きこえる──いま、FCのエンジンルームに渦巻く潮流が──
きこえる──この東京の波が、
いま、銀座シケインと呼ばれるこの区間のかつての名は、築地川。
埋め立てられ、干上がったその流れが──いま、目覚める。
四半世紀の時を経て──そして、世紀末すら越えて、二十一世紀のいま。
新しい流れが生まれる──それはゆるされない──しかし抗えない──それは、真夜中のエナジー。
声が、きこえる──それはエンジンとボディを介した、かすかな声。
聴覚で聞くんじゃない──全身が泡立つ──すべての毛穴が、マイクになってしまったかのように──あまりにもか細いのに、その声はきこえる──
サクヤ──お前も俺と同じ穴のムジナか──サクヤ──どうだ、ロータリーは──?
最高だよ──アクセルを介して、私の心臓とFCの13Bが繋がるんだ──私が望めば望むほど、FCのパワーが引き出されていくみたい──でもそれは全然、苦しいことじゃないの──
マジかよ──サクヤには、そっち側に行ってほしくなかったんだけどなあ──せっかく俺に似てかわいく生まれたんだからさ──もっとオシャレとかボーイフレンドとか、あるだろって──カレラとか転がすリッチなカレシ捕まえてさあ──レミリアのやつ、何やってんだよ──
私は思わず、笑ってしまう。
お嬢様の名前が、気楽な悪友のように飛び出したせいで。
アリスは多分気づいてないだろう──この常軌を逸したスピードのなかでは、私を観察するどころじゃないはずだ。
タイトなギア比とパワーバンドで絞り出す250馬力──それをほとんどシフトチェンジすることなく、銀座シケインを駆け抜けていく意味。
テクニカルなC1の、一番テクニカルな区間で、最高速を叩き出している、その意味。
お嬢様は、悪くないよ──私はFCにそう語りかける。
それは非言語的コミュニケーション──アクセルとブレーキと、ステアリングを介した──この世で最も雄弁な言葉。
お嬢様のせいじゃないよ──私があまり興味ないだけ──ボーイフレンドだって、まだそんなに──いまはクルマが楽しいだけ──お嬢様はむしろ、ブティックごと買い上げたいみたいだよ、私のために──
かあー──やっぱバカだわ、あの吸血鬼──滅んだほうがいいぜえ、マジで──
滅多に見せない、頭を掻きながら呆れてため息をつくその仕草。
本当に心ゆるした人にしか見せない、お父さんの姿。
ねえ、レミリアお嬢様って、お父さんにとってどんな存在だったの?──私はそう問おうとして、ヤメる。
なんだかまだ早いような気がしたから。
聞いてもきっと、「アイツに『お嬢様』なんて言ってんじゃねえよ。『おぜうさま』で十分だって、あんなちんちくりん」って、笑ってはぐらかされてしまうから。
でも──FCの向こう側に見えた顔が、明るくてよかったと、私は思う。
おしゃべりはおしまいだね──私がそう言うと、FCが頷く。
銀座シケイン、二つ目の橋脚が近づいている。
さあ、サクヤ──
いまは「前だけ見て」踏んでいきな──
──わかってる。
二つ目の橋脚は、コーナーアプローチより遅れて見えてくるんだよね。
すこしだけラフに、アクセルを踏みこむ──いつもよりもパワーが出てると、私は気づく。
リアがわずかにスライドする──はずだったのに、FCがそれをさせない。
エンジンとFCがいま、ささやかな奇跡を私に見せている。
こういうのって──理屈じゃないよね──
というか、ロータリーが理屈じゃないんだよね──
左足ブレーキだけで、アクセルは、戻さない。
銀座S字の立ち上がりで、私はリトラクタブルライトを閉じる。
たかが250馬力でそこまでするか?って──そこまですることを、このFCが求めた気がしたから。
ただ、それだけのこと。
もう、FCの声は聞こえない──だけど、大丈夫。
敵機いまだ視認できず──しかし、私にはわかる。
いる──汐留トンネルを抜けた先に、バイパーが、いる。
距離補正──ビハインドはおよそ──1秒以下。
「C1の空中戦で、ロータリーに追いつけぬ敵機なし──」
とめどないリア荷重のなかで、FCの魂がいま、前かがみになる──
十六夜咲夜・FC3S──追撃態勢──ッ
─────
来るのか──FCは、来るのか──?
C1外回り──八重洲線合流ポイント付近──
女性ははやる気持ちを抑えようと、前方の一般車を見、左からの合流車を確認する。
八重洲線からの流入車が想定より多い──四台は続いている。
いまこの瞬間はいいが、予定通りのタイミングなら左車線は塞がるだろう。
ここから汐留S字──そして浜崎橋JCTまでは三車線が続く。
バイパーの前にはおそらく、一般車が二台は入ってる。
となると、汐留S字にフル加速でアプローチできるのは、右車線のみ。
八重洲線からの合流を前にして、女性は二車線のうち左をキープしていた。
前の一般車とは車間を空けながら──これなら加速しつつレーンチェンジして、先行しながら汐留S字に飛び込める。
女性が右車線を空けていたのは、汐留トンネルを撃ち出されたFCが想定外に速かった場合の安全マージンの意味もあったが──驕りがあったことも否定できない。
バイパーの性能なら、FCを視認してから右に飛び出して加速でも間に合う──女性はそう判断していた。
このとき、女性には想定外の要素が二つあった。
一つ目は、八重洲線からの合流が思っていたより多かったこと。
三車線になったあとの左が使えない事態から、女性はバックミラーを見ずに、これからの走りを組み立てていた。
とは言っても、それはほんの一瞬の出来事にすぎない。
そして、二つ目は──
「──ッ!しまった──ッ」
──FCが想定以上のタイムとスピードで、しかも無灯火で汐留トンネルを飛び出してきたこと。
250馬力仕様に合わせ、控えめな音量のマフラーに換装されていたことも咲夜に味方した。
元来音量の小さなロータリー*1に、控えめなマフラー──来るとわかっていなければ、エキゾーストは簡単にロードノイズにかき消される。
女性は盛大に舌打ちしながら、クラッチを蹴り込みシフトダウン──大排気量NAゆえに、ブースト圧の問題はない。
バイパーなら、パワーは2倍──追いつけないわけではない。
そして、女性は「汐留S字出口までに追いつく」ことを、FCの勝利条件としていた。
ゆえに勝負は既に決している。
だが──
「ここで
いま──V10の心臓がその毒牙を
暴かれた口蓋の闇が、FCを喰らおうと迫りくる──
だが──
「──これ以上は、踏めないッ」
8.3Lの心臓が生む莫大なトラクション──それを受けとめる二駆の後輪が悲鳴を上げる。
まだ汐留S字、その一つ目のコーナーなのに──これ以上は吹っ飛んでしまう。
リア荷重がすっぽ抜けて、バイパーはコントロール不能領域に──
破綻する──このまま踏み続ければ、間違いなく──
バイパーのあまりあるパワーが、三車線のハイスピードコーナーで、いま乗り手を裏切ろうとしている。
自壊してしまう──自らの才ゆえに、その
離れていく──ビハインド5秒を越え、マイナスの領域に到達したFCが。
離れていく──汐留S字入口で、10メートル以下まで詰めたビハインドが、膨らんでいく──
「まいったわね。ボーヤ、あなたカッコよすぎでしょ……」
スローダウンして浜崎橋から芝公園方面に折れたFC──ライトを点灯するその姿に続きながら、女性は満足そうに呟く。
「惚れちゃうわよ、ホント。このヘカーティア・ラピスラズリが、惚れちゃうって──」