ピリリリ……ピリリリ……
車内に電子音が響き渡ったのは、東京料金所を通過したあたりのことだった。
マシンの警告音だろうかと私は三連メーターをちらりと見るが、特に異常はない。
そうしていると、ヘカーティアが浄玻璃の鏡を取り出す。
「……あら?電話……純狐からだわ。ちょっと出るわね……もしもし?」
……お前、やっぱりそれ携帯電話なんじゃねえのか?
そのうち「写メ」とか言い出すんじゃないだろうな──そう言いたい気持ちを抑えながら、私は淡々とRを走らせる。
……「写メ」は鈴仙が言ってただけで、具体的に何のことか私は知らないけど。
水温、油温、異常ナシ──東名でかなり回してたっていうのに、Rは平然とした顔だ。
雑誌のインタビューで、とあるチューナーが言ってた通りだ──「プロが仕上げたチューンドにとって、全開走行は負荷なんかじゃない」。
これが本物の実戦マシン──それを駆って首都高に上がる高揚感。
こころが震えるぜ──そう思っていると、ヘカーティアは電話を切った後周囲のクルマを確認し、神妙な顔で口を開く。
「……本当だわ。たしかに『シーマが走ってる』。魔理沙、一旦用賀PAに入って純狐と合流するわよ。用賀料金所のあたりに案内が出てるから、左レーンに寄るようにね」
シーマっていうと、「セド・グロ」*1の系譜か。
……前方にはS13もいるな。
やっぱり私は日産ラブだぜ。
「おー、りょーかいだぜ。見ろよヘカーティア、S13もいるぜ。やっぱりこの時代の日産車は世界一だな。901運動*2は伊達じゃない、ってか」
「……まさにそこが問題なのよねん。とりあえず用賀まで駆け足でいきましょうか」
何が問題なのかわからんが……私でも知ってるクルマが増えてきたのは楽しい。
問題なんてものは用賀に着いてから考えればいいのだ──130km/h前後で私は東名高速をクルーズしていく。
──あれは、初代インプレッサか。
それに、三菱・GTO。
GTOは外界でもあまりお目にかかれないから眼福だぜ。
そう思っていると、後ろから轟音が迫ってくる──近づいてるのは一台じゃない。
ロータリーと──これはVTECか?
特徴的なエキゾーストノートが絡み合う──FDとNSXか。
バトルモードだろうか、私も混ぜてもらおうか考えていると──こいつはわかるぜ、RBだ──シルバーの33Rがその後を追い上げている。
どうやら三つ巴のバトルだったらしい。
そこまで考えて、私ははたと我に返る。
33Rのデビューは1995年のはずだ──ということは……
「なあ、ヘカーティア……いまって『いつ』なんだ?」
「……気づいた?私もずっと『時計』を確認してたんだけど、『計測不能』になっちゃってるわ。車種からして90年代後半だけど、正直曖昧ね」
「まじかよ。随分飛んだけど、その間って何もなかったのか?そのあたりって、スポーツカーとチューニングは全盛期だろ?一番『濃い』時期な気がするんだけどな」
私が言うと、ヘカーティアは大きくため息をつく。
横目で見た限りだからなんとも言えないが、こいつがこんなに疲れた顔するって、あんまりにも「らしくない」気がする。
「……詳しいことは用賀で話すわ。とりあえず、事故らずにね」
ヘカーティアはそう言うと、眉間にシワを寄せながら浄玻璃の鏡のテンキーをいじり始めた──
─────
「おっ、いたいた」
やっぱりランボルギーニは目立つぜ。
イエローのディアブロ・SVロードスターの隣に33Rを停め、私は降車する。
こういう
……私は32が一番だけど、やっぱり33もカッコいいぜ。
ミッドナイトパープルのボディは都会の夜景によく映えるし、これぞ首都高チューンって風格だ。
私がほくほくと二台のマシンを眺めていると、純狐がこちらにやってくる。
「こんばんは、魔理沙。無事にここまで来れたみたいね。コーヒーとコーラ、どっちがいい?」
「おう、純狐。その二択ならコーヒーかな。炭酸はもう十分飲んだし」
「そう言うと思って、コーヒー2本とコーラ1本買っておいたの。はい、どうぞ」
サンキュー、純狐──私は礼を言ってプルタブを引き上げる。
