「午前一時……どうする?咲夜」
ケーキを食べ終え、紅茶が二杯目になった頃。
話題が一区切りしたところで、アリスが掛け時計を見て私に問うた。
「それは、もう寝るか──それとも──」
私はテーブルの上の、さっきまでモンブランが載っていた皿を見つめ、そして玄関の──靴箱の上に置かれた鍵入れをちらりと見て、言葉をつなぐ。
「──『上がる』か、ってこと?」
私が「それ、大人の言うこと?」という若干の非難を目線にこめながら問い返すと、アリスは苦笑する。
「まあ……深夜徘徊を勧めるのは大人のやることじゃないわよね。でも、いま私たちが渋谷にいる理由を考えたら、そんなにおかしなことじゃない……そうでしょう?」
「冗談だよ、アリス。……OK、私まだ眠くないし。お皿、片づけてくるね」
私が立ち上がると、アリスは「大丈夫」と言いながら人形を呼び出す──見たことのない人形だ。
金色のボタンが縦に並んだ赤い上衣に、黒いズボン。
その人形は何やら黒くてモコモコした帽子を目深にかぶっていて、腰にはサーベルを
テーブルに着地した人形は私の方を向いてサーベルを抜き、眼前に構えて右下に向かって振り下ろし、ふたたびサーベルを腰に戻した。
どうやら敬礼のつもりらしい。
「……
私が当てずっぽうに名前を呟くと、アリスは小さく驚きの声を上げる。
「あら、この子見せたことあったかしら。新作だし、お披露目するのは多分初めてなのだけど」
「初めてだよ。見た目と仕草的にロンドンの衛兵みたいだったから、多分そうだろうなって。アリスの人形、いつも都市の名前だから」
「……私のネーミングが安直なことを悲しむべきか、あなたがきちんと勉強してることを喜ぶべきか、悩むところね」
私にはよくわからないが、アリスとしては何か悩ましい状況らしい。
アリスが一人で唸っているうちにも、倫敦人形は器用に皿やカップを重ね、そのまま浮き上がって洗い場に運んでいく。
「えーと……皿洗いは倫敦人形にまかせていいってことなのよね?」
私が問うと、アリスは「こちら」の世界に帰還する。
「えっ……ええ、大丈夫。私の手持ちの人形のなかでは、この子が一番皿洗い上手なの。さ、行きましょうか」
アリスはそう言って立ち上がる。
それははたして、倫敦人形にとって誇れるアイデンティティなんだろうか──そんな
─────
渋谷ランプより上りC1方面、首都高3号渋谷線入り──午前一時半
マンションから渋谷ランプまでの猥雑な道中とは打って変わって、初めて上がる3号渋谷線は静かそのものだった。
まばらに流れるクルマたち──先ほど日付が変わり、いまは木曜日。
平日の真ん中という中だるみの時間の、25時とも、午前一時ともいえる曖昧な時間。
一週間の、一瞬の空白。
世田谷、あるいは神奈川方面の客を降ろし終わったタクシーたちが、六本木への道のりを急ぐ。
裏を返せば、それ以外のクルマは淡々としたペースで流している。
どこにでもいるようなセダンやワゴンに混じり、フェラーリやランボルギーニといったスーパーカーたちが、都心へ向かってゆっくりと流れていく。
その流れに身を委ねながら、この首都高は東京都心の大動脈なのだと、私は再確認する。
私たちにとって──つまり、幻想郷や、あるいは首都圏外から来た者たちにとって、この首都高は「走り」の
そして、そうした人々の方が、圧倒的多数なのだと。
この渋谷線は、じきに谷町JCTでC1に接続する。
私はいま、5速2000回転でゆったりとFCを走らせているけれど──C1合流からは、私は違法競争型暴走族──つまり、犯罪者の一員になる。
渋谷線の流れは私に、その行いの罪深さを突きつける。
自分を知る、お嬢様を知る──首都高を知る、夜を知る──「走り」なんてそれらしいコトバを充てがったところで、私が誰かの平穏を一瞬だけ引き裂くことに、変わりはない。
こいしの手でFCを仕上げた後、私がどこを拠点に首都高に上がるのかはまだわからないけれど──自分の手足で初めて上がる首都高が、この渋谷線からでよかったと、私は心の底から思う。
自分の行いを正当化すること──渋谷線の流れは、それを私にゆるさないから。
いつだってこの渋谷からなら、まっすぐに「走り」の意味に向き合える気がするから。
「高樹町を過ぎたら、次は谷町JCT──C1入りよ。谷町は外回りと内回り両方に接続してるけど、どっちに行くの?」
私はすこしだけ迷って、答える。
「──外回り。この間アリスと上がったからっていうのもあるけど……直感かな。今夜は外回り、そんな気がするの」
私の言葉に、アリスは「いいと思うわ」とささやかに微笑む。
渋谷線に上がってから、なんだか言葉少なになっていた──アリスには全部、お見通しってことだろうか。
高樹町を過ぎ、谷町に入るまでのわずかな間──私はアリスに、気になっていたことを聞いてみる。
「ねえアリス。3号はなんだか流れが穏やかっていうか……首都高なのに『それっぽい』クルマの気配がないのは、どうして?」
アリスは一瞬だけ考えて、口を開く。
「……多分それは、C1から3号に出た場合、一筆書きできるルートが存在しないからね。たとえばC1から9号経由で湾岸なら、台場線あるいは横羽線でもう一度C1に入れる*1けど……渋谷線はそれができないのよ。いま4号新宿線と渋谷線をつなぐC2……中央環状線が建設中*2だけど、どうなるかしらね。接続次第だけど、C1から3号に入ってC2経由、4号からふたたびC1……なんてルートが可能になれば、走りのステージになるかもしれないけど*3」
「そうなんだ。ありがと、アリス。……できれば、この渋谷線は走りの場にならないままでいてほしいって、私は思う。この先のC1が過去に受けとめてきた罪を、知ることのないままで。そうして、ここからC1に上がっていく走り屋たちの夜の──
この場所の、この夜で──そのスピードのなかでしか、自分を見つけられず、そして見失ってしまう──そんな、あまりにもか細く儚い私たちのために──
C1合流前、最後の分岐を直進する。
眠らない六本木の街が、私の眼下で燃えている。
昂ぶる街のボルテージに、13Bの心臓が共鳴して──私の右足に、波動となって伝わっていく。
私のリズムと、FCのリズム──かさなるリズム、かさなるこころ──すべてを一瞬のうちに噛み合わせて、いま──
3号渋谷線、谷町JCTよりC1外回り──合流──