いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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冷たい手の持ち主は

東京メトロ銀座線──「サクヤ」は知らないが、「咲夜」としては初めて経験する地下鉄。

 

紅魔館の外界の買い出しはすべてクルマだったから、私にとって電車というものは興味深い存在だ。

「なんで私が東大に!?」というフレーズの下で満面の笑みを浮かべる、私と同い年くらいらしい女の子の顔を見つめていると、隣のアリスが口を開いた。

 

「夕食にはまだちょっと早いかしら。咲夜、あなた起きたの夕方頃でしょ?」

 

その言葉を受け、私もジーンズのポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開く。

 

時間は、午後6時──夕方に起きて軽く食事をした私には、アリスの言う通りまだすこし早い。

 

「そうだね。あと……二時間後とかの方がいいかも。アリス、どうしよっか。銀座って時間潰すところとかある?」

 

さっき思い出したが、銀座はC1が通っている──70スープラと遭遇した*1ところだ。

逆に、私は銀座についてそれ以上のことは知らない。

 

70のドライバーの顔面を内心で振り払っていると、問われたアリスはくすりと笑った。

 

「……いまの、笑うとこあった?」

 

私がじとりとアリスの方を見ると、アリスは「ごめんなさいね」と前置きしながら、理由を説明してくれる。

 

「外界の日本人なら、銀座を知らない人はいないわ。ショッピング、カルチャー……いまでこそ新宿や渋谷も勢いがあるけど、昔は銀座がそれらの中心だったの。言ってしまえば、すべてとは言わずともなんでもあるところかしらね。……せっかくだし、百貨店に行きましょうか。銀座……いや、日本橋がいいかしらね」

 

ドア上部に備えつけられた路線図を見つめて、アリスは言う。

同時に、車内スピーカーが「次は虎ノ門」とアナウンスする。

 

「東京は『橋』ってつく地名が多いんだね、アリス。降りるのは日本橋?」

 

「東京は河川交通が発達していた都市だから。C1の銀座区間に橋脚があったりアップダウンしてたりするのは、その名残よ。……日本橋でもいいけど、三越前で降りましょうか。直接入れるし」

 

私はアリスの言葉に頷きながら、頭の中では別のことを考えていた。

 

私は霧の湖が好きだ。

冥界ハイウェイを走るようになってからも、同じくらいレイクサイド・パークウェイを走っていた。

ひとしきり走ってから、湖面に揺れる月光を見つめる──お嬢様にも言ったことはないが、一人で過ごすその時間は、私にとってなぜか特別なものだった。

 

ロータリーサウンドの残響、焼けたタイヤとガソリンのにおい──走りの残滓(ざんし)が、月光をすべり落ち、湖面にとけきってしまうまで。

それは目に見えるものではないけれど、私は「とけきった」と思えるまで、FCにもたれて湖を見つめていた──誰も知らない、十六夜咲夜のルーティン。

 

私が水辺を好むのは──それは、このエリアで生まれ育ったらしい私の──「サクヤ」の記憶に由来するものだったのかもしれないと、いま私は思う。

 

私の中にはいま、「咲夜」と「サクヤ」──同一であり異質な二人が同居している。

それを思う私が「どっち」なのか、私にはまだ、わからない。

 

でも、それは「まだ」なのだ──私には、それを解き明かす意思がある。それを受け入れる意思がある。

 

地下鉄の車両が減速し、新橋駅のホームで停車する。

老若男女問わず、様々な人々が開かれたドアから降りていく。

私はその中の一人、赤いスカートが目を引くすこし歳上らしい女性の背中に、その気持ちをそっと預けた。

 

それは、私しか知らない──アリスも、その女性も、他の誰も知らない──小さな秘密。

私のそんな小さな秘密は、東京の雑踏のなかで、一瞬のうちに消えていくのだろう。

 

いま預けられた問いは、あの女性が新橋駅の改札を通るまでの間に、ささやかな泡沫(うたかた)のように消えて──そうしていつかこの東京で、答えを見つけられる私になった頃、再び私の前に現れる。

 

すべては出会うべくして出会う──私はこの東京に、そしてはるか頭上にあるだろう首都高に、そんな確信めいた予感を抱いていた。

 

 

