いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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ルナティック・パワー

銀灰色の覆いを、私は取り払う。

 

その下でいまかいまかと待ち構えていたマシンは、私が知るかぎりおよそ走り屋──そして、国産スポーツカーの世界で、もっとも評価が真っ二つに分かれる存在だった。

これ以上誤解と過大評価の板挟みにあったマシンは、おそらく他にないだろう。

 

ある者は「失敗作」と貶め、ある者は「最高傑作」と褒め称える。

どれだけの人間が、このマシンを正しく評価してきた──いや、正しく評価「しようと」してきただろうか?

否定的なバイアスと、判官(ほうがん)びいきな肯定なしに。

 

ミッドナイトパープルに輝くボディは、幽玄に落ち着きはらいながらも、その深奥にたしかな(ほむら)を秘めていた。

そのマシンは──

 

「──BCNR33。R33型スカイラインGT-R。こうして間近に見るのは初めてだが……」

 

「拍子抜け?それとも──」

 

私の顔をのぞきこむようにして尋ねるヘカーティア。

私は、一度深呼吸して答える。

 

「拍子抜けなもんか──見ただけでわかる。私はそれほどたくさんのRを見てきたわけじゃないけど──こいつは私の知るかぎり、おそらく一番速いチューンドだ。見た目にはフロントスポイラー──それとステアリング、フルバケ、追加メーターくらいだが、なんというか、圧がある。違うか?」

 

「ふふ、合ってるわよん。……この33Rは後期型Vスペックをベースにした、フルチューンGT-R。Vスペックのバッジが青だから……『インフェルノスペック』ね。製作者はチューニングショップ『ルナティック・パワー』のオーナー、クラウンピースよ」

 

「ルナティック・パワー?人外のクラウンピースが名前を出してないのはさておき、RBチューンのショップの有名どころは頭に入ってるが……聞いたことがないショップだぜ。それに、インフェルノスペックって?」

 

正直、奥の設備をみればクラウンピースがチューナーなのに疑問はない。

ただの趣味人にしてはいきすぎているからだ。

 

だが、ルナティック・パワーに聞き覚えはない。

私は紅魔館の図書館や外界で読んだチューニングショップを脳内で振り返るが……やっぱり知らない名前だ。

最近の雑誌が多いからか?

チューニング全盛期は十年以上前らしいし……

 

「聞いたことがないのも無理はないかもしれないわね。あなた、アメ車の専門誌は読んでないでしょ?ルナティック・パワーのメインはアメ車だから。実際、私のバイパーもクラウンピースが整備してくれてるし。……ルナティック・パワーのRBチューンはあくまで裏の顔。その情報にたどり着いた人にだけ、クラウンピースが直々に手がけてるわ」

 

「そうね。ルナティック・パワーの源流は、アメリカ西海岸・ロサンゼルスのチューニングショップ"Eclipse Tuned"よ。クラウンピースがこっちに拠点を移したのに合わせて開業したのがルナティック・パワー。だから今も昔もアメ車がメインなの。……あと、インフェルノスペックっていうのはRB26のチューニングメニューの名前ね。ルナティック・パワーでは、第二世代GT-R*1のチューンは足回りやボディ補強含めたパッケージ販売なの。400馬力の『ヘルスペック』に始まり、600馬力の『インフェルノスペック』、800馬力の『アビススペック』が存在するわ。……あえてインフェルノってところが嫌らしいわね、ヘカーティア」

 

腕組みをした純狐が苦笑しながらそう言うと、ヘカーティアは静かな瞳で「そうね」と呟き、私の目をじっと見つめる。

 

「……なんだよ、そんなに見つめて」

 

「……魔理沙。いま一度問うわ。あなたは『本気で』湾岸を狙うのね?400馬力のRで事故死して、なお」

 

ヘカーティアの突き刺すような眼差しに、一瞬私はたじろぐ。

しかし──ここで退()くわけにはいかない。

 

「本気だ。私は圧倒的なパワーを信条とする魔法使いで、自由を求めてストリートに身を置く走り屋だ。それが私、霧雨魔理沙で──Rもそれを望んでる」

 

私が言うと、ヘカーティアは黙って目を瞑り、こめかみに指を当てる。

しばし沈黙が続き、私が気まずさを覚える頃、純狐が口を開く。

 

「やらせてあげなさいよ、ヘカーティア。知ってから決めても遅くないわ。……情が湧いてるんでしょ?」

 

「言わないでよ、純狐……そう、情が湧いてるの。知ってしまえば、知る前にはもう戻れないから。チューニングの中でも、Rは特にそう。麻薬のような速さだから。あの子が自分の店の、GT-Rチューニングのメニューの入口に『ヘルスペック』と名付けたのは、きっと警句の意味でもあるしね」

 

ヘカーティアはそう言って、 "Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate" と呟きながら、私に33Rのキーを渡す。

何語だったんだろう。

英語ではなかったようだが。

 

疑問顔の私に苦笑しながら、ヘカーティアは口を開く。

 

「いまの言葉は『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』って意味。ロダンが制作した『地獄の門』に刻まれた銘文、ダンテの『神曲』の一節よ。……魔理沙、いまから私たちは、長く遠い夜に旅立つことになる。それはおそらく、あなたのRを知る旅路でもあるわ。そして、クラウンピースはその最奥であなたを待ち受ける。あなたにその資格があるなら、この33Rが必ずそこへ導くわ。OK?」

 

「……ああ、OKだ。よくわからんが、また走るためには、いまこいつに乗るしかないってことはわかったぜ。……水とオイル、タイヤの空気圧を確認してもいいか?あと、窓を拭くクロスを貸してくれ」

 

「ふふ、いいわよん。存分にどうぞ」

 

私はキーとクロスを受け取り、一通り作業する。

レミリアからS13を引き取ったときの約束事で、欠かしたことのない習慣──たった一度を除いては。

 

私が冥界ハイウェイで事故死した夜、私は霊夢のことが気がかりで、ついこの手順を怠ってしまった。

それが原因で事故ったわけじゃないだろうが……いのちをのせて走るんだ。

「そういうの」って、私はあると思ってる。

 

すこしでも「違い」があるのなら、それは「同じ」じゃない──数センチのラインの違いが生死を分ける公道(ストリート)で、同じと見なせる違いなんて、ありはしないんだ。

 

「準備OKだ。いけるぜ」

 

私が言うと、ヘカーティアはガレージ入口シャッターのテンキーになにやら複雑な文字列を打ちこみ始める。

 

私が不思議に思っていると、純狐が説明してくれる。

 

「あれ?あれは『行き先』を設定してるのよ。さっきの部屋に入ってきた真っ白な玄関ホールに、ダイヤル錠がついた扉があったでしょ?あれと同じね。一応言っておくと、あの玄関ホールは地獄と地続きの異界なの。さっき話してた部屋とこのガレージは、異界であり地球──幻想郷のようなものね。さっきの部屋の奥の扉から先と、あのガレージで設定しなかった場合の出口は現世……いまは東京都港区赤坂と呼ばれる場所よ。このガレージは私たちがこっちで拠点にしてるところの地下なの」

 

私たちが話していると、重々しい音を立ててシャッターが開き、ヘカーティアが戻ってくる。

ガレージの出口にはコンクリートのスロープが見える。

これもまた、「地獄の門」。

 

「終わったわよん。純狐から行く?もちろん来るんでしょ?」

 

「まあね。それじゃ魔理沙、あっちで会いましょう」

 

純狐はそう言ってディアブロに乗りこみ、エンジンをかける。

V12サウンドを轟かせ──まさに『轟音』だ──イエローのディアブロがスロープに向かって猛然と突進していく。

 

「さて、私たちもいきましょうか。600馬力のチューンド、その真価を感じてちょうだい」

 

そう言ってヘカーティアが助手席に乗りこむ。

私も運転席へ。

 

「コクピットはシンプルなんだよな。600馬力……難しそうだぜ」

 

私はそう言って、エンジンをかけるためクラッチを踏みこむ──軽い?

強化クラッチを入れてないのか?

一般車に比べたら重いが、ハイチューンにしてはものすごく軽い。

 

「びっくりした?クラッチは強化だけどカーボンツインだから、メタルよりは扱いやすいはずよん。半クラッチもそこまで気負うことないわ。細かいことは追々話すけど──このマシンはルナティック・パワーのインフェルノスペック。C1から湾岸までオールラウンドに戦える本物の首都高チューン、本物の『地上の戦闘機』よ。それを忘れないで」

 

私は頷き、キーを回す。

600馬力の心臓に火が入る。

お前は、私に『応える』か?

私はお前に『応えられる』のか?

 

「いくぜ──33R、インフェルノスペック」

 

呟き、シフトをローへ。

 

お前は私のRじゃないけど──私はお前とともに、私のRを知る旅に出る。

 

見定めてくれ、GT-R。

 

霧雨魔理沙()の走りを、見定めてくれ──

*1
R32から34までのGT-R。

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