第二部『星間旅行の孤独』の時点で、実は登場してたんです。
財務省
紫色のボディに赤いストライプ、そして派手なGTウイングが目を引くそのマシンの名は──SRT-10・ダッジ・バイパー。
まさに「
クルマと髪のいかつさに対し、その女性の顔はどこかあどけなく、声にも少女の面影を残している。
その女性は、どうやらこれから誰かと落ち合うようだ。
「そうそう、いま霞が関ランプのあたり。あなた、C1外回りを周回してるのよね。いまは……7周目?じゃあそろそろタイヤの皮むき*1もおしまいかしら。……OK、一度仕上げに湾岸を流してくるのね。……うん、うん……そうね、私もC1を回ってるから、どこかで合流できるでしょう。それじゃ、また『上』で」
そう言ってバイパーの女性は、携帯電話の通話終了ボタンを押す。
ハザードを落とし、エンジンを始動──低く構えたワイドボディが、いまゆっくりと動き出した──
─────
C1外回り、谷町JCT──午前一時四十五分
3号渋谷線からC1への合流──このポイントは、飯倉から霞が関まで続く、C1ではほぼ唯一と言ってもいいロングストレートの中間地点。
私は目一杯にアクセルを踏みこみながら、C1本線に進入する。
ロータリーは重いローターを回転させる構造上、出足はどうしてももたつく。
だけど、
親指から小指まで──指先の力を一本ずつ、FCのアクセルペダルに伝達させるように──ガーゼに落とした色水が広がっていくイメージを意識しながら、私はアクセルペダルを踏みこんでいく。
アクセルの開度、タービンの過給──そしてローターの回転。
それぞれの点を繋げて、線を構成するように。
繋がった線をしかりと定義して──シフトアップ。
ほんの数秒に過ぎないことだけど、これが私のロータリーとの向き合い方──私がロータリー乗りであることの証左。
ロータリーはセンが細く、繊細なエンジン──だからこそ、私はこの声に耳を傾けていたい。
か細くても頼りなくても、あなたは声を発しているから──13Bは、いつも私に語りかけていて──それは沈黙とは違うことだから。
そんなことを考えている間に、霞が関トンネルの入口が見えてくる。
谷町から加速したFCのスピードは、すでに150km/hオーバー──この先はC1外回りの難所の一つ──
「『霞のジャンプ』よ、咲夜。インベタとは言わずとも、アウトに寄りすぎないよう意識して」
助手席のアリスの言葉に、私は頷く。
C1外回りの霞が関トンネル入口には段差があり、スピードによってはクルマがハネる──それが霞のジャンプと呼ばれる*2ゆえんだ。
進入時にアウトに寄りすぎていると、ジャンプしてそのまま壁に張りつく。
ここでクラッシュする首都高ランナーは多い。
霞のジャンプの右の次はすぐに、ゆるい左だ。
右から左にコーナーが切り替わる途中には、霞が関ランプの出口もある。
霞が関トンネルの入口にアザーカーは見えないが、出口の分岐でもたつくクルマが──つまり霞のジャンプの立ち上がりイン側に、クルマがいる可能性がある。
強めのブレーキングで速度を殺しながら、アクセルコントロールでマシンの向きを変えられるよう私は備える。
右車線の右端から、車身にして三分の一のラインをなぞるポジションに、FCを合わせる。
ジャンプから接地したとき──その瞬間になにが起きるのか、私にはまだわからない。
公道ではなにが起きるか、その先になにが待ちうけるか、誰にもわからない。
だから最大限の臆病さを持たねば──遠くないうちに、死ぬ。
霞が関トンネルに進入──アザーカーはいない──FCがハネる──しかし、想定内だ。
早めのブレーキングによって、ブレーキ時の前荷重はある程度アクセルで相殺できる程度になっていた。
ハネる瞬間、荷重が本来の重心ニュートラルになっていたからだろうか?
FCは落ち着きを持って遠心力をいなし、次の左へとノーズを切りこむ。
霞のジャンプを無事にクリアしたとはいえ、首都高の路面は──想像していたよりも、ひどい。
以前助手席で上がったときは、アリスのテクニックで気づかなかっただけだ。
リアにマルチリンクが採用されているとはいえ、フロントのストラットに設計の古さは隠せない*3。
エンジンパワーが低いいまはいいが──古明地チューンとなったFCの足回りは、この首都高に適応できるんだろうか?
いまRX-7で──ロータリーで走るなら、やはりFDしかありえないのか?
左のコーナーを抜け、つかの間の短いストレートで、そんな不安が頭をよぎる。
迷うな、十六夜咲夜──私が自分に言い聞かせようとしたとき、獣の咆哮がトンネルに響き渡った──
トンネルの右側の壁が切り裂かれ、複数の柱で支えられる構造に──ここはたしか、霞が関ランプ──
これは、クルマの音なのか?──「派手で下品」と評されれば、この声の主はそれすら賞賛と受けとるのだろう。
サイドエキゾーストから放たれるその咆哮に、私は無意識に右車線を空ける。
これはマナーではなく「本能」──私はいま、譲ったんじゃない──「譲らされた」んだ──
本線とランプを隔てる壁の空白が広がるにつれ、その姿があらわになっていく──いま初めて、その毒牙が私の前に明かされていく──
あのとき──C1ですれ違ったときは、仮の姿だった──毒蛇にふさわしい狡猾さで夜闇に潜み──そのピット器官*4に、価値かなう獲物を見定めて──
「あれは──SRT-10──」
──ダッジ・バイパー。