いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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アイデンティティ

赤坂郵便局の前に駐車した33Rに、私とヘカーティアは乗りこむ。

ドアが閉まると同時に、ヘカーティアが口を開いた。

 

「さて、と。それじゃかわいい運転手さん、次のエピソードに出発しましょうか。このまままっすぐ──国道246号を走ってちょうだい。用賀(ようが)から東名に乗るわよ」

 

「オーケー。東名って高速だよな、たしか。結構遠くまで行くのか?」

 

外界の高速は阪神しか私は走ったことがないが、東名って名前には覚えがある。

私が事故死した夜、早苗が「外界では東名で走ってた」って言ってたっけか。

 

「んー……首都高湾岸線全体の半分、冥界ハイウェイの全区間くらいかしら。──まあ、話すこともいくらかあるし……常識的なペースでいきましょう。いずれ首都高を制したいのなら、まずはこの街を知らなくちゃね」

 

お見通しってわけか。

湾岸線や冥界ハイウェイって名前を聞いて、すこし気持ちが昂ぶりかけていた私を、ヘカーティアがやんわりと制す。

 

クラッチとブレーキを踏み、一度深呼吸して──キーを回す。

あらためて耳を澄ますと、とんでもなく整ったアイドリングだ。

このクルマが600馬力ものパワーを秘めているなんて、一見してわかるやつはそう多くはないだろう。

 

発進──テンポよく2速、3速とギアを入れながら私は口を開く。

 

「うし、落ち着いたぜ。……にしても、次は東名か。美鈴はすぐに首都高ってわけじゃなかったんだな」

 

「そうねえ。この時代でもすでに『首都高族』はいたし、チューニングショップ自体もあるにはあったわ。……でも、本格的なチューニングブームの中心にいた人物たちのステージは、まだ首都高じゃなかったの」

 

「『紅龍レーシング』が元祖ってわけじゃないけど、ブームの火付け役にはなったって感じか」

 

私が言うと、ヘカーティアはこくりと頷く。

 

「そういうこと。1980年の青山ゼロヨン、そしてその頃には国産車のストリートチューンが谷田部(やたべ)*1で初の300km/hを達成してる。……300km/hは紅美鈴の記録じゃないけど、彼女なら青山ゼロヨンの時点で達成してたかもしれないわね。その流れのなかで、紅美鈴は積極的に雑誌に露出して『チューンド』の世界をマイナーすぎないところに引き上げた。チューニングが急速にビジネスとして成立し始めた、1980年代前半。その頃彼女がステージとしていたのが東名高速──いわゆる『東名レース』ね」

 

「へえ……高速ってことは、最高速系の走り屋だろ?いまの湾岸みたいな感じか」

 

「そうね。湾岸に最高速のステージが移る、その前夜……それが東名レース。青山ゼロヨンは私たちが見たあの夜を境に、取り締まりの激化で解散したの。その後の行き先はいくつかあったけれど、紅美鈴は東名を、河城にとりは峠とC1を主戦場にしていたみたいね」

 

……なんだか現実味がない話だ。

私はフロントガラス越しに群れをなして映りこむ「渋谷」の二文字を見つめる。

幻想郷で顔見知りだったやつらが、私の生まれるずっと前からこの東京(まち)で、いのちを燃やして速さを求めてた。

 

すれ違うクルマ、眠らない街と行き交う人々。

ここが東京──

 

「──公道の走りってさ、その街を知ることでもあるんだよな、きっと。ここは──この東京には、幻想郷とも大阪とも、違う秩序(ルール)がある。偽造免許で公道ぶっ飛ばしてる私が言えたことじゃないけどさ──この渋谷の街を見てると、なんとなくそう思うんだ」

 

私は渋谷の街をかっ飛んでいくタクシーを見つめながら、ヘカーティアに投げかける。

 

あのタクシーはこの街を隅々まで知っているのだろう。

でも私は鈴仙が言ってた「原宿」や、アリスが口にした「六本木」が、この渋谷から近いのか遠いのかすらわからない。

 

ヘカーティアはしばし沈黙した後、口を開く。

 

「そうねえ……それは走りの一面でもあるし、あなただけの正解かもしれない。あなたがそう感じたのなら、それをスピードのなかで問うてみること──魔法使いとは『探求者』であること。あなたは走り屋になる以前から、魔法使いだった。それなら、走りのなかで魔法使いの論理(ロジック)を大事にしてもバチは当たらないわ」

 

「走り屋になる以前から魔法使いだった」──ヘカーティアの言葉が、私のなかで仄暗(ほのぐら)い光を放つ。

 

私が魔法使いであるということ──それは霊夢にとって「博麗の巫女」であることと同じ──なのだろうか?

 

博麗の巫女は幻想郷が幻想郷として成り立つための「機関」だ。

私が魔法を使えなくても困るやつは少ない。

だけど、霊夢が巫女でなくなれば、幻想郷そのものが崩壊しかねない。

 

私は魔法が使えるだけの、人間としての「魔法使い」──種族そのものが「魔女」であるパチュリーやアリスとも根本的に異なる。

 

アリスやパチュリーが魔力を失えば、自分が自分として存在する根拠を失う。

だけど、私が魔力を失ってもただの人間になるだけ──表面的には渋谷の街を行き交う若者たちと何も変わらない。

 

「それって、アイデンティティ、ってやつなのかな──それは、誰かに必要とされたいって気持ちなのかな」

 

ヘカーティアは、何も言わずに耳を傾けている……

 

