ヘカーティアの瞳に私の輪郭が映りこむ。
私が──私であるかぎり、霧雨魔理沙である限り。
風もないのに、ヘカーティアの瞳のなかで、私の三つ編みがかすかに揺れる。
それと同時に、クラウンピースが立ち上がる。
ヘカーティアになにかを放り、口を開く。
「ご主人様──あたいは先に『上がり』ます。魔理沙のことは任せていいですか?……あたいにとって、この先は『蛇足』ですから。『R乗り』なんでしょ?だったら、これ以上『言葉』はいりません」
「そう……そうね。あなたならそう言うわよね。──あなた、これは……」
ヘカーティアは、クラウンピースが投げてよこした「なにか」を見て驚きの声をあげる。
「あたいはあたいで気に入っちゃったんですよ、魔理沙のことが。それに……段階踏んで、なんて無意味でしょ、ここまできたら。じゃあ、行きますね」
クラウンピースはそう言って、私に人差し指と中指を交差させたジェスチャーをする。
あれは──「グッドラック」だったか?
そうして悪戯娘の顔で笑いかけたクラウンピースは、部屋の左手にある扉の向こうに消えていく。
壁と同色なせいで気づいていなかったが、この部屋には扉が三つ──私たちが白い玄関ホールから入ってきた後ろの扉、その反対側にある前の扉、そしていまクラウンピースが入っていった左の扉があったようだ。
よく見ると、私の左側の壁は上半分がガラスになっているらしい。
黒いカーテンでぴっちり閉じられていて向こう側はみえないが、どうやらもう一部屋あるようだ。
「さて、まずは『ヒント』の話をしましょうか。『リーインカーネイションの未解決』──それについてのヒント、というより『仕組み』のお話よ」
左側の壁を観察していた私は、ヘカーティアの声で意識を引き戻される。
「あの魔法を行使するには『
「主題?主題ってなんだ?『人生のテーマ』とかそういうものか?」
「まあ……合ってるかしらね。もっと根源的なものだけど……『生きる意味』とでも認識しておいてちょうだい。とりあえずあなたは、その『主題』を見つけ出して『解決』しなければならない」
ヘカーティアの言葉を受けて、私は顎に手を当てる。
主題……私のアイデンティティは言わずもがな「魔法使い」だ。
私の魔法は光と熱、そして星……星といえば、そうだ……私の星は「霊夢への憧れ」を象徴してる……じゃあ、霊夢が主題?
そして走りとR……速くなること。
でも、走り始めたのは魅魔様が姿をくらましてからの話だ。
いまの私にとって魔法以上のポジションになりつつあるが……こいつは「主題」になるのか?
「まあ……あなたはまだ若いし、ゆっくり探すといいわ。一応言っておくと、リーインカーネイションの未解決が要求する『主題』は、『大魔法使い』とか『F1チャンピオン』みたいな、万人に理解できる『目標』ではないの。『あなただけの根源的な望み』が『主題』になる……だから、行使者の魅魔ですら『主題』の全貌は不明だと思うわ。そして何をもって『解決』とするかも不明よ。すべてはあなたの根源と主題が決めることだから」
最悪の場合魅魔様を見つけ出して問いただせばいいと思っていたが、どうやら甘かったらしい。
絶望的な表情の私に、純狐が「でも」と付け加える。
「糸口はあるのよ、魔理沙。『依代』の存在が主題のヒントになるの。……ヘカーティア、あなたたちが魔理沙を迎えてる間に届けられてたわ。確認したけど、『あれ』が依代みたい。……見せてもいいかしら?……そうよ、やっぱり『あれ』。あなたとクラウンピースも気づいてたでしょ?」
「まだ状態は確認してないけどね。……そうね、魔理沙には酷かもしれないけど早いほうがいいでしょう。魔理沙、ついてきて」
言うやいなやヘカーティアと純狐が席を立ち、私も慌ててそれに続く。
さっきクラウンピースが入っていった扉を開くとそこは──
「……ガレージじゃねえか」
いや、「ガレージ」なんて生優しいものじゃない。
奥の方には整備工場並の設備が見える。
個人レベルでカーリフトやフレーム修正機まで持ってるなんて……こいつら何者なんだ?
手前側にはピカピカに磨き上げられたクルマが二台に、カバーがかけられたものが二台、計四台が奥に向かって横並びに整列している。
イエローのランボルギーニ・ディアブロ・SVロードスターと、紫のボディに赤いストライプが入ったダッジ・バイパー・SRT-10……雑誌でしか見たことがない超高級車だ。
「ああ、ディアブロが私のマシンよ。バイパーがヘカーティアのマシン。ディアブロは機会があったら貸してあげる。世界に二台しか存在しないクルマだけどね。……問題は、その奥」
純狐は私たちを引き連れ奥に進み、一番奥のカバーがかけられたクルマの前で立ち止まる。
間近に見ると妙に小さい……まるで軽自動車のサイズだ。
「純狐……まさか……」
私が問うと、純狐は「覚悟はいいかしら」と呟いた──のだと思う。
純狐の声はもう、私の耳には入っていなかった。
しかし、私はなんとか顎を引き、純狐に合意を示す。
純狐がカバーを一気にめくりあげる。
銀灰色の幕が私の視界を一瞬遮る──私に見られることだけは拒もうとしたお前の抵抗、それは刹那の出来事にすぎないけれど──
これが、私の結末。
これが、私の大罪。
このような姿になってなお、お前は私をオーナーとして認めてくれるのか?
私は無意識に、純狐が持つカバーに手を伸ばしかけて、やめる。
私は──直視しなくてはいけない。
粉々に砕け散り、オイルの涙を流す──切れ長のヘッドライト。
下りオーバースピードの重力で粉砕された──精悍なリアフェンダー。
オープンエアになったフロントガラスから運転席を覗くと、焼け焦げた血痕がべったりと染みついていて──内装は真っ黒に染まり、肉とプラスチックの区別がつかない。
黒豹のように駆けるしなやかな立ち姿は、もはやそこに四輪を接地させているだけ奇跡と言わざるを得ないほど、息も絶え絶えだ。
フロントグリルとボンネットは原型をとどめておらず、下手くそな折り紙のようにぐちゃぐちゃ。
自慢の四灯テールランプは爆ぜ、あるいは熱に融解していた。
──この状態を見て、お前が「何」なのかわかる人物がどれだけいるだろう。
そこにあった──いや、いたのは──
400馬力の愚かなスピードに破壊され尽くした、私の32Rだった──