しばらくペースゆっくりになるかもですが、ゆるりお願いします。
思い返すと、あの頃から「彼」は何も変わらなかった。
しかし、その繊細かつ緊密なバランスの上に成り立つ破滅性は、たしかにあの頃から存在していたのだ。
彼という一人の夜、その存在と私はこの頃に接触している。
それは、新車価格500万の32Rが、R33へのモデルチェンジでこなれた中古車価格になった頃の話だ。
32Rであれば、若い子でも手が出せる値段に落ち着いて、首都高はすっかりR一色。
それなりの程度の個体なら、シルビアの新車とさして変わらない値段だった時代。
当然チューニングをやるならR……FRにこだわるなら、80スープラ。
Z32のVG、FDのRE、シルビアのSR……ポルシェは例外として、
はっきりいえば、オールラウンドに首都高の空中戦を戦い抜けるのはもはやRだけだった。
猫も杓子もR、R……GT-R……
速さに妥協の余地はなく、こだわりはただのバラスト*1にすぎない。
誰が乗ってもそれなりに速く──乗り手を限定するほど追い込んでも、Rだけはチューニングという行為に応え続ける。
そんなGT-R全盛の時代に、RX-7にこだわる若者がいた。
それも型落ちのFC3S……13B-TにC7タービン、500馬力仕様。
そして、あの頃から変わらないボディカラー──ブリリアントブラック。
80年代なら大したものだが、あの頃ならFCもC7も、REも500馬力も──そしてRX-7というパッケージ自体がもはや時代遅れの代物だ。
80スープラ、FD、NSX……各社が投じたフラッグシップは数あれど、32Rが登場してからはすべてが時代遅れ、妥協の選択になったと言わざるを得ない。
峠ならシルビアや180SXもアリだし、ランエボ・インプは最高だろうけど……首都高ならGT-R。
Rか、それ以外か──ただそれだけ。
GT-R以外を選ぶということは、それだけの不利を負うということ──「好きだから」その言葉すら、スピードへの背信なのだ。
しかし、そのブリリアントブラックのFCは、またたく間に首都高C1の制空権を奪取──Rキラーのニューフェイスとして存在感を示す。
GT-R以外のマシンが話題にあがることはそうそうなかった時代、『あの頃』を共有した者なら、誰もが記憶していることだろう。
あらゆる走り屋とショップがそのFCを狙った。
特に、R以外のマシンを駆る者の大半は……
それは、シルバーのZ31も例外ではなかった。
──紅美鈴の日誌より引用。
─────
「いくぜ!赤坂ストレート──オーバーテイク──」
霞のトンネル出口で、私は車体を左に振り出す。
緩い間隙を伴って、後輪が操舵に応答する。
踏める足回り──わずかなラグが心地よく、ラグゆえにシームレスだと感じられる。
シャシのダルさが気持ちに余裕を与えてくれる──タイトなC1で33Rを再評価することになるとは、思いもしなかった。
アクセルをにじませ、ブーストをON──Zのボンネットと私のフルバケットシートが並んだ──
そのままパス──ポジションが入れ替わる。
谷町の緩い左カーブが鋭く迫る。
メーターは──200km/hくらいか?
さっきまではほとんどストレートだったはずなのに、いまは峠の高速コーナーと同じくらいの曲率に感じられる。
左車線には一般車──右車線のZとの距離は十分──33Rを旋回姿勢へ──
手首を柔らかくしならせながら、アクセルワークでアテーサのバランスを意識する。
前輪を「おいしく」駆動させるのがキモだ──
谷町をクリアして、飯倉の短いストレート──そのとき、右のサイドミラーに影が映りこむ──
「──はあ⁉」
突然右に現れた機影に、私はたまらずアクセルを抜く──ステアリングをこじらなかったのは実戦経験の賜物か。
コーナーを立ち上がって安定姿勢に入ったあと、さあ踏んでいくぞと呼吸のリズムを整える一瞬──間違いなく「わかってる」奴のパッシングだ。
怒りや驚きよりも、「やられた」という感情しか残らない。
私の前に出ると同時に、そのマシンのテールランプが真っ赤に輝く。
ライトを点灯したらしい。
あのテールランプは──そして、あの色とステッカーは───
「……咲夜?」
後期型テール、ブリリアントブラックのFC3S……しかもアンフィニ*2だ。
咲夜のFCはクリスタルホワイトだが、たしか最初はブリリアントブラックだったはず。
でも、それ以上に──パッシングの鮮やかさというか──空気感、波長──そういうものが重なる。
あの銀髪メイドのFCと、どこか重なるものがある。
「あら、知り合い?」
私の戸惑ったような声に、ヘカーティアが反応する。
「いや……多分違う。私と歳はあんまり変わんねえからさ。『いま』が90年代後半なら、年齢合わねえんだよ。でも、アンフィニってたしか台数限られてるよな?」
「たしか累計で3000台くらいかしらね。でも、その子のFCが中古ならありえない話じゃないわ。いま目の前にいるFCが、前のオーナー……とか」
「……かもな。にしても、霊夢と咲夜以外にあんなイカれた走りをするやつがいるなんて」
私はこの「記憶」の仕様を振り返る。
「記憶」はあくまでも過去の再現──私の主観に違和感がないように他のあれそれは動作するが、私はこの場所に存在しない。
江戸橋JCTからZ31が加速したのはおそらく、無灯火で迫るFCに気づいたから。
FCが飯倉でライトを点灯したのは、パッシングして引き離す準備ができたからだろう。
……全開で走っておきながらここまで存在を悟らせないなんて。
「ヘカーティア──FCがライトを消していた理由って──」
「ええ、一番の理由はおそらく空力でしょうね。その証拠に、あのFCサイドミラーも畳んでたし。C1なら無灯火でも走れないことはないけど……普通はフォグで代用するか、スリーク化*3するわね」
「だよな。あそこまでやりそうなやつっていうと……私は霊夢くらいしか思いつかないぜ」
サイドミラーを閉じて、かつ無灯火でC1を全開走行──イカれっぷりは霊夢と同程度。
そして気配を悟らせず、他者にストレスをかけずにパッシングするスタイルは咲夜にそっくりだ。
初めて遭遇する走りなのに、私にとってひどく懐かしい。
でも──このアンバランスさはなんだ?
テクニックもマシンも一流──FCの走りはケチのつけようがないほど整ってる。
だけど同時に「破綻」している。
震えている──それは、FCが?それとも、乗り手が?
FCの発する空気は、静かなおぞましさを秘めている──すくなくとも、私はそう感じた。
仄暗い水底、深淵をのぞきこむような──そして、その水底に嵐が沈んでいると確信するような──
Zが私を猛追し、テール・トゥ・ノーズに迫る。
先頭のFCは私たちを振り切るわけではなく──どうやらリードするつもりらしい。
一ノ橋JCTを通過し、この先は芝公園の二連S字区間──そして浜崎橋JCT。
突如三つ巴となってしまったバトル──夜の潮目が変わったと、私は確信する。
──やがて、嵐になる。