いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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注釈追加しました。(2025/02/19)


メフィストフェレス

「冴月麟……稀神サグメ……」

 

芝浦PAのオープン・エアに、声が落ちた──それが自分の独り言だと、私はすこし遅れて気がつく。

黒い紙片を私の片手に残し、麟とサグメは去っていった──ブリリアントブラックのFD3Sで。

胸すくような、3ローターツインターボの残響音──ロータリーのV12と呼ばれるにふさわしい、ハイチューンのエキゾーストノート──

 

私はじっと、その紙片を見つめた。

それは、URLだけ──稀神サグメとも、冴月麟とも──会社名も電話番号も、住所すら書かれていない、真っ黒な名刺。

 

私に名刺用紙の良し悪しはわからないが、おそらくいい紙を使っているのだろう──指で挟んだときに、初めて気づく厚み。

艶のあるブリリアントブラックに、わずかに色味の違う黒のラメ加工が施されていて──簡素なゴシック体の白い字は、見る角度によってシルバー──そして深い紫と表情を変える。

 

名刺の果たすべき役割としては不合格だが、デザインとしては合格以上だ。

私もルナティック・パワーの名刺を持っているからわかる──名刺は組織の指先を表すものだ。

そして、物事の本質は細部──その指先に宿る。

 

凝った名刺をつくれば、自社の資金力をアピールできるだろう──しかし、凝りすぎて品を失えば、取引の信頼まで失ってしまう。

いくら挑戦的なことを取引先の応接室で主張しても、当たり障りのない名刺を出した時点で、それが絵に描いた餅だと相手には伝わる。

革新的なプランを社内に持ち帰っても、それが通ることはない──しかし「先月と同じように」は、地球が滅んでも実現すると、取引先には伝わるだろう。

それが、名刺のデザインだ。

 

私──霧雨魔理沙のレベルで、この名刺からわかったことは三つ。

麟とサグメ──あるいはその後ろ盾は、それなりの規模と資金を有していること。

センスはあるが得体は知れず、友好的な態度をとりながらも素性(それ)を明かすつもりはないということ。

 

そして三つ目は──こいつらは「まとも」じゃない、ということ。

それは人格ではなく──営利団体の形式をなぞりながら、まるで商売をするつもりがない姿勢のことだ。

 

この名刺には、名刺として必要なモノがすべて抜け落ちていた──それは、3ローターツインターボ化によって、50:50の重量バランスを捨て去ったあのFDを象徴しているようにも、私には感じられた。

そういう意味では、「麟とサグメ」の名刺としては、正しいのかもしれない。

正しささえも「軽量化」したその速さを、この名刺はたった一枚の存在で表現している。

 

名刺を受け取る私に、麟は「欲しいパーツがあるかもね」と言った。

私たちはチューンドのパーツを卸しているの──オーパーツと言ってもいい、いままでの常識を覆すような──

 

私は携帯電話を取り出し、iモード*1を開く。

慣れない英字テンキーから、一文字一文字を選びとり──私は親指に力をこめ、決定ボタンを押した。

 

その向こうで待っていたのは──

 

「ラプラス商会──?」

 

 

─────

 

 

「ねえ、サグメ。魔理沙はもうアクセスしてる頃かしら──私たちの、電脳(ラプラス)に」

 

 

C1内回り──宝町ストレート

 

 

FD3Sのステアリングを握る冴月麟は、宝町の上り坂でアクセルをゆっくり開けながら、助手席の稀神サグメにそう問いかけた。

 

それに対しサグメが答える前に、麟は続けて問いを放つ。

 

「魔理沙は、どのページから開くかしら。私はねえ──エンジンのページだと思う。絶対そうに決まってるわ!魔理沙のことなら、私はずっとずーっと……見てきたから。エンジンを開いて、まずは日産……あるいはホンダかしら。いいえ、きっと日産ね。日産……スカイラインGT-R……と開いて……」

 

サグメは何も言わず、麟の言葉と──FDのサスペンションとタイヤに、耳を傾けていた。

FDは江戸橋JCTの分岐を右へ──後輪は650馬力のパワーを余すこと無く伝えている。

わずかなスライドは、麟のちょっとしたアクセントだろうとサグメは推察する。

 

まるで、友達の誕生日会の計画を披露する、幼い少女のようだとサグメは思った。

春の香りのオーデコロンがいいかしら?──リボンは何色?──あの子はどのお茶が好きだったかしら──何ヶ月も前からずっとその話ばかりをしている子供みたいに、麟の言葉はFDの車内を──乾いたハイトーンのエキゾーストノートとともに踊る。

