紅美鈴が赤福を手土産に河城自動車を訪れた夜より、さかのぼって数日ほど前──
大阪府某所、河城自動車──午後十一時半
河城にとりはチャンピオンシップホワイトのNSX──ではなく、その隣に佇む一台のマシンを見つめていた。
小ぶりなオープンボディ、シャープで無駄のないデザインを彩る、ニューフォーミュラレッド──河城にとりはそのマシンに乗り込む。
「奈良まで出張って
私はキーを回し、赤いボタンを押し込む──
「
エンジンに火が入る──わかるやつにはわかる。
いや、わかってしまう。
アイドリングの時点でこの心臓は秘めている──シリンダーに凝縮された、濃厚な暴力の気配。
リッターあたり125馬力を発生させ、出荷状態で9000回転を回し切る究極の高回転VTECユニット。
それが
突き抜けるエキゾーストノートに、破綻の気配を微塵も感じさせないシャシー。
そして、オープンカーであることを忘れるほどのボディ剛性。
気持ちよくVTECサウンドを楽しみながら、そのハンドリングとオープンの開放感を味わって、週末昼間のワインディングロードでささやかなレーサー気分に浸ればいいのに──妥協なきF20Cはそれを、エスと私に許さない。
湧き上がる愚かさを抑えきれない。
それなりの人間なら、環状でのエスの走りも──そして破綻した先にある結果も、カタログとシャシダイだけでわかるはずなのに。
ホンダがつくる本気のリアルスポーツFR──ホンダの「速さ」を二輪の時代から見つめてきた私は、「ホンダの本気」その意味がわからないなんて口が裂けても言えない。
求める心、辿りつく速さ──息詰まる興奮。
そして、ワンミスの先でぽっかり口を開ける、底なしの闇。
アクセルをいっぱいに踏みこむ──滑らかに吹け上がるF20C。
異次元の高回転領域、9000回転へ──ハイカムに切り換わり、VTECサウンドが咆哮する。
このサウンドを浴びれば、アザーカーはただのパイロンになる──
時代すら置き去りにする速さを求めて──
「これが、
環状で走るならシビック、小排気量コンパクトFFこそが最良──ずっとそう信じてきた。
だが──覆される──チューナーとして積み上げてきた
あの頃の私ですら、きっと認めるだろう。
中排気量・オープンボディ、後輪駆動のエスを。
そして──客には絶対に「選ばせない」。
限界の高いシャシは一般車のすり抜けを簡単にこなしていく。
究極のコーナリングマシンのアドバンテージは環状でも健在──だが、底が見えない。
ここまで踏んでいい?ここまでステアを入れていい?ブレーキングは間に合う?曲がれる?──エスはすべての問いに「イエス」としか答えない。
あまりに危険なマシン。
エスの辞書に「ノー」はない──「手遅れ」な状況に一番役立たずな言葉、それが「ノー」だからだ。
踏める、曲がれる、そして──すり抜けられる。
スピードが落ちない。
操縦入力までの時間マージンが大きい──だから視野を広く持てる。
判断の余裕はラインに迷いを与えない。
すり抜けのラインをエスが教えてくれる。
F20Cの超高回転VTECサウンドは息つく間もゆるさない。
圧倒的興奮──そのサウンドが、アクセルを踏みきる勇気になる。
だからこそ──怖い。
北浜コーナーを抜けて約一周──渋滞がなかったのはあるけれど──一部のコーナーとオービス前を除き、スピードメーターはほとんど180km/hを下回らなかった。
「スピードを殺さずに、トップスピードのまますり抜けていく」
「そうすれば、馬力なんて関係なくなる」
私はずっと、それが環状最速の走りだと信じてきた。
そしてそれは理想論に過ぎないとも──だが、このマシンはそれを実現している。
「滑らかに吹け上がる超高回転型VTECユニット」
「絞り出すNAパワー、途切れることのないエキゾーストノート」
F20Cはそれを実現している。
400万円出せば、誰もが街中のディーラーでその走りを手にすることができる。
一人の技術者として、
湧き上がるのはメーカーへの尊敬と──嫉妬。
チューナーとしての
「河城スピード」の理想を本当に実現できるマシン──それを、ホンダというメーカーは世に出してしまった。
もう降りたはずなのに、機械を生まれたままの姿で愛すると決めたはずなのに──私の愚かな心がさわぎだす。
落ち着け私──そう思ってアクセルを抜こうとしたとき、バックミラー越しに一対のヘッドライトが迫っていることに気づく。
すこし減速し、様子を見る──ヘッドライトが近づく──直管のVTECサウンド──これはB型、B18Cか?