「私はさ、物心ついた頃から魔法使いってやつに憧れてたんだよ。でも、本気で魔法使いを志したのは、霊夢に出会ってからなんだ。──あいつが『博麗の巫女』で、そうして幻想郷中から必要とされることに対抗意識を燃やしたのかなっていまなら思う。『幻想郷に魔法使い霧雨魔理沙あり』って、思われたかったのかな」

 

走り始めたきっかけを私は振り返る。

スペルカードルールが初めて導入され、人妖が同じ土俵で戦えるようになった紅霧異変。

その異変で戦った紅魔館の連中から、クルマを教わったんだ。

 

「この世界で、私と本気で競い合った『人間』がいた。……ううん、『競い合う』なんて生ぬるい言葉じゃない。夜の支配者たる吸血鬼と知りながら、この私と『殺し合った』──300km/hオーバーの、互い以外の何もかもが止まって見える領域で──対等にいのちのやりとりをした人間がいた。その夜でなければ、その速度でなければ、わかり合えない人間がいたの。安全な昼の地に両足をつけて生きていけない、破滅を歌う夜の怪鳥に身を委ねることでしか、本当の意味で誰とも繋がることのできない人間が──でもその場所でなら、この私と、対等にわかり合えた人間がいたのよ」

 

──その場所の名前?

……「湾岸」。

いのちがきらめき、すべてをのみこむ「最速の夜」。

それが、首都高湾岸線──

 

レミリアはエリーゼの運転席で私にそう言った。

私が初めて『クルマ』を知った、助手席の夜──誰より紅く悲しげな瞳──

 

幻想郷の要として、親友として、霊夢と対等でいたい。

人間の魔法使いとして、種族魔女に並び立ちたい。

そして、手加減ナシの吸血鬼と渡り合いたい。

 

原点は魔法使い──そして走りの世界を経由して、私はふたたび魔法使いに立ち返る。

「霧雨魔理沙」に気づいていく──そういうことなのかな。

 

「──うし。ヘカーティア、何も言わないでくれ。お前なら答え出せてしまいそうだけどさ。これは自分で考えなくちゃいけない気がするんだ」

 

私が言うと、ヘカーティアはくすりと笑う。

 

「ふふ。最初から何も言うつもりなかったわよん。……あ、そこのインターね。とりあえず東名の下り──厚木まで乗ってちょうだい」

 

ヘカーティアの指示に従い、私は用賀の料金所入口へ舵を切った。

 

 

─────

────

───

──

 

 

「そうそう……三千回転くらいで、軽くブーストをかけていきましょう。回転数をキープしながら、前が詰まれば四千までにじませて、さっとかわす。ギアは固定して、アクセルだけで車速をコントロールしていくの」

 

東名高速下り──午前一時

 

私はヘカーティアの言う通りに、33Rを走らせていた。

最初は厚木までフルブーストで行こうとしたが、ヘカーティアにそれを制されたのだ。

いまは3速から6速──バックギアに入れなかったから気づかなかったが、クラウンピースの33Rは6速ミッションが組まれていた──のうち、ヘカーティアが指示したギアと回転数で巡航している。

 

「なあなあ、なんで変速しちゃだめなんだ?低回転のがたしかに燃費いいけどよ、かったるくないか?」

 

「うん?それはね、あなたにこのRをなじませるためよ。高速道路ではとりあえず、高段ギア低回転でまわりの流れに合わせていく。そうやってゆっくり自分のテンポとRのテンポを『開いて』いくの。人間関係と一緒よ。いきなりあれもこれも、っていくと居心地が悪いでしょ?」

 

「うーん……わかるような、わからんような……でも、こうして巡航しても心地良いのはやっぱり『スカイライン』ってことなんだよな」

 

スカイラインといえばGT-R、とはよく言うけど、私はすこし違うように感じる。

GT-Rといえばスカイライン──スカイラインがあってのGT-Rなんじゃないか、って。

 

スカイラインの素性の良さがあったから、GT-Rが成立した──私はそう思ってる。

もっともそれは、私がGT-Rより先にスカイラインそのもののファンになったからかもしれないけれど。

でも私は、「スカイライン」こそが第二世代Rのアイデンティティだと思ってる。

 

だから私は、R32型スカイラインGT-Rのこと「だけ」を「R32」とは呼ばない。

私はGT-Rだけを区別するときは「32R」と呼ぶし、「R32」と呼ぶときはGT-R以外のスカイラインも全部ひっくるめてる。

 

それは私にとって、スカイラインとGT-Rそれぞれをリスペクトしている、という意思表示だ。

 

私は32Rを思い浮かべたとき、さっき聞きそびれたことを思い出す。

 

「あっ、そういえばよ。あの"R.D.I."ってなんのことだったんだ?私の32Rに刻まれてた刻印だよな」

 

「ああ、そういえば話し忘れてたわね。厚木までまだあるし、その間に済ませましょうか。厚木からは多分こんなこと話す余裕ないし」

 

ヘカーティアは意味深な一言を残し、浄玻璃の鏡を開く。

 

「えっといまは……1983年。もう東名レースも末期近くか。"R.D.I."──"Red Dragon Industries"の物語はそれから十年以上前、1970年代のアメリカ東海岸・ニューヨークから始まったの。紅美鈴の、チューナーとしての原点よ」

*1
日本自動車研究所の最高速テストコースのこと。最大角度45度のバンクを持つオーバルコース。「谷田部記録」は「筑波サーキットのラップタイム(ツクバ1分切り)」と合わせ、チューニング全盛期の「速さの指標」となっていた。市販車でいう「ニュルブルクリンクのラップタイム」に近い感覚だろうか。2005年3月に廃止され、城里テストセンターに役目を引き継いだ。

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