─────

 

 

「おいしかったね、アリス。お嬢様にも食べてもらいたいくらい」

 

私はアリスにそう言いながら、さっき食べた寿司のことを振り返っていた。

 

味も良かったが、カウンター越しにコミュニケーションをとり、調理しながらサーブする形式は私にとって新鮮だった。

お嬢様の反応を見ながら食事を提供できるのは良い──紅魔館でも取り入れられるだろうか。

 

「そうね。幻想郷では生魚は貴重だから、外界に出ると私はいつも寿司屋に来ちゃうの。ちなみに、レミリアはあの店の常連よ?今夜も、レミリア・スカーレットの名前を出したから予約なしで入れたんだし」

 

「そうなんだ。……ねえ、アリス。お嬢様ってひょっとして、かなりすごい人?いや、お嬢様が高貴な方であることを疑ってるわけじゃないんだけど、外界での存在感って意味で。外界は妖怪が生きづらいって、さっき古明地姉妹の話になったとき言ってたし」

 

私がおずおずと問うと、アリスは一瞬呆けた顔になったあと、「得心いった」という顔で頷いた。

 

「……レミリアはあくまで、『家族』としてあなたに接していたってことね。レミリアが外界で貿易会社を経営してるのは知ってるでしょう?」

 

それは知っていると、私は頷く。

スカーレット貿易──英国・イタリア車……あとはたしか、香辛料や茶葉、家具の輸入販売がメインだったはずだ。

 

「スカーレット貿易は、外界で国際ビジネスに関わってる人間なら知らない人はいないような会社よ。本社がある神戸では、街を代表する大企業の一角ね。レミリア自身は影のオーナーとして関わってるけど、主要国の政財界の重鎮ならレミリア・スカーレットとの繋がりは喉から手が出るほど欲しいもの……外界の人間なら、これ一つでレミリアがどういう地位の人物かわかるわ」

 

そう言ってアリスはバッグから一枚のカードを取り出す。

プラスチック製の黒いカード──兵士の横顔が刻まれているそれは、先ほどアリスが寿司屋の支払いで使っていたものだ。

 

「このカードを持てるのは、外界でもほんの一握り──それは個人として持てる最大の財を築いたことの証明とも言えるわ。実際、あの道玄坂のマンションくらいなら、咲夜──あなたがちょっとお願いすればレミリアは簡単に与えられてしまう。それも一つとは言わず、ダースで。──でもね」

 

アリスはそこで言葉を切り、私の手を取る。

すこしだけ体温の低い、アリスの華奢な手──イギリスにはたしか"Cold hands, warm heart"──「冷たい手の人は、こころが温かい」という言葉があった気がすると、私は頭の片隅で思い出す。

 

「でもね──レミリアは、そんな財産なんてどうだってよかったのよ。……詳しくは省くけど、レミリアのここ数百年間はずっと『スカーレット家再興』のために捧げられてきたの。それこそ、首都高で走りの世界に出会うまで──そしてあなたを紅魔館に迎え入れるまでの間、ずっと。スカーレット貿易はたしかに世界的な影響力を持つ企業だけど……それはスカーレット再興の流れの中で、スカーレットに力を貸してくれた人々の生活を守るため。実際のところ、レミリアは受け取った報酬の大半を、ルーマニアの孤児院に寄付しているわ」

 

「そんなの、私──」

 

知らなかった──私が立ちどまってそう言いかけたところで、アリスが振り向き、私の唇に指を当てる。

マロニエ通りを行き交う人々が一瞬だけ、何ごとかとこちらを振り向くけれど──アリスは気にもとめない。

まるで時の止まった世界で、私が一人、人目を気にせず振る舞うように。

 

アリスのブルーの瞳に私の輪郭が映りこみ──ゆっくりととけていく──とけて、とけて──とけきった頃、アリスは静かに口を開いた。

凍った時間が、アリスの優しい声で水となって──ふたたび流れだす。

 

「──知らなくていいことなのよ、咲夜。むしろ、レミリアはそんなこと、あなたには知らないままでいてほしいんだと思うわ。火曜日のサスペンス番組をこっそり楽しみにしていて、ときどきワインを飲みすぎて美鈴の頭をぺちぺち叩く──そんな等身大の自分を、あなたに見ていてほしいのよ。──レミリアにとってはね、この銀座そのものすら手に入れられる財産なんかより、咲夜──あなたの方がずっと重いの」

