いのち短し走れよ少女   作:夏色バレッタ

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夕陽丘ストレート

紅美鈴が赤福を手土産に河城自動車を訪れた夜より、さかのぼって数日ほど前──

 

大阪府某所、河城自動車──午後十一時半

 

河城にとりはチャンピオンシップホワイトのNSX──ではなく、その隣に佇む一台のマシンを見つめていた。

小ぶりなオープンボディ、シャープで無駄のないデザインを彩る、ニューフォーミュラレッド──河城にとりはそのマシンに乗り込む。

 

「奈良まで出張って(ヤマ)は試した。南港(なんこう)方面で0-100km/h(ゼロヒャク)加速もテスト済。高速域のクルーズも近畿道でやってきた。リミッターカットとオービス対策以外手を入れてないノーマルだけど、上々だね。難しいマシンだといわれるけど、このくらいは想定内。カタログ見ればわかることだし、日本のメーカーが欠陥車出すわけないんだ。だけど──」

 

私はキーを回し、赤いボタンを押し込む──

 

大阪(ここ)では、そして私にとっては、環状だけが『走り』だ。あんたの本気を見せてみな、S2000──」

 

エンジンに火が入る──わかるやつにはわかる。

いや、わかってしまう。

アイドリングの時点でこの心臓は秘めている──シリンダーに凝縮された、濃厚な暴力の気配。

リッターあたり125馬力を発生させ、出荷状態で9000回転を回し切る究極の高回転VTECユニット。

それがS2000(エス)、そしてF20C──

 

 

水走(みずはい)ランプから東大阪JCTを越え、阪神高速13号東大阪線へ──早く、早く環状(あそこ)へと、お前(エス)は私を急かす──

突き抜けるエキゾーストノートに、破綻の気配を微塵も感じさせないシャシー。

そして、オープンカーであることを忘れるほどのボディ剛性。

気持ちよくVTECサウンドを楽しみながら、そのハンドリングとオープンの開放感を味わって、週末昼間のワインディングロードでささやかなレーサー気分に浸ればいいのに──妥協なきF20Cはそれを、エスと私に許さない。

 

湧き上がる愚かさを抑えきれない。

それなりの人間なら、環状でのエスの走りも──そして破綻した先にある結果も、カタログとシャシダイだけでわかるはずなのに。

ホンダがつくる本気のリアルスポーツFR──ホンダの「速さ」を二輪の時代から見つめてきた私は、「ホンダの本気」その意味がわからないなんて口が裂けても言えない。

求める心、辿りつく速さ──息詰まる興奮。

そして、ワンミスの先でぽっかり口を開ける、底なしの闇。

 

アクセルをいっぱいに踏みこむ──滑らかに吹け上がるF20C。

異次元の高回転領域、9000回転へ──ハイカムに切り換わり、VTECサウンドが咆哮する。

このサウンドを浴びれば、アザーカーはただのパイロンになる──

 

時代すら置き去りにする速さを求めて──

東船場(ひがしせんば)JCT──環状合流──

 

 

「これが、S2000(エス)の環状──」

 

環状で走るならシビック、小排気量コンパクトFFこそが最良──ずっとそう信じてきた。

だが──覆される──チューナーとして積み上げてきた常識(モノ)がバラバラに砕け散る──

あの頃の私ですら、きっと認めるだろう。

中排気量・オープンボディ、後輪駆動のエスを。

そして──客には絶対に「選ばせない」。

 

限界の高いシャシは一般車のすり抜けを簡単にこなしていく。

究極のコーナリングマシンのアドバンテージは環状でも健在──だが、底が見えない。

ここまで踏んでいい?ここまでステアを入れていい?ブレーキングは間に合う?曲がれる?──エスはすべての問いに「イエス」としか答えない。

 

あまりに危険なマシン。

エスの辞書に「ノー」はない──「手遅れ」な状況に一番役立たずな言葉、それが「ノー」だからだ。

 

踏める、曲がれる、そして──すり抜けられる。

スピードが落ちない。

操縦入力までの時間マージンが大きい──だから視野を広く持てる。

判断の余裕はラインに迷いを与えない。

すり抜けのラインをエスが教えてくれる。

 