この時間に環状ってことは、DC2かDB8のインテRだろうか。
──違う、インテRじゃない。
こいつはワンダー。
紅白ツートンの、ワンダーシビックだ。
懐かしいね、ワンダーとは。
いまはもう21世紀っていうのに、ワンダーにB18Cぶっこんで環状だなんて──環状族の
あの頃現役だった奴なら、こんなバカしてる歳じゃないし──若い奴なら
21世紀にもなってパッシングでバトルを申し込むなんて、どんな神経してるんだ。
ワンダーのナンバープレートは──アルミホイルかけてあるね。
古典的だけど合格だ。
私はナンバー偽装装置をON──河童の光学迷彩技術を応用した装置で、ナンバーの表記をダミーにすりかえ──ハザードを焚き、バトルを受ける。
──いま私はエスに乗ってんだ。かつて
いくらここが環状でも、ワンダーに譲る車線はないよ。
「付き合ってやるのは一周だけだ。そろそろ
環状をハイスピードで周回すれば、三周目に入る頃には
捕まればタダじゃ済まない──それが阪神環状。
ハザードが二回点滅すると同時に、ギアを落とし、アクセルを踏み込む──最高のシフトフィール、たちまち吹け上がるF20C──
右へ左へ、一般車をすりぬけていく──ワンダーなら私もさんざんやったからわかる。
たしかにコンパクトなボディは強みだ。
B18C換装でパワーも申し分ない。
そこまでの環状仕様なら軽量化もキッチリやってるだろう。
踏んでいく度胸も認める──だけど、その古い設計の足回りでどこまで踏んでいける?
「あんたが事故して私までポリに引っ張られるのはゴメンだ。そんな
東船場JCTのS字を抜ける──上手いもんだ。
ここは入口の広い三車線だからスピードが乗るけど、腕が悪いやつは脱出する頃にはヘタってる。
エスならまだしも、ワンダーできっちりノセてくるかい。
左から合流のすぐあとに、右から東大阪線のクルマが合流──左右からの環状線合流に対してどの車線を選ぶかが、このストレート区間ではキモになる。
だけど──よくわかってるやつの走りだ、あの紅白ワンダー。
合流地点までの距離を逆算したうえで、一般車の流れを読み切ってる。
だから、試したくなる。
直進して環状線のままでいく。
高津JCTから直進すれば、ステージは
正直、ナメていた。
そこらの環状族気取りのコゾーが解体屋からオコしたか──かつて現役だった
認めざるを得ない──あの紅白ワンダーだけは例外だ。
「ドライバーが誰だか知らないけど、この先は夕陽丘ストレート──東船場とえびす、二つのJCTを結ぶウルトラロングストレートは、中間の高津JCTを境に四車線から二車線になる──踏んでいけるか?紅白ワンダー──」
高津JCTを左側車線で直進──夕陽丘ストレート入り──
エスと私ならそのまま踏んでいける。
途切れることのないエキゾーストノート──「空力の先のエクスタシー」は、この夕陽丘ストレートから始まったんだ。
「──嘘でしょ?」
バックミラーに目を向ける──さすがに紅白は離れただろうと。
しかし──
「どうしてあんたが──そこにいる?」
バックミラーいっぱいにワンダーのヘッドライトが映る──この夕陽丘でギリギリのすり抜けをこなしている──時代遅れのワンダーが、エスと同じ鋭さで。
「でも、前じゃトラックとタクシーが並走してる。車線が塞がってる以上、もう踏めない。残念だよ、いい乗り手だったのに──」
夕陽丘入口からの合流手前、私がすこし気を抜いた瞬間──ワンダーが私の横に飛び出して加速する。
馬鹿、前見てないのかこいつ──そう思ったときだった。
ワンダーが加速すると同時に、トラックがわずかに左へ──タクシーは右へ──真ん中のわずかな隙間に紅白ワンダーが飛び込もうとする。
いけるか──いや、いけっこない──馬鹿、冷静だったら死なずに済んだのに──
「……何があったの?」
ワンダーはクリアした──トラックとタクシーの間にできた隙間をパスする形で。
おそらく偶然──二人のドライバーがお互いのすこし外側に、ハンドルを「同じタイミング」で切った。
そうしてできた偶然の隙間を抜けたのだろう──実際、ワンダーが抜けた直後、二台はそれぞれの車線の真ん中におさまった。
たしかに、夕陽丘入口からの合流車線分、トラック側には左サイドに余裕があった……だが、わかっていたというのだろうか?
度胸試しにしては、狂ってるなんてレベルじゃない──後ろからサイレンが聞こえる。
気づいてなかったが、どうやら覆面を追い越していたらしい。
ワンダーはそのまま見えなくなったし、パトが来た時点でここまでだ。
東船場JCTまで環状を走って東大阪線に乗るつもりだったが、四ツ橋のあたりにはもう待ち構えてるだろう。
これ以上環状に乗るのはリスキーだ。
それに、このテンションでパトとカーチェイスする気にはなれない。
私は
13号東大阪線に入る描写ですが、河城自動車の立地がある程度固まったので修正入れました。
投稿時は近畿道北上→東大阪JCT→13号のルートでした。
(2024年12月6日)