ?」

 

「まあ──あんたが知らないのも無理はないね。地獄で知らない奴はモグリだけど。……その人は地獄の女神様だ。あんたたちの生きてた世界のみならず、魔界なんかの異界の地獄すらも()べるお人だよ。簡単に言えば、地獄で一番偉いお人さ」

 

「なんだってそんな偉いヤツが出てくんだよ。私なんかしたか?」

 

「なんかしたか?って、あたいがわかるのはあんたが死んじまったことくらいさ。『なんかした』の話をするのは死神じゃなくて閻魔様だからね。……にしても、しかし」

 

小町は煙管に火を入れて、再び口を開く。

 

「普通死んだやつは三途の岸辺で整理券を受けとって、優雅にドリンクを飲みながら彼岸花でも眺めて船頭の空きを待つんだ。その間に書類が仕上げられて、舟がやってくる──そうして三途の川下りを始めるんだ。だけど、あんたは『降ってきた』──しかも、書類の一つもなしにね。とりあえず知った顔だから四季様のところに運びつつ、道中で書類を揃えようとしたら行き先が『ヘカーティア様の屋敷』と来やがった。やだねえ、まったく……」

 

「……ヘカーティアって、そんなにやばいやつなのか?」

 

小町のうんざりした顔を見て、私はぷるりと身体を震わせる。

ただでさえ納得のいかない死に方をしたんだ。

その上「地獄の女神様」──そこらの人外とは比べ物にならないくらい強大な存在だろう。

 

私の問いに、小町は首を横に振る。

 

「いや、ヘカーティア様は気さくなお方だよ……戦って勝てる存在がいるかはさておき、本人の人格はいたって気の良いお姉さんさ。あたいが言ってるのは、事務手続が面倒になったってこと。それと、四季様の機嫌が悪い方に傾いただろうってことさ。四季様はイレギュラー嫌いだからねえ」

 

「それならいいんだ、安心したぜ。……なあ、そのヘカーティアってやつに頼みこんだら、生き返らせてもらえないかな?」

 

ヘカーティアが話のわかりそうなやつと知り、私は胸をなでおろす。

それなら、と身を乗り出して問うた私に、小町は目にも止まらぬ速さで煙管の火皿を突きつけた。

 

「──冗談言っちゃいけないよ?たしかにあんたがその若さで死んだのは気の毒かもしれないけれど、あんたよりさらに年端のいかない子供だってこの舟に乗った──病や戦、その他もろもろ──本人も納得いかない事情でね。いま幻想郷が何にお熱かくらい、あたいもちゃんと知ってるよ。……あんたは自分で命投げ捨てて死んだんだろう?それなら潔く死を受け入れるか、黄泉がえりの術でも模索しておくべきだったね」

 

小町の正論に、私はぐうの音も出ない。

命の価値も理解しないまま、夜のアスファルトという賭場にチップをのせていたのは私の問題だ。

 

誰もがその結果を受け入れて、走りのステージに上がっていたんだろうか?

短いいのちを燃やすからこそ、スピードに人は魅せられる──だけど、人は速さのなかで死ぬことに──納得できるんだろうか?

 

──霊夢なら、納得するんだろうか。

 

私はそれすら、走りのなかでつかめないまま、わからないまま──事故死という最悪極まりない結果で、Rを降りることになってしまった。

 

私が死んだのはまあいい──全然よくはないけど──それ以上に、GT-Rだ。

 

私はあの32Rのことを全然知らないまま、こうして小町の舟に揺られている。

それは、あの後Rがどうなったのか、という意味でもあるし──そして、あのRがどういう過去をかさねて私のところに来たのか、という意味でもある。

 

死んではじめて──もうRと走ることはできないのだと気づく。

 

私は、あのRの手を離してはいけなかった。

私は、あのRを最期まで見届けなくてはいけなかった。

あんな終わり方ではない形で。

 

見届けるまでは死ねなかったし、死んではいけなかった。

──Rはきっと、私を最後のオーナーに選んでくれていたのに。

手を離して、初めて気づく残酷な真実。

 

小町に聞こえないよう、私は静かに嗚咽する。

 

小町は「らしくなったじゃないか」と呟くと、エンジンを切り、静かに立ち上がる。

そしてゆっくりと、舟を漕ぎ始めた──

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