F20Cの超高回転VTECサウンドは息つく間もゆるさない。

圧倒的興奮──そのサウンドが、アクセルを踏みきる勇気になる。

 

だからこそ──怖い。

北浜コーナーを抜けて約一周──渋滞がなかったのはあるけれど──一部のコーナーとオービス前を除き、スピードメーターはほとんど180km/hを下回らなかった。

 

「スピードを殺さずに、トップスピードのまますり抜けていく」

「そうすれば、馬力なんて関係なくなる」

 

私はずっと、それが環状最速の走りだと信じてきた。

そしてそれは理想論に過ぎないとも──だが、このマシンはそれを実現している。

 

「滑らかに吹け上がる超高回転型VTECユニット」

「絞り出すNAパワー、途切れることのないエキゾーストノート」

 

F20Cはそれを実現している。

400万円出せば、誰もが街中のディーラーでその走りを手にすることができる。

 

一人の技術者として、S2000(エス)に向き合う。

湧き上がるのはメーカーへの尊敬と──嫉妬。

チューナーとしての河城にとり()は、このマシンに対する嫉妬を隠せない。

「河城スピード」の理想を本当に実現できるマシン──それを、ホンダというメーカーは世に出してしまった。

 

もう降りたはずなのに、機械を生まれたままの姿で愛すると決めたはずなのに──私の愚かな心がさわぎだす。

 

 

落ち着け私──そう思ってアクセルを抜こうとしたとき、バックミラー越しに一対のヘッドライトが迫っていることに気づく。

すこし減速し、様子を見る──ヘッドライトが近づく──直管のVTECサウンド──これはB型、B18Cか?

この時間に環状ってことは、DC2かDB8のインテRだろうか。

 

──違う、インテRじゃない。

こいつはワンダー。

紅白ツートンの、ワンダーシビックだ。

 

 

懐かしいね、ワンダーとは。

いまはもう21世紀っていうのに、ワンダーにB18Cぶっこんで環状だなんて──環状族の鎮魂歌(レクイエム)でも気取ってるつもりかい?

あの頃現役だった奴なら、こんなバカしてる歳じゃないし──若い奴ならそんなバカ(環状族)なんてヤメて、難波(なんば)あたりのゲームセンターで大人しくしてな──そう思っていると、ワンダーはスピードを落とさずにパッシングする。

 

21世紀にもなってパッシングでバトルを申し込むなんて、どんな神経してるんだ。

ワンダーのナンバープレートは──アルミホイルかけてあるね。

古典的だけど合格だ。

 

私はナンバー偽装装置をON──河童の光学迷彩技術を応用した装置で、ナンバーの表記をダミーにすりかえ──ハザードを焚き、バトルを受ける。

 

──いま私はエスに乗ってんだ。かつて(いだ)いた河城スピードの理想。そこにたどり着きうる原石にね。

いくらここが環状でも、ワンダーに譲る車線はないよ。

 

「付き合ってやるのは一周だけだ。そろそろ警察(ポリ)が上がってくる頃合いだからね」

 

環状をハイスピードで周回すれば、三周目に入る頃には四ツ橋(よつばし)のエレベーター*1からパトカー(パト)が上がってくる。

捕まればタダじゃ済まない──それが阪神環状。

 

ハザードが二回点滅すると同時に、ギアを落とし、アクセルを踏み込む──最高のシフトフィール、たちまち吹け上がるF20C──

 

右へ左へ、一般車をすりぬけていく──ワンダーなら私もさんざんやったからわかる。

たしかにコンパクトなボディは強みだ。

B18C換装でパワーも申し分ない。

そこまでの環状仕様なら軽量化もキッチリやってるだろう。

踏んでいく度胸も認める──だけど、その古い設計の足回りでどこまで踏んでいける?

