「霧雨魔理沙──あなたの『死』を剥奪します」
ヘカーティアが口にしたのは、予想もできない一言だった。
ヘカーティアの隣でセブンアップを傾けていた純狐はフリーズし、私の後ろに立って「判決」を聞いていたクラウンピースは「うぇ」とも「ぐぇ」ともつかない、空気を口蓋で押しつぶしたような声を発する。
「死」を剥奪……?
どういうことだ?
「無間地獄行き」とか「賽の河原行き」ではなく?
そもそも私はもう死んでいるはずだ。
その私から「死」を剥奪する──それってもしかして──
「ああ、期待させたくないから言っておくけど、『生き返る』わけじゃないわ。抜け道がないわけじゃないけど、生と死の輪廻は一方通行──生から死へ、そして死から生へ。蒸発した海水が雲となり、雨を降らせ、やがて川になって海に戻るように。命と魂の総量は変わらない──その『在る場所』が変化するだけ。それが原則よ」
「だったら──『死を剥奪する』ってどういう意味なんだ?」
死んだ人間は
以前に魅魔様とパチュリー、そして四季映姫と西行寺幽々子に確認したことがあるが、これはその全員が首を縦に振った説だ。
「私はいま死んでるんだろ?そこから『死』を剥奪するってことは、生者に戻るんじゃないのか?」
私がヘカーティアに問うと、純狐が代わりにそれに答える。
「ごめんなさいね、割り込んで。こういう話は『部外者』の方が面倒ないから。いいかしら、ヘカーティア」
「……そう、そうね。話が早くて助かるわ。このあたりの『カラクリ』を私が話すと、それは是非曲直庁の『公式見解』になっちゃうから。よろしく、純狐」
ヘカーティアはそう言うと、クラウンピースにジェスチャーで「あなたも座りなさい」と指示を出す。
クラウンピースが私の後ろに立っていたのはもしかして、暴れ出したときに拘束するためだったんだろうか?
私がそう考えていると、純狐が口を開く。
初対面よりはくだけた口調で、しかし優しく諭すように。
「さて、魔理沙。まず、『生』と『死』っていうのは、それぞれが独立した『状態』にすぎないの。『生きてない』は『死んでる』じゃないし、『死んでない』は『生きてる』じゃない。……外界の人間ならピンとこないかもしれないけど、幻想郷育ちのあなたならなんとなくわかるでしょう?」
純狐の語りかけるような問いに、私はこくりと頷く。
半人半霊、亡霊、蓬莱人──心当たりならいくらでもある。
たしかにあいつらは、「生きている」と「死んでいる」の二表現だけでは補完できない存在だ。
私の頷きをみて、純狐は説明を続ける。
純狐の赤褐色の瞳には、なぜか憐れみのしずくが映る。
「わかったみたいね。『死を剥奪』するっていうのは、生き返るって意味じゃない。現世に戻る、って意味では『生き返る』けれど、それは『生者』としてではないわ。──あなたの知ってる存在の範囲だと、蓬莱人が一番近いかしらね」
「蓬莱人──つまり、不老不死になるってことか?」
私がそう言うと、ヘカーティアがなにかを言おうとして口を噤む。
それを察したらしいクラウンピースが、代わりに口を開いた。
「ご主人様は立場的に言えないから、あたいが代わりに説明するよ。結論から言えば、死なない──あるいは死ねないって意味では、蓬莱人と同じかな。でも、時間の変化には抗えないから歳はとる。……魔理沙、あんたが死を剥奪されるのは実際のところ、ご主人様の──つまり、死後審判の判決じゃないんだ。そうなることは、死神の渡し舟に落っこちた時点でほとんど決まってたんだよ。あんたが師と仰ぐ、魅魔の手によってね」
「魅魔様?ここ五年以上姿をくらましてたのに……魅魔様が私を助けてくれたってのか?」
だんだん混乱してきたが……魅魔様が私を「死」から救い出してくれた。
その事実だけで、私は忘れられてなかったのだと、熱いものがこみ上げる。
泣くな魔理沙──私が自分にそう言い聞かせたとき、クラウンピースの乾いた笑い声が、私の背中に「
「ははっ……それならどれだけよかったか。さすがのあたいでも同情するよ。魔理沙、魅魔はあんたにある魔法をかけた。是非曲直庁の公式見解では、存在すら認められない魔法さ。魔法の枠におさまるかどうかすら、もはやわからない──この世の強大な人外たちが知恵を絞って成立させ、ついぞ使うことのなかった最悪の
