「まずは走らせてみましょうか。小悪魔、左ハンドルは大丈夫?」
「はい。紅魔館のブレラも左ハンドルなので」
夕方近くのレイクサイド・パークウェイ。
私はアリスさんのアルピーヌのハンドルを握っていた。
旧車特有のドアの軽さ。
ギアをローへ、慎重にクラッチをつなぐ。
……エンジンパワーは正直さほどではないが、後ろから押し出す感触が強い。
「気づいた?それがRR、リアエンジン・リアドライブ。後ろから蹴り出される感じがするでしょう?この子はパワーがないからほどほどかもだけど、3.6Lターボのポルシェ・911なんて強烈よ」
スピードを乗せていく……フロントが軽い。
「アリスさん、これ、パチュリー様のヨーロッパに似てますね」
「舵の効き方?そういえば、あなたよくパチュリーのロータス・ヨーロッパ運転してたわね。初めて乗る人は『フロントの接地感』がないって言うけど、それは当たり前。ヨーロッパはMR、アルピーヌはRR、どちらもエンジンが運転席より後ろだからよ」
「エンジンの位置でそんなに変わるんですか?」
「エンジンはクルマを構成するものの中で一番の重量物よ。前にエンジンがあるとフロントタイヤが地面に押し付けられる分、舵の効きに安定感が出るわ。MRは後で説明するとして、RRは後輪軸より後ろにエンジンを置く分、舵は軽くなる。率直に言えば不安定なレイアウトね」
それならRRにメリットはあるんだろうか。
安定している方がいいと私は思うが。
私はアリスさんに質問する。
「不安定なのにどうしてそうしたんですか?前に置いたほうがいいと思うんですけど」
「いい質問ね、小悪魔。教え甲斐があるわ。まず、RR自体はいまはほとんどつくられてないの。例外は
ポルシェ・911くらいかしらね。その911も、大半のユーザーは四駆……誤解を恐れず言えば、多くの人にはメリットのないレイアウトよ。車内空間が広くなるメリットはあるけど、現代の乗用車はFFでそのメリットを享受してるし──RR自体は、技術の限界から生まれたといえるわ。自動車が生まれたときの技術では、前輪に操舵と駆動の役割を両立させることが困難だったの。前輪に操舵を担わせるために、駆動は後輪に担当させることにした。でも、エンジンのパワーを離れた位置のタイヤに伝達させる技術はまだ乏しい。──だからエンジンを駆動輪のすぐ近くに置いて解決したの。その結果がリアエンジン・リアドライブ、RRよ」
「つまり、RRはクルマの原初のカタチってことですか?」
私がそう言うと、アリスさんはすこし照れた顔で頬を掻く。
「まあ、そうとも言えるわね。でも、911くらいしか現代の乗用車で代表例が出ないあたり、そういうこと。ポルシェだからそれを『正解』にできてると思ったほうがいいわ」
「でも私、この軽快感好きですよ?」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……そうね。走りでこれは『禁じ手』だけど、今日は試乗だからいいでしょう。小悪魔、すこしアルピーヌに魔法をかけるわ……はい、アクセル全開にしてみて」
「……?うわ、ちょっとこれ……アリスさんなにしたんです?」
アクセルを踏み込んだ瞬間、フロントが浮く感触がする。
後ろから蹴り出すなんてかわいい表現じゃおさまらない。
昔レミリアお嬢様が飼っていたサラブレッドの走り出しに似ている。
追走する鈴仙さんのエボがバックミラーで点になる。
「アルピーヌのエンジンの馬力とトルクを一時的に上げる魔法をかけたの。アルピーヌはローパワー・ライトウェイトだから軽快感あるし、それもRR。でもこの顔もまた、RRよ。いまで大体、964型911の3.6ターボと同じパワーウェイトレシオ*1ね。癖になるでしょう?」
「乗れればパンチありますけど、これは結構怖いですって……!」
「あなたなら大丈夫よ。さあ、次はヘアピンよ。上海との視覚共有……対向車なし。ブレーキとタイヤの容量にも魔法をかけたわ。思いきり突っ込んでみなさい」
どちらにせよこのスピードじゃ止まらない……やるしかない。
ブレーキング……ブレーキはよく効く?
ロースピードだと気づかなかったが、ブレーキの効きがいいように感じる。
姿勢をつくってヘアピンにターンイン──最初の姿勢づくりはシビアな気がするけど、一度振り出したらスイスイ切り込んでいく。
ヘアピンを抜けて一息……めちゃくちゃ怖かった。
「……死ぬかと思いました」
「大丈夫よ。パチュリーの蔵書に火をつけない限り、あなたに死は訪れないわ……冗談はさておき、なかなか乗れてたじゃない。感想はどう?」
「そうですね……まず、加速が段違いでした。ブレーキもよく効く印象です。コーナリングもかなりいいんですが……アクセルの踏み加減間違えたら吹っ飛びそうだと思いました。機嫌が悪いパチュリー様みたいというか……これは魔法の影響ですか?」
「機嫌が悪いパチュリーというのはいい得て妙ね。魔法の影響もあるけど、RRの特性が大きいわ。──まず、RRは駆動輪のあたりにエンジンがあるわよね。だから、駆動輪を重量物が押しつける力が強いの。これが段違いな加速力の正体ね。次にブレーキだけど、これには前後の重量バランスが影響してるわ。クルマはブレーキングをすると前につんのめるでしょう?あれは荷重が前にかかるからなの。RRはリアヘビーだから、ブレーキングして前に荷重をかけると──前後荷重のバランスがとれるのよ。だから制動距離が短くなるの」
「難しいですが、加速中・ブレーキング中のそれぞれの状況で最適バランスがとれるってことですかね?」
「端的に言えばそういうこと。その代わりドライバーの腕に依存するから、引き出せるかどうかは乗り手次第ね。率直に言えば難しいのよ、RRは。小悪魔、あなたコーナリング中に細かくアクセルペダルを動かしてたけど、あれはどうして?」
「あれは……なんていうんですかね。踏みすぎても踏まなさすぎても駄目というか……リアに意識を集中させないといけない気がして」
「感覚でよくわかってるのね。RRは高速領域のアクセルワークがシビアなの。重量物が後ろだから、アクセルオフで荷重を前にかけすぎると、遠心力でリアが振り出してスピン。逆に前荷重をかけなさすぎてもいけないわ──荷重がかかるほどタイヤはグリップするの。操舵担当の前輪が仕事をするには前荷重が必要。足りないとクルマは曲がらないわ」
「難しいですねえ……でも、面白かったです。シビアですけど、あの加速は癖になりますね」
「そうでしょう?あなたならポルシェもいいと思うわよ」
ポルシェかあ……かっこいいなあ……ポルシェで六本木を流す私を想像してみる。
……ポルシェ乗りのイケおじの助手席の方がいいかもしれない。
「預金通帳と相談ですねえ……次はなんでしょう」
「そうね。次はFRにしましょうか。さっき咲夜に人形で連絡したから、もうそこの駐車場に来てると思うわ」