 

「あんたが事故して私までポリに引っ張られるのはゴメンだ。そんなワンダー(ロートル)環状(ここ)で振り回すのなら、ちゃんと前見て踏んでいきな」

 

東船場JCTのS字を抜ける──上手いもんだ。

ここは入口の広い三車線だからスピードが乗るけど、腕が悪いやつは脱出する頃にはヘタってる。

エスならまだしも、ワンダーできっちりノセてくるかい。

 

長堀(ながほり)入口からの合流地点にさしかかる。

左から合流のすぐあとに、右から東大阪線のクルマが合流──左右からの環状線合流に対してどの車線を選ぶかが、このストレート区間ではキモになる。

だけど──よくわかってるやつの走りだ、あの紅白ワンダー。

合流地点までの距離を逆算したうえで、一般車の流れを読み切ってる。

 

だから、試したくなる。

高津(こうづ)JCTから15号堺線に入って環状に戻るつもりだったけど──気が変わった。

直進して環状線のままでいく。

高津JCTから直進すれば、ステージは夕陽丘(ゆうひがおか)のストレートへ──車線選びをミスれば踏み切れない。

 

正直、ナメていた。

そこらの環状族気取りのコゾーが解体屋からオコしたか──かつて現役だったオッサン(ロートル)が、ガレージからホコリまみれの「思い出」を引っ張り出したんだろうとばかり思っていた。

 

認めざるを得ない──あの紅白ワンダーだけは例外だ。

平成初期(全盛期)を彷彿とさせる走り──紅白に限っては、この環状でいまだ現役──

 

「ドライバーが誰だか知らないけど、この先は夕陽丘ストレート──東船場とえびす、二つのJCTを結ぶウルトラロングストレートは、中間の高津JCTを境に四車線から二車線になる──踏んでいけるか?紅白ワンダー──」

 

高津JCTを左側車線で直進──夕陽丘ストレート入り──

エスと私ならそのまま踏んでいける。

途切れることのないエキゾーストノート──「空力の先のエクスタシー」は、この夕陽丘ストレートから始まったんだ。

 

「──嘘でしょ?」

 

バックミラーに目を向ける──さすがに紅白は離れただろうと。

しかし──

 

「どうしてあんたが──そこにいる?」

 

バックミラーいっぱいにワンダーのヘッドライトが映る──この夕陽丘でギリギリのすり抜けをこなしている──時代遅れのワンダーが、エスと同じ鋭さで。

 

「でも、前じゃトラックとタクシーが並走してる。車線が塞がってる以上、もう踏めない。残念だよ、いい乗り手だったのに──」

 

夕陽丘入口からの合流手前、私がすこし気を抜いた瞬間──ワンダーが私の横に飛び出して加速する。

馬鹿、前見てないのかこいつ──そう思ったときだった。

 

ワンダーが加速すると同時に、トラックがわずかに左へ──タクシーは右へ──真ん中のわずかな隙間に紅白ワンダーが飛び込もうとする。

いけるか──いや、いけっこない──馬鹿、冷静だったら死なずに済んだのに──

 

 

「……何があったの?」

 

ワンダーはクリアした──トラックとタクシーの間にできた隙間をパスする形で。

おそらく偶然──二人のドライバーがお互いのすこし外側に、ハンドルを「同じタイミング」で切った。

そうしてできた偶然の隙間を抜けたのだろう──実際、ワンダーが抜けた直後、二台はそれぞれの車線の真ん中におさまった。

 

たしかに、夕陽丘入口からの合流車線分、トラック側には左サイドに余裕があった……だが、わかっていたというのだろうか?

度胸試しにしては、狂ってるなんてレベルじゃない──後ろからサイレンが聞こえる。

気づいてなかったが、どうやら覆面を追い越していたらしい。

 

ワンダーはそのまま見えなくなったし、パトが来た時点でここまでだ。

東船場JCTまで環状を走って東大阪線に乗るつもりだったが、四ツ橋のあたりにはもう待ち構えてるだろう。

恵美須町(えびすちょう)から難波あたりの区間ですら既に怪しいし、西船場・中之島JCTを回る頃には逃げ道がなくなっててもおかしくない。

 

これ以上環状に乗るのはリスキーだ。

それに、このテンションでパトとカーチェイスする気にはなれない。

私は阿倍野(あべの)方面に向かって、えびすJCTを直進した──

*1
阪神高速には緊急車両が下道から直接環状に上がるためのエレベーターがある。




13号東大阪線に入る描写ですが、河城自動車の立地がある程度固まったので修正入れました。
投稿時は近畿道北上→東大阪JCT→13号のルートでした。
(2024年12月6日)
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