 

私の方がずっと重い──もしそれが本当ならば、これ以上嬉しいことはないけれど──

 

私は、夜に踏み出す、夜を知ると決めてから、迷っていたことをアリスに打ち明けた。

 

「ねえ、アリス。私は──夜を知りたいの。お嬢様が見てきた首都高の夜を──知りたいと思う。でも、それは一歩間違えばいのちをあっさり落とす──アスファルトの戦場。私は、私を知りたくて、お嬢様を知りたくて、首都高に上がろうとしてる」

 

私は一度言葉を切って、続ける。

英語ならば軽いと思えるのに、日本語だとこの二音がとても重たいのは、どうしてなんだろう──そう思いながら──

 

「──愛だと思うの。お嬢様は、知らないままでいることをゆるしてくれた。そして知られず等身大の自分で振る舞おうとしてる。知れば私は──いままでの私なら、もっと格式張って、従者の距離感に徹してしまうから。だから──お嬢様のそれは愛だと、私は思うの。それが愛のすべてか私は知らないけれど、愛のカタチのひとつだと、私は思う」

 

舌が絡まりながら、息はまるで低回転でシャクるロータリーのように──それでもアリスは、黙って私の言葉に耳を傾けてくれている。

 

「それでも私は──知りたい。私を知って、お嬢様を知って──そしてすべてを受け入れたいの。──アリス、私は霧の湖が好きなの。水面の静謐にすべてがとけていく、あの湖が好き。だから、アリスの瞳も、私は好きなの」

 

私は何を言っているんだ。

頭も心もぐちゃぐちゃで、言葉が全然まとまらない──こんなんじゃ、紅魔館のメイド長失格だ。

泣きだしたい気持ちと裏腹に、言葉はとめどなく溢れつづける。

 

「ねえアリス──私の知りたい気持ちはお嬢様の意に反していて、その気持ちが生む行動は、私を死の淵へと突き動かしてる。アリス──これは、愛なのかな──これもまた、ひとつの愛のカタチって、言えるのかな──」

 

教えてよ、アリス──そう言いかけて、私はなんとか踏みとどまる。

アリスにはきっと、全部バレてるんだろうけど。

 

その証拠に、私が言葉を区切ったところでアリスは静かに頷いた。

すこしだけ間をおいて、口を開く──なんだかいたずらっぽい瞳で。

真面目で優しいアリスが、滅多に見せない瞳──

 

「──いいものね。これが思春期、反抗期ってやつかしら」

 

想定外のコメントに私が「えっ?」と呟くのをよそに、アリスは続ける。

 

「にしても、咲夜が私の瞳にそんなこと思ってたなんて……チャームポイントって自覚はあったけど、あらためて言われると恥ずかしいわ」

 

顔をパタパタとあおぎながら、アリスはニヤニヤしながら私に言う。

……なんだか魔理沙みたいで腹立つからやめてほしい。

それとも魔女っていうのはみんなこんななのだろうか?

 

「……もうアリス嫌い。いま嫌いになったから」

 

もちろん、嘘だ。

むくれながら私がスタスタ歩きだすと、「冗談よ」と言いながらアリスが追いかけてくる。

 

「ごめんなさいね。お詫びにケーキ買ってあげるから」

 

「……紅茶も。茶葉も買って」

 

寿司の後にケーキというのは魅力的だが、ケーキひとつで機嫌を直すなんて、なんだか小娘という感じがして気に入らない。

だからついでに茶葉もねだる。

マンションの部屋には紅茶の類はなかったし。

 

「はいはい。仰せのままに、お嬢様。この近くに遅くまでやってる店があるから、そこで買いましょう。私のお気に入りでね、紅茶に合うケーキがコンセプトなのよ」

 

「『はい』は一回」と言いながら、私はアリスと手を繋いだ。

子供っぽい気がするが、今夜くらいはいいだろう。

 

マロニエ通りをゆく私たち──そして、アリスの冷たい手。

 

──お嬢様の手は、もっと、冷たい。

*1
第二部『はじまりの場所』

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