クラウンピースは言葉を区切り、私の目をじっと見つめる。
その瞳はどんな闇より暗く、深遠な知識が沈殿している。
──そうしてクラウンピースは、静かに口を開いた。
「──リーインカーネイションの未解決。魔理沙、それが『いまのあんた』だよ」
リーインカーネイション──たしか、意味は「輪廻転生」だったか。
昔、アリスと魂について研究したとき、魔導書に書いてあった単語だ。
「話を続けるよ?詳しいことは省くけど、『リーインカーネイションの未解決』は魂を『生に縛りつける』魔法。だからあんたは死ねない──というより、『死』という状態に移行できなくなる。……でも、歳はとるし、蓬莱人みたいな再生力があるわけじゃない。これがどういうことかわかる?」
「──つまり、寿命を迎えたり、致命傷を負えば……あれ?でも、死なないんだよな?……そうなったら、『どう』なるんだ?」
蓬莱人は一切の変化がない──対しアリスの「捨虫の法」はたしか、歳をとらない代わり、怪我や病気といった外部要因では死に至ったはずだ。
リーインカーネイションの未解決、と聞いて頭を抱えていた純狐が、ゆっくりと口を開く。
「……寿命を迎えたり、致命傷を負えば、あなたは『消滅』するわ。正確にいえば、辺獄、あるいはリンボと呼ばれる場所で、塵芥にも満たない矮小な魂としてあなたはさまよいつづけることになる……永遠に、ね。ヘカーティア、そうでしょ?……あなたがさっき言った通り『器にアテがあった』のは事実だけど、これは考えうる限り最悪の手段よ?軽く考えていいことじゃないわ」
純狐がヘカーティアに問う。
その瞳にはわずかな──非難の色。
「そんな目で見ないでよ……行使者は魅魔なんだし、『役所の都合』があるの。……でも、騙したような形で死後審判の茶番までやったのは謝るわ。ごめん」
「謝るなら魔理沙に、でしょう?……あなたに選択肢がなかったのは認めるわ。どうせ魅魔のことだから事後報告でしょうし」
純狐はそう言いながら引き下がる。
なんだかんだ言いながら、こいつらはこいつらなりに私のことを案じてくれているらしい。
おかげで、すこし私も落ち着いてきた。
……優しい瞳で私を見ながら、口を開かずに「あのクソ悪霊、次会ったら百回死なす」って呪詛のように呟いてる純狐はめちゃくちゃ怖いけど。
「そうね……ごめんなさい、魔理沙。その代わりといってはなんだけど、あなたに『ヒント』と『選択肢』、そして『私の意見』を提供しようと思うの。どうかしら?」
問われ、私は瞑目する。
咲夜、フラン、早苗──そして霊夢──
それだけじゃない、幻想郷と──「私の」GT-R──
まぶたの裏、その暗がりのなかで、記憶と後悔が交差する。
ここは、首都高──湾岸線。
つばさ橋の路肩で、私は星一つない空を見上げる。
一台のマシンが接近する──
まだ遠い──直列6気筒のエキゾーストノートだ──
近づいてくる──二千──四千──ブーストが立ち上がる──六千──鋳鉄のシリンダーブロックは、爆ぜるガソリンを余すことなく受け止める──
速い──スキールが響く──タイヤの焼ける匂い──闇を切り裂く一対のヘッドライト──お前の加速はとまらない──
180のリミッターを
220──240──お前はしなやかに伸びゆく──
260──280──地上にお前の敵はいない──
300──地を這う者はすべてお前に道をあけわたす──
310──お前は大気のさだめを引き裂いていく──
320──それがお前と──フラットアウト──330──私の──
夜闇に紛れることを拒否した漆黒のボディ──真っ赤な四灯テールしか──そしてRのリアバッジしか、お前は記憶に残さない──
願いと希望のナイトロショットが、生に凍りついた私の血管を駆け抜ける。
私の拍動が、RB26のアイドリングと一致する。
六発のピストンは、いままでも──そしてこれからも、私の「いのち」だ──
私は目を開き、ヘカーティアの瞳を見つめ返す。
視界の端で純狐が安堵したように頷き、クラウンピースの口角が三日月になる。
ミート──私はゆっくりと、こころのクラッチペダルを上げた──
「……聞かせてくれ。私にはまだ、やり残したことがあるんだ。そいつは死を剥奪されてでも、やらなくちゃいけないことなんだ」