スキマが開く瞬間、レミリア・スカーレットは素早く居住まいを正した。
十六夜咲夜は、完全で瀟洒な従者である。
まだかしら、と二十秒おきに呟いていたのに、いざ霊夢と魔理沙が帰ってくる瞬間には、優雅にティーカップを持ったポーズで出迎える──そんな主人を愛おしく思っても、十六夜咲夜は表情筋を一ミリも動かさない。
キッ、と音を立てて紅白のワンダーが紅魔館の前庭に停車し、霊夢と魔理沙が降りてくる。
「どうだったかしら、B18Cは」
レミリアお嬢様が二人に語りかける。
紅霧異変以来、お嬢様はすっかりこの紅白と黒白がお気に入りだ。
人間の可能性を広げた──お嬢様は二人のことを語るとき、事あるごとにそう呟く。
「上々ね。いい子だわ」
「クルマの設計がすこしキツい感じがするけどな。足回りがエンジンに追いついてない気がするぜ。ワンダーにB18Cはやりすぎじゃないか?」
「まあ霊夢なら乗りこなせるでしょ、きっと。筋が良いし」
「筋ねえ……勘で走ってるだけなんだけど」
「勘であのブレーキングしてるんだもんな……冗談じゃないぜ……」
「あら魔理沙、今夜はやけに素直じゃない。北浜180ひとつで減らず口って治るのね」
「うっせ。反省してるんだよ、私は。人が乗ってなかったとはいえ、パトカーにマスタースパークはやりすぎた……それはそうと、レミリア。『あれ』は手に入ったのか?」
「ああ、あれね。なんとか手に入ったわ……咲夜」
「はい、こちらに」
お嬢様の言葉に合わせ、私は時を止める。
裏のガレージを開き、エンジンに火を入れ、魔理沙たちの前まで動かす。
ついでに居眠りしている美鈴を一刺ししてから、元の位置に戻り、時を動かす。
「おお!……やっぱりクルマはスカイラインだぜ」
「でかいわねえ。あんた、こんなのがいいの?魔理沙」
「弾幕もクルマもパワーだぜ、霊夢。魔法使いは
「決まってるかは知らないけどね……パチェとアリスが聞いたら絶対否定するわ。大事に乗りなさいよ。かなりチューニングしてあった個体だから、足回りだけライトチューンに、あとはノーマルに戻してあるわ。まずは慣れなさい」
「サンキューな、レミリア」
魔理沙は新しい玩具を買ってもらった子供の瞳で、漆黒のマスキュリンなボディを見つめている。
BNR32。
R32型スカイラインGT-R。
勝利を渇望する意志が生んだ、鋼鉄のサラブレッド。
走りの世界に飛び込んでから、魔理沙はこのマシンを一途に求めてきた。
「まずは腕を磨きなさい。あなたは妖怪ではなく人間。一度の事故であっさりと命を落とす。それに、パワーのありがたみは、踏みきった先でしかきっとわからないから」
お嬢様は走り出す魔理沙にそう言って、最初にS13シルビアを与えた。
魔理沙は毎夜、走りこみを欠かさない。
魔法の森にCA18のエキゾーストが響かない夜はなかった。
遅れて走り出した霊夢のワンダーに妖怪の山でちぎられても、魔理沙はめげなかった。
霊夢が走り出してたった一週間、そこからの敗北。
天才に負けて一ヶ月、魔理沙は初めてエンジンをブローさせた。
SR20にスワップしてからも、過酷な走り込みでエンジンを三基潰した。
お嬢様に認められて、32Rの調達を約束された日の魔理沙を、私は忘れないだろう。
「不可能を可能にするのは人間の特権だわ。咲夜、あなたや霊夢のような天才、私やフランのような妖怪には、きっと届かない眩さね」
僅差とはいえ、魔理沙が霊夢のワンダーに妖怪の山の下りで勝った夜、お嬢様はそう言った。
お嬢様は運命に抗う存在が好きだ。
だから魔理沙に32Rを与えたのだろう。
私も負けていられない。
お嬢様の視界に映り続けるのは、私だ。
32Rを囲んではしゃぐ魔理沙を見て、私はそう強く思った。