いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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アイドリング

美鈴がラッキーストライクの吸い殻を地面に落とし、それを靴底でもみ消した瞬間、青山通りに音が帰ってくる。

 

違う──最初からずっと音はそこにあった。

そこかしこでアイドリングする改造車たち──そしてここは東京都心。

音がない、なんてことはありえない。

 

誰もが呑まれていた。

紅美鈴と、スターズ・アンド・ストライプス──心臓を直接揺さぶるような、大陸を知るアイドリングのコルベットに。

 

そんな中、美鈴が唐突に口を開く。

のんびりとした口調と裏腹に、その目には一切遊びはなかった。

 

「あの。ひょっとして、ここにクルマ置いちゃダメでしたか?レースをしてるんでしょう?ここに二台並べて、この信号からあの信号まで。誰か私と走りませんか?……《おっかしいなァ……私の日本語、通じてないのかな。私が『ガイジン』だからかしら。それとも……彼らがニンジャだからかもしれないわね。ニンジャ-スタイルなら納得だわ》」

 

美鈴は日本語で呼びかけた後、返事がないことに困惑した様子で外国語でなにか呟いていた。

アメリカから来たのだし、英語だろうか?

私は「ニンジャ」しか聞き取れなかったが、ヘカーティアが吹き出しているあたり、こいつには聞き取れたらしい。

 

「なあなあ。いまなんて言ってたんだ?『ニンジャ』ならわかったけどよ」

 

「え?ああ、英語で話してた独り言ね。そうねえ……彼女はいま、ここにいる人間たちがみんな忍者だと思ってるわ。黙りこんでるのはニンジャ-スタイル……つまり『隠密』の一環だと勘違いしてるわね」

 

「なんだそりゃ。そういうすっとぼけたところは、いまも昔もあんまり変わらねぇ……んだな……」

 

「どうしたの?お腹痛くなっちゃった?」

 

急に言葉が詰まった私を、ヘカーティアは心配そうな顔で覗きこむ。

私はなんだかんだ、「アタリ」な人外に拾われたのかもしれないな。

 

「ああ、いや。考えたら私、あいつのこと全然知らなかったんだなって。Rのことだってそうだし、咲夜やフラン、レミリアたちのことも。早苗が外界でどうしてたとかだって、他にも色々。一番付き合いの長い霊夢のことだって、私全然知らねえんだよな。出会ったときからあいつは神社で一人暮らし。生活の内容だっていまとまったく変わんねえ。知り合ったときの姿のまま空から降ってきた、なんて言われたって信じちまうくらいに。……なんだかすこし、情けなくなっちまうよ」

 

私は宙を仰ぎ、ため息をつく。

私は──いったい「何なら知っている」のだろう。

 

私がそう言っている間に、一台のマシンが動き出した。

銀色のハコスカ──GT-Rだ。

詳細はわからないが、どうやらレース仕様──さっき見かけたワークスらしきマシンの一台だ。

ハコスカのフロントガラスからは、決死の覚悟を決めた面持ちの壮年の男が見える。

 

「……『知らない』ことに気づいたのなら、無知の半分は既知になってるも同然よ。あなたはこれからたくさんの夜を私と走り抜けていく。その中で今あなたが挙げた人々の過去を知るかもしれないし、まだ知ることはないかもしれない。夜に知れなかったことは、きっと朝が来ればわかるわ。あなたが知ろうとするかぎり、ね。ほら──夜はまだ、始まったばかりよ」

 

ヘカーティアはそう言って「しゃんとしなさいな」と私の背を軽く叩く。

なんでヘカーティアがここまでフォローしてくれるのかはわかんねえけど──純狐といい、クラウンピースといい──私はなんだかんだ、いいやつらと出会えたのかもしれない。

 

やがてハコスカがコルベットの横に並ぶ。

美鈴が満足げに頷き、マシンに乗りこむ。

 

ハコスカGT-R──しかもレース仕様のワークスマシン。

この国のプライドを今この場でぶつけるなら、おそらくこのマシンが最優だろう。

……咲夜なら、サバンナって言うかもしれねえけど。

 

バーンアウトの代わりに、両者サイドを引いたままアクセルを吹かす。

直6とV8──当時の日本とアメリカを象徴するエンジンレイアウトの戦いだ。

 

「ありがとよ、ヘカーティア。魅魔様にあんな泣き言言ってたらぶん殴られてたぜ。お前、優しいのな」

 

「いまさら気づいたの?鈍いのね。私はいつも優しくて素敵よ。だって地獄の女神様だから……っと、そろそろ信号が変わるわよ」

 

ヘカーティアの言葉を受けて、私は二台のマシンを見つめる。

 

