「……うん。そこの赤坂一丁目交差点を左折して……この先の
信号は青。
私はヘカーティアの言う通りにステアリングを切り、すこし加速して3速へ。
「そうか?まあ……そうかもな。私たち走り屋は限界レベルでクルマを酷使してるし、そうじゃなくても目立つだろ?だから走り以外じゃ、なるべく丁寧に運転するようにしてんだ。特にRに乗り換えてからは、一般車を驚かせないようにしてる。Rの加速なら間に合う、Rのブレーキなら止まれる──それで一般車の判断狂わせたら危ねえからさ」
まあ、レミリアの受け売りだけど。
でも実際それは、幻想郷の強大な人外のあり方とよく似ている。
一概には言えないが、レミリアを筆頭に「本来はやばい」妖怪ほど、私たち人間の空間にすんなり馴染んでることが多い。
特に、妖力に馴染みの薄い外来人なら、おそらくただの少女にしか見えないだろう。
「あとはそうだな……この33Rが乗りやすいってのもあるかもしれねえ。私がつくった400馬力の32Rより、600馬力の33Rの方が乗りやすいなんて思いもしなかったぜ」
私が言うと、ヘカーティアは満足げに頷く。
「わかってくれてなによりだわ。魔理沙、それこそが『プロの仕事』よ。クラウンピースはね、快適性をむやみに犠牲にしないの。残せるものは残す……たとえば、エアコンよね。あと、これにはついてないけど、カーナビ。トルクカーブは低回転を犠牲にしないし、やたらにゴツゴツしたサスペンションは店に在庫すらしていないわ」
たしかに……いまわたしはほとんど2500回転以下で走っているが、純正と変わらないかそれ以上に、低回転の加速のツキがいい。
「速くなればなるほど、扱いにくくなるとばかり思ってたぜ。目から鱗ってのは、このことだな」
「速さを求めれば犠牲になるものもあるわ。でも幸い、あの子のお客さんは裕福な人が多いから。アメ車の中でも高級車揃い……本物を知っていて、市販ですでに速くて乗りやすいクルマを、さらに速くする──そういう人ばかりなの。だから『トルクカーブに谷をつけて速さを演出』するような『乗りにくくして速さを錯覚』させるチューニングは嫌われるし、あの子もやりたがらない。できるだけ楽に速く、できるだけ街乗りにも使えるように仕上げる──それが、ルナティック・パワーが評価されてる一番のポイントね」
具体的な時間はわからないが、いまは深夜──まわりを見るかぎり交通量は多く、このエリアが東京都心であることを物語っている。
「そういえば……なんか周りのクルマ古くないか?パッと見ただけでも、5代目グロリアに……あれは初代レオーネか?なんか33Rが場違いに感じられるぜ、時代的に」
話の流れから聞きそびれていただけで、ずっと気になってはいたのだ。
一緒に走っているクルマがやたらと古い。
大体70-80年代くらいのクルマだろうか?
探せばハコスカやケンメリにも出くわしそうだ。
「あら、気づいたのねん。多分このくらいから始まるだろうとは思ってたのよね……」
ヘカーティアはそう言って、例の浄玻璃の鏡を取り出す。
時間を確認しているらしい。
こいつテキトーこいただけで、本当はそれ、ワンセグ携帯なんじゃないだろうな。
「うん、やっぱり『この日』ね。魔理沙、周りのクルマは『いま』の現行車種よ。……今は、1980年8月31日。日曜日ね。ちょうど日付が変わったところ」
せんきゅうひゃ……はあ?
1980年8月31日?
それって……もしかしなくても……
「タイムスリップ──」
「──じゃないわよん。これはあくまで『世界の記憶』の再現。だから私たちはここに登場する人々に干渉できないわ。使用者の違和感を軽減するため、周りのクルマは私たちに合わせて走ってるけどね。『これ』自体が、浄玻璃の鏡の発展形と思ってちょうだい。本来は大法廷で複数閻魔が審理するときにつかうものなの」
「すげえ技術だな、そりゃ。でもなんで、1980年8月31日が『やっぱり』なんだ?」
おっと、ここが赤坂見附の交差点か。
先ほどのヘカーティアの指示を思い出し、私は左にステアリングを切る。
「……変だな、クルマが少なくなった気がするぜ」
左折した途端、交通量が目に見えて下がる。
深夜とはいえ、今は日曜日だ。
それに、さっきまで走ってた外堀通りにはそれなりにクルマがいたはずなのに。
私が初めて訪れる東京の不思議を感じていると、ヘカーティアが口を開く。
「そりゃあそうよ。ここ数週間、この先で行われていたことを知ってる地元ドライバーは、週末のこの時間帯には近寄らないはずよ。──さあ、見えてきたでしょう?」
右手の赤坂御用地の塀に、Rのノーズが差し掛かる頃──光の大群が見えてくる。
何の光なのか、疑問に思う前に──私は無意識に、パワーウィンドウを下げていた。
焼けるゴムとガソリンのにおいが、音より速く私の鼻腔に飛び込んでくる。
道いっぱいに路上駐車したクルマたち。
赤坂御用地の塀の中程から始まった路上駐車の大群のナンバーはほとんどが関東だが、なかには関西をはじめとした他の地域のものもちらほら。
ハコスカ、サバンナ、スプリンター、シビック……知らないクルマの方が多いが、どいつもこいつも「そういうつもり」でここに集まっているのだとわかる。
ロータス・ヨーロッパ、ポルシェ・911……アルファロメオ・ジュニアZ、プリムス・ロードランナー……少数だが、外車もいる。
左右の路肩に一列では収まりきれないクルマたちが膨れ上がり、ここが公道だということを忘れてしまいそうになる。
一体何台集まってるんだ?
「さ、私たちもギャラリーにいきましょうか。ほら、あそこ空いてるわよん」
ヘカーティアに言われるがまま、私は赤坂郵便局の前に駐車し、Rから降りる。
現代よりはずいぶん涼しい夏だが──熱気のせいで肌がべたつく。
気圧されて、息をすることすら困難だ。
手が入っているらしいマシンの大半はただの改造車って趣だ。
速そうなマシンは外車が多い。
しかし、よくよく見ていくと、派手なラッピングのマシンも混ざっている。
もしかして、レース仕様のワークスマシンか?
このプレッシャーの正体は──そして、こいつらがここに集まってる
「『青山一丁目駅』──そして、いまは1980年。てことは、まさか──」
「そう、そのまさかよ。ここは青山通り。……1980年、青山ゼロヨン。8月31日、夏の終わり──この夜を境に、蝉時雨は爆音のエキゾーストノートに取って代わられた。──何十年にもわたる『もうひとつの夏』が、今夜始まったの」
隣を歩いていたヘカーティアはそう言って、私の数歩前に躍り出る。
そして後ろ歩きのまま、ふたたび口を開く。
「ストリートにおけるチューンドの始まり──極東の島国が、USのストリートで戦い抜いてきた『本物のチューンド』に初めて遭遇した夜。──ライトニング・イエローのコルベットが、青山のアスファルトにその伝説を刻んだ夜よ」