「冴月麟……稀神サグメ……」
芝浦PAのオープン・エアに、声が落ちた──それが自分の独り言だと、私はすこし遅れて気がつく。
黒い紙片を私の片手に残し、麟とサグメは去っていった──ブリリアントブラックのFD3Sで。
胸すくような、3ローターツインターボの残響音──ロータリーのV12と呼ばれるにふさわしい、ハイチューンのエキゾーストノート──
私はじっと、その紙片を見つめた。
それは、URLだけ──稀神サグメとも、冴月麟とも──会社名も電話番号も、住所すら書かれていない、真っ黒な名刺。
私に名刺用紙の良し悪しはわからないが、おそらくいい紙を使っているのだろう──指で挟んだときに、初めて気づく厚み。
艶のあるブリリアントブラックに、わずかに色味の違う黒のラメ加工が施されていて──簡素なゴシック体の白い字は、見る角度によってシルバー──そして深い紫と表情を変える。
名刺の果たすべき役割としては不合格だが、デザインとしては合格以上だ。
私もルナティック・パワーの名刺を持っているからわかる──名刺は組織の指先を表すものだ。
そして、物事の本質は細部──その指先に宿る。
凝った名刺をつくれば、自社の資金力をアピールできるだろう──しかし、凝りすぎて品を失えば、取引の信頼まで失ってしまう。
いくら挑戦的なことを取引先の応接室で主張しても、当たり障りのない名刺を出した時点で、それが絵に描いた餅だと相手には伝わる。
革新的なプランを社内に持ち帰っても、それが通ることはない──しかし「先月と同じように」は、地球が滅んでも実現すると、取引先には伝わるだろう。
それが、名刺のデザインだ。
私──霧雨魔理沙のレベルで、この名刺からわかったことは三つ。
麟とサグメ──あるいはその後ろ盾は、それなりの規模と資金を有していること。
センスはあるが得体は知れず、友好的な態度をとりながらも
そして三つ目は──こいつらは「まとも」じゃない、ということ。
それは人格ではなく──営利団体の形式をなぞりながら、まるで商売をするつもりがない姿勢のことだ。
この名刺には、名刺として必要なモノがすべて抜け落ちていた──それは、3ローターツインターボ化によって、50:50の重量バランスを捨て去ったあのFDを象徴しているようにも、私には感じられた。
そういう意味では、「麟とサグメ」の名刺としては、正しいのかもしれない。
正しささえも「軽量化」したその速さを、この名刺はたった一枚の存在で表現している。
名刺を受け取る私に、麟は「欲しいパーツがあるかもね」と言った。
私たちはチューンドのパーツを卸しているの──オーパーツと言ってもいい、いままでの常識を覆すような──
私は携帯電話を取り出し、iモード*1を開く。
慣れない英字テンキーから、一文字一文字を選びとり──私は親指に力をこめ、決定ボタンを押した。
その向こうで待っていたのは──
「ラプラス商会──?」
─────
「ねえ、サグメ。魔理沙はもうアクセスしてる頃かしら──私たちの、
C1内回り──宝町ストレート
FD3Sのステアリングを握る冴月麟は、宝町の上り坂でアクセルをゆっくり開けながら、助手席の稀神サグメにそう問いかけた。
それに対しサグメが答える前に、麟は続けて問いを放つ。
「魔理沙は、どのページから開くかしら。私はねえ──エンジンのページだと思う。絶対そうに決まってるわ!魔理沙のことなら、私はずっとずーっと……見てきたから。エンジンを開いて、まずは日産……あるいはホンダかしら。いいえ、きっと日産ね。日産……スカイラインGT-R……と開いて……」
サグメは何も言わず、麟の言葉と──FDのサスペンションとタイヤに、耳を傾けていた。
FDは江戸橋JCTの分岐を右へ──後輪は650馬力のパワーを余すこと無く伝えている。
わずかなスライドは、麟のちょっとしたアクセントだろうとサグメは推察する。
まるで、友達の誕生日会の計画を披露する、幼い少女のようだとサグメは思った。
春の香りのオーデコロンがいいかしら?──リボンは何色?──あの子はどのお茶が好きだったかしら──何ヶ月も前からずっとその話ばかりをしている子供みたいに、麟の言葉はFDの車内を──乾いたハイトーンのエキゾーストノートとともに踊る。
箱崎JCTで、FDは9号──湾岸方面の分岐に入る。
そのとき麟はサグメに「聞いてる?」と問いかけた。
サグメは静かに頷く──アクセルが大きく開けられ、FDのリアが跳ねた。
麟の感情と、FDの動きがリンクしている──いまはまだ、マツダ純正の20B*2をチューニングしただけだが──あのエンジンに載せ替えれば、麟とFDはさらに深く、透明にリンクするのだろうと、サグメは考える。
「魔理沙は気づくかな──うちの商品は、全部一点物ってことに。日産とマツダのページに一つずつ、既に品切れが出てることに。──日産の方は気づくかな。気づくよね?サグメ。魔理沙はきっと、葛藤しちゃうから……だけど、気づいてくれないと私、嫌だな。魔理沙がこだわってるのは、ボディだけじゃないって、私は知ってるんだ……」
サグメは静かに頷く。
今日のうちに、おそらく横浜……みなとみらいに届けられることだろう。
注文を受けたわけではない──そもそもあちらは私たちを知らない。
私たちが勝手に送っただけだ。
使うかどうかは、本人次第──しかし、あのチューナーが見れば、その価値は一瞬でわかるだろう──
パッケージの内容は、エンジンのSPLパーツ一揃い。
窒化鋼*3削り出しフルカウンター*4専用クランク、専用I断面コンロッド、2ピース*5超軽量ピストン、肉厚ピストンピン──そして──
「アルミ削り出し強化ブロック。耐久馬力、1500オーバー──」
RB26改3.0L──送り先は──
「喜んでくれるかな……ふふ、メフィストフェレス*6の気分だわ、私。ねえ?紅美鈴──そして、私のファウスト*7──」
フランドール・スカーレット──
いまさらですが、この作品に登場するマシンには基本的に元となったマシンやパーツが存在します。
(完全に幻想的フィクションなものもあります)
興味がある人は調べてみてください。
2025年現在は実現しているが、作中の時代には存在しないパーツや技術もあります。