いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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神の名は

「──プランは?」

 

霧雨魔理沙──私がそう名乗るより先に、女性は問いかけていた。

稀神サグメ──麟によってそう紹介された女性は、それだけ呟いて口を噤み、私をじっと見つめる。

 

サグメの潤みに満ちた赤い瞳から、感情──あるいは言葉の真意を読み取ることはできない。

しかしその視線は、二つの豊饒(ほうじょう)な海のようだった。

 

本来豊かなはずの感情や言葉を、表に出さない──そんな決意すら秘めた瞳。

眼窩に収束した球体の海は赤潮のようで──その豊かさゆえに、一切の生命をゆるさない──サグメの「豊かさ」に、私は生々しい冷たさを感じていた。

 

「プラン……プランって、何のことだ?」

 

私はサグメと目を合わせ続けることができず、言葉の真意をはかりかねたこともあいまって、麟に助け舟を求める。

けして不愉快な瞳ではなかった──空虚なわけでもなく、むしろ人間味に満ちている──しかしサグメの瞳は、私にとってあまりにも密度が高すぎたのだ。

 

「……多分、32Rのチューニングのことだと思うわ。あなたがあの32Rを再び蘇らせるとして──どういう仕様にするか、ってこと」

 

私の問いに、麟が答えた。

 

なぜ、初対面のサグメが私のRのことを知っている──?

そして、なぜサグメがそのチューニングを気にかける──?

 

私がそう思うが早いか、歌うように抑揚をつけながら、麟が何かを呟いた。

 

ᑕᐸᐃᖅᑕᐃᓕᒋᑦ, 魔理沙──

──ᐃᕝᕕᑦ ᐅᕙᖓᓗ ᐱᖃᓐᓇᕆᔭᐅᔭᕆᐊᖃᓚᐅᕋᓐᓄᒃ.

 

紫色に染まった夕暮れのような、こころのざわめき。

その景色に麟の言葉が、降り落ちた。

 

麟は──なんと言ったんだろう。*1

私の知らない言語で何事かを語りかけた麟の顔──その左半分は影に落ちていて、私には見えなかった。

 

心細さのなかで手を伸ばすように、あまりにもか細い声だった。

手を伸ばしていたのは、麟──?

それとも私だったんだろうか?

あるいは麟と私の、両方──?

 

私は押し寄せる疑問と疑念に抱かれながら、無意識に口を開いていた。

それが本能であるかのように──溺れる子供が太陽に向かって手を伸ばすように──

 

「レブリミットは9000回転、ピークパワーは8500。最大ブースト2.4──」

 

エンジンブロックは、奇跡的に再利用が可能だった。

そこに半年の時間をかけてルナティック・パワーのSPLパーツを再設計した、専用鍛造仕様のピストン・コンロッド・クランクシャフト──そしてアビススペック用ビッグサイズ6連スロットルを装備。

クラウンピースと二人三脚で組み上げたエンジンは、いまもまだ、東雲のエンジン室に横たわったままだ。

 

給排気、冷却系も、パーツは揃えてある。

4層インタークーラー、社外サージタンクで武装──オイルパンおよびポンプ大容量化、1000ccインジェクターを投入──Z32エアフロを流用し、社外フルコン制御。

 

あとはそれを組みこむ、ボディだけ──

 

続く、声が震える。

これがお前の望む姿──私と、私のRが望む姿──しかし、お前は耐えられるのか?

 

「RB26改2.8L、T88ビッグシングル──」

 

明日が、にじむ。

Rの過去を知ったいま、何が正しくて、何が間違っているのかわからない。

本当はフルノーマル280馬力仕様にレストアして、スポーツクーペとして昼間の街中を流せばいいのかもしれない。

パワーバンドを広くした400馬力に仕上げて、オートマ感覚で走るのもいい──クラウンピースなら、RB26をそう仕上げることもできる。

 

しかし、エンジンルームに刻まれた、"R.D.I."がそれをゆるさない──スピードの絶対神に愛されたお前は、けしてそれを望まない。

 

クラウンピースが用意した、320km/hフルスケールのスピードメーター──しかしアイツは「このメーターでも足りない」と言った。

換装するオーストラリア製6速シーケンシャルミッション──6速でレブリミットまで回せば、理論上は330km/hをオーバーする。

どんな向かい風のなかでも、確実に──実測の330km/hオーバーに、そのミッションは私とRを届かせる。

 

T88ビッグシングル──その先の言葉に詰まった私。

すると麟が、誰に言うともなく呟いた。

 

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない──*2

 

もう──二度と、戻れない。

その数字を口にすれば、二度と引き返すことはできない。

無邪気にその数字を──そしてその名を言えた頃が、ひどく懐かしい。

S13のキーを初めて回した瞬間、あのときにもう一度戻れたならば──

 

──戻れたならば、私はどうするというのだろう。

真夜中のスピードの絶対神に愛された、スカイラインGT-R──お前は280馬力ツインターボの姿に戻れたとして、ディーラーの出口で見送られた瞬間に戻れたとして、お前はどうするというのだろう──

 

真夜中の鋼鉄の鳥がいま、死の羽ばたきを持って夜を切り裂く──いくつもの夜と、いくつもの屍を越え──アスファルトの夜を引き裂いていく──夜の傷跡の向こうに見えるのは、新しい夜だけだ──

 

私たちは一心に、神に向かって手を伸ばす──それがどれだけ、邪悪な笑みを浮かべていようと。

スピードへの狂信、そして信仰──私たちの生きる場所が──真昼のアスファルトだったなら──!

 

短いいのちを真っ赤に燃やして、散りゆくいのちを見定めて──そうして生きていく、私たちの夜──夜を生き延びていくしなやかな、黒い獣──それが──それこそが──

 

「R32型スカイラインGT-R──湾岸最高速・800馬力仕様。予想最高速、実測にして330km/hオーバー──」

 

──鳥は神に向かって飛ぶ。

神の名は──

*1
演出としてあえて日本語訳と言語名は載せませんが、現代でも存在している言語です。「魔理沙」をローマ字にして、Google翻訳の言語検出を使えば訳せます(うまくいかないときは英訳を挟んでください)。魔理沙の気持ちを味わいたい方はそのままで。

*2
このあとの「鳥は神に向かって飛ぶ」および「神の名は」とあわせ、ヘッセ『デミアン』(訳:高橋健二)

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