……スカイライン党でR乗りの私がこれを言っちゃダメだとは思うが、勝負は火を見るより明らかだ。

あのハコスカは──負ける。

 

私が知りたいのは、チューナーとしての美鈴──そして、ドライバーとしての美鈴だ。

あのRを知るにはまず、美鈴の原点を知らなきゃ始まらない。

 

信号が青に──なるその直前、私は異変に気づく。

 

ハコスカはスタートを目前に回転数をアイドリングまで落としきった。

それに対し美鈴は、ハコスカよりワンテンポ遅くアクセルを抜いた──高回転から中回転を経て、低回転に至るその直前──

 

信号が青になると同時に二台が──いや、コルベットに一瞬遅れてハコスカが飛び出した。

ほぼ同時に見えるが、出足はコンマ数秒以下、コルベットの方が速かった。

 

加速性能、そして最高速──マシン性能でコルベットに勝てる要素はない以上、ハコスカの勝機はドライバーの技量差だったのだが──

 

勢いよくリアを沈みこませて加速するコルベット。

一度(まばた)きするだけで終わってしまう刹那の勝負だけど──美鈴の技量は桁違いだと、数メートルでわかってしまう。

 

クラッチミート、トラクションのかけ方──コルベットが変速している挙動は微塵も感じられない。

トラクションは途切れることなく──そして過不足なく最大限にかけられているのだとわかる。

 

そして──このロケットに点火したような加速。

私のRの全開よりも、おそらく美鈴のコルベットの方が速いだろう。

 

三十年前にそれを二駆で実現する技術──そして、扱いきるテクニック。

最高速の伸びはわからないが、あのコルベットなら現代でも立派な「ハイパフォーマンスカー」扱いだ。

 

コルベットが視界から消えた瞬間、私とヘカーティア以外の時間が止まる。

この夜の「記憶」はここまで、ということだろうか。

 

咲夜がいつも見ている「止まった世界」というのはこういう感じなんだろうか?

初めての体験を私が全身で考察していると、ヘカーティアがゆっくりと口を開く。

 

「……驚嘆すべき事実ね、これは。自分の目で見ないと、とても信じられないわ」

 

「ああ……C3コルベットって、たしか60年代のデビューだよな?私たちが生きる21世紀でも十分通用する加速だったぜ。美鈴の腕もハンパじゃない。霊夢は小排気量ローパワーの乗り手だったからわかんねえけど、霊夢より速いんじゃねえか?」

 

私の言葉を受けたヘカーティアは、かすかに首を横に振る。

 

「まあ……それもそうなんだけど、それ自体はそこまで驚きじゃないわ。旧車で未来の現行車並のパフォーマンスを出すドライバーは……博麗霊夢も例外じゃないでしょ?ちなみにC3自体はこの時代でもまだ現行車だけど、紅美鈴のマシンはアイアンバンパー……見た目通りなら73年より前の年式ね。でも元が大馬力大排気量のエンジンだから、あの加速もまあ、不可能じゃない。驚きなのは、アイドリングなのよ」

 

「アイドリング?私はアメ車には明るくないが……なんというか、一定の鼓動感があったよな。V8を神聖視するファンが多いのも、なんだかわかる気がするぜ」

 

ヘカーティアは私の言葉を聞き、その通りだと言わんばかりに頷く。

 

「そう、そこなのよ。ハイチューンエンジンって普通は高回転型になっていくの。だから低回転は切り捨てられて、アイドリングは不安定になっていく。スーパーチャージャーを使ってるとはいえ、あのパワーならエンジン自体も相当手を入れてるはずよ。なのに、アイドリングには一切の淀みがない。……恐るべき事実ね。"R.D.I."時代のマシンで既にこのレベルだったなんて」

 

「そうなのか?でも、クラウンピースの33Rも結構安定してたぜ?……あと、"R.D.I."ってなんだ?私のRのエンジンルームに『紅龍』と一緒に刻まれてたよな、たしか」

 

「あれは第二世代Rの600馬力……一応、RB26の設計で想定されてる範囲内のはずよ。それにあの子は乗りやすく仕上げるタイプのチューナーだから。実際、世に出回るハイチューンRの大半は、もっと不安定なアイドリングのはずよ。それだけ紅美鈴が『規格外』ってことね。……"R.D.I."については、クルマのなかで話しましょう。この夜はもう終わったみたいだし」

 

ヘカーティアはそう言うと、33Rを駐車した赤坂郵便局の方へ歩きだす。

こころなしか、ヘカーティアの纏う空気に鈍重なものを感じる。

 

私はその後に続きながら、33Rのキーを静かに見つめていた。

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