缶コーヒーを飲むと、霊夢と環状に上がった
冥界ハイウェイみたいにおしるこは売ってなかったから、阪神高速ではいつも缶コーヒーだったのだ。
……あいつ、私が死んでからも環状に上がってるんだろうか。
「役割」とやらを果たしているんだろうか──環状の素敵な巫女は、あのループに一体なにを求められているんだろう──
「にしても、百円玉は便利よね。ここ五十年くらいデザインが変わってないから、時代気にせず自販機で使えるし。……魔理沙、どうだった?『どこまで』見てきたの?」
缶コーヒーのプルタブを引き上げながら、純狐が私に問いかける。
「あっ……ああ、すまん、ボーッとしてたみたいだ。そうだな……青山ゼロヨンから東名レースだから、1980年代前半ってくらいか。……なあ、いまって『いつ』なんだ?ヘカーティアは90年代後半くらいらしい、って言ってたんだけどよ」
「うーん……私も同意見だけど、このあたりヘカーティアに聞いたほうがよさそうね。ヘカーティア!降りてきなさいよ!コーラ買ってあるわよ」
純狐はそう言って、33Rの助手席側窓ガラスをコツコツと叩く。
降りてきたヘカーティアの顔は悩ましげだ。
こめかみを押さえながら、コーラの缶を受け取り口を開く。
「ありがと、純狐。……よかった、コーク*3ね。出先でドクターペッパーを望むのは無茶よね、日本じゃやっぱ」
「あなたはコークで、クラウンピースはペプシでしょ?付き合いも長いからいい加減覚えたわ。それで?結局いまどうなってるの?」
「ちょっと待ってね……」
純狐に問われたヘカーティアは、コーラを一口飲んで深呼吸する。
そうして、私たちにいまの状況を説明し始めた。
ヘカーティア曰く──
ここは80年代後半から90年代後半が複雑に絡み合っていて、特定の時間地点は定義できない。
「記憶」へのアクセスが制限されている。
この時代のエピソードは以下の通り……
紅龍レーシングは89年の32Rデビューを機にRB26チューンへ。
90年代前半に32Rでは業界初となる谷田部200マイル*4・ツクバ1分切りを達成。
97年12月18日の東京湾アクアライン開通初日に、80スープラで200マイルアタック。
RB・2Jチューンにおいて無類の強さを見せつけた。
ルナティック・パワーは89年以降90年代にかけ、第二世代Rのワークスマシンを製作。
首都高・阪神環状「以外」の各地の都市高速でゲリラ的にタイムアタックを行う。
99年7月31日深夜から8月1日未明にかけ、33Rを首都高に投入。
「ノストラダムス・アタック」と称し、最初で最後となる首都高タイムアタックを敢行。
──とのこと。
「ふうん……大体はわかったぜ。でも、なんでクラウンピースは首都高と阪神環状に上がらなかったんだ?高速ステージの二大巨頭だろ?ショップとして名を売るなら真っ先に狙うとこじゃないか?」
「まさにその『二大巨頭』が問題なのよ。そして、『記憶』にアクセス制限がかかってるのも同じ理由ね。1988年……第二世代GT-Rがデビューする、その前夜。この数字にピンとくる?」
1988年?
私は外界の事情には疎いし、元号とやらが「平成」に変わる前年としかわからない。
多分それは関係ないだろう。
私が首を横に振ると、純狐が代わりに口を開く。
「……第二次交通戦争。そうでしょ?ヘカーティア」
第二次交通戦争?
クルマ同士で戦争でもしてたのか?
初めて聞く単語に私がポカンとしていると、ヘカーティアが静かに頷く。
どうやら当たりだったらしい。
「その通り。第二次交通戦争っていうのは、当時の交通事故死者数が一万人を突破した状況を指す言葉ね。……交通事故の死者数は、1980年を境に増加に転じたの。*5それは走り屋って存在と無関係ではないわ」
それは……そうだろう。
東名レースの熱狂ぶり──高速道路上ですらギャラリーが溢れかえる状況──現代では考えられない景色だ。
ある意味では、走り屋の楽園。
しかし、その裏に積み重なった死者数──その事実を知って、私はなお「楽園」と言えるだろうか?
「死者数の増加は、走りのボルテージが上がったことと同義──そのピークを迎えた1988年の翌年にデビューしたR32型スカイラインGT-R。その鮮烈なデビューは、すべての走り屋にひとつの問いを突きつけた──『Rか、それともR以外か』。その後は──推して知るべし。Rの速さにサメて、走りから降りた者はたくさんいたわ。でも、Rに乗り換えた者は──後戻りできなくなっていった。異次元の速さ、公道200マイルを確実に実現する、ただひとつの手段──それがチューンドR」
ヘカーティアはコーラの缶に口をつけ、なお続ける。
「誰もが降りられなくなっていく。Rに乗り換えた者は速さに取り憑かれ──乗り換えなかった者はそのリアバッジを追うことにすべてを捧げた。クルマが、スカイラインが、GT-Rが──そしてチューンドが。どれだけ好きだったとしても、引き換えにした『現実』に人は絶望する。手の中に残るのは『速さ』だけ──そしてRが約束することもまた、速さだけ。……クラウンピースが首都高と阪神環状に上がらなかったのは、そういうこと」
「そうよね……正直、あの頃のクラウンピースは見てられなかったわ。魔理沙、あの時代の首都高と阪神環状は、『戦場』以外の何物でもなかったわ。89年──平成元年の前後は、環状族の全盛期でもあったの。あなたの冥界ハイウェイでの死亡事故みたいなことが、ほぼ毎週のように起きていたわ──首都高と、阪神環状で」
純狐はじっと私の目を見つめて、そう言った。
その瞳はなにかを問おうとしているというより──ただひたすらに、そして静かに訴えかけるようだった──叶うならば、ここで降りてほしい──そしてそれが叶わないからこそ、口にしないのだ、と──
「そう……そうね、純狐。あの時代は『地獄』でしかなかった。……魔理沙。クラウンピースってね、第二世代Rがデビューするまで日本車に興味を持ったことはなかったの。その国の
「そうそう……ヘカーティアの言う通りね。あの子はただ、何よりも自由で何よりも速いクルマを、その国のステージでつくりたかったの。だからあの子が、魔理沙を気に入ったのもわかる気がする。自由な速さを求めて公道にこだわる姿勢、公道の走りの罪深さから目を逸らしたいと思う素直さ、しかしけして目を逸らさないしなやかさ……そしてなにより、チューンドRに震えるこころ──」
ヘカーティアと純狐の言葉を聞いて、私は33Rのボンネットを撫でる。
──クラウンピースは、このミッドナイトパープルのボディを通して、夜に何を見てきたのだろう。
──クラウンピースはチューンドRとともに、一体いくつの夜のなかに、歓喜と絶望を見出したのだろう。
こんなチューンドRを──400馬力のRも扱えずに事故死した私に預けたクラウンピース。
それだけ私に期待してるのだろうか?──クラウンピースは──そしてヘカーティアと、純狐は。
知り合ったばかりなのに──これは時間の問題ではない、そういうことなんだろうか。
「クラウンピースは……死なせないために、首都高と環状には上がらなかったのかな。33Rに乗って、思うんだ──私はGT-Rが、チューンドRが、こんなに乗り手を大事にしてくれるクルマだって知らなかった。Rのチューニングを通して、チューナー・クラウンピースが見える気がする……」
私の呟きに純狐が首肯し、口を開く。
「──だからルナティック・パワーは、ワークスマシンで首都高と阪神環状を攻めることだけはご法度にしたの。公道の主戦場が、走り屋の少ない北九州や福岡、名古屋高速あたりだったのはそういうことね。首都高は99年の非公式タイムトライアル『ノストラダムス・アタック』一回きり──そのアタックも、ほとんど知られてないはずよ。そうよね?ヘカーティア」
「その通りよ。……80年代後半から90年代後半──紅龍レーシングはこの時代から相当の死者数を出し始めたはずよ。『客の香典で青山にビルが建つ』──誰が言ったか、紅龍レーシングを皮肉った言葉ね。……一応言っておくと、紅龍に限った話ではないわ。こんな言い方は好きじゃないけど、『そういう時代』だったの。……さて」
ヘカーティアはそう言うと、身体ごと私の方に向き直る。
「先に言っておくわ。この先は『地獄の一丁目』──何が待ち受けているかわからない。この80年代後半から90年代──そしてレミリア・スカーレットが走った2000年代前半に関しては、おびただしいほどの死者数のせいで、私の権限を持ってしても記憶へのアクセスが制限されてるの。あえて『上がるか否か』は問わないわ。──準備はOK?」
私は33Rのキーを握りしめる──いつからだろう、これが私にとってひとつの儀式になったのは。
導いてくれ、GT-R──お前は私の羅針盤だ。
混迷の時代にあってなお、お前の輝きは失われないと、私は信じてる──
「上等。いつでも走り出す準備はできてるぜ。私はR乗りで魔法使い──地獄だろうがなんだろうが、知らずにいられるかってんだ──」
近々第五部に入るかもしれません
次話からかもっと先からかは未定です