 

箱崎JCTで、FDは9号──湾岸方面の分岐に入る。

そのとき麟はサグメに「聞いてる?」と問いかけた。

サグメは静かに頷く──アクセルが大きく開けられ、FDのリアが跳ねた。

 

麟の感情と、FDの動きがリンクしている──いまはまだ、マツダ純正の20B*2をチューニングしただけだが──あのエンジンに載せ替えれば、麟とFDはさらに深く、透明にリンクするのだろうと、サグメは考える。

 

「魔理沙は気づくかな──うちの商品は、全部一点物ってことに。日産とマツダのページに一つずつ、既に品切れが出てることに。──日産の方は気づくかな。気づくよね?サグメ。魔理沙はきっと、葛藤しちゃうから……だけど、気づいてくれないと私、嫌だな。魔理沙がこだわってるのは、ボディだけじゃないって、私は知ってるんだ……」

 

サグメは静かに頷く。

今日のうちに、おそらく横浜……みなとみらいに届けられることだろう。

注文を受けたわけではない──そもそもあちらは私たちを知らない。

私たちが勝手に送っただけだ。

 

使うかどうかは、本人次第──しかし、あのチューナーが見れば、その価値は一瞬でわかるだろう──

 

パッケージの内容は、エンジンのSPLパーツ一揃い。

窒化鋼*3削り出しフルカウンター*4専用クランク、専用I断面コンロッド、2ピース*5超軽量ピストン、肉厚ピストンピン──そして──

 

「アルミ削り出し強化ブロック。耐久馬力、1500オーバー──」

 

RB26改3.0L──送り先は──

 

「喜んでくれるかな……ふふ、メフィストフェレス*6の気分だわ、私。ねえ?紅美鈴──そして、私のファウスト*7──」

 

フランドール・スカーレット──

*1
NTTドコモが提供している、ガラケー向けインターネットサービス。キャリアメールやWebページの閲覧が可能。「提供している」と書いた通り、新規受付は停止したものの、投稿時点ではサービス継続中。2026年3月30日終了予定。

*2
ここまでで搭載車が登場していないので一応注釈。20Bは3ローター・2Lのロータリーエンジン。13Bがレシプロ2L相当とすれば、20Bは3Lクラスと考えるのが妥当か。搭載車はユーノス・コスモのみ。シーケンシャルツインターボ・280馬力としてデビューしたが、開発段階では333馬力になる予定であった。280馬力は自主規制に合わせデチューンした結果である。高出力とV12に匹敵する滑らかさで評価されるエンジンだが、反面その燃費は世界レベルでワースト。13Bターボの街乗り実燃費がおよそ5-7km/L、全開2-3km/Lといわれるが(RB26もそのくらいか?)──20Bは街乗りで3km/L、全開で1km/Lを割るという説がある。「マフラーから万札をまき散らす」といわれ、(どこぞの英国紳士ではないが)そのエキゾーストはまさに「金が燃える音」──だが、それに見合う価値のある、まさにバブルが生んだ名機だろう。なお、ユーノス・コスモには13Bと20B両方のグレードが存在した。クルマよりもEgが語られることが多いが、内装まで贅を凝らした名車である。

*3
鋼の表面に窒化物を生成させて硬化させた鋼材。耐摩耗性や耐食性に優れる。航空機用エンジンにも使用される素材。

*4
クランクピンの反対側にカウンターウェイトが2つ規則正しく配置されているクランクシャフト。 ピストンなどの往復運動をする部品の慣性力をより打ち消すことができ、トラブルを予防しやすい。

*5
エンジン全高をRB26のサイズに収めるため。

*6
ドイツのファウスト伝説に登場する悪魔の名前。次注釈に説明は譲る。

*7
冴月麟が言及しているのは、ゲーテ『ファウスト』か。前述ファウスト伝説に由来する戯曲であり、ファウストはその主人公。無限の知的好奇心と、対する人間の有限性に絶望したファウストが、悪魔メフィストフェレスと取引をする話。メフィストフェレスはファウストに様々なドラマ的体験を約束する代わり、ファウストの死後、メフィストフェレスへの隷属を持ちかける。もしも人生に満足し、ファウストが「時よ止まれ、お前は美しい」(お前=時間)と言ったならば、ファウストの魂はメフィストフェレスのものとなる。




いまさらですが、この作品に登場するマシンには基本的に元となったマシンやパーツが存在します。
(完全に幻想的フィクションなものもあります)
興味がある人は調べてみてください。
2025年現在は実現しているが、作中の時代には存在しないパーツや